第39話

「それは不思議だね。」


後日、舞先輩の様子をさっちゃんと春原くんに報告してみる。2人ともうーん、と考えこむが、答えなんて出るはずもなく。

とりあえずまずは現場に行ってみよう、現場調査が一番だ。なんて結論に陥った私たちはとりあえず教室を出ることにした。さっちゃんはこれから部活のため、春原くんと2人で生徒会室の窓から見える通路に向かう。


そこは保健室と中庭を結ぶ細い路地で、当然特に変わった様子もなかった。

証拠なしか、とため息をつけば、春原くんが小声で私の名前を呼ぶ。手招きされた場所によれば、そこにいたのは茶色のふさふさで。


「わっ・・・!かわいい~~」


植木の隙間に、小さな猫が一匹。

体格と同じく小さな声でニャーと鳴いて、人慣れしているのか私たちの所にすり寄ってくる。どうしよう、めちゃくちゃ可愛い。


「あ、エサが置いてあるね。」

「ね。誰かがあげてるのかな。」

「毛並みもふさふさだあ。」


だからこんなに人慣れしてるのね。私が手を出しても嫌がるどころかゴロゴロと気持ちよさそうに声を出して。野良猫とは思えないほど毛もフサフサで。

あああ持ち帰りたい。お母さんが猫アレルギーじゃなかったらな、なんて少し恨めしい気持ちになってしまった。


その後しばらく2人で猫を愛でて、生徒会室にも寄ってみようかと立ち上がった。バイバイ、と猫ちゃんに手を振って教室の中へと戻る。

・・・なんか。


「春原くんって猫っぽいよね。」

「・・・秋山は完全に犬だよね。」


お互いによく言われる、と納得してしまった。





生徒会室に入ろうとドアに手をかける。けれどそのドアが開く前に、中から何か言い争っているような声が聞こえてきて、思わず手を引っ込めてしまった。

春原くんと目を見合わせる。その声は徐々に鮮明に聞こえてきて。


「だから、もう少し考えた方が・・・。」

「考えたわ。考えた上で決めたの。」

「そんなこと言ったって。なんで今更。」

「別に須藤くんにどうこう言われる筋合いはないじゃない。」


ピリついた舞先輩の声。

そのまま足音がドアの方に近づいてきて、勢いよくドアが開く。あ、と一瞬気まずそうな顔をした舞先輩は弱弱しく微笑んで。


「ごめんなさい。見苦しい所見せちゃったわね。」

「いや・・・こっちこそ・・・。」

「ごめんね、ちょっと今日は私帰るね。また明日。」


そう言って舞先輩は教室を出て行く。会長はその後姿を困り果てた顔で見つめていて、私達もどうしたらいいか分からなかった。





「進学先を変えるって。」


眉を下げたまま会長が静かに話し始める。どうやら、舞先輩が以前から推薦で決まっていた女子校から、別の千葉の大学へ進路を変えたそうなのだ。


「理由は教えてくれないんだ。最近さらに元気がない気もするし・・・。」


はあ、と会長がため息をつく。いつも恐ろしいほど良い姿勢は今日は猫背気味で、よく見れば制服にも少しシワがついている気がする。メガネも心なしか丸くなったような・・・あ、ごめん、これは盛った。

すまない、こんな事に巻き込んで。と会長が弱音を吐くからあわてて首を振った。私達も頑張ります!そう言ったはいいものの、何を頑張ればいいんだろう。




「ねえ、どうすればいいと思う?」

「・・・。」

「私に何ができるんだろう。たくさんお世話になったかは、私も助けになりたいのに。」

「・・・。」

「もう、ほんとに役立たずだなあ自分。」


返答は返ってこない。当然だ、相手は猫である。

気持ちよさそうに撫でられている番長(おしりの部分にワンポイントで白い模様があって独特でオシャレだったから)はニャーと甘えた声を出す。ああ可愛い、吸いたい。


結局あの日から何も前進せず、卒業式が刻々と近づいていた。会長と舞先輩も気まずい雰囲気のままのようで。


はあ、とため息をつきながら持ってきた猫用のおやつを番長に少し食べさせてみる。すぐに食いついて夢中でペロペロと食べる姿が可愛くて、ああ、癒される。こんなところ先生に見つかったら・・・なんて考えてしまったのと同時に、後ろでガサッと足音がした。


慌てて番長を背中に隠して振り向く。敷地内で猫を飼ってるなんてバレたらきっとこの子は追い出されてしまう。


冷や汗と共に振り向けば、そこに立っていた人も驚いたように私を見つめていて。


「結衣ちゃん?」

「舞先輩?」


そこにいたのは舞先輩だった。どうして、と彼女が呟いて、その手に握られているのがキャットフードだということに気づく。


もしかして先輩が、そう口に出したのと舞先輩が頭を下げのは同時だった。


「お願い!この子の面倒を見てくれませんか!」

「・・・へ?」

「あ!面倒って言ってもずっとじゃなくて。私が引き取り手を見つけてくる間!出来るだけ早く見つけてくるから、それまで、どうか・・・!」

「ちょっちょ、分かりましたから・・・!」


突然のお願いに何が何だか。めずらしく慌てている舞先輩の勢いに押されつつ、この日で舞先輩の恋煩い疑惑は幕を閉じるのだった。





「わたし、ずっと獣医になりたかったの。」


舞先輩が持ってきた餌を夢中で食べる番長を撫でながら、先輩はそう話し出した。


「でも親が医者で、小さい頃からその道が自然と敷かれていて。獣医なんて、ってずっと言われ続けてきたの。」


だから舞先輩はその夢を押し殺して、親が望む通りの職業につくために大学を決めた。・・・でも。


「どうしても、諦めきれなくて。」


親にこっそり、獣医を目指せる大学も受験していた。そこに、進学することに決めたんだ。偏差値は下がるけど、と舞先輩は笑う。親ともバトル中で、中々手強いらしい。最近ため息が多かったのもそれが原因の1つで。


「なんで会長には理由を教えてあげないんですか?」

「・・・私たち幼なじみだから、お互い家族ぐるみで交流があるの。多分理由を言ったら、あの人はきっと一緒に説得するって言って聞かないから。」


そう言って舞先輩が笑う。私もお節介な会長が想像できて、思わず笑みがこぼれた。


「本音を言えは頼りたいけど、でもここは頼っちゃダメだ。私が戦わなきゃって分かってるから。」

「舞先輩・・・」

「まあ、なけなしのプライドってやつね。」


そう言って笑った舞先輩の横顔は、惚れ惚れするほど美しかった。そんな彼女のひざに番長が乗っかって、丸まって眠り出す。


「この子、出会った時に怪我してて。」


この植木でうずくまっているところを見かけて、簡単な手当をしたらしい。そのままここ植木に住み着いていたから、餌だったり、舞先輩がこっそり面倒を見ていたようだった。なるほど。だからちょくちょく生徒会室から下を覗いていたんだ。


「やっぱり私動物が好きだなって思ったの。今回決心できたのも、この子のお陰かな。」


けれど、舞先輩はもうすぐ卒業してしまう。まだ引き取り手が見つかっていない以上、ここに置いていくしかなくて。それで途方に暮れていたのが、大きな2つ目のため息の理由だった。


「先生に見つかったらきっと追い出されちゃうし、だから、世話を頼める人を探していたの。」


私に向き合って、改めて頭を下げる。


「なるべく早く引き取り手を見つけるようにするから、だからそれまで、面倒見てくれないかな。」

「もちろんですよ。」


間髪入れずに返事をした私に驚いたように顔を上げて、そして、聖母スマイルを見せてくれた。


ああ、でもなんだ。


「全部会長の勘違いだったんだ・・・。」

「ん?何が?」


不思議そうな顔をする舞先輩に、事の顛末を話した。

何それ、と舞先輩は笑って。


「塚田くんねえ、顔はいいけどでも誰にでも優しそうだから苦労しそうね。」

「大同意です。」


ぺろっと舌を出しておどけたように笑う。そっか、呟いて、舞先輩はなんだか照れ臭そうに笑った。


「助けになってやりたい、か。・・・本当に優しさだけは世界一ね。」

「だけはってやめてあげてください。」

「ふふ。あとは、何か言ってた?」


ええっと、とあの日の会長の言葉を思い出す。最近元気がない、ため息が多い、ああ特に生徒会室にいる時に特に寂しそう、とか。

その言葉を聞いて、今度は呆れたように笑って。


「あの人は・・・。」

「・・・?」

「自分と離れるのが寂しい、って考えはないのかしらね。」


そりゃ十数年ずっと一緒にいたんだもの、と舞先輩が言葉を続ける。その言葉に何とも言えない気持ちになって気づけば彼女の肩をさすっていた。


少し一緒に番長を愛でた後、先輩は勢いよく立ち上がってスカートについたほこりを払う。


「よし。私そろそろ戻るね。まだやらなきゃいけないことあって。」

「分かりました。私はもうすぐこの子を吸ってから帰ります。」

「麻薬か。・・・心配かけてごめんね、須藤くんには、ちゃんと自分から話すから。」

「分かりました。」


先輩の背中を見送っている最中、舞先輩がくるりと振り返る。


「私!結依ちゃんと出会えて!よかったーー!」


少し遠くから、舞先輩がそう叫ぶ。そして私の返事を聞かないまま踵を返して歩き出した。その姿がいつもとは違ってまるで幼い少女のようで、しばらくの間見つめ続けてしまった。

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