第72話 知らんけど?

「ただいま〜」


「おかえり星七」嬉しそうな顔だ。


 僕はそれを見て更に憂鬱になった。


「星七ぴょん、今夜はハンバーグだよ。手作りじゃなくてごめんね、でも人気のお店から取り寄せたものだからきっと美味しいよ」


「そうですか、毎日気を遣ってもらってすみません」


「いいの、星七が喜んでくれるなら」


 琴音さんはゆるい笑顔になっている、僕は心が締め付けられる思いだ。夜になって原稿を書き始めたが全く集中できない。僕は琴音さんへ相談する決心をした。


「琴音さん………あのう………」


「なあに?」とってもにこやかだ。


「実は………茉白ちゃんの誕生パーティに呼ばれたんですけど………」


「そうなの、茉白ちゃんの誕生日っていつ?」


「8月の2日です………」


「じゃあその日はスケジュール空けとかなきゃね」


「はい………でも、前日から1泊で伊豆の別荘を借りてやるそうなんです………」


「え………」みるみる表情は曇ってきて泣きそうになっている。


「あのう………」


 琴音さんは何も言わず、とぼとぼと自分の部屋へ入って行った。


「あ〜!!」僕は頭を抱え込んだ。


 1時間ほど経過すると琴音さんの部屋のドアが開く、明らかに泣いていたようだ。


「星七ちんこれ………」琴音さんは小さな箱を僕に渡した。


「何ですか?」受け取って驚いた、それは避妊具の箱だ。


「これは?………」


「もし………茉白ちゃんとHしたら、私にもしてね、じゃないと平等じゃないから………」俯いた。


「琴音さん、僕はそんな事しません!絶対に!イトコの佳さんやそいとげも一緒です」思わず言ってしまった。


 僕は嘘をついた事を後悔しながら、小さな箱を返した。


「いいの、お守りとして持ってて………」


「もう………そんなの入りませんってば!」


「だって………」かなり拗ねているようだ。


「それに、何でこれを持ってるんですか?琴音さんこそ必要になってるんじゃないんですか?」僕は睨んだ。


「そんな事は絶対ない!私は星七だけだもん」睨み返された。


「じゃあ何で持ってるんですか?」


「この前捨てたでしょう?その時思ったの、もし、星七が壁を越えようと思った時に有った方がいいんじゃないかと思ったの。その方が星七が安心して壁を乗り越えられる気がしたの………」


「そんな事で買ったんですか?」


「だって、そなえあれば何とかって言うじゃん」口を尖らせた。


「信じられない、最近琴音さんは少し変ですよ!前みたいにもっと毅然としててください!」


「だって………可愛い大人になれって言ったじゃん!それでいいって言ったじゃん」


「可愛いって、こう言う事なんですか?」


「こんな感じなんじゃないの?………知らんけど………」


「え………」


「琴音さんには沢山の社員の生活がかかってるんでしょう?」


「ママみたいな事言わないでよ、それを言われるのは好きじゃないもん………」


「星七と居る時くらいは、そんな事忘れて甘えたいもん」


 僕はずっとプレッシャーに耐えて頑張ってきた琴音さんを心から可愛いと思った。


「分かりました、僕と一緒の時は甘えていいです、でも一緒に暮らし始めてからずっと琴音さんをカッコいいと思ってました、そしてそのカッコよさに何処か憧れてたんです、だからカッコいい琴音さんも無くさないでください」


「そうなの?………そんなふうに思ってくれてたんだ………じゃあ今の私はカッコ悪いね………」


「そんな事ないです、可愛いです………抱きしめたくなるし、ブレーキが効かなくなりそうです、でもそれで壁を越えるのは違う気がするんです。自分の道が見えたらその時は………」


「星七………私もう少し頑張ってみるよ」優しく微笑んだ。


「明日は僕が料理を作ります、あまり美味しくないかも知れませんけど………」


「ありがとう星七、大好きよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る