ブラジルの道の上で

中立武〇

第一話

 気怠い暑さ、壁のような坂、茶色い砂利と砂、人の入る隙間なき密林。


そこで私は自転車を押す。ここはブラジルベレン北東部アマパー州、ブラジルからギアナフランセースに行く道だ。


経験のない私は無駄に荷物を詰め、必要な物を持たず、知らぬ道を毎日百キロメートル走ると息巻いていた。


だがブラジルの田舎の夜はすべて店がしまり、食事を作る術すら知らぬ身で、チョコレートウエハースを泣きながら齧り飢えをしのぐような、計画的脆弱さ故にただ走るだけの日々すら容易ではない。


最も理想的な走行は日本で自転車を走らせている状況であり、海外ではまずそこに至るまでに、言語や安全や日常生活を確保する技術が必要であると現地で知る。


走りながら知識と技術を拾い集める正午の今、鞄にあるのは袋ラーメンサラダ味、なお味は塩ラーメンだ。


水を使い、火を使わなければいけない食事である為に、足を止めねば食べる事すらできないそれは、寝る場所の目途も無い今あまりに時間のかかる食事だ。


とりあえず旅用に新しい靴を、と買ったランニングシューズの中で、足の指を全力で地面に突き立てながら坂を登り切る。こうしなければ砂利で足がそのまま滑り抜ける。


あり合わせの無知で練られた装備は極めて非効率だが、この一般的ではない旅で正しい備えに至るのは数年後だ。


やっとの思いで登り切ると直ぐに同じ量と角度の下り坂だ。ここはおよそ一キロ事に上り下りをくりかえす波のような道で、その傾斜は後に二十五パーセント以上と聞く事になる。


下らせるなら上らせるなと、誰もいないギアナの低地で憤るも自転車に乗り込みそのまま下る。


すると目の前の上り坂は壁となる。端的に二十五パーセントの下りの最中、二十五パーセントの登りを見れば五十だ。誇張無く壁に映る道に下りの勢いで突撃すると、壁では無いただの坂になる。


現実の挑戦も意外と飛び込んでみれば何とかなる、みたいな感じだなと思うも、しかし二十五パーセントの坂だ、不可能ではないが容易でもない。


荷物を乗せた登板能力を考慮してない車体はみるみる速度が減衰していく。立ち漕ぎで粘るも乗せた荷物によって横に振る力が阻害されてペダルを踏めず弾かれる。また降りて、押し上るのだ。


「うわ!」


パキンと足から音がしてそのまま倒れる。恐らく足の指の靭帯が切れた。全力で力をかけ過ぎたのだろう、痛みは直ぐ引いたが微妙に踏ん張りが効かない。


ランニングシューズではなく、登山靴のような靴底の硬い物であれば登板時に足が守られるのだが、それを知るのはずっと先だ。安く買ったこの靴はそれでも一万円以上するし、その上で四カ月後に両足とも小指の部分に穴が開く。それほどまでに足掻くのだ。


嗚咽を唸らせ登り続ける。今、自転車の鞄には現金二十万円を米ドルに換えた物が入っている。聞いたのか考えたのか、緊急用の現金だ。いざという時にどの国でも使える可能性が高い米ドルとして持ち歩いていた。


まだ学生上がりの私からすれば、二十万などなんでも買えると思える金額だが、人の居ないこの場所では全くと言っていいほど役に立た無い。まだそこら辺の石の方がテントの杭を打つ時役に立つ。


そして今の望みは私の疲労を取り、自力でここを抜けれる事だ。そんなものどこにも売ってないし、誰も作れない。


そうか、お金っていう物は人の気持ちを物質にした物で、人の居ない所では人の気持ちなんてまるで価値がないのだろう。私の願いがこれほどまでに無力な様に。


そして米ドルはアメリカ人の気持ちで、日本円は日本人の気持ちといった所か。だから両替が必要なのだろう、国が違えば気持ちの在り方も違うのだから。


この世は金がすべてという言葉は、言い換えればこの世は人の気持ちがすべてという事だ。なんてロマンチストなのだろうか。今の暑さと痛みと飢えに対して何の役にも立たないのに。


だがここまで来るのも、身に着けている物もその気持ちで用意したものだ。気持ちが無ければ何も始められないのも、その通りだ。


空想以外に使う用途の無い頭を回しながら上り切り、足が震える。自転車を放り倒して日陰に座り込む。


この自転車にスタンドなんてものは無く、付けたとしても荷物が乗るこれはあっという間にひとりでに倒れる。


そしてこれは坂の途中で出来ない贅沢な休憩だ。坂では日陰にも入れずただ自転車を押す姿勢でブレーキをかけて立ち尽くすしかない。


一度倒れた自転車を起こすのも一苦労だが、それでも今回座る事を選んだ。先に見えるは変わらぬ景色。強烈なアップダウンを平たく見せる緑の中の茶色い線だ。


この波のような道は雨季に底の方が川となり、そこに猛烈な水が走って削られてできた物との事。なので乾季の今、この道を走るのは容易な部類なのだ。だが、心は折れそうだ。


GPSも無く、世界地図よりはよく書かれたぐらいの地図でここに来た手前、自転車の速度計による走行距離しか場所を知る術は無い。


だがこの道はグーグルマップには表示されず、それの航空写真にて道のようなものがあるから恐らく行けるとふんで来た道だ。そしてわざわざ書店で注文したこの地図には予想通りちゃんと描かれていた。


描かれた通り道はあった。しかし起伏は空からも地図からも見えなかった。


座って休むと少し体が楽になる。進み続けられるほどの回復ではないが、どのみち戻る事もできない場所だ。


体の楽を早速消費して自転車を起こし、下まで爆走すると今度は坂の底に車一台分の小さなみすぼらしい橋が架かっていた。


ここで私は速度を落とし、その橋を十五キロほどの速度で渡る。そうなると、今度の登りは加速無しだ。


怒りの感情を消費して坂に喰らい付き、立漕ぎから力尽き、降りて自転車を押し、本当に力尽きてへたり込む。


私はこの時日本から持ってきたパワーバーという食品を食べる事にした。いざという時の物で、今がそうだと思ったからだ。


そしてそれを食べた後の包装紙、これを投げ捨てた。ここまでポイ捨てなどをせず、ごみは自転車のバックに入れていた。


だが、この厳しい状況で私は環境を守っている場合なのかと考えたのだ。そもそも通る道からごみはそこらに転がっている。ならばこれぐらいいいだろうと投げ捨てたのだ。


だが、結局そんなごみ一つを投げ捨てた程度ではまるで状況は変わらなかった。私はこの一件から、ごみを投げ捨てる事は何も優位性は無いと盲目的に信じる事にして一切やめた。


まだ昼二時ぐらいだが動けない。戻るにしても、今まで下った道がすべて上りになる。野宿するにも、沿道のアマゾンの森は人ひとり入るのに木々を切り開く必要があるだろう。ならば路側帯の無いこの道にテントを立てるしかない。


だがその時、一時間に一台くらいですれ違う車が私の少し前に停まった。もう何を話したのか、何を語ったのかは定かではないが、その車は私を自転車ごと荷台に乗せてくれた。


私はその車で送ろうという甘美な誘いに乗ってしまった。笑顔で一緒に重装備な自転車を荷台に乗せて、ピックアップトラックという形状から私の座席は無い為に、自転車と一緒に荷台に乗って、走り出す車の上で風の中一人悔しさを叫んだ。


車を乗せてくれた方達は決して悪くなく、声をかけてくれた事はありがたい事だ。だがそれでも、自分自身の力を使って旅をすると決めた覚悟に、自分自身で泥を塗った。


それが悔しくて、親切な二人にまで思いを向けそうになるも、真に情けないのは自分自身だ。気概だけでは越えられなかった。


そしてその慟哭を叫びきる前に、椅子も無い荷台に乗っている状態で、今までの傾斜角度二十五パーセントの坂を時速七十キロぐらいの速度で爆走するものだから、振り落とされぬように重たい自転車を握って必死に耐えていた。


彼らはアマゾンの集落に自分を降ろしてくれた。車を乗せてくれた二人はこの先の町についたらここに電話してくれと、町の名前と番号を書いた紙を渡し、彼らは先へと車を走らせた。

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