第25話

「いらっしゃいませー……」


 聞きなれたコンビニの入店の音楽と共に、自動扉の奥から店員のやる気のない声が響いてくる。


 家から十分程度の場所にあるコンビニだが、夜になっても全く気温の下がらない熱帯夜のせいで少し歩いただけで汗が噴き出してきてしまう。自動扉をくぐり別次元のような心地よい冷気に体を包まれ、俺は深く息を吐いた。気温が変わるだけで呼吸がしやすくなるというのは絶対に気のせいではないはずだ。

 店内にはレジで棒立ちになっている くたびれた姿の男性店員が一人きり。

 日付が変わるまでにあと少し時間はあるが、住宅街の中でも見つけにくい立地にあるためか、俺たち以外に客の姿はなかった。

 さらに言えば、商品の搬入がない微妙な時間帯に当たってしまったのか、本来なら弁当やパック済の総菜が並ぶ陳列棚には賞味期限間近のサンドウィッチやおにぎりが並んでいるだけで、冷凍食品以外に酒のつまみになりそうなものは残っていなかった。

 如月にとっては不満だろうが、俺に取っては幸先が良い展開だ。品物がなければ財布の負担がそれだけ減ってくれるのだから。


 だが安堵する俺を無視するように、如月は総菜には目もくれず店の最奥にあるスイーツコーナーまで一直線に足を運ぶと、冷蔵の棚に並ぶ生菓子を次々に籠の中へと入れていく。シュークリームにショートケーキ、ティラミスやらなにやら。酒のつまみとは到底思えないラインナップに俺は思わず声を上げた。


「ちょ、ちょっと待ってください。あれだけ食べて、まだケーキ食べるんですか。俺酒のつまみって聞いてたんですけど」

「何言ってるんだよ、ケーキは酒のつまみだろ」


 まだ酒が飲める年齢ではないが、それでも生クリームがたっぷりと乗ったケーキをつまみに酒を飲む人間など俺の短い人生の中で一度も聞いたことがない。そもそも先ほどあれだけケーキを貪り食った後で、さらに追加でケーキを食べるなど想像しただけで胸やけがする。

 一体目の前にいるこの男の、それこそ骨が浮きそうな程に不健康な体のどこにあれだけのケーキが吸い込まれているというのだろうか。そもそも、それだけ甘いものが好きだというならばもっと贅肉がついていても良いではないか。

 そもそもコンビニスイーツ、特にケーキ類の生菓子は割高なのだ。それをここまで遠慮なく籠の中に入れられたのではこちらとしてもたまったものではない。必死で財布の中身と相談する俺の横で、如月はといえば今度は酒のコーナーから持ってきたであろう缶の山を籠の中へと入れはじめた。


「今度はなんですか」

「何って、酒だよ」

「いや、確かに酒は酒ですけど」


 確かに籠に入れられた缶は如月の言う通り酒で間違いない。だが、籠の中に入れられた酒の種類があまりにも目の前の男に不似合いで、俺は思わず籠の中身と如月を見比べてしまったのだ。

 見た目で判断するのは非常に失礼なのは承知だが、社会不適合者の類に入る如月に似合うのはストロング系や発泡酒、もしくは安いワンカップ酒といったところだろう。だが如月が持ってきたのはどれもアルコール度数の低い、所謂洒落たカクテルやチューハイ系の酒ばかりだった。

 いかにも男性が好む「酒です」と主張するパッケージではなく、どれも果物が描かれた女性受けしそうなデザインのものばかりが籠の中に並んでいる。


(……なるほどな)


 どうやらこの如月という男、見た目に反して味覚は随分とかわいらしい、所謂甘党というやつなのだろう。それもカクテルを飲みながら甘味をつまみにする、というのだから相当の甘党だ。


(……あれ、でもこれってどこかで)


 既視感、いわゆるデジャブというのだろうか。如月から渡された籠の中身に似たものを、俺はどこかで見たことがあるような気がしたのだ。

 はて、一体どこで見たものだったのか。そんなことを考え、完全に足を止めた俺に如月はしびれを切らしたのだろう。俺の腕から籠を奪い取ると、無言でレジへと向かっていってしまう。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」


 俺は正解を記憶の中から探し出すことができないまま、慌てて如月を追いかけた。

 せめて少しだけでも籠の中身を減らして貰えないか、という無言の訴えは完全に黙殺され、レジに置かれた籠の中身を店員が黙々とレジに通し始めてしまう。男二人が買うには明らかに甘味に寄りすぎたものばかりだが、深夜バイトの店員にとっては客が何を買うかなど対して興味もないのだろう。

 レジの横で欠伸をする如月の横で、俺はといえば増え続ける合計金額を固唾をのんで見つめることしかできなかった。

 一度も顔を上げることなく無表情で作業をしていた男の手が、酒の缶を手にした瞬間ピタリと止まる。


「年齢確認できるもの、あります?」


 店員のその言葉に、俺は我に返る。

 そうだ、何も考えずに俺が酒を買う流れになっているが、数十分後に誕生日を迎えたとしても十九歳、つまりまだ未成年だ。コンビニの年齢確認などあってないようなものだとばかり思っていたが、大学生が多い街ということもあり多少厳しく確認するよう店長からも達しが出ているのだろう。

 予想していなかった展開に完全に固まってしまった俺の横で、如月はため息交じりにぼろぼろのジーパンのポケットに入っていた自身の財布を取り出した。ジーパンに負けず劣らずの有様の財布から、如月はレシートの束の中に埋もれていた「それ」を店員へとかざす。

 見覚えのあるデザインのそれは俺の財布の中にも入っている、立池大学の学生証だった。

 どうやら噂通り、如月玲という男は間違いなく自分と同じ立池大学に通う学生なのだ。少なくとも難関大学の一つとして知られる立池大学に、変人の部類に入るこの男が合格しているということが信じられないが、それよりも俺の興味を引いたのは学生証に印字されたある文字だった。


(……あれ、もしかして)


 もう一度確かめようとするが、すでに学生証は如月の財布の中に仕舞われてしまい、その文字を確かめることは出来なかった。代わりに俺の意識を引き戻す、店員の無慈悲な声が店内に響き渡る。


「お会計、4300円です」


 如月が当初に提示した一万の金額よりはずっとましだが、つまり俺はこの後半月を千円以下で暮らさなければいけないことになる。恨みがましく如月へ視線を向けるが、すでに財布をポケットにしまっているところを見ると端数の金額も払うつもりはないのだろう。


 他に客がいないにも関わらず、さっさと金を払って店から出ていけとでも言いたげな店員の無言の圧に負け、俺は財布の中に眠るなけなしの樋口一葉と別れを告げることになった。


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