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「遠城、その、迷惑とかそういう……そういうやつちゃうからな……?」

 なんとか絞り出せたのはアバウト極まりない台詞だった。黙って抱き締めにいく、などのモテそうな仕草は絶対に無理だし、毎回送迎しなくてもいいと思っているのは本当だったし、中途半端になってしまった。

 遠城は黙っていたが、やがて顔を上げた。いつもの無表情に戻っていて、ほっとした。

「そう言うんやったら、病院の送迎は止めるわ」

「あ……うん、」

「ちゃんと行けよ、ほんまに」

「……」

「おい聞いてんのか」

「行く、行きます」

 遠城は眉を寄せたが、何度か頷いて話を切った。二人分の食器を持って流しに向かう後ろ姿を眺める。流水音と、食器のぶつかる音を聴きながら立ち上がった。無意識だった。

 楓ちゃんはいなくて、天宮さんは帰った。そう思いながら背中に近付いた。振り向いた遠城と目を合わせると、泡のついた指でデコピンされた。

「いっ……」

「ヤリたいって顔に書きながら近寄って来んなや、お前ほんまに変な舵の切り方するんやな」

「や、やりたいわけちゃう、けど」

「ほんまにか?」

 突き付けられると、あからさまに狼狽えてしまう。じゃあなんで近付いてん、なんて自問しても明白だ。俺の意気地がないから口に出せない。でもそれ以上に、この男にあんまり深入りしても怪我が治ればさよならでその後の付き合いもないんだからとか、自分に言い聞かせようとしている時点でもう踏み出しかけている。

 英さんに話し掛けられた遠城の様子を思い出す。ほんの少し、本当にほんの少しだけ、体が強張っていたことに俺は、気付いてしまった。

 こいつゲイというよりは女の人があかんねんなって、拾わなくていいところを拾ってしまった。

 左手が勝手に伸びた。それは遠城の腰に巻き付いて、引き寄せた。近付けた顔は泡のついた手がぱしりと遮った。遠城は困惑した顔で俺を見下ろした。その表情と唇の隙間から入った洗剤の苦みが、俺をちゃんと冷静にさせてくれた。

「ごめん」

 腕を離して、体も離した。肩口で泡のついた口元も拭う。遠城は俺から視線を外し、何事もなかったように皿洗いを終わらせた。もう部屋に引っ込んで俺も何事もなかったことにしようと思うけど、濡れたままの両手に頬を挟まれた。

 顔を傾けながらキスしてくる仕草に、やっぱ女やったらすぐ惚れとんな、と思う。俺の方も今度は左腕だけじゃなく、ギプス付きの右腕も腰に巻き付けた。絡んだ舌は親子丼の味がして雰囲気も何もなかったけど、膝頭に股間部を押されたところで関係ないわと思い知った。息継ぎ出来るだけの隙間を開けてから遠城は笑った。

「ごちゃごちゃ言うた癖に勃っとるやんけ、アホくさ」

 生理現象やねんとは言えなかった。次は俺から口を塞いで、んむ、と唸った声ごと飲み込んだ。間近で聞こえる呼吸音がじっとりと濡れていた。

 いつの間にか前のめりになっていたらしく、押されてよろけた遠城が食卓にぶつかった。揺らいだ体をなんとか支えつつ一旦顔を離し、ヤリたい、と今度こそちゃんと口に出した。遠城は若干上がった息を整えながら頷いた。

「はじめっから、そう言えや」

「ご……ごめん……」

「まどろっこしい、楓帰って来る前にさっさとヤんぞ」

「あっほんまや。ほな、……えっと、俺の部屋に」

「あそこはあかん」

 雰囲気を断ち切る速度だった。遠城は食卓から離れて歩き出し、風呂場、と短く続けた。

 なんであかんの、なんて聞いてはいけなかった。母親の部屋だったところでヤリたいやつなんて、まあいない。男二人にはちょっと狭い風呂場に入り、壁に手をついた遠城を後ろから抱き締めながら挿入しても、俺は何も聞けなかった。荒い呼吸を繰り返す遠城がどんな顔をしているのかすら見られずにいて、でも深入りしても怪我が治ればさよならなんやしと自分にまた言い聞かせながら長い髪の貼り付いた背中に額を押し付けて、ほんまごめんとか口走ったところで遠城は咎めるように俺の足を踏んだ。

 ごめん、ごめん遠城。俺は心の中だけでまた謝った。遠城にすべての生活費を出してもらう現状は、ここまでじゃないにしろ俺が少しだけ考えてしまったことだった。遠城が俺を轢いた日、雨の降る見通しの悪い日。彼女にフラれた俺の位置からヘッドライトは見えていたしエンジン音も聞こえているに決まっている。

 結婚詐欺が上手くいかんなら当たり屋とかもアリかもしれん。あの時の俺はちらりとそう考えた。もし死んだら保険金とか慰謝料も兄ちゃんに渡せるわって思いながら、バイクの光の方向へと進んだ。遠城からは本気で見通しが悪くて轢くしかなかったんだろうなってことを、俺はちゃんとわかっている。なるようにしてなった結果だと理解している。

 だからこんなやつの送迎せんでええし、飯も作らんでええし、勝手に一人でシコらせとけばええ。

 そう考えるけど言うわけにはいかないままずっとずっと甘んじて自責にめちゃくちゃつけ込んでこんなところまで世話させている俺は、めちゃくちゃな地獄に落ちると思う。

 別にそれでええねんけどな。


 風呂場から出ると、遠城は煙草を持って家の外に出て行った。追い掛けようとしたけど止めて、水でも飲もうと流しに向かった。食卓の椅子に楓ちゃんが座っていた。わかりやすく固まった俺に向けて、楓ちゃんは笑顔でピースサインをした。

「ただいま〜」

 あっバレてへん、と思ったあとに

「風呂場ですんの狭ない?」

 直球で聞かれて額を抑えた。楓ちゃんは笑い声を上げながら、ガラスコップに麦茶を入れて持って来てくれた。

「ありがとう……」

「なあなあ、神近さんぼちぼち兄貴の男になってくれた?」

「……、なってへん」

「えー? なんでよ、兄貴あかん? どこがあかん?」

 この年代の子ってそこそこ恋バナ好きよなと思いながら、あかんことないけど、ととりあえず口に出す。

「えっと……俺のほうが、あかんのちゃう……? 見た目普通やし、金ないし、家ないし、生きてる意味ない天涯孤独やし……」

「神近さんてほんま自分に自信ないんやね……」

「一番最後はオレがこいつに言うた」

「うわ!」

「あ、兄貴」

 遠城はいつの間にか俺の背後にいた。煙草のフィルターをゴミ箱に投げて、まごまごしている俺を横目で見下ろした。

「オレの男になるんか?」

「いっ、や、ならへん、なりません」

「ほうか。残念やったな、楓」

「なんでよ! 今すでにほぼ家族やんか!」

 ぎしりと心臓が鳴った。家族、と口の中で呟きながら後ろに下がって、扉の枠に引っ掛かって転けかけた。

 俺の腕をすばやく掴んだ遠城のおかげで倒れなかったけど、心臓はまったく落ち着かなかった。

「神近?」

「あ、……すまん、部屋行くわ」

 やんわりと遠城の腕を外して逃げ出すように背を向けた、というか明確にわかりやすく逃げ出した。

 怪我が治り切る前にこの家を出た方がいいかも知れないと考えながら、登り慣れた階段をゆっくり上がった。

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