第8話:風呂上がり、ネコ型のゼタ

 ひどい目にあった。


 結局あの後、私はジルに湯船の中に引きずり込まれ、百数えるまで出してもらえなかった。そこに至るまでも長い間慣れない湯に使っていたものだから、ジルいわく「のぼせた」状態になってしまったらしい。


「さっさとお姉ちゃんの言うこと聞かないからだよぉ」

「む、ムリだって……」


 まだぼんやりする。世界がゆっくりと回っている。ジルは私を膝枕してくれている。白い太ももが嫌でも目に入る。ジルは深いスリットの入った不思議な形の衣服を着ていた。私も似たようなものを着せられていたが、自分で着たわけではないので何がどうなっているのかわからない。ただ、一人で着るのは大変そうだな、とは思った。


 周囲に目をやると、湯上がりの熱を冷ますためなのか、たくさんの男女がラフな格好で座っていた。


「ほい、ヤギのミルク」


 ジルはどこからともなく瓶を一つ取り出した。ヤギのミルクといえば、この私の大好物だ。ヤギのミルクと羊の肉さえあれば、私はいつでも戦える。


 私は勢いよく起き上がると、そのほどよくぬるい瓶の中身を一気に飲み干した。まだ世界はぐるぐると回っているが、少しだけ元気になった。火照りすぎた身体が少し落ち着いた。


「ジルたちは毎日こんな熱湯に入ってるの?」

「熱湯じゃないよぉ。あれが適温なの。アレより熱いと火傷するし、アレより温いと湯冷めする。絶妙な温度管理で成り立っているのが、こういう公衆浴場」

「なんだかよくわかんないけど、二度と入らないよ」

「だーめ。スカーレットは何日かに一度はアタシと組むんだから、そういう日と休日はアタシとお風呂に入ってぇ、アタシと一緒に寝るのです」

「さっきも気になったんだけど、一緒に寝るってどういう意味?」

「ん?」 


 ジルは意外なことを訊かれたと言わんばかりに目を見開いた。いや、そういう反応されましても、という気分だ。


「同じベッドでくっついて寝るってことだよぉ?」

「……私、床でも良いんだけど」

「だーめ」


 そこでジルは少し遠い目をした。


「アタシさ、一人だとまともに眠れないんだよ。ゼタとの戦いとか思い出しちゃって、全然」

「ラメルは?」

「ラメルは今、ちょーっとグラニカ商会のことで忙しくて」

「家出したのに?」

「家族は家族だからねー。ラメルって面倒見すごくいいし、色々あって家を飛び出しても、お義父さんとかキーズのことが心配でしょうがないんだよ」

「へぇ。それで私をラメルの代わりにするっていうわけ?」


 私がジト目で尋ねると、ジルは意外にも真剣な顔で首を振る。


「そうかも知れないけど、でもなんか違うんだよね」


 私たちは立ち上がると、預けていた荷物を回収して外に出た。


「ていうかさ、この街安全過ぎない?」

「人間関係はね」


 星がよく見える……と言おうと思ったが、このあたりは地上の明かりが多すぎて実際の所よく見えない。空はよく晴れていて、見上げた先にある三日月だけははっきり見える。


「他の街に比べてゼタがね、結構湧くらしくて。だからグラニカ商会の騎士を始め、対ゼタ戦闘の訓練を受けたいろんな武装集団が見回ってくれている。そのおかげで副産物的に窃盗とか喧嘩とかは起きにくい環境になってるらしいよってサレイが言ってたね」

「へぇ。ある意味ゼタのおかげなのか」

「武装するはっきりした理由ができているのは、ゼタが湧くおかげだね」

「でも怪我人とかも結構出るんじゃ?」

「そりゃね。でも住民も慣れたものだから、キミが思ってるほどのものじゃないと思うよ」


 それに――とジルが言い掛けたその時だ。


「ゼタだ!」


 誰かが叫んだ。人々の視線を追い、私は立ち並ぶ商店や民家の屋根の上を注視する。ジルが大きな光の玉を発生させて宙に浮かべる。周囲が一気に昼間のような明るさになった。


「すごい!」

「アタシ、光と雷が得意だからねぇ」


 得意げに胸を逸らすジル。私はアスタを叩き起こして短剣を抜いた。


『なになに? ゼタ?』

「見えないけど、いる」


 屋根の上を走っているのは、派手な足音でわかる。見えないゼタなんて相手したことがない。


『ネコ型だ』

「ネコ?」

『アンタより大きいよ』


 アスタの情報は信用に足る。この精霊、悪態はつけども嘘は言わない。


「それが不可視か」

「影は出るみたいだよぉ」


 ジルは屋根の一つを指さしつつ、光の玉をその屋根よりも高く打ち上げた。


「!」


 確かに不自然な影が屋根の上に発生した。


「このままだと建物の被害も馬鹿にならない。ジル、あいつの気を引けない?」

「ビリビリさせちゃおっかな!」


 ジルはそう言うなり浮かべた光の玉から幾本もの電流を放った。それは屋根の上をかすめるようにして飛んでいく。


「当たった!」


 私は短剣を右手に構えながら、放電しながら落ちてくるゼタを追いかける。


「なるほど、いつまでも透明ってわけじゃないのか」


 落ちてきたのは私よりも巨大な猫のような筋肉質の四つ足の獣だ。駆け出し始めた私の脳裏に警告がはしる。


『もう一匹いる!』


 アスタの警告と私が後ろにんだのは同時だ。


「ジル、もう一匹!」

「影!」


 ジルはもう一つ光の玉を打ち上げる。その段階でグラニカ商会の騎士三名が到着する。


「姿が見えないのも一匹いる、気をつけて!」


 私の警告に野次馬の輪の半径が一気に広がる――それでいい。騎士たちは抜剣すると、ジルが作り出した輝きによって浮かび上がった影を確認する。残念なことに、見えているゼタも見えていないゼタも、私を獲物と定めているようだ。


「騎士さん」


 私は大剣クレイモアを持った騎士を見る。


「その剣、貸してくれたら嬉しいんだけど」

「お嬢ちゃんには大きすぎる」

「ハイラードさん」


 ジルが騎士に近付いていく。


「この子の戦技は本物だよ。サレイが認めたくらいだもん」

「しかし……」

「いいから。いたんだら弁償するから」


 ジルの言葉に騎士は折れたようだ。どうやら彼女には逆らえないらしい。ハイラードと呼ばれた騎士が甲冑の音も高らかに私の所にやってくる。そして抜いた大剣クレイモアを手渡してくる。


「ありがと。アスタ、行くよ」

『快適快適ぃ!』


 大剣クレイモアに乗り移ったアスタの上機嫌な声が聞こえる。


「一人でやる気か?」

「このゼタ、狙いは私っぽいから」

「……確かに、周囲の我々には目もくれていないな」


 妙だな、とハイラードは呟いている。その視線は私の髪と目に注がれている。


 居心地が悪い。


 だが、だからこそこの場を片付けないとならない。


 私は自分の身長よりも大きな大剣クレイモアを右肩にかつぐ。若干焦げている可視の方は視界の端に入れておきつつ、不可視の方の影を注視する。不可視の方はジルの電撃を食らっても姿を表さない。どうやらそういう性質の手合てあいらしい。とはいえ、厄介なゼタ複数を相手にするのは珍しいことじゃない。


 可視の方が飛び掛かってくる。ここで反応していたら、正面から不可視の方にられていただろう。私は動かなかった。


 バチン――ジルの電撃の魔法が可視の方に直撃する。瞬間、私は大剣クレイモアをスイングして、落下してきた可視の猫型ゼタの首を切り飛ばした。手入れが良い剣だと思った。そしてアスタの力もいつも以上に乗っている。


「アスタ、あんた調子いいんじゃない?」

『なんかノってるかもねぇ。いつものクソみたいな環境じゃないしぃ?』


 ……。


 残ったのは不可視の方だ。ジルの光球のお陰で位置だけは見失わずに済んでいるが、それでもやりにくい。


「ジル!」

「よしきた」


 ジルは何事かブツブツと唱え始める。その間に不可視の一匹が跳躍した。見えないが、まっすぐに私の頭部を狙って飛び掛かってきている。首を切り飛ばした体勢から、今度は右足を軸にして大きく斜めに振り上げる。ゼタは空中で体勢を変えて着地する。そこにジルの電撃の魔法が襲いかかる。


 かなりのダメージを与えられたおかげなのか、ようやくゼタの姿が現れる。黒い巨大な猫である。


「!?」


 ゼタの周囲の空間が歪む。これは嫌な予感がする。


 私は大剣クレイモアを捨てて、すかさず短剣を抜いて振るう。ゼタから何かが放たれてきた。三、四、五……! 次々とその槍の穂先のようなものを叩き落とす。


「遊んでるわけにはいかなそうだ」


 短剣を投げ捨て、大剣クレイモアを拾い、まっすぐにゼタに迫る。穂先のようなものが一本頬をかすめたが、大したダメージではない。


 剣を振り上げ、そのまま跳躍する。大剣クレイモアはアスタの力が乗っていてもものすごく重たい。だが、私の筋力はそれを上回る――!


 ゼタが再度穂先を放とうとするが、私の剣はその寸前に届いた。ゼタの顔面を粉砕することに成功する。騎士たちに散らされている野次馬たちからどよめきが起こる。


 しかし、まだとどめには至ってない。ゼタは一般の生命体とは違い、顔面を粉砕されたところでひるむことはない。致命傷を与えるか、蓄積ダメージで致命傷に仕立てるかしか、ゼタの動きを止めるすべはない。


「もういっちょ!」


 その瞬間、私の手にする大剣クレイモアが強く輝いた。


「アスタ?」

『すっごい魔力が流れ込んできた!』


 となると、ジルか?


 しかし今はそれを確認している場合ではない。


 左足を踏み出し、右下に抜いた切っ先を思い切り担ぎ上げて叩き落した。ゼタの回避が一瞬速い。が、剣がかすった所が青白く燃え上がる。私は剣を打ち下ろした勢いを利用して、その場で左回りに一回転する。今度は真横から振るわれた刃にゼタは首から腰までえぐり飛ばされる。


 ゼタは溶けるようにして消え、後には小指ほどの大きさの銀塊が残る。首を切り飛ばされた方からはそれと同じくらいの大きさの金塊らしきものが現れていた。


「臨時収入!」


 私はそれらを拾い上げて、銀塊の方をハイラードに手渡そうとする。


「受け取れない」

「なんで? レンタル代」

「炭鉱で働いているんだよね。だったらなおのことトラブルは避けたい」

「ふぅん」


 私はそんなものかと納得して、二つの金属塊を私の荷物の中にねじ込んだ。短剣も拾って、アスタを乗り移らせておく。


「でも剣、助かったよ」

「こっちこそ勉強になった」


 ハイラードは部下二人を見ながら言った。


「その体格でこんな武器を振り回すなんて信じられない」

「あはは」

 

 笑って誤魔化しておく私。アスタのことを話すのは少々面倒だったからだ。


「スカーレットはね、新しい武器を買うために頑張って稼がないとならないんだ」


 ジルがニッと笑いながら言っている。周囲にはもう野次馬たちが戻ってきていて、私の姿を見て何やらざわついている。おおかたであることに気が付かれたということだろう。


「ジルお嬢様、この子は噂に聞くですか?」

「そうだよ、ハイラードさん。少なくともグラウ神殿はそう主張してる」

「では、ゼタを呼ぶという噂も」

「かもしれないし、そうじゃないかもしれない」


 ジルは私の所にやってくると、私の左腕に右腕をからめた。


「危険なのでは」

「この子の戦い見たでしょぉ? ゼタが現れても返り討ちだよ、バシバシって」

「それはそうですが」


 ハイラードの心配はもっともだ。そしてそれはいつも私が向けられてきた言葉や視線である。私はジルから身体を離そうとする――が、できなかった。ジルの腕力はどこから来ているんだろうかと思うほど強く、私の左腕は完全にホールドされていた。


「アタシの大事な人を誹謗ひぼうするなら考えがあるからね、ハイラードさん」

「しかし、我々は街の安全を……」


 ハイラードが言い掛けた時、人々のどよめきが一段増した。


「その手の心配いらないさ」


 群衆が割れたかと思えば、姿を見せたのはメルタナーザさんだった。騎士たちは一様に小さく頭を下げる。メルタナーザさんと炭鉱を巡って争っているはずなのに、騎士たちは十分以上の敬意を持っているようだった。どれだけカリスマ性があるんだろう、このメルタナーザという魔女は。


「この子はこの街に来るべくして来た子さ。怖がる必要がないことはこのわたしが保証する。あんたたちはただ歓迎すればいい」


 それに、と、メルタナーザさんは私を見て微笑む。


「ある程度ゼタが湧くのはむしろ歓迎じゃないか。そのためにあんたたちは日夜訓練しているし、ゼタを倒せばいくらかの稼ぎにもなる。無駄になることもなければ街も発展するだろう」

「それは……そうですが、メルタナーザ様。死傷者が増える可能性が」

「それはこの世界のどこでも同じ。この子がいようがいまいが、そもそもゼタの発生数は増えつつある」


 そうだったんだ? 私はジルを見上げる。ジルの方が少しだけ背が高いのだ。


「それにそもそもだよ、ハイラード。仮にこの子がグラウ神殿の言うであるとして、はいそうですかと、荒野のど真ん中に放り捨てておくなんてことができるのかい?」

「それは……」


 言いよどむハイラード。こいつ、結構良いやつじゃん。私はメルタナーザさんとハイラードを交互に見る。


「わかりました。メルタナーザ様がそうおっしゃられるのであれば、我々としては」

「うん。わたしのわがままみたいなところもあるけれどねぇ。この子はわたしの大事な客人なんだよ。そこんところ、忘れないでいておくれ、ハイラード」

「はっ!」


 ハイラードは一礼すると、屋根を傷付けられた民家や商店の調査をするべく部下を伴って去っていった。


「師匠!」

「ジル、あんたもだいぶ実戦慣れしたねぇ」

「でしょぉ。倒したゼタは数しれず、だよ」

「結構結構。わたしの出番がないのは良いことさ」


 メルタナーザさんはそう言って散り始めた人々を眺めやる。


「あんたたち、夕食はまだかい?」

「うん」


 私とジルは揃って頷いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る