第44話 敵の罠

《三人称視点》




 時間は少し遡り、第一円形闘技場へと向かおうとしたリクスが丁度フランとサリィに挟まれ、ハーレム地獄にいるころ。




 学内決勝大会の間際でどこか慌ただしい教師棟の校舎内を、少女は一陣の風となって駆けていた。


 「廊下は走らない」という常套句すら、今の彼女の頭の中にはなかった。




「んもう! あの子、なんて面倒ごとを起こしてくれたのよぉ!」




 美しい顔立ちに似つかわしくない愚痴を吐き捨てながら、少女――エルザは教師棟の三階へと続く階段を駆け上がる。


 白く美しい髪は乱れ、額にはどこか焦ったように汗の珠が浮かんでいる。




 彼女が目指すのは、教師棟三階の一番奥。


 そこは――一週間前、リクスに敵意の視線を向けていた者がいる部屋。


 ――副校長室だ。




 リクスに敵意の視線を向けていたのは、紛れもなく副校長室の住人なのである。


 けれど、エルザはそんなこと知るよしもない。まして、《神命の理》の幹部が学校の管理職に就いているなどと、誰が気付くだろうか?




「面倒ごとを起こしてぇ! リクスちゃんのバカバカバカァ! 帰ったら一ヶ月間ゲーム禁止の刑にしてあげるんだからぁあああああ!!」




 駄々をこねるかのごとく怒り散らかしながら最奥まで一気に駆け抜けると、エルザは副校長室の扉をノック――せずに蹴破った。


 


「失礼します副校長!」


「おや、これはこれは、生徒会長。私に何か用ですかな?」




 豪奢なイスにふんぞり返るようにして座っていたニムルス副校長は、エルザの到来に口角を吊り上げた。


 エルザは挨拶もそこそこに、ニムルスの元へ詰め寄ると、ニムルスの前に横たわっている執務机の上に両手を勢いよく突いた。




「単刀直入に聞くわぁ。私の弟が、生徒に怪我を負わせて退学になるって、どういうことぉ?」




 エルザの目は、悪鬼を睨み殺すかのような怒りを湛えている。


 そして、それ以上の動揺が見て取れた。




「どうもこうも、そのままの意味ですよ。リクスくんは、クラスメイトのバルダくんに対し、魔法を使って怪我を負わせた。それは紛れもない事実です」




 ニムルスはエルザの目を見つめ返し、涼しい顔で答えた。




「私の弟が、故意に怪我を負わせたですってぇ? 嘘も大概にして欲しいわねぇ」


「嘘ではありません。現に、バルダくんはリクスくんによって片腕欠損という大怪我を負った。勿論、バルダくんが命からがら私に訴えてきたので、上級回復魔法の使える保険医の手で治療済みですが」


「ふぅん、命からがらねぇ。どうせそのバルダっていうクソガキが、先に仕掛けたんでしょう? だったらリクスちゃんがとやかく言われる筋合いはないわよぉ。そのクソガキの自業自得なんだからぁ」




 間延びしていてどこかほんわかとした雰囲気のある話し方なのに、不気味なほどにその声は固く冷たい。


 どこか突き放すようでいて、興味の無い者には見向きもしない、「鉄の生徒会長」の二つ名を彷彿とさせた。




 何者にも動じない、靡かない。


 こんな姿、リクスの前では見せたことがないが――それがエルザの表の顔だった。




 しかし、ニムルスは知っている。


 何者にも動じず、冷徹な素顔を見せる「凪の勇者」、「鉄の生徒会長」と呼ばれる彼女。


 そんな彼女が今、明らかな動揺と怒りに襲われていることを。




「確かにその面はあるかもしれませんな。しかし、悲しいかな。正当防衛は表向きのルールでは認められていない。もちろん、明らかにバルダくんの方に非が偏っているなら熟考の余地はありますが……よくて停学と言ったところでしょうか」




 ニムルスは、わざと笑みを浮かべて答える。


 より、エルザを怒らせるために。




「しかし、流石は勇者様の弟です。いやぁ、血気盛んで実によろしい。勇敢と蛮勇をはき違えて、退学の危機に追い込まれているとは。それとも、校則を知らずに一方的に痛めつけてしまった、ただのだったりするんでしょうか?」




 この場合、リクスとバルダのいざこざの真相はどうでもいい。


 ただ、エルザを嵌めるためだけに言葉を選ぶ。


 


 バキッ。


 鋭い音が辺りに響き渡った。


 見れば、エルザが机に手を突いたまま拳を握りしめ、机の一部がひしゃげていた。




「あなた……もしかして死にたいの?」




 息苦しいほどの重圧が、辺りに立ちこめる。


 最愛の弟への侮辱。エルザの頭の中は、怒りでどす黒く染まっていた。




「あなたみたいな虫ケラ以下のカス、全く興味もなかったのだけど……弟を侮辱するなら話は別よぉ。覚悟はできてるかしらぁ」




 気を強く持っていなければ失神してしまうほどの威嚇と殺気。


 それを受け、ニムルスの額から脂汗が滴る。


 しかし、それこそが彼の狙い。


 動揺し、さらに怒りで我を失ったエルザの視野は大きく狭まり、注意力が散漫になっている。




 だからこそ、普段では決して通らない技が、通るのだ。




「くくっ。覚悟はできてるか、か。その言葉、そっくりそのままお返ししよう」


「? 何を言って――」




 そのとき、エルザは気付いた。


 いつの間にか、ニムルスと自分の足下に緑色の光を放つ大きな魔法陣が描かれていることに。




(しまった! これは……時限式の転移魔法陣!? 予め書かれて!?)




 自身が罠に嵌まったことを悟ったときにはもう遅い。


 エルザとニムルスの身体が一瞬輝くと、副校長室からその姿が消えた。




 次にエルザが見た場所は――周囲が真っ白な壁で覆われた、どこかの地下実験室のような場所だった。

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