最後の弟子
「はぁ~つまらん」
そんな声が一面大理石の部屋に響き渡った。目の前のソファには、横になって読み物を持っている師匠がいる。
そしてソファの向かいでは、ビクッと肩を震わせた少年が俯いている。しかし、そんな少年に見向きもせずに師匠はグチグチと何か話している。
「なにかゴザイましたカ?」
私は師匠にそう声をかける。私には理解できないことを仰っているが、何か不都合があったのだろう。
「おや爺や。来ていたのか。来るなら前もって伝えてくれ」
……。
私は思ってもいない返答に、少し驚いてしまった。師匠は本当に自分の立場を理解していらっしゃるのか。
……だが、普段からこのような方でもある。いつも通りである。それが怖いのだが……。
気を取り直すように私は王位継承の件を師匠に話し、そろそろ少年にお帰りになってもらうように言った。
少年が退室する際、師匠はあの事を言われてしまった。私は慌てて扉を閉めてしまった。
あぁ…。少年の顔は困惑していた。やはり無理もないだろう。
しかし、師匠も師匠だ。
急に3年後に復活すると言われて、戸惑わない者はいないだろう。しかも、少年が書いてきた小説をあんなにも酷評しててしまう。少年からすれば今日が厄日に違いない。
少年の家系は歴史的にも有名な作家だと聞いたことがある。物語もさぞ面白いことだろうに。何がそこまで駄目であったのか……。
今頃は作家としてのメンタルが崩壊しているだろう。3年後に期待しています。 私はそう長くも生きているか分かりませんがね。はっはっはっ。
……しかし、師匠が人族の親戚だなんて、今思うとすごい話だ。
私も初めてお会いした時は驚いた。何せ、魔族が喋りかけてきたのだ。
…あの日は、私の厄日だったな。
~~~
人魔戦争渦の最前線で家も家族も失った。そんな私を救ってくださったのが、かの日の師匠だった。
「一緒に来い。そして終わらそう」
その時は師匠の話す言葉が理解できなかったが、その差し出された手に惹かれるように師匠のもとへと行った。
最悪な日のせめてもの救いだった。
それからはこの戦争を終わらすために師匠とひたすら鍛錬を積んだ。
そのなかで言語についてもある程度理解し、喋れるようになった。知力をこんなにも強化できるとは思っていなかった。言語を扱えるとは思ってもみなかった。
本当にこの戦争を終わらせることができるのではないか。そう思った。
そして実現した。
長きにわたった戦争はあっという間に終わってしまった。
その手口は単純なものだった。
和解だ。
人族の言語を話し、和解を申し込んだ。斬新だったがそれが最善だった。
一応、護身術として魔術も鍛錬してきたが、それよりも知力を強化したので、人族とも会話ができた。
知力が乏しい魔族に対しては、あまりにも奇抜な方法をとった。
そしてもう一つ、終結の決め手となったものがある。
それが、霊族を介したことだ。
霊族は実体がなく、他種族の身体に乗り移ることができる少し特殊な種族である。そして霊族は主に両種族の魂とされていて、言語の理解ができる種族でもあった。
霊族に乗り移られた魔族たちは言葉を理解し、人族と話し合うことができた。
これにより両種族の和解に成功させた。
~~~
思い出を振り返っていると、扉が開く音が聞こえた。
そこには豪華な鎧をまとった勇者が立っていた。 昔のような活力に満ちた姿はなく、少し衰えているように見受けられる。しかし、それでも勇者としての風格を感じさせる佇まいは、師匠が今も気に入っている証拠なのだと感じる。
…さて、……いよいよ王位継承の話し合いだ。気を入れなおす。
「久しいな。勇者よ。待っておったぞ」
しかし、師匠は勇者に近づき肩を叩きながら絡んでいる。
はぁ…。またやっている…。……本当に師匠は勇者が好きだな。……一方的な愛というものは何と恐ろしいものか……。
私は半分呆れながらも、勇者に頭を下げながらソファへと案内した。
しかしお二人がソファに座られると空気は一変した。先程は少し心配したのだが、今は頼りがいがある立派な師匠へと元通りである。
…やはり、師匠はすごいな…。
そして二人は継承について話し合いを始めた。私は師匠の後ろ、ソファ越しに師匠を見守っていた。
…しかし勇者も師匠と仲が良いな。人族と思えないほど友好的だ。
いや、もちろん初対面は最悪だったのだが…。
~~~
あの日は師匠が急に、勇者に会いに行くと言い出した。やめたほうがいいと止めたが、それでも師匠はお聞きにならなかった。
そしてあの場所で勇者を見つけた。
師匠は勇者に訴えかけた。あの時の勇者の顔は今でも忘れられない。酷く困惑した顔だった。しかし、その表情も一瞬にして豹変した。
そして、案の定切りかかってきた。
しかし師匠は手を広げるだけで抵抗しなかった。…あぁ、やはり和解など無理だと、そう思っていた。
だが勇者は剣を振り下ろさなかった。そしてこちらに向かって話しかけてきたのだ。
「……本当に魔族なんだな?」
まだ我々を安全かどうか、疑問に思っている勇者の顔を覚えている。
無理もない。人族からすれば知力の乏しい魔族が言語を話すなど思ってもいない。
しかしその時、師匠から放たれた一言で、勇者は納得してしまう。
「あなたも人族なのに魔力操作が上手ではないか。つまり、努力次第ということだ」
それは鍛錬中、何度も聞いた言葉だった。
努力。潜在能力。それは自分の知らない武器だということを。
「そうか…。………それも、そうだな。……話し合いができるのなら、その方がいい」
こうして勇者との和解は成立した。
それから戦争が終結するのは1年も経たなかった。
~~~
「整理させてほしい」
私が思い更けていると、勇者が険しい表情で語った。王位継承の話が一段落ついたようだった。
勇者が質問をしている。やはり復活の件についてだ。
これについては私も詳しくは知らない。
ただ魔力を込めた魔術書を、時間差で発動することで肉体を再生させるとか…。私には理解が及ばないが、復活することは確定らしい。そして師匠は勇者にもその詳細を明かすつもりはないらしい。
勇者が一瞬呆れた顔になったが、吹っ切れたのか、今は覚悟を決めたようであった。
「分かったよ。それじゃ、失礼するよ」
そうして話し合いの終わった勇者は部屋を出ていこうとする。しかし、聞き忘れたことでもあったのかこちらを振り返る。
勇者は魔族の后について聞きたいらしい。
…当然だ。今まで疑問に持たれていなかったのが不思議なくらだ。
師匠が勇者に后について話している。
あぁ…。見る見るうちに勇者の顔色が悪くなっていく。そして案の定、言い合いが始まった。
怒っている勇者とは裏腹に、師匠は少し楽しそうだ。
…はぁ、仕方ない。
私は仲介しなければならないと思い、二人の間に入ろうとした。
……がしかし。師匠が勇者に背をむけて、私の方へと振り返ってきた。
「これも立派な公務だよ」
その言葉で、その一言で、またもや勇者を納得させてしまった。
…やはりすごいお方だ。魔族であるのに言葉ですべて解決される。
こうして、半分自棄になりながらも納得した勇者が部屋を出ていく。しかし勇者が部屋を出ていかれた瞬間から、師匠はソファに寝ころび再び小説を読み始めた。
「サッキのかんドウヲ、かえしテくだサイ」
「え?なになに?」
………先程と同一人物とは思えない。この方と一緒にいると常に振り回される。
…だが、それらは新たな発見が多く、とても楽しいものだった。
…そして、ふと思う。
師匠の弟子としていられる残りの時間を。復活するとはいえ、一度この世からいなくなるのだ。
3年も会えない。もしかしたら、私はもう、この世界にはいないかもしれない。
そう思うと――。
「まおうサマは、しぬノがコワくないのでスカ…」
自然と言葉がこぼれてしまった。
その時焦った。失礼なことを言ってしまった。前言撤回せねば。
しかし、何を言えばいいのか分からず、私はただ黙って下を向くことしかできない。そんな私を見て師匠は言った。
「もちろん怖いよ」
思わぬ言葉が返ってきて、慌てて顔を上げる。師匠は言葉を続ける。
「爺や。生き物は必ず始まりと終わりがある。お前だってそうだ」
師匠は読んでいる小説を閉じ、落ち着いた声色で話し出す。
「無情にも、この世界には永遠は約束されない。時が経てば終わりもいつかは訪れる。だがな爺や」
師匠がソファから立ち上がる。
「終わりはいつだって、自分自身で決めるものだ」
師匠はこちらを真っすぐと見つめている。
「来るべき未来を待つものではない。……霊族を見てみろ。あれほどの数がこの世に残した未練を晴らそうとしている。他の身体を使ってでも…だ。だがそれは本当に自分自身で望んだ最期なのか?本当に最高の最期だと言えるか?…いや、違う。大半が出来ず仕舞いで今も彷徨い続けている」
師匠は私の目の前に来る。
「だから私は復活するんだよ。怖くても。一度死を通ってでも。我として、悔いなく生涯を終わらすために。最高の最期を迎えるために。そして今はまだ、その時ではない」
そこではじめて気づいた。
私の頬に何かがつたっている。だがその正体は分からない。 しかしそんな私を見て、師匠は優しく笑う。
「はっはっは。泣いているのか、爺や。その様子じゃ今日の食事はつくれそうにないな。我が作ろう」
師匠ははいつもとは違い、優しく笑っている。
これが涙?
感情が反射的に出てしまったということか?……私も随分と人族らしくなってきてしまったものだ。まったく、誰のせいだか……。
「…いえ。ショクじはわたしガつくリマス」
私はそう言い、涙と呼ばれるものを拭い、調理場へ向かった。
◇◇◇
今日はなぜか少し気合を入れて作ってしまった。いつも師匠の食事を作っている専属料理人にも少し驚いた顔をされた。
久々の手料理と言うこともあり 気合が入ったのだろう。少し豪勢なものになってしまった。
「爺や」
師匠が並べられた料理を見て、私を呼ぶ。
「もう一度会った時は、爺やの作ったものを最初に食べたい」
私は胸からこみ上げる何かを抑え、深くうなずいた。
「もちろンデス」
◇◇◇
王位継承は盛大に行われた。式典中は師匠の側近として、常にお傍にいた。ただ、勇者に王位を継承する際以外は。
師匠と勇者が向かい合い、いよいよ正式に王位が継承される。師匠の前に勇者が跪いている。
しかしその時、二人の口元が何やら動いているのが分かった。私がいる位置から少し離れていたので、話している内容は聞こえない。ただ、何やらやり取りをしていることだけは分かった。
そして師匠が勇者の頭に冠を乗せると、二人の口が動かなくなった。勇者は目を閉じ、師匠の方へと頭を下げている。私は不思議に思いながらもふと、師匠の顔を伺う。
微笑んでいた。
しかしそれはどこか悲しみを感じさせる笑みだった。私にはその笑みに含まれた意味が分からなかった。ただ、ひたすらに少し悲しみを感じさせる笑みだった。
そして式典は順当に進み、無事、王位継承が終了した。
◇◇◇
王位継承を行って数か月後。
師匠はその日、いつもより早く寝られてしまった。思い返せばあの時、もっと話しておけばよかったと思っている。何せ、それが一番の前兆だということだったのだから。
師匠の死。
それは、当然のことながら、しかし、突然とやってきた。
王位継承を行って数か月後の悲劇に、公国中の民衆が大聖堂前に集まっていた。聖堂内では関係者のみの簡素な葬儀が行われていたが、外から民衆の声が聞こえてくるほどの悲劇であった。
葬儀中、私は師匠の顔を直視できなかった。
あまりに綺麗すぎる。死人の顔ではなかった。だが、それでもそこに魂が宿っているとは感じれなかった。
本当にいなくなってしまったのだ。復活するとはいえ、私とはこれが恐らく最後になるだろう。
そう思い、つらい胸の内を抑えながら、整った師匠の顔を拝む。
席に戻るとき、向かいの最前列で異様に背筋を伸ばしている人物を見かけた。明らかに他とは違う雰囲気を発しており、視界に入ればたちまち一目見てしまうほど目立っていた。
勇者だ。
しかもその表情は、悲しみではなく覚悟。
私はその時初めて、勇者の強さに実感した。
いつもは師匠に振り回されているただの苦労人だと思っていた。しかし、師匠亡き今、勇者にはこの国を背負う覚悟ができていたのだ。
その姿に私は心から何か安心感のあるものが湧き上がってきた。
勇者にならばこの国を任せても問題ないと。そう思った。
こうして葬儀中、私が勇者に感心していると、大聖堂から大街道へと移動する準備に入っていた。
私は側近と言う立場なので、棺を担ぐ役割を担った。棺には他にも関係者らが担いでおり、衰退した私の身体を労わるかのように、棺の重さは感じられなかった。
大街道には大勢の民衆が集まっており、その全てが頭上の棺へと目を向けている。
凄まじい慕われ方だ。生前どれほど善行を積めばこれほど慕われるのか…。しかしそれでもなお、最高の最期と言うものにはたどり着いていないらしい。…一体師匠の最高はどこにあるのだろうか……。
……。
◇◇◇
私が師匠のあの言葉について考え事をしていると、魔王城の目の前まで到着していた。
ここからは勇者の出番だ。私は担いでいた棺を手に持ち替え、勇者に預ける。
その時、私の目は自然と勇者の目を見ていた。先程感心したばかりだろうか。自然と信頼の眼差しを向けていた。
それに応えるかのように勇者もまた、真っすぐな瞳でこちらを見つめ返してきた。
やはりこの男に国を任せて正解だった。そう心から思った。
勇者がいよいよ魔王城へと入っていく。その真っすぐと歩く後ろ姿を見届ける。そして、魔王城の中へと消えていく勇者を見届けると、私はふと、魔王城の頂を見た。
そこにはある部屋がある。いつも過ごしていたあの部屋。
私はそれを見つめて、師匠と過ごし日々を思い返す。数々の無理難題を、勇者と私、そして師匠の三人で乗り越えてきた。この国だって、三人で作り上げたにと言っても過言ではない。
そう言えば師匠は復活したら私の食事を食べたいと言っていたな…。
あぁ…。
私が初めて師匠に料理を振る舞ったと気のことを思い出す。
あの師匠の酷い顔は今でも忘れない。今では料理が得意になり、振る舞えるところまで上達したが、始めたては本当にひどいものであった…。
手料理か……。懐かしいな……。
……そんな出来事も、もう、思い出になってしまう。
そう思うと―――
「………3ネンごシのリョウりトいうもノハ、サゾビミでショうね…」
親族が魔王城内での勇者を見守る中、私は一人、そう呟いていた。
―――――――――。
そしてあの料理を最後に、私は、師匠に食事を作る約束を二度と果たせなかった。
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