第7話:初めての公衆浴場体験で私はある意味のぼせあがる

 ――くして私は何故か全裸だ。解せない。


 そして私の隣には全裸のジルがいる。私の周囲、と呼ばれるこの場所は女の裸だらけだ。裸で大混雑である。他人の裸を見た記憶がない私には、これはかなりのカルチャーショックだった。何故皆、恥ずかしげもなく他人の前で全裸になれるのか。持っているのは小さなタオルが一枚。上を隠せば下が隠れず、下を隠せば上が丸見えだ。そしてどうやってもお尻は隠せない。周囲の人々は何故か中途半端なお腹の当たりにタオルを当てている。理解できない。


 大混乱の渦中にある私をよそに、ジルは私の右手を引っ張っていって、少し大きな引き戸を開けた。


 モワッと流れ込んでくる大量の湯気に目を細めつつ、ジルに導かれるままそのと呼ばれる場所に踏み入る。床は石畳だ。あちこちに身体を洗っている人がいる。


「あそこは洗い場。まずは身体をきれいにしてから湯船に入るんだよ」

「湯船? 入る?」

「ほら、あそこ見て」

「……生首がいっぱいある」

「お湯にかってるの」

「茹だる」

「茹だらない」

「茹だるってば」

「茹だっても平気だってば」


 ジルは手慣れた様子で穴の空いた変な形の木製椅子を手に取り、私をそれに座らせた。ヒヤッとする感触がお尻に伝わって、思わず立ち上がる。


「ごめんごめん、ちょっと流すか」


 そう言って、手桶で貯まり湯を掬って椅子を温める。今度はヒヤッとしないで座れた。


 と思ったら、ジルは何やら白い物体を手にとって両手でこねくり回し始める。


「え、なにそれ」

「石鹸だよぉ」

「石鹸? ふわふわしてるけど」

「ベルド市特産物、ふわふわ石鹸だよぉ。泡立ちがすごくいいんだ。そぉれ!」


 両手いっぱいに泡を作り、そのままそれを私の頭に乗せるジル。あろうことか、ジルはそのまま私の髪やら顔やら身体やらにそれを塗りたくった。


「目、目に入った!」

「目を開けてるからだよぉ」

「痛いよ……」

「ちょっと我慢するんでしゅよー」


 予告なしの襲撃に為す術もない私。ジルは私のタオルを奪うと、そのまま私の背中、腕、足……とにかく全身を撫で回した。くすぐったくて死にそうになる私。


「やっぱり一回じゃきれいにならないな!」


 ジルはそう言うなり、私の頭に何度もお湯をかけた。香草の香りのお湯が染み渡る……のはいいとして、このお湯はとても熱い。全身がヒリヒリするほどの熱さだ。


「第二回、スカーレット丸洗い大会を開始します」

「私、洗濯物じゃない!」

「はいはい、つべこべいわずにお姉さんに洗われなさーい」

「やめてぇ」


 ぎゃーぎゃーやっている私たちを笑っている声が聞こえてくる。平和な笑い声だったが、私は現在生命の危機の渦中にある。熱いったらないし、石鹸は(また)目に入るし。あとジルに全身を洗われるのはすごく恥ずかしい。お尻とか胸とか触られたことのない場所まで満遍まんべんなく触られている恥ずかしさである。人として当然の羞恥しゅうち心である。


「自分で洗うからぁ」

「だぁめ。こんなに汚れてるのに自分できれいになんてできないでしょぉ」

「そんなことなぁい」


 今の私、びしょ濡れの野良猫のごとくなっているに違いない。


 阿鼻叫喚の十数分を経て、私はようやく泡地獄から解放された。


「さぁ、次は湯船にかりましょーねぇ」


 私の髪を器用に結い上げながら、ジルは鼻歌交じりにそう言った。


「やだ」

「お姉ちゃんも一緒に入るからねぇ」

「やだ!」

「お姉ちゃんの言う事聞かないと、ビリっとさせるよ、ビリっと」

「え?」

「こんな風に」


 バチン。


 私のお尻に電気がはしった。思わず「ぎゃっ」と声が出たほどだ。


「い、痛い……魔法使ったな?」

「基礎の基礎なので魔法じゃありませーん」

「いや、ちょっと意味がわからない」

「もう一発いく?」

「やめて」

「ちぇ」


 本気で拗ねるジル。子どもじゃないんだからと呆れる私だったが、そんな私をジルはグイグイと引っ張っていく。


「さ、入って」

「やだ。怖い」

「入って」

「やだよ。身体は十分洗ったじゃない」

「仕上げだよ、仕上げ。最後に湯船にゆっくり浸かって、り固まった筋肉を弛緩しかんさせる。そのふにゃふにゃな状態でベッドに倒れ込む。これ最高じゃん?」

「うっ……」


 ふにゃふにゃな状態というものになったことが記憶にないのでどんなものかはわからない。だけどなんかこの上なく甘美な気配がある。ああ、いやダメだ。そんなもののためにこんな恐ろしげな熱湯溜まりに入るなんて自殺行為だ。というかおばちゃんからお姉ちゃん、子どもまでが湯船に入っている。この人たちの皮膚は何でできているんだ?


 私は恐る恐る湯船に指を突っ込み、すぐに引っ込めた。予想通りとても熱かったからだ。


「ムリムリムリムリムリムリ! だる!」

だらなーい」


 ジルはそう言うと自分だけ湯船に入って奥まで行ってしまった。


「そんな所に突っ立ってると風邪引くよ~? それにキミ、今日の宿屋も取ってないでしょ。アタシ長湯するから気に入らないなら勝手に帰っていいよ」


 突然の冷たい対応に、私は目を見開いた。なんかこう、すごく刺さった感じがある。


「お湯に一緒に入ってくれたらぁ、ふっかふかのベッドで一緒に寝てあげるのになぁ!」

「ううっ……」


 一緒に寝る、の意味がちょっとよくわからなかったが、「ふっかふかのベッド」には恐ろしく誘惑される私だ。そんなもの、見たことしかない。十二歳まで私を召使いもとい奴隷のように扱っていた屋敷にはそういうものがあった。思えばあいつら、グラウ神殿の関係者だったもんなぁ。おおかたを公に出したくなくて、あんな監禁まがいのことをしていたんだろう。脱走された時はさぞかし慌てただろうな、なんてことを想像する。


「スカーレットちゃん、おいでおいでぇ」

「うううっ……」


 意を決して私は湯船に足を突っ込む。思いの外深い、が、私よりずっと小さな子も平気な顔をして入っている。きっと安全に違いない。そしてものすごく熱いが、きっとこれも死ぬことはない温度に違いない。湯気の向こうでジルが「おいでおいで」をしている。迎えに来てくれたっていいのに。


「よくがんばりました。肩までしっかり浸かるといいよ」

「ムリムリムリムリ! 足だけで精一杯!」

「あんなに強い子がお風呂程度でビビってんじゃないよぉ」

「ビビってなんてないもん」


 常識的に考えて正気の沙汰じゃないと思っているだけで――。


「はーい、お姉ちゃんと浸かりますよぉ」


 そんな事を考えている私の前にすっくと立ち上がるジル。豊かな双丘があらわになる。思わず凝視してしまってから、慌てて目をらす。ジルはそんな私に、こともあろうか抱きついてきた。


「あばっ、わ、な、なにをする――!」

「さー、おすわりおすわり」

「ぎゃー、熱い! 熱いぃぃぃ!」


 ギャラリーたちの笑い声が聞こえる。他人事ひとごとだと思って!

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