第136話 友達

「いやぁ……帰りたい」




 屋敷の広い廊下を歩きながら、俺は肩を落とした。


 別に騒ぐ分には好きにしてくれて構わないのだが、こちらは眠くてしょうがないのだ。


 最悪、《堕天使魔剣フォールン・ゲイザー》を起動して、眠気を吹き飛ばすという手もあるが……それでは俺の流儀に反する。




「どっか人気の無い物置とかで、寝ようかな……ん?」




 とぼとぼ歩いていた俺は、そのとき微かに風が流れるのを感じた。


 室内だというのに、どういうことだろうか。


 疑問を抱きながら廊下を進み、突き当たりを曲がったところでその答えがわかった。




 バルコニーへと続く扉が開け放たれている。


 その隙間や窓から、青白い月の明かりが差し込み、薄暗い廊下を照らしていた。


 俺は、そのバルコニーに足を踏み入れる。


 刹那、暖かな夜風が全身を包み込んだ。




 柔らかな虫の音が耳をくすぐり、ほどよい熱気が頬を焦らす。


 季節は、もうすぐ夏本番を迎えるようだった。




 そんな夏の夜の中、彼女は一人バルコニーの柵にもたれかかって月を眺めていた。


 青白い月が照らすのは、紫のメッシュが入った銀髪。


 風に揺れ、サラサラと流れるそれは星を散りばめた水のようで、幻想的な美しさを放っていた。




「こんなとこにいたんだ、シエン」


「リクス?」




 声をかけると、シエンはこちらを振り返る。


 ガラス玉のような紫炎色の瞳が、俺の方に向けられ、またゆっくりと月に引きよせられていく。




「何をしてたの?」


「空を見てた」


「みんなのところへは行かないの?」


「……わからない」




 シエンは首を横に振って、呟いた。


 彼女は、俺がここに連行されるときに、一緒に来ないか誘ったのだ。


 昨日の敵は今日の友。そんなわけで、サリィ達も快く受け入れてくれたのだが……本人はまだ迷っていることがあるらしい。




「僕は、ずっと友達が欲しかった。尊敬されて一歩引いた立場から見られるものじゃなく、バケモノと忌避されるものでもない。時に喧嘩して、時に笑い合える、そんな当たり前の友達が」


「……」


「……でも、いざそのチャンスが訪れたのに。前に踏み出せない。また、同じような目で見られる気がして……僕みたいなのと、隣にいてくれる保証はないから。だから――」


「ていっ」


「くぎゅ!」




 シエンの頭を軽くチョップすると、彼女は可愛らしい悲鳴を上げて頭を抑えた。




「痛い。なにするの」


「別に。ただ、悩むまでもないことで悩んでるなって思って」


「悩むまでもないこと?」




 シエンは、わずかにむっとした表情で俺を見る。


 まあ、ずっとその当たり前が欲しくて泣き続けてきた彼女にとって、その台詞は聞き捨てならないものなのだろう。


 でも。




「この世界は、わりと単純にできてる。たぶんアイツ等と話したら「なんでこんなことで悩んでたんだ」って呆れると思うぞ。なにせ、引き篭もりでニートで穀潰しで、ゲームが友達の陰キャ男子である俺を友達にしちゃうくらいだからな!」


「なんだろう。そこだけ無駄に説得力がある」




 俺の力説に、シエンはクスリと笑って答えた。




「でも……やっぱり、拒絶されたときのことが怖い。だから、今すぐサリィ達に会う勇気が無くて」


「別にいいんじゃね? それでも」


「え?」




 欠伸を噛み殺しながら言った俺を、シエンは首を傾げつつ見上げる。




「ゆっくりでいい。きっとアイツ等は、待ってくれるさ。国が違うから離ればなれになってしまうかもだけど、覚悟が決まったらウチの国に引っ越してくるのもアリかもな。まあ、なんにせよ」




 俺は、シエンの頭に無造作に手を乗せた。




「俺はお前の友達だから、困ったらいつでも相談にのるし、裏切って疎遠になることもしない。だから、安心して。お前はもう、新しい人生を歩み出してるんだ」


「……」




 真顔で俺を見ていたシエンだったが、急にぼんっと音がしてシエンの頭から湯気が立ち上った。




「ど、どうした?」


「急にそれは、反則……」


「?」




 意味がわからず、首を傾げる俺。


 シエンは、風に揺れる髪を押さえながら、僅かに恥じらいを見せる表情で呟いた。




「これからもよろしく。リクス」


「うん、よろしく」




 俺は、満面の笑みをかえした。




 ――その後。


 新たに受け取っていた通信用の宝石をシエンに渡し、雑談に耽った。


 様々な思惑が絡み合う怒濤の二日間は、こうして幕を閉じたのだった。


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