第4話:炭鉱で交わす契約書

 宿は実に快適だった。まともなベッドで寝たのなんて、一体いつぶりだっただろう? 私は自分でも驚くほど熟睡することができた。目が覚めたのは夜明けの頃だった。


 窓を開けると、東の空が明るくなっていた。こんな時間まで通して眠れたことに、私は感動すら覚える。眼下の通りでは、もう幾人かの人影が見えた。朝から労働に出かけるのだろう。通りを挟んだ向かいの酒場の屋根の上に、猫が三匹座っていた。通りには鶏が走り回っていたし、なんとも平和な眺めだった。


 私は頭を軽く掻いてから、髪を乱雑にまとめた。髪の手入れの仕方がわからないので、伸び放題である。切ろうかと思ったことはあるけど、変になるのも嫌だったのでそのままだ。お陰で今はお尻のあたりまで伸びている。そしてかわいい結び方もよくわからないから、基本的に紐一本でぐるぐるっとまとめる形になる。


 朝食代もメルタナーザさんが払ってくれているということだったので、遠慮なく頂いた。決して豪華なものではなかったが、私にとっては十分なごちそうだった。


「おじちゃん、ありがとう。美味しかった」

「いつでも来な! メルタナーザ様の知り合いなら大歓迎だぜ」


 恰幅のいい主人はそう言って、出口まで私の荷物を持ってくれた。


「炭鉱に行けって言われたんだけど、どう行けばいい?」

「ここを出てすぐの所にある広場から炭鉱行きの馬車が出てるから、それに乗っていけばすぐだ」

「おお、便利! ありがと、使ってみる!」

「気をつけてな!」


 主人に見送られて、私は広場に向かう。広場はまだ早朝だと言うのに人で溢れていた。聞けば皆、乗合馬車を使うために集まっているのだという。


「なるほど、こういうのも発展の理由かぁ」


 私が通ってきた街にももちろん乗合馬車は存在していた。が、こんなににぎわっている場所はなかった。街から街へ移動する馬車もあったりするが、それはほとんど使ったことがない。使おうとすると、たいていグラウ神殿関係者が邪魔してきたからだ。


 馬車で一時間ほど行ったところが終点の炭鉱前だった。そこまで乗っていたのは私と炭鉱で働いているというおじさんが二名だけだった。そしておじさんたちは私を炭鉱の事務所まで連れて行ってくれた。この街の人は、どこまでも親切だなと思った。


 事務所に着くと丸メガネの小太りのおじさんが出迎えてくれた。


「メルタナーザ様から話は聞いているけど、君は本当にゼタの狩人なのかい?」


 疑われるのも無理はない。のだが、正真正銘そうなんだからなんとも言いようがない。そんな私の前に水を満たしたガラス製のコップが置かれる。事務員のお兄さんが持ってきてくれたのだ。


「わぁ、ガラス! それに模様もきれい」


 思わず歓声を上げる私。ガラスのコップは見たことはあったが、触ったことはない。ここまで透明度の高いガラスは超がつくほどの高級品だ。まして模様まで刻まれているとなるといったいいくらするのか……。


「メルタナーザ様からの紹介だからね。こっちもそれなりに準備はするよ」


 小太りのおじさんこと、イヴァンさんはそう言って笑う。


「で、食い扶持ぶちを探しているってことでいいんだね?」

「うん。お金もほとんどなくなっちゃったし……」

「でも鉱夫か狩人くらいしかないんだよね、炭鉱ここには」

「狩人やるよ」

「本当にだいじょうぶかい? 見たところ装備も整っていないようだけど」

「ずっとこれでやってきたし、あ、そうだ。これ」


 道すがら倒してきたカマキリのゼタが残した金塊を出してみせる。


「こりゃなかなか」


 イヴァンさんは眼鏡の位置を直しながら目を丸くする。


「金貨三枚は行けるな。換金するかい?」

「え? ちょっと待って。金貨三枚?」

「少ないかい?」

「いや、今までこのくらいのだったら銀貨五枚くらいだったような」


 価値にして六分の一程度だ。


 そんな私の反応に、イヴァンさんは少し顔を険しくした。


「そりゃ足元見られてたんだよ。その銀髪にスミレ色の瞳。グラウの連中の言うの証だろ」

「あちゃ、ここにまでその話が」

「一応あちこちと交易はしているからね、この街は。そういう噂はすぐにやってくるのさ」

「でも、街の人は誰も私に石を投げたりしなかったよ?」

「そりゃするはずがないだろう」


 イヴァンさんは幾分誇らしげに言った。


「ここはメルタナーザ様の街だよ、お嬢ちゃん。そんなことはあの魔女は許さない」

「へえええ……」


 やっぱりあの人はすごい人なんだ――私はいたく感心した。


「それにしても金貨三枚ってのは驚きだよ、イヴァンさん。私、いままでどれだけ損してきたんだろ」

「まぁまぁ、そこを嘆いてもしょうがないさ。うちで働くなら、そうさな、稼ぎは悪くないと思うよ」


 イヴァンさんは金貨を三枚持ってきて、私の目の前に置いた。そして追加で一枚。


「えっ……!?」

「おまけだ。うちで働くなら色々入用だしね」


 イヴァンさんはそれから色々説明をして、羊皮紙を一枚取り出した。


「文字は読めるかい?」

「なんとか」

「名前は書けるかい?」

「な、なんとか」


 私は契約書とやらを苦労して読み、それの下右端にぎこちないサインをした。なんとなく誇らしい気分になったが、気のせいかもしれない。


 その時だ。私をここまで連れてきてくれた鉱夫のおじさんたちが息を切らしながら事務所に入ってきた。一気にイヴァンさんと事務員のお兄さんの表情が鋭くなる。


「ゼタが湧いた! 入り口だ!」

「なんだって!」


 イヴァンさんが立ち上がる。


「サレイたちはまだ戻っていないのか」

「まだです、イヴァンさん。もう戻ってくる頃だとは思うんですが、このままだと――」

「私がやる」


 私はペンを置いて立ち上がった。驚いたのは鉱夫のおじちゃんたちだ。


「そりゃ無茶だ。今回のゼタはでかいし、お嬢ちゃんじゃ」

「やってみなきゃわからないよ」


 私は短剣を見せる。おじちゃんたちは「冗談じゃない」と首を振る。


「そんな武器で相手は」

「私はこの一本で今まで生きてきたんだ。案内して」


 私はイヴァンさんを見る。イヴァンさんは「時間を稼ぐだけでいいよ」と言ってくれた。


「倒したらボーナス出たりする?」

「君が倒されたら元も子もない」

「期待していいね?」


 私が言うとイヴァンさんは肩をすくめた。


「頼む」

「了解」


 私は短剣を抜きながら外に出た。

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