第5話 事件は日本を狂乱の渦に巻き込む
目を覚ますと、ベッドに仰向けに寝ていた。天井はのっぺりした白色の部屋。ここはどこだ……?
横には防護服を着た女の人がいた。彼女がくぐもった声を発した。
「気がついたみたいね」
「あの、ここは……?」
「大学病院の病室です。今すぐ先生を呼ぶわ」
まもなく、白髪混じりの医師らしき人物が現れた。彼も防護服を着用していた。
医師は深呼吸してから告げた。
「君は黄熱に感染したと見られる。第二次世界大戦後初の症例だ」
僕は混乱しながらも、「やっぱりか」という思いが拭えなかった。想定していたうちの最悪の展開だった。
「黄熱ってあの蚊の媒介する病気ですよね」
「その通りだ。君はたしか堀北君と言ったね。堀北君は海外への渡航歴があるかい?」
「いえ、ありません。多分海外からもらったわけではないんです。僕以外に感染者がもう一人いると思います」
「……ほう」
医師の表情が深刻さを増した。日本国内で感染が広がっているなら、由々しき事態である。
で、現在実際にその事態に陥りつつあった。犯人は、黄熱を媒介するネッタイシマカを氷雨殺害の凶器に使ったのだ。
僕は、事件の概要を医師に説明した。それから、まとまっていなかった推理を整理していく。
「犯人はネッタイシマカで氷雨を殺害しました。ではどうやって彼女の家に持ち込んだのか。監視カメラに囲まれていたため、簡単に近づけるものではありませんでした。密室を出入りできるのは氷雨の体だけ。となると、犯人は氷雨の体と一緒に蚊を中に入れたことになります」
「そうだね」
医師の顔には焦燥の色が浮かんでいたが、静かに聞いてくれていた。おそらく静かなのはここだけで、病室の外では大騒ぎになっていることだろう。そろそろ氷雨の死因が黄熱病だったと検視される頃合いだろうし。
「氷雨は夏祭りの前には2週間、夏祭り後も死亡までの5日間、勉強のため家に籠りきりでした。すなわち、唯一友達と外出した夏祭りの日に蚊が持ち込まれた可能性が高いのです」
「ということは、犯人は一緒に夏祭りに行った誰かということかい?」
「そうです。で、もちろん僕は犯人ではありません。というか、犯人なら黄熱にかかるような危険を犯してまで氷雨の家に入るわけがないですし」
「そうだね」
「つまり、犯人は健斗か七海のどちらかなのです。ここで犯人の犯行方法を考えてみます。確実に氷雨に感染させたいなら、蚊は氷雨の家に入れなければなりません。外で実行しようとすると、蚊が逃げる可能性があるし、そうなると犯人の身も危険です」
「夏祭りでは防護服を着られないわけだからね。外で蚊に刺されさせるのは危険だね」
「はい。で、氷雨は夏祭り当時浴衣を着ていました。チャックつきのポケットとかももちろんありません。つまり、蚊はポーチに入れるしかないわけです」
「……そうだね」
「でも、ポーチに直接入れてしまうと、例えば氷雨が自販機で何か買いたくなったりしてポーチを開けたら、その間に蚊が逃げ出す可能性があります」
「そうだね。危険だね」
「氷雨は、ポーチに財布・定期入れ・スマホ・メガネケースを入れていると言っていました。財布やスマホは何かの拍子に出すかもしれないし、定期入れは電車を乗り降りするときしか使いません。つまり、確実に氷雨が家に帰ってから開けるものとはメガネケースなのです」
「しかし、メガネケースを外で開ける可能性も……いや」
「はい。ありません。氷雨は外では絶対にメガネを外しません。僕ですら裸眼の彼女を見たことがないほどですから」
「つまり犯人はその姫宮さんのメガネケースに蚊を入れたというわけかい?」
「そういうことになるのですが、メガネケースに直接蚊を入れるのは、防護服を着ていない犯人としてはやはり危険です。なので、氷雨のものと同じメガネケースをあらかじめ用意し、防護服を着た状態で蚊を入れ、夏祭りの日にそれと本物をすり替えたのだろうと推測します。氷雨のメガネケースは、4人で遊園地に遊びに行ったときに全員が見ています」
「姫宮さんが夏祭りにメガネケースを持ってくるというのは犯人は確実に予測できたのかい?」
「氷雨はいつもあのポーチを持ち歩いていますから、余裕でしょう」
「となれば犯人は……」
「ええ。七海だと思います。彼女は金魚すくいがしたいと主張して氷雨についてこさせ、腰のポーチが邪魔になるからと気を利かせたふりをして受け取ったのです。金魚すくいでダメなら、次は射的に行きたいとでも言えば腰のポーチはまた邪魔になるでしょう。で、ポーチを受け取った隙にメガネケースを蚊がたくさん入った偽物にすり替えたのです」
「ふむ。事情は分かった。今すぐ警察に通達しよう。……黄熱には特別な治療法が確立されていない。免疫が落ちると危険だから、君もゆっくり休むことだ」
「分かりました。うぅ……ゴポッ」
口から血が出てきた。重症らしい。
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