第36話 これが実力
「結果、出ました」
西巻が呟く。その声を合図にして、碧たちは一斉にスマートフォンを手に取った。
SNSでKACHIDOKIの公式アカウントを検索し、二分前になされた最新の投稿をタップする。シンプルな文面と一枚の画像が添付されたそれは、紛れもなく今日の準決勝の結果を伝えるものだった。
一目見た瞬間に、碧は内容を全て把握してしまう。それでも何かの間違いではないかと思い、画像をタップして目を皿のようにしてもう一度確認した。
だけれど、何度見てみても決勝に進出する四チームの中に、ALOの名前はなかった。
ALOの挑戦が終わったという事実が、肩に重くのしかかる。
四人の顔を見るのも怖くて、碧は視線を落とし続けた。
もし自分たちの順番が、トップバッター以外だったら何か変わっていただろうか。いや、それとも運も実力のうちだろうか。
テーブルに重くよどんだ雲が垂れこめる。進んで口を開こうとする者はいなかった。
「……これが私たちの実力ってことなんですかね」
目も当てられない雰囲気の中で、最初に口を開いたのは筧だった。振り絞った声に言葉にできない悔しさが滲んでいるのは、全員がすぐに分かった。
「まあこうして結果として出てるってことは、そうなんだろうな。受け入れたくはないけど」
そう答える瀬川の口元も歪んでいて、嘆きたい気持ちを抑えているのだと碧は気づく。
瀬川も決勝に進む気満々だったに違いない。碧は切実に、申し訳なさを感じた。かといって、誰か特定の人間を責めることはできなかったけれど。
「確かにALOは、ここ最近は予選突破すらできていなかった弱小サークルだったかもしれません。でも、私は予選突破に満足はしてなかったつもりです。本気で決勝戦進出、優勝を目指してました。それがこんな結果に終わってしまって……。悔しい以外の感情がないです」
心情を露わにする戸田に、碧も心の中で頷いた。
戸田だけではなく、瀬川や西巻とも碧たちは、ネタ見せなどで多くの時間を共有している。だから、戸田の真剣さや今年に懸ける思いも、少しは分かっていたつもりだ。
碧の胸は余計強く締めつけられる。
「戸田さんの言う通りです。僕だって結果は結果で、受け入れなきゃいけないのは分かってます。来月には追い出しライブもあるから、いつまでもクヨクヨしてはいられないことも。でも、僕はそんなすぐ切り替えられません。KACHIDOKIでの優勝を目指して取り組んできた日々は、そんなに軽いものじゃないですから」
西巻が悔しさを嚙み殺すように言う。それは碧も同様だった。少なくとも自分は力を尽くしたつもりでいる。
でも、力を入れれば入れるほど、跳ね返ってくるダメージは大きい。この傷はそう簡単には、癒えそうになかった。
「そうだな。はい、そうですかって受け入れられないよな。俺だってもちろん悔しいよ。俺たちの、ALOの笑いが評価されなかったことが悔しくてたまらない」
「でもな」。そう続けた瀬川に、全員の視線が集まる。瀬川は全員を見回してから、再度口を開いた。
「俺は不思議と後悔はしてないんだ。こう言うと負け惜しみに聞こえるかもしれないけど、やりきった感じがある。自分たちの笑いをKACHIDOKIの舞台でも貫けたことに、清々しささえ感じてるんだ。おかしいよな。本当はもっと死ぬほど悔しがらなきゃいけないのに」
須川が一瞬言葉を詰まらせたから、他の部員から「そんなことないですよ」という励ましが飛ぶ。碧も首を縦に振ることで同調した。
瀬川は再び喋り出す。一言一言を置いていくかのように丁寧に。
「俺はALOに入って、四年間こうして続けられて、本当によかったよ。こんなお互いを思い合える仲間はALOじゃなかったら、得られなかったと思う。めぼしい結果には結びつかなかったけど、ALOで過ごした時間の一秒一秒が、舞台で取った笑いの一つ一つが俺の宝物だ。本当に感謝してるよ。ありがとう。戸田や西巻、上野はできればこれからもお笑いを続けてくれると嬉しい。そして、来年こそは俺や筧ができなかったKACHIDOKIの決勝進出、優勝を成し遂げてくれ」
瀬川の表情は晴れ晴れとしていて、本心から出た言葉であることが、碧たちにも伝わった。
戸田が「ちょっと何締めようとしてるんですか。まだ追い出しライブがあるじゃないですか」とツッコむと、テーブルにはこの日初めて小さな、本当に小さな笑いが起こる。
敗退した悔しさは、まだ紛らわせてなんかいない。それでも、碧はわずかにでも顔を上げて、前を向くことができる。
視線の先にある筧の横顔は光と影が同居していて、平易な言葉で言い表すことは難しかった。
準決勝敗退が決まった後の打ち上げは、誰もが平気なふりをしていたけれど、ことごとく空回りしていて、碧にはあまり居続けたいと思える空間ではなかった。いつもは四人といると落ち着くのに、今日に限っては傷を舐め合っているようで、早く家に帰りたくなる。
それは四人も同様だったのか、三時間ほど続いた打ち上げは、一次会でお開きとなった。言葉少なに解散する五人。碧も駅を挟んで反対にあるバスロータリーへと向かおうとする。
でも、筧がせめて改札まではと碧についてきた。このまま別れてしまうのは、やりきれなさすぎると思ったのだろう。それは碧も同様だったので、二人は並んで駅へと向かった。
黙って歩く二人を、一段と肌寒い空気が包む。空は雲に覆われていて、予報では明け方にかけて雪が降る可能性があるらしかった。
居酒屋は駅のホームからも見える位置にあったから、一分もしないうちに碧たちは改札の前にたどり着いてしまう。
夜の一〇時を回って、駅構内に人は数えるほどしかいない。今さっき上り線が出発したばかりだから、次に電車がやってくるまでには、まだ五分以上もある。
碧たちは、壁を背にして立ち止まる。いくつもの光は夜をはねのけるほど明るく、碧たちの影を作らなかった。
「碧、今日はごめんね」
筧がこぼした言葉は、碧にとっては一番聞きたくないものだった。謝られたところで結果が覆るわけでもない。
だから、返す碧の語気も自然と強くなった。
「ねぇ、筧。謝んの何度目? いいよ、謝らなくて、本当に。私たちも瀬川さんたちも、ベストを尽くしたんだから。筧が謝る必要なんて、これっぽっちもないんだよ」
「でも、私がもっと面白いネタを書いてたら、こんな結果にはならなかったかもしれないじゃん。碧は私のネタを信じてやってくれたのに。本当に申し訳ないよ」
「それもまったく同じようなこと、前にも聞いたんだけど。ネタを書いた人間が悪いって言うなら、同じことを筧は瀬川さんや西巻さんの前でも言えるの? 言えないでしょ。自分を責めるの本当にやめて。私まで悪く言われてるみたい」
「でも、一緒にミルネの舞台に立とうって、あの日碧と約束したのに、それを果たせなかった。優勝するってぶち上げといてこの結果って。ちっとも笑えないよね」
周囲の目も少なく、碧と二人きりになったことで、気丈に振る舞う必要性もなくなったのだろう。筧の調子はどんどん沈んで、地面に潜ってしまいそうにさえ碧には思えた。
こんな暗い表情をしている筧は見たくない。
できることなら𠮟責さえしてしたいけれど、そんなことをしても誰も救われないので、碧は努めて声を和らげる。
「筧さ、悔しいのは分かるけど、ちょっと落ち込みすぎじゃない? 別に今日で筧のお笑いが終わったわけでもないでしょ。私の知ってる筧は、この借りはプロになって返すぐらい、言うはずなんだけどな」
あえて大それた言い方をしたのは、自分が描く理想像に筧が追いついてほしいからだった。もしかしたらそれは、碧の勝手な押し付けかもしれなかったけれど、いつまでもうじうじしているよりはいいだろう。
碧の狙いが功を奏したのか、筧の頭は小さく持ち上がる。逆三角形に近づいていた目が、徐々に元の形を取り戻していた。
「そうだよね。私の大学お笑いはあと一回、追い出しライブで終わるけれど、お笑い人生って考えたときにはむしろここからがスタートだもんね。もちろんすごく悔しいけど、いつまでも落ちこんではいられないよね。この悔しさをバネにしなきゃ」
「うん。それでこそ私の知る筧だよ。やられたらやり返すじゃないけど、この無念は追い出しライブの舞台で晴らそう。私たちの培ってきた全てを、最後の舞台にぶつけよう」
「うん」と言った筧には、わずかに笑みが戻っていた。
たとえ心から笑えていないとしても、現実として筧の笑顔が見られたことに碧は安堵する。痛々しくはあったけれど、沈痛な面持ちを見せているよりはずっとマシだ。
改札を通っていく人は、少しずつ増え始める。時計は次の電車がやってくるまで、あと二分を指していた。
「ところでさ、碧、そう言うからにはネタはもうできたの?」
話の流れからして当然の疑問にも、碧は動じなかった。自信満々とまでは至らないが、顔を上げていられる根拠があったからだ。
「うん、実は……」
「実は?」
「ネタ、書けました!」
声を弾ませる碧に、筧は驚いた様子を見せている。「えっ、いつ!?」と重ねて訊いてくる声に、碧の心は引き上げられた。
「ちょうど一週間くらい前かな。今は準決勝に集中しないといけないと思ってたから、黙ってたんだ」
「そうなんだ。どんなネタ?」
「それは明日のお楽しみだよ。明日また会うでしょ。そのときに渡すよ」
「へぇ、碧がどんなネタ書いたのか楽しみだなぁ」
「まあ初めて書いたからね。ハードルを上げずに見てくれると嬉しいな」
「分かってる」。そう言って筧がさらに微笑んだから、碧も何も考えず表情を緩める。KACHIDOKIで敗退した悔しさも、少しは軽くなったみたいだ。
碧はもっと筧といたいと思ったが、頭上から響いてくる「まもなく列車が到着します」というアナウンスがそれを許さない。
「じゃあ、また明日」と改札の向こうへ消えていく筧。碧も同じことを言って、階段を上って見えなくなるまで、筧の姿を見送った。
KACHIDOKI敗退のショックは、いまだに胸の大部分を占めている。
でも、明日が楽しみだという思いも、碧の中には生まれていた。
(続く)
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