Love & Peace ~世界平和は魔法少女の気分次第~

糀野アオ

第1話 不審物?

 金曜日、終電の地下鉄車内は満席とはいえ、閑散としている。


 スマホを見ている人が半分、残りは座席で目を閉じている人と、飲み会帰りなのか、赤ら顔でフラフラと吊革につかまっている人。


 一様に口を開くことはなく、ただガタンゴトンと電車の揺れる音と、ゴウゴウと風を切る音だけが鳴り響いている。


 そんな中、矢吹やぶき桃子ももこはドアの近くに立ち、暗い窓の外をぼうっと眺めていた。


 今日も残業。一日頭をフル回転、身体の全エネルギーを使い尽くして、何もする気になれない。


 『どこか席が空かないかな』と『早く家に帰って、一杯飲みたい』程度のことしか、頭の中には思い浮かばなかった。




 桃子の住むマンションは、駅から徒歩で約五分。駅前のコンビニで新作カップ麺とビールを買ってから帰宅するのが、金曜日のルーティーン。


 1DKのマンションは就職してから借りているので、かれこれ八年になる。


 部屋に入って電気をつけると、ダイニングのテーブルの上に、見慣れない小さな段ボールが置いてあった。


「……何これ? まさか、空き巣!? いやいやいや、空き巣が物なんて置いていかないでしょ!」


 留守中に知らない人間が自分の家に入り込んで、ウロウロしていたかと思うと気持ちが悪い。他に何か変わったことはないかと、家の中を見回してみる。


 部屋の中は仕事関係の書類や本、洗濯物が散乱していて、いつもと違うところがわからない。ゴミ出しはこまめにするのだが、片付けは苦手なのだ。


 そして、まずやらなければならないことを思い出した。


「そうだ、不審物発見! 警察! 警察に連絡しないと……!」


 バッグの中のスマホを探していると、背後でゴトゴトと何かが動く音が聞こえたような気がした。


 はっと振り返ると、確かに箱が小刻みに動いている。


(え、やだ、何……? 生き物でも入ってるの? 私、ホラーとかダメなのよ)


 桃子が箱から離れようと後ずさりしたところで、箱のフタがパカッと開いた。


 パン! パン! ――と、乾いた発砲音が聞こえる。


 桃子は反射的に両耳をふさいで、ひっくり返るようにその場に尻もちをついた。


(なに!? 何なの!? 爆弾テロ!?)


「矢吹桃子さん、おめでとうございます!」


 少年の高い声が聞こえ、桃子が恐る恐る目を開いてテーブルの上を見やると、クマのぬいぐるみが箱の中に立っていた。


 30センチほどの高さのクマは、薄茶色の毛に覆われ、緑のパーカーと水色のハーフパンツを着ている。真っ黒なつやつやした鼻とつぶらな目が、なかなか愛らしい。


 その両手にはクラッカーが握られていて、そこから色とりどりの紙テープが流れ落ちていた。


「この度、あなたは地球の平和を守る魔法少女に選ばれました!」


 クマの口は動いていないが、確かにぬいぐるみから声が聞こえてくる。


 紙吹雪がふわふわと舞い降りてくる中、呆然としている桃子の目の前で、そのぬいぐるみは「よいしょ」と、箱をまたいでテーブルの上に出てきた。


「ぬいぐるみが動いてる……。ああ、AI機能搭載のロボットか」


(私、酔っぱらって、ネットで衝動買いしちゃったのかしら……)


 人間、ストレスがかかりすぎると、わけのわからない行動を取ることは往々にしてある。


 とはいえ、置き配なら、宅配ボックスをいつも指定する。業者が家の中に入って荷物を置いていく、などということはありえない。


(いやあぁ! やっぱり誰か入ってきたんじゃないの!)


 とにかくまずは警察に電話だ。こんな時に限って、バッグの中からスマホがすぐに見つからない。


「モモちゃん、お願い。警察はやめて。ボクの話を聞いて」


 桃子がちらりとロボットを見上げると、クマが『ストップ』というように右手を上げていた。


「も、モモちゃん……?」


 中学に入ってから、男女ともに『矢吹さん』と呼ばれるのが当たり前だった。『モモちゃん』と呼ぶ唯一の例外は、祖母だけである。


(もしかして、おばあちゃんがいない間に置いていったのかしら)


 そういえば、先週が三十歳の誕生日だったことを思い出す。


 祖母からのサプライズ・プレゼントだと思えば、驚く必要はない。こういうおちゃめなことをしたがる人なのだ。


(今夜は遅いし、明日にでもお礼の電話をしよう)


 桃子がそんなことを考えている間、ロボットはかまわず話し続けている。


「ボクの名前はジョス。ここにいるのはボクの思念体で、身体はネアンせいにあります」


「ずいぶんよくできたロボットねえ」


 理系出身、プログラマーという職業柄もあって、どういう仕組みなのか気になってしまう。


 桃子が立ち上がって、ロボットに両手を伸ばすと、ひょいっとその手をすり抜けていってしまった。


「あのう、モモちゃん? 話、噛み合ってる?」


 それにしても、この歳で『モモちゃん』などと呼ばせるように設定されているのが、かなり恥ずかしい。


「『モモちゃん』じゃなくて、せめて『桃子』って呼んでくれないかな?」


「モモちゃんは『モモちゃん』だから、ダメなの~!」


 ロボットは手をバタバタさせて、怒りを表現しているらしい。口元がニッコリ笑っているように縫い付けられているので、変な違和感がある。


(設定変更できないって、お祖母ちゃんが所有者マスターになっているってこと?)


「とりあえず、ご飯の用意していい? お腹空いているのよ」


「うん、待ってる」


 ロボットは素直にコクンと頷いてくれたので、桃子はキッチンでお湯を沸かし始めた。


 その合間にテーブルの周りに散らばっている紙テープや紙吹雪を集め、クマの入っていた段ボールに突っ込んでおく。


(お祖母ちゃん、なんでまたこんなプレゼントにしたのかしら)


 会うたびに「いい人はいないの?」と訊いてくる祖母に、「結婚なんて考えている余裕がない」と繰り返してきたせいか。


 実際、就職をしてから仕事仕事の毎日で、この十年、彼氏もいない。そろそろ結婚を考えてもいい頃ではあるが、家事能力ゼロなので、できれば主夫希望。共働きするくらいなら、独りで生活する方が気楽でいい。


 独りでは淋しいから、癒し系ロボットでそれを紛らわせるように、ということなのか。ペットに比べれば、面倒はない。


 しかし、こんなロボットと会話をしていたら、確実に結婚とは縁遠くなりそうだ。


(別にまだ結婚をあきらめたわけじゃないんだけど)


 桃子は出来上がったカップ麺と缶ビールを持ってテーブルについた。


 それに合わせたように、テーブルの上にちょこんと座っていたロボットが立ち上がる。


「モモちゃん、話していい?」


 桃子の顔色を窺うように小首を傾げて訊いてくるのが、なかなかかわいらしい。


(これはいいかも。癒されるわ……)


 桃子はぐびぐびっとビールを半分ほど飲み、「ぷはーっ」と息を吐いてから、「はい、どうぞ」と、答えた。


 いい感じでアルコールが疲れた脳にしみわたった。


「では、これからモモちゃんに、魔法少女に変身する力を授けます」

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