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「冬司くんがお母さんの話するなんて、初めてやと思うねん」
ファーストフード店で落ち合った俺に練習用のパソコンを押し付けながら天宮さんは言った。
「お母さんと最後に会った時の話なんて、僕も楓ちゃんも聞いたことない話や。理由はようわからんけど、冬司くんがそんなに君のこと信用しとるなら、いっそ外部の人間の募集やめてもうてパソコン知識やら事務経験やら度外視して、神近くんに引き継いでもろたほうがええと思うてなあ」
「……それは……でもほんまに、パソコン全然使えへんのが、めちゃくちゃネックなんですが……」
「うん、せやから死ぬ気で覚えて欲しいねん」
「うっ……」
「冬司くんのことはほんまに、なんちゅうか、これ以上しょうもない目に遭って欲しないねん。君を轢いたて聞いたときも、クソガキがなにしてんねんって君にめちゃくちゃ怒ってたんやで」
天宮さんは昔けっこう荒れていたらしい。何とか更生しようとしたものの上手くいかず、そこを遠城のお父さんに拾ってもらった、というのが大体の経緯のようだった。当時はまだ子供だった遠城も懐いてくれて楽しかったという。
「神近くんの周りのことはよくわからんのやけど、家を出るんはお兄さんのためやっけ?」
「はい、……あと、あの……」
「うん」
「……俺、遠城と付き合うとるんですよね……」
それならむしろなんで出て行くねんという顔を向けられた。そんな天宮さんに丁寧に説明した。結局のところ、俺の矜持の話だ。工場の責任者として働いて妹を養う遠城は立派で、フラフラとフリーターをやって定職についていない自分が横にいるだけで劣等感が物凄く大きく、好きなのにまともに付き合えない最悪な状況になるのが苦痛でしかない。だから正社員の職を探そうと思っている。そうすれば多少は自信になるし、遠城と一緒にいてもいいと思える。対等でいられる。
俺の情けない話を聞き終わった天宮さんは頷いた。
「せやったら、ちょうどええよ」
「え?」
「僕の後釜、正社員やで」
微笑んだ天宮さんは穏やかだったけど、有無を言わせない圧力も感じて、なんとなく怖かった。
こうやって予定が大幅に狂った。遠城に話そうと提案したが、俺が本当にパソコン知識を覚え切れるかが未知数なため、下手に期待させるような報告はできないと返された。
それはその通りだった。そして天宮さんは本気だった。冬司くんのために気張りな、などと言われると、やりますと答える以外はできなかった。
兄の通院に付き添ったり、コンビニと冷凍倉庫を往復して働きながら、勤務後の天宮さんにパソコンと事務の業務を叩き込まれる日々が続いた。
コンビニの方は年末までと退職日を決めていて、最後の出勤日の昼下がりに楓ちゃんと柊くんがセットで来てくれた。
嬉しかったが、タイミングは良くなかった。
大学を一旦休学し、自分のお金で通院を続けている兄が偶々俺を迎えに来ていた日だった。
「に、兄ちゃん」
焦った俺に構わず、兄は楓ちゃんのところへ行った。
でも、何も起こらなかった。固まった楓ちゃんと、楓ちゃんを庇った柊くんに向けて、兄は自分から頭を下げた。
「あ、あの、学校とか探して、すみませんでした」
慌ててレジから出て、兄の隣についた。異様な雰囲気だったため、従業員部屋にいた英さんが空気を読んで出て来てくれた。楓ちゃんと柊くんはぽかんとしていたが、楓ちゃんの方は俺を見て、兄を見て、
「……迷惑やったけど、変なことされたわけちゃうし、もういいです」
はっきりした声で言った。兄はほっとした様子で頭を上げたが、柊くんは納得いかなそうだった。
「せやけど、めちゃくちゃ困ってたやん」
「もうええの! どっちにしろ神近さん出て行きよったし、最近はお兄さんも付き纏ってへんかったし、来年は受験生やし!」
「最後は関係ないやん、しかも楓が行くとこ指定校推薦やろ」
「楓ちゃんって言うん……?」
割り込んだ兄を柊くんは警戒したが、楓ちゃんはあっさり肯定した。
「私、遠城楓。神近さん……えーと、三春さんは私の兄貴の彼氏やから……お兄さんとは義理兄妹? になるんかな?」
「冬司さん、楓ちゃんのお兄さんなん?」
「あれ、兄貴のこと知ってるん?」
「うん。バイク怖かったけど、三春に優しいし、変やったおれとまともに話してくれたから、ええ人やった」
楓ちゃんは笑顔になった。兄は難しい顔をして、
「婚姻関係になるんやったら義理兄妹やけど、パートナーシップ制度やと義理兄妹とは言い切れへんのかな……? 制度関係ない内縁の話なんやったらまた違うけど……」
とよくわからないところを考え込んでいた。
何にせよ、とりあえずは大丈夫そうだった。兄は楓ちゃんへの執着を通院で快方に向かうにつれて昇華したらしく、今は付き纏う気がないようだった。
楓ちゃんと柊くんは肉まんとピザまんを買って、コンビニから出て行った。兄は二人を見送ってから柊くんは楓ちゃんの彼氏なのか聞いてきて、少し悩みつつそうだと答えれば、納得した顔で頷いた。
「仲良さそうで、ええなあ」
兄はにこにこしていた。無理している様子でもなかったから、心残りのようになっていた問題に区切りがついたんだなとほっとした。
ヘルプに入ってくれた英さんにお礼を言って、退勤後にもうすぐ退職すると挨拶をしたが、
「イケメンくんとやっぱ付き合ってたんや」
先程の会話を全部聞かれていたので突っ込まれた。
「そ、そうです……」
「ええやん、仲良うしなや」
「はい……ありがとうございました、色々」
英さんは笑った。たまには買い物来てや、と軽い調子で言ってくれたところが、相変わらずさっぱりしていて英さんらしかった。
迎えに来ていた兄には俺が借りたアパートまでついてきてもらって、パソコンの主にエクセルの使い方について教わった。何故急にパソコンを覚え始めたのか聞かれて諸々話すと、兄は眉を下げて俺の背中を撫でた。
「冬司さん、喜ぶとええな」
「……正直、怒るんちゃうかなと思てる」
「なんで?」
「遠城冬司って、そういう奴やねん」
俺がやることや言い出すことは、大体遠城の想像の斜め上になる。上手く行ったら、その最たるものになるだろう。
でも、これが遠城のところへ最短で向かえる道でもある。
だから俺はクリスマスも年末年始も仕事の傍らとにかくパソコンを触っていた。
遠城とはメッセージのやり取りをしてはいたがろくに顔は合わせておらず、それもまた会った時に怒るだろうなと思いつつ、自分のためにもそうした。
兄のことや金のことが解決していざ何をするかって段階で好きな相手のために頑張れている自分に対して、俺はちょっとずつでも歩み寄れていた。
春が来るためには冬が必要なんだなとか、詩人みたいに考えながら、打ち慣れないキーボードに毎日向かった。
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