怪物になったあなたとふたりぼっち

ねこじゃ じぇねこ

怪物になったあなたとふたりぼっち

 夕映えを受けてオレンジに染まるあなたの姿が、わたしの眼に焼き付いた。

 猫背になり、鋭い爪の生えた両手をだらりと下げて立ち尽くすあなたの姿は不気味そのものだったけれど、見慣れてしまったせいか、かつてのような苦しみを感じる事はなくなっていた。

 姿変われど、あなたはあなた。

 わたしに対する思いだけは変わっていないのだと、その態度で十分すぎるほど伝わってくるからだ。

 だから、わたしは怖くなかった。

 あなたがどれだけ世界を壊してしまったとしても。


 カラスの集団が鳴きわめき、どこかへ向かって飛んでいく。

 その騒がしさにあなたは空を見上げ、そして、獣のように咆哮した。

 夕刻を告げるかのようなおどろおどろしいその声に、周囲の茂みに隠れていたらしき小鳥たちが驚いて逃げていく。

 けれど、物音はそれだけだった。

 ゆっくりと深呼吸をすると、背中から吹く風に乗って酷い悪臭が漂ってきた。

 その臭いにしばし思考を止められつつも、わたしはあなたに向かって声をかけてみた。


「ねえ」


 あなたは空を見上げたまま、微動だにしなかった。


「これからどうしようか」


 問いかけるも、答えは当然ながらなかった。


×


 生きづらいという理由が、何故、何処にあるのかなんて、そんな事がはっきりと分かっていたならば、きっとあなたもわたしも、ここまで苦しむ事なんてなかったのだろう。

 似たような苦しみを持つ者同士で、こうして出会えた事だけでも相当に恵まれていたのかもしれないとわたしは思う。

 だが、そうだとしても、根本的な解決には至らなかった。

 あなたも、わたしも、関わる人々にとってはどう足掻いたって異質な存在であり、いない方が有難がられるような、そんな困った存在だった。

 そう悟る度に、あなたはその場を去り、わたしもその場を去った。

 けれど、そんな事で生きていけるわけがない。

 もっと頑張らねば、頑張らねば、頑張らねば、と、あなたは口癖のように言っていた。

 わたしは、諦めていた。

 真っ当な人生を送り、真っ当な人間になれたらいいと思いつつも、やはり無理だと端から諦め、開き直って空虚な話題で盛り上がっていたのだ。

 あなたはいつも、その雑談に付き合ってくれた。

 共感はせずとも一定の理解を示しつつ、あなたの意見を聞かせてくれた。

 わたしは静かに耳を傾けた。

 しかし、それも慰めにすらならなかったのだろう。


 分かっていた。

 あなたは諦めきれなかったのだと。

 努力は必ず報われると、信じる事は希望となる。

 でも、希望の輝きの傍にはいつだって影があるものだし、輝きが弱まれば、いつでも暗闇に飲まれていく。

 そんな時、闇の中でも開き直れたら、まだ違ったのかもしれない。


 真っ当な人間でいなければと願い、誰よりも努力し、自分にも自分によく似た他人にも厳しかったあなた。

 そんなあなたに叱られた事も今や懐かしい。

 困難に耐えかねて、身体が動かなくなる事を、恥じらい続けていたあなた。

 慰めていたつもりの言葉も、ひょっとしたらあなたを苦しませていたのかもしれないと、今になって気づいた。


 ──ねえ、もしさ。


 あなたと最後に話した日の事を、今になって思い出す。


 ──あたしが、変な科学者の薬で怪物になって、世界を破壊してやるとか言い出したら、あなたは止めてくれる?


 それは、突拍子もない冗談のような問いかけだった。

 わたしは何と返事をしたのだっけ。

 何だったとしても、もう遅い。

 後悔すら追いつかない。

 あなたは怪物になってしまった後だし、もう二度と、人間には戻らないのだろうから。


×


 怪物になったあなたに、わたし達を取り巻く日常は一瞬で破壊された。

 多くの人たちは恐怖心すら抱く間もなく消え去って、後には沈黙だけが遺された。

 人並みというものに誰よりも憧れ、追い求めたあなたが、こんな事をしてしまうなんて。

 混乱の中でわたしは、ただただ茫然と立ち尽くし、あなたを見つめていることしか出来なかった。


 怪物になったあなたに立ち向かおうとした人々もいた。

 大切なものを守るため、平和を取り戻すため、彼らはあなたに立ち向かった。

 そんな彼らがあなたに勝てば、愛と希望に満ち溢れた未来が訪れていただろう。

 けれど、怪物になったあなたに勝てる者はいなかった。


 あなたは全てを破壊していった。

 慣れ親しんだ建物も、生き物も、思い出も、退屈で窮屈な日常も、全て全て壊し尽くしていった。

 あなたとの日々もまた、壊れていく。

 その崩壊を見つめたまま、わたしは立ち尽くしていたのだ。

 やがて、立ち尽くすのに疲れてしまった頃になると、あなたはようやく破壊をやめた。

 立ち向かう者も、逃げ惑う者も、泣き叫ぶ者も、怒り狂う者も、もう何処にもいない。

 生き残ったのは物言わぬ人間以外の生き物たちと、そして、あなたとわたしだけ。


「これからどうしたい?」


 再び問いかけてみるも、あなたはやっぱり何も言わなかった。

 ただただその場に蹲っているばかり。

 けれど、こちらに向けてくるその目には、敵意などなかった。


「これからどうすればいいんだろう」


 わたしは当てもなくそう言って、夕闇に沈む静かな世界を見渡した。

 生きる事も、死ぬ事も、今のわたしには考えられなかった。

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