07-05:嗤う首

『ぐわぁぁぁっ!』


 エルドは大量の血を吐いた。その上半身は無茶苦茶に傷付き、鎧は壊れ、内臓すらあふれ出て脈打っていた。それを行った当事者であるケインをしても、目を背けたくなるほどの惨状だ。


『ぐぅうぅぅっ、痛い、痛い、痛い!』

「まさか!」


 死ねねぇのか、こいつ、本当に!?


 ケインは喉がひりつくのを感じながら、それでも果敢に剣を振るった。エルドの首が面白いように宙を舞う。


『ひーひひひひぃひぃひぃひぃひぃ……!』


 それにもかかわらず、その首は笑っていた。首を失った胴体は、まるで酔歩すいほするかのように彷徨さまよっている。


『あひゃひゃひゃひゃひゃひゃひひひひひひひひひひひひぃははははははぁぁぁはぁはぁはぁ!』


 首がわらう。


『ごぼぅごぶらごぶごぶぉ……!』


 首のない胴体が、切断面から奇妙な音を吐く。


「きっも……」


 めまいがするほどに悪辣な視界に、ケインは思わず吐き捨てる。


「ケインさん、もう時間切れ!」


 その時、どこからともなくシャリーの緊迫した声が届いた。


「って、ちょっ、シャリー!? えええっ!?」


 ケインの真紅の鎧が輝いたかと思うと、消滅した。二本の剣も姿を消した。シャリーの姿がケインの隣に現れる。


『いひひひひひいひひひいいいひひひひひ! 私の勝ちのようですねぇ! いいっひひひひひひ!』


 落ちた首がニィと嗤う。苦痛に陶酔する歪んだ笑みだ。


 その一方で、首のない胴体がシャリーとケインを諸共に切断しようと剣を振るってきた。そのあまりのスピードを目にして、ケインは全く動けなかった。疲労のせいで身体が意識に追いついてこない。シャリーはもちろん言わずもがなだ。


「私もつくづくお人しだ!」


 転移してきたエライザがその一撃をがっしりと受け止めた。だが、その際に生じた衝撃波をまともに喰らい、水晶の鎧が大破してしまう。


「くっそ……!」


 少なくないダメージを受けて、エライザがよろめく。そこにエルドの胴体はすかさず二撃目を放つ。


 エライザは左手に不可視の盾を生じさせてそれを受け止める。だが、その一撃は異常に重く、エライザの想定を遥かに超えるダメージを打ち出した。


「エライザ様ッ!?」


 シャリーが叫ぶ。エライザの左腕が消し飛び、その脇腹に、心臓をかすめるような位置に刃が食い込んでいた。


『ひゃーはははは! エレンの聖騎士、討ち取ったり!』


 落ちた首が勝鬨かちどきを上げた。


「冗談では、ない……!」


 エライザの右手の剣がエルドの胴体を、半ば切断するところまでえぐっていた。エルドの哄笑がピタリと止まる。エルドの首は口を大きく開けたまま、白目をいていた。


「聖騎士を侮ってもらっては困るのだがな」


 エライザは膝をついて自らに治癒魔法を行使する。止血の魔法だ。その額に脂汗が浮き、エライザのきつく閉じられた唇からはうめき声が漏れていた。


 シャリーは鞄から手早く空の小瓶を取り出して、散在している石材をいくつか放り込んだ。そして気が付く。


「水が、ない」


 その呟きに、シャリーの意図を察したエライザは、右手で瓶を奪い取って左肩に当てた。エライザの身体から流れる血液が小瓶をなみなみと満たす。


「エ、エライザ様……?」

「聖騎士の血だ。水より案外いいかもしれんぞ」


 激痛をやり過ごしながら、エライザは震える手で小瓶を返した。シャリーは頷くと、その小瓶を抱えて意識を集中した。するとその赤黒かった液体は、見る間に真水のように透き通った。


 シャリーはその小瓶をエライザの口に当て、中の液体を半ば強引に飲ませた。


「痛みますよ」

「先に、言え……!」


 エライザはたまらず背をらせて床に転がった。床を引っ掻き、痙攣けいれんしながら全身をこわばらせる。近付いてきたアリアがその身体に手を触れる。


「あのさぁ、シャリー。俺、状況が全然飲み込めてないんだけど?」


 ケインは口を開けたまま固まっているエルドの首を気味悪そうに見ながら言った。


「こいつ、死んだの?」

「いえ」


 シャリーは明確に首を振った。


「いわば仮死状態です」

「その、通り、だ」


 エライザがあえぎながらもそれを肯定した。ちぎれて消し飛んだはずのエライザの左腕が、少しずつ再生し始めていた。シャリーが作った再生の霊薬の力だ。だが、その効果の発揮の際には、想像を絶する激痛が伴う。もう一度腕を消し飛ばされるのと同じか、それ以上の痛みだ。


「エライザは治癒師としても超一流」


 アリアがエライザの頭を膝に乗せながら言った。


「エライザはこの男に治癒魔法を打ち込んだ。再生過程には激痛が伴うことは知っての通り。首が飛んだ人間に回復魔法だなんて、通常はありえない。があるのならば、そこをつけば神経を焼き切るレベルの大ダメージを与えることができるかもしれない――エライザはそう考えた。ちがいますか、エライザ」

「さすが。もっとも、こいつにかけた治癒魔法はわざと不完全なものにしておいたがな」

「再生はさせず、苦痛だけを与えるってこと?」


 アリアが問うと、エライザは「そんなところだ」と唇を歪めた。


「シャリー、時間がない。こいつが我に返るのも時間の問題だ」

「そう、ですね」


 シャリーは血の泡を吹き始めたエルドの生首を気味悪げに眺めやった。


「アディスさん」


 シャリーが呼びかけると、ケインのすぐそばにアディスとセレナの姿が現れた。


「忘れられてるのかと思ってましたよ」


 アディスが心底安堵したように言った。そんなアディスをひと目見て、シャリーは「うん」と頷いた。


「彼をあの空間に送り込みます」

「だ、大丈夫なのか、そんなことして」


 ケインの至極常識的な問いに、シャリーは片目を閉じて言った。


「仮説のまま進めなければならない物事は少なくないんですよ」


 シャリーはその生首を睨みつけ、目を閉じた。その時――。


 その時――。


『くううううううう、痛い痛い痛い! ひゃはははははははは!』


 エルドが息を吹き返し、けたたましい笑い声を上げた。起き上がったエルドの身体が、胃や腸を引きずりながらシャリーに向かって進んでくる。それを止められる者はいない。


『死ね、錬金術師ッ!』

「永遠の闇の中に!」


 シャリーは右手の指をパチンと鳴らした。


『な、なんだ、これは――』


 その言葉を最後に、エルドの頭部は忽然こつぜんと消え去った。エルドの身体の方も、数秒遅れて消えてしまった。


「やった、のか?」

「さしあたりは」


 シャリーは頷くと、ケインに抱き上げられたセレナの頬に触れる。


「だいじょうぶそうですね。さて」

「あとは――」


 エライザがアリアに支えられながらゆっくりと立ち上がった。その左腕はほとんど再生しており、ある程度力を入れることも可能なまでに回復していた。


「あとは、サブラスか」

「そうですね、エライザ」


 アリアがうなずき、周囲を見回す。大きな魔力の乱れは検知できない。


「ここまで何もしてこなかったのが気になります。が、ここは一度出直すのが得策かと」

「いや」


 エライザは首を振る。


「奴は我々を見ている。逃してくれるほど気前良くはないだろうよ」

「そう、みたいですね」


 アディスが天井の穴の向こうに見える暗雲を見上げながら言った。直後、大粒の雨が降り注いできた。ケインはセレナをアディスに託してから、シャリーの肩に手を置いた。


「シャリー、さっきの鎧のやつ、まだできるか?」

「で、できますけど、ケインさんの負荷が」

「気にするな」


 ケインは首を振る。確かに身体は限界かもしれない。だが、まだ動けないわけではない。


「俺、身体だけは丈夫なんだぜ」

「……わかりました」


 シャリーの重苦しい応えにかぶせるようにして、セレナがうめき声を上げた。全員の視線がセレナの青白い顔に集まる。


「ううっ……」

「セレ姉、大丈夫か!?」

「ケ、ケイン……?」


 駆け寄ったケインを見るセレナの瞳は、緑色に輝いていた。セレナを横抱きにしていたアディスが思わず目を逸らす。


「凄まじい魔力が」


 アディスはよろめきながらも、セレナを落とすまいと全身を強張らせる。魔力に乏しいシャリーにでさえ、まるで炎のように吹き上がる魔力が確認できていた。


「わたしは、どうして、ここに」


 セレナは身をよじらせて、自分の足で瓦礫の中に立った。降り注ぐ雨がその金髪をベッタリと濡らしていた。


「だ、だいじょうぶか、セレ姉」

「ん……ああ。ふらつく程度だ」


 そこまで言って、セレナは初めてエライザとアリアに気が付いた。慌てて膝をつこうとするセレナを、エライザが制止する。


「今はそれどころではないし、私にはそうしてもらう資格はない」

「エ、エライザ様……?」


 事情のわかっていないセレナは首をかしげる。


「ま、そのへんは全部終わったらってことでいいんじゃね。今はセレ姉の身体が心配だ」

「わたしは大丈夫だ」

「目が光ってるけど」


 ケインが言うと、セレナは「何を言っているんだ」と眉根を寄せる。


「本当ですよ、セレナ。膨大な魔力の噴出も止まっていません」


 アディスの言葉に、セレナはようやく自身の状況に気が付いた。それに何にしてもエライザが否定していない。


「わたしはどうなっているんだ?」

「それは――」


 シャリーが答えようとしたその刹那、下から突き上げるような揺れがシャリーたちを襲った。アディスに至っては転倒して、落ちた石材に背中を強打して悶絶していた。揺れはそれだけでは収まらず、轟音を立てながらシャリーたちをもてあそんだ。回復したばかりのエライザもそれに耐えることができず、尻もちをついた。シャリーは早々に腰をおろし、天井の穴から空を睨んだ。


「まちがいない」


 なおも続く烈震の中、シャリーは叫んだ。


「城が……城が、動いています!」

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