もう安心 本当に?




 もしかしたらどこかで野垂れ死んでいるのでは、そう不安になるくらいずっと音信不通だったイグナートの登場に、シャルロッテの目にうっすらと涙が滲んだ。



「よかった、無事で」


「ああ、色々あったけど、この通り元気だよ。シャルこそ身体の調子は・・・」



 照れ笑いを浮かべたイグナートは、周囲にたくさんの人がいる事にここで改めて気づき、口を噤んだ。



「悪い、ここでする話じゃないよな。一昨日の夜に港に着いたばかりでお前の結婚の話を聞いてさ。慌てて来たからこんな格好だし、なんかまだ頭がごちゃごちゃしてるんだ。

 え~と、そちらがシャルの旦那になるマンスフィールド公爵?でしたか」


「ああ。オスカー・マンスフィールドだ。貴殿は旅に出ていた次兄どのとお見受けする」


「そうです。イグナート・ケイヒル。女嫌いで有名な公爵が結婚するって、数日前からあちこちでもの凄い噂ですよ。お陰で俺の耳にも入ったんですけど。いやぁ、シャルを選ぶなんて見る目ありますね」


「ありがとう。得難い人だ、大切にする」


「そう言ってもらえるとこっちも安心です。まあ、今の・・シャルと結婚すると言ってくれたあなたなら、俺は何も心配してません。それに、もうすぐ不安要素はなくなりますしね」


「え?」



 ぱちり、と目を瞬かせるシャルロッテに、イグナートはウインクして「プレゼントがあるんだよ」と小声で言った。


 プレゼントとは何だろうと気になるシャルロッテだったが、いつまでも扉前で立ち話をする訳にはいかない。


 ケイヒル家の面々も、遠目にイグナートを見つけ慌ててやって来ると、さっさと親族用の控え室へと連れて行った。


 取り敢えず鞄の中から1番いい服を引っ張り出して着て来たというイグナートだが、それでも結婚式にはそぐわない格好で、悪目立ちしていたからだ。



 姿が見えなくなるまで兄たちを見送るシャルロッテに、隣のオスカーが穏やかな声で語りかける。



「よかったな。兄君が無事に帰って来て」


「はい。今日は本当にいい日です。オスカーさまと結婚式を挙げられて、イグお兄さまも無事に帰って来てくれて」


「急ごしらえの式でもそう言ってくれるとは、君は謙虚だな」


「本当にそう思ってますから。それに、思いがけないプレゼントも貰っちゃいましたしね」


「? ああ、そういえば彼は君にプレゼントがあると言っていたな」



 ―――そっちじゃなくて、オスカーさまに口づけしてもらった事ですよ。



 とは流石に恥ずかしくて口には出せず、シャルロッテはにっこりと笑うだけに留めた。



 そんなシャルロッテを、オスカーは何故か複雑な表情を浮かべて暫し見つめ、それから再び退場すべく歩を進めようとして―――









「オスカー!」



 背後からカツカツとヒールの音を鳴らしながら、リベット王女が呼び止めた。


 オスカーはチッと舌打ちをすると、シャルロッテと重ねていた手を離し、素早く肩へと回した。そして、ぐいっと花嫁を抱き寄せてから振り返る。



 ―――ほわぁっ!? 今日はご褒美続きだわ!



 思いがけず大好きなオスカーと密着する形になったシャルロッテは、目を白黒させつつ頬を赤らめた。


 それは傍から見ても恥じらう初々しい花嫁姿で、追いかけて来たリベットはその光景に美しい顔を苦々しく歪めた。



「・・・っ、オスカーって、こういうタイプが好みだったのね。知らなかったわ」


「世界一可愛いでしょう?」


「一度、医者に目を診てもらった方がいいんじゃないかしら」


「視力は昔から良好ですよ。殿下こそ、医者に視力を測っていただいたらどうですか」


「・・・オスカー、後で間違いに気づいても遅いのよ。お父さまの言う事を聞いておけばよかったって、きっと後悔するわ。でもね、そうなってからでは、もうわたくしは手に入らないのよ」


「王女殿下ともあろう方が、何を仰っているのです? まさか私の第二夫人の座をご希望ですか? 悪いが私は妻ひとすじでして」


「っ! ふざけないでよ! 誰があんたなんか!」


「それはよかった。珍しく殿下と意見が合いましたね」



 何とも険悪な言葉の応酬が続き、周囲の人たちは2人の遣り取りに顔色を悪くするが、シャルロッテにとっては、今もご褒美タイム継続中だ。


 リベットがシャルロッテを罵倒すると、オスカーはそれを庇う、というかシャルロッテを褒める。つまりリベットのお陰でオスカーから立て続けに褒め言葉を頂戴しているのだ。


 そしてなにより今もオスカーの腕の中という豪華特典付き。


 ふわりと鼻腔をくすぐるウッディな香りはオスカーさまの普段使いの香水かしら、なんてひとりニヨニヨしてしまう。



 ―――ああ、契約結婚してよかった。 


 アラマキフィリスになって、一念発起して結婚を申し込んでよかった。




 祭場の外で待機するよう命じられていた王女の護衛が現れ、怖々とリベットを馬車へ連れ帰るまでの間、シャルロッテのご褒美タイムは続くのだった。







 その頃、花嫁の親族用の控え室では、イグナートが家族に向かって嬉しそうに口を開いていた。



「いやぁ、余命僅かと分かって尚、シャルを嫁さんにするなんて、マンスフィールド公爵も男気があるよなぁ」



 嬉しそうに語るイグナートを前に、ケイヒル家の面々は顔を見合わせた。

 この結婚には裏がある事を誰が話すのかと、互いに肩や腕をツンツンし合う。



 そんな様子には気づかず、イグナートは上機嫌で「あ、そうそう」と続けた。



「俺さ、遂にやったんだよ。アラマキフィリスに効く薬を手に入れたんだ」


「っ、本当か?」


「じゃあ、シャルはもう大丈夫なの?」


「薬・・・あったんだ・・・」



 父も母も長兄も、顔色が安堵で明るくなる。


 これまでずっと、腕のいい医者を探し回り、医学論文を読み漁り、使える伝手は全て使って。


 けれど、何の成果も得られないまま、シャルロッテの余命は既に10か月を切っていた。


 それでも前を向こうと健気に頑張るシャルロッテの為、彼らは泣きたい気持ちをぐっと堪えて常に笑顔を心がけていたのだ。



 今にも祝杯を挙げそうな勢いの家族を前に、だが何の事情も知らないイグナートが続けた。



「結婚したのには驚いたけど、いいタイミングでプレゼントを持って帰れてよかった。これでこの先も2人が末長く幸せに暮らせると思うと、苦労した甲斐があるってもんさ。いやぁ、難破した時は本気で死ぬと思ったけどさ」


「「「あ」」」



 ジョナスとラステル、そしてランツは顔を見合わせた。


 イグナートのお陰で最大の問題が解決されたが、その結果、新たに別の問題が持ち上がった事に今気づいたからである。









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