第5話:軽々しく「ごめん」なんて言っちゃダメ

 案内など必要ないほど近くに、そのゼタはいた。今回は獣型。というより、大型のクマだ。立ち上がったときの頭の高さは三メートルほど。四足モードでも私と同じくらいの高さがある。到底生身で相手にできるような手合てあいではない。それに私の獲物は短剣。大型のゼタには圧倒的に不利だ。今は鉱夫のおじちゃんたちが長槍で威嚇しながら時間を稼いでいる。


「みんな、離れて」


 私が声を張ると、おじちゃんたちは槍を放り投げて四方八方に散る。それと入れ替わるように私はゼタの前に出る。


「本物のクマよりは相手しやすいんだよね」


 クマ型と初遭遇した時はかなり手こずった。だが、今はその時よりも体格も技量も優れている。負ける気はしない。問題はあの分厚い皮膚状の装甲相手にどうやってダメージを通すか、だ。


「アスタ、本気で行くよ」

『ちょ、あんたバカなの? 以前すっごい苦戦してんじゃん。せめて何か大型の武器がないと!』

「頼りないなぁ。槍じゃだめなんでしょ?」

『あたし、剣の精霊だからねー』

「あ、そう」


 真偽の程はともかく、今はこの短剣でやるしかないってことか。


 私はゼタと睨み合う。相手のスピードは速い。当然パワーもある。長槍が数本粉砕されて転がっていることからも、それは明白だ。幸いにして人死ひとじには出ていないようだが。


 先に動いたのはゼタだ。四つ足状態で突進してくる。噛みつこうという算段だな――そう察知した私は瞬間的に前に出た。相手の間合いを狂わせる作戦だ。


 案の定ゼタは一瞬動きを止める。だが、その時には私の間合いとなっている。間髪置かず、短剣で鼻っ面をしたたかに殴りつける。そして逆手に持ち替えて鼻柱に突き刺す。


『!』


 咆哮するゼタ。彼らもそれなりの痛覚はあるのかもしれない。しかし今の一撃ですら、ちょっとしか効いていない。こうなったら身体の下に潜り込んで腹をえぐる以外に方法はない。リスクは高いがやるしかないだろう。以前もその戦法で倒しているのだ。


「よう、お嬢ちゃん。手を貸すかい?」

「ん?」


 ゼタの向こうに重装備の戦士が立っていた。左手には大型の盾、右手には信じられないほど太い片刃の剣を持っていた。全身を包む甲冑も重たそうだ。兜をかぶっていたから顔は見えない。


「手は要らないけど、武器貸して!」

「おいおい、この武器コイツは持ち上げるのも難しくねーか?」

「いいから!」

「へぇ」


 私はゼタの側面に回り込み、左手を上げる。そこに戦士が正確に剣を投げ込んでくる。私の目論見もくろみと寸分たがわぬ位置に柄が入ってきた。この戦士、凄腕だ。


 剣を受け止めるその寸前に、アスタが剣に乗り移る。アスタの移動が一瞬でも遅ければ左腕を持っていかれたかもしれない。私は常にギリギリで生きている。


「受け止めたって、マジかよ」


 戦士が言いながら両手を叩いている。戦士の後ろには軽装の男性と、魔法使いらしい女性がいる。ふたりとも心配そうな顔でこっちを見ているのがわかる。


 観客がいるなら張り切ってやりますかぁ……。


 私はその重剣をブンブンと振り回す。周囲の人々からどよめきが起こる。


「アスタ、一撃で決めるよ」

『ここ居心地いいからもっと引き伸ばしたい』

「アホ言ってんじゃない」

『ジョークのわからんヤツだな!』


 お約束の軽口をぶつけ合って、私はいよいよ一撃必殺の構えに入る。腕を引き、手首を返し、切っ先を地面寸前まで下げ、腰を落とす。こんな武器を扱ったことは今までにないが、何故か勘所かんどころつかめていた。


 ゼタはさっきのダメージから立ち直ったようだ。私を真っ直ぐに見えて、威嚇の咆哮ほうこうを上げる。風圧が私の髪をばっさばっさとなびかせる。


 さぁ、来い。次の突進でお前は終わりだ。


 私は右手に力を込める。左手には短剣がある。今はその短剣を前に突き出している形だ。


 ゼタが大口を開けて突進してくる。私の前で急停止したと思ったら立ち上がった。同じ手は使わぬということか。


 ゼタの右手が私の頭目掛けて振り落とされる。食らったら即死だ。


 が、私はその手には構わず、重剣を思い切り振り抜いた。相手が自ら腹部をさらしてくれたのだ。逃がす手はない。


 アスタの力で威力を増強された重剣は、面白いようにその腹部を切り裂いた。勢いを失ったゼタの右手は、左手の短剣でなすことができた。


「せっ!」


 振り抜いた重剣の威力を殺さずに、私はそのまま一回転した。今度は真一文字に腹を引き裂かれ、クマ型のゼタはもんどり打って倒れた。だが、まだ倒しきれていない。


「アスタ!」

『へーい』


 私はゼタの頭部に向けて重剣を打ち落とした。頭部が粉砕されると同時に、ゼタは消えた。


「おっ」


 後に残ったのはちょっとした大きさの金塊だった。だけど見た感じ不純物も多そうだ。ハズレかもしれない。


「お嬢ちゃん、お見事」


 金塊を拾っていると、戦士が兜を脱ぎながら私に近付いてきた。私は礼を言ってその重剣を返す。


「イヴァン、この子は何だい?」

「今日からうちでゼタの狩人として働いてもらうんだ」

「そりゃ心強い」


 戦士はうんうんと頷いて、私に握手を求めてくる。ものすごい大柄な男で、私より頭二つ分ほど大きい。その手のひらも巨大で、私の手なんて赤子のごとしだ。その体格に反し、表情はどちらかと言うと子どものようだった。黒い髪に黒い瞳、浅黒い肌は、さながら腕白坊主のようである。人懐っこそうな笑みを見せて、もう一度手を突き出してくる。私は仕方なくその手を握った。右手を掴まれるというのはどうにも苦手だったからだ。


「サレイだ。一応、この街ではそこそこ有名人だぜ」

「私、スカーレット。昨日着いたばかりで、まだ何もわかってないけど」

「サレイ、この子はメルタナーザ様からの紹介なんだ」

「おお、そうか」


 サレイはそれだけで何かと納得したようだ。


「それなら安心だな。銀髪にスミレ色の瞳。ってのはどんなもんかと思いきや」

「私、そんなに有名なの?」

「ああ、旅したことがあるやつなら誰でも知ってるぜ。グラウ神殿の連中がうるさく言いふらしているからな」

「ちっ、あいつら……」


 思わず悪態も漏れるというものだ。どうして奴らは私をこうも目のかたきにするんだろう。


「まぁまぁ、神殿はこの街には影響力ないし」


 革の鎧を身に着けた戦士が前に出てきて言った。柔和な顔立ち――言うならば優男だった。柔らかな金髪と濃青色の目。肌は少し日焼けしているが元々白い方だろう。


「僕はラメル。僕たちは君の同業者だよ」

「どうも」


 握手を交わしながら私は拾ったばかりの金塊の価値を値踏みする。やっぱり見た目に反して軽いから、全然だろう。がっかりだ。


「おっきい金塊だねぇ。当たりかな?」

「ハズレ。不純物だらけ」


 私は女性の魔法使いに向けてぶっきらぼうに言う。私より少し年上に見える。


「アタシ、ジル。よろしくね、スカーレット」

「ジル……?」


 その顔を見た瞬間、私の背筋を電流がはしった。柔らかそうな金髪、澄んだ緑色の瞳、日に焼けてるのか小麦色をした肌。


「ジル?」

「う、うん。ジル、だけど? もしやアタシの顔になにかついてる?」

「いや、そうじゃなくて。会ったことある?」

「ないよ? だって、キミ、昨日ここに来たんだよね?」

「うん」

「アタシは他の街に行ったことなんてないし」


 そうか、それなら会ったことがあるはずがない。


 だけど私はこのジルという少し年上の女性がとても気になった。ジルもなぜかチラチラと私を見ている。理由はわからないが、少しだけドキドキした。


「さて、ゼタ騒ぎも落ち着いたし」


 イヴァンさんが私の手から金塊を受け取る。


「今日のところは……って」


 イヴァンさんが険しい声を出したので、何事かと思って振り返る。そこには昨日も見かけた揃いの甲冑を着た騎士たちが五人やってきていた。


「ゼタ騒ぎは片付いたよ。帰った帰った」


 しっしっとイヴァンさんは手を振る。サレイたちは感心ないと言わんばかりに事務所の方へと歩いて行ってしまった。


「イヴァンさん、あの騎士は町中にもたくさんいたけど」

「グラニカ商会の私兵さ。炭鉱の経営権が欲しくて色々手出し口出ししてくるのさ」

「グラニカ商会?」

「このベルド市で最も力を持っている団体。他にも勢力はあるけど、まぁ、グラニカほどのものはないね」


 私たちは騎士を放って事務所へと移動する。

 

「ま、我々の取引相手でもあるから、そこまで刺激はしたくないけど、炭鉱は独立してないと駄目なのさ」

「そうそう」


 水を飲んでいたラメルが頷いた。


が迷惑かけてすみません」

「親父さんは親父さんさ。むしろ弟君の方が苦労しているんじゃないか」

「ですね」


 ラメルはげんなりとした表情を見せる。どうもこう、そんなに血なまぐさい事案ではなさそうな気がしてきた。そこでジルが薬箱を持ってやってくる。


「キーズ君はがんばってるよぉ」

「いてて、ジル、もうちょっと優しく」


 ラメルはどうやら左肩付近に傷を負っていたらしい。ジルに手伝ってもらいながら革の鎧を脱いでいる。上腕二頭筋あたりに重傷とは言わないまでも痛そうな傷があった。


「スカーレットは怪我してないの?」


 手当をしながらジルが訊いてくる。私は「ないよ」と言って、事務員のお兄さんが出してくれた水を飲んだ。生き返る。


「あんなゼタ相手にしながら、その軽装で無傷かよ」


 サレイが目を丸くする。


「あの程度で大怪我してたら今頃とっくに死んでるよ」

「短剣一本でやってきたのか、今まで、本当に」

「うん。本当は長剣の一つも欲しいんだけど、維持費が払えないし。みんなふっかけてくるし。だからって」

「ううっ……」


 ラメルの手当をしていたジルが嗚咽を漏らす。驚いて様子をうかがうと、ジルは真っ赤な目で私を見て泣いていた。


「苦労したんだねぇ。大変だったねぇ」

「ど、どうしたの、なんで泣いてるの」

「ジルは感受性が豊かなんだよ」


 ラメルが言った。


「でも、もう大丈夫だよ、スカーレット。この街ならグラウ神殿関係ないし!」

「それは嬉しいよ。でも……」


 私がいるとゼタが湧く。そう言おうとしたところで私の肩がイヴァンさんに叩かれる。


「スカーレット、さっきのゼタの討伐ボーナス」 


 テーブルの上に置かれたのは金貨……五枚。ご、五枚!?


「え、さっきの金塊、カス当たりじゃ」

「それでもこっちのマージン抜いて三枚分の価値はあった。二枚は私たちや鉱夫たちの危機を救ってくれたボーナスだ」


 この人は神か。いや、この街は神々の都か。とするとメルタナーザさんは神の神か?


「基本的にはゼタの遺物から報酬は支払われるけど、状況によってはボーナスを出すよ」

「は、はい。がんばります!」


 羊肉食べ放題だ。ヤギのミルクを死ぬほど飲める。そう喜んでいると、サレイが目を細めて言った。


んだっけな」


 ぎくり。


 私は背中に冷たい汗を覚える。サレイを見ると、私を値踏みするかのような視線を向けている。ラメルもそうと知っていたのか少し険しい表情を見せている。ジルだけは不穏な空気を感じ取ったのか心配そうな顔を向けている。


「――ってのが真実だったとして」


 サレイは腕を組む。


「お嬢ちゃんはそんな中でも生き延びている。お嬢ちゃんの故郷以外が滅んだなんて話も聞かねぇ。ってことは」

「僕らにとっては美味しい話かもしれないってことだね」


 ラメルがニッと笑う。サレイも悪童のような笑顔を見せて私に親指を立ててみせた。


「なぁに、心配するこたねぇよ。俺たちはゼタ狩りのプロだ。お嬢ちゃんが一人で切り抜けて来られた状況が、俺たちがいてどうにもならねぇなんてこたねぇよ」

「サレイ……でも、私は」

が何だってんだ」


 サレイは「だろ?」とイヴァンさんに向けて尋ねた。イヴァンさんも頷く。


「無論危険は避けたいところではあるけど、メルタナーザ様お墨付きとあれば受け入れないわけにはいけない。経営者としての立場で言うならね」

「回りくどいやつだなぁ、イヴァンは相変わらず」

「性分でね。イヴァン個人として言わせてもらうなら、これはちょっとしたビジネスチャンスかなとも思っている」

「金の卵を生む鶏さんってこと?」


 ジルが目をぱちくりさせながら言った。ラメルの傷の手当は終わったようだ。イヴァンさんは頷いた。


「そういうこと。ゼタを倒せば何かしら換金できるものが得られるだろ。スカーレットはゼタを呼ぶというのが本当だとすれば、その換金対象の入手機会も増える。そしてこっちにはゼタを阻止するだけの力がある。もしかすると星銀プラチナのドロップだってあるかもしれない」

「どうしてみんなそうポジティヴなの?」


 私の至極真っ当な疑問は、笑い声で洗われてしまう。


「だって、だって、ゼタだって凄い強いやつがいるって聞いたこともある。私たちで阻止できないような奴が出てきたら」

「そりゃ、お嬢ちゃんがいようがいまいが、強力な奴が出てくる確率はあるわけじゃん。別にお嬢ちゃんが憂慮すべきことでもねぇよ」


 サレイは立ち上がると私の背中を軽く叩いて事務所から出て言ってしまった。聞けば自宅に帰るらしい。彼は自分の馬を所有しているとのことだ。装備を見て確信していたが、彼は相当な金持ちだ。いや、サレイだけじゃない。ラメルも、ジルも、装備は一級品ばかりだ。ラメルの皮の鎧にしてもそこらの安物とはわけが違う上に、何らかの魔法がかけられている。ジルの服もそうだ。こちらは魔法の使えない私でも、なぜだかはっきり認識できるほどの防御結界が張られていた。


「ジル、今日はもういいから、スカーレットに街の案内をしてやってもらってもいいかな」

「はーい!」


 元気よく返事したジルは、ラメルのそばから私の隣に移動してきた。ラメルはまだ傷が痛むのかちょっとうなりながら横になっていた。


「ラメルはほっといていいの?」

「できることもないから。一応霊薬は塗ったからおとなしくしてれば数時間で傷は塞がるはずだよ」

「霊薬?」

「傷薬を魔法で強化したもの。師匠の経営している魔法工場でしか作られてないんだよ」

「師匠?」

「メルタナーザ」

 

 短い答えに私は驚く。ジルは肩をすくめる。


「あの人、アタシの親代わりなんだ。で、魔法の師匠でもあるんだよね」

「すごいね」

「アタシなんてまだまだだよぉ。師匠に追いつこうにもあまりにも遠い山のいただきって感じ。ゼタ相手の戦い方はうまくなっているけど、魔法の技術に関して言えば全然まだまだ」


 ジルはそう言って大きな絡繰カラクリ時計を見た。


「四時の便に乗ろう、スカーレット」

「四時? 四時って、あとどのくらい?」

「時計見れないの?」

「ごめん」


 時計自体目にしたことはある。だが、具体的にどこが何時を指すのかがわからない。針がこの辺ならまもなく日没、とか、この辺なら昼時というのはわかる。時計の短い針が一周したら一時間という時間感覚もわかる。


「ごめんは禁止でいいかなー」


 ジルは私の肩を抱きながら言った。なぜだろう、心臓が口から出そうなほど、ドキドキする。ジルの顔が間近にあって、その呼吸音さえ聞こえるこの距離感――。


「ごめんって言葉、アタシ好きじゃないんだよねぇ」

「じゃぁ、な、なんて言えば」

「謝る必要のあることなんてめったにないんだよ。軽々しくごめんって言っちゃダメだって。昔いじめられてたアタシに、師匠がよく言ってた」

「でも」

「何か失敗して人に迷惑かけたって言うなら謝っていいんだよ、もちろん。だけど、キミが時計を読めないのはキミの責任じゃないじゃない。キミがゼタを呼ぶとしても、それはキミのせいじゃない。謝る必要なんて何もない」


 ジルの強い言葉に、私は沈黙してしまう。たとえ私に責任がなくても、私のせいで誰かが怪我をするかもしれない。


「キミが思い悩むことじゃないよ」


 私はジルにうながされるまま荷物を持って席を立つ。


 私たちは乗合馬車に乗って、一時間をかけて例の広場に戻った。



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