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「……なんやと?」

 遠城の低い声に俺が背筋を伸ばしている間に、楓ちゃんは料理を並べ終えて食卓についた。続けて遠城も座り、二人分の視線を受けてから俺も座った。気まずいどころではなかったが、遠城の目は楓ちゃんを捉えた。

「楓お前、こいつに何言うてん」

「え? 兄貴の新しい男? って聞いただけやけど」

「ちゃう言うたやんけ、轢いたから責任取って連れ帰って来たんや言うたやろ」

 楓ちゃんは二秒くらい止まってから、

「それ比喩表現ちゃうんや、神近さんの吊ってる腕はボケ用やとも思てた」

 俺を見ながら言った。新喜劇ならひっくり返っていた。

「ボケてへん、ボケてへんよ、俺はほんまに負傷してんねん。全治半年。実は背中とかずっとめっちゃ痛い」

「そうなん? 触ってみてええ?」

「えっ……いや……痛いんやって今……」

「楓、先に飯食え」

 遠城が止めてくれた。楓ちゃんは箸を持ち、遠城は黙って野菜炒めを食べ始め、俺はとりあえず白米を口に放り込んだ。炊き立てでめちゃくちゃ熱かった。麦茶を啜ってどうにか冷やした。

 麦茶味になった米をもちょもちょと噛みながら、ちらっと遠城を見る。蒸し返してええかな、やめとこかな、せやけど聞いた方がええよなと悩んでいるうちに視線が絡まった。

「何?」

「あ、えっと……」

「ゲイやからって別になんもせえへんぞ。心配ならケツにコンクリでも詰めて来いや」

「いやそれはええねん、ええことないか、でも違うんやって」

「ほな何なん」

 威圧的な声に一歩引きそうになるが、

「その……ゲイ向けのマッチングアプリとかある?」

 意を決して問い掛けた。遠城は箸を止め、楓ちゃんは米を噴きそうになっていた。

 そんなにまずいことを聞いたつもりはなかったけれど楓ちゃんは引き笑いのような声を漏らし続けているし遠城はコイツなんやねんという目を向けてくるしで気まずさしか生まれなかった。


 聞いてみた理由はたったひとつだ。女の人にはことごとくフラれてまったく上手くいかなかった結婚詐欺だが、それなら男相手にしてみるのはどうだろうかと思い付いたからだった。男ならうまくいく保証は一切ない。でも、女心より男心の方が同性として理解出来るかもと考えた。

 どこに出しても恥ずかしい浅知恵だけど、そのくらい切羽詰まってはいた。

 結局遠城はゲイ向けマッチングアプリの話題について何も言わないまま食事を終えた。遠城兄妹が並んで皿洗いをする後ろ姿を見て、もう部屋に戻らせて貰おうと椅子を引いたところで遠城が振り向いた。

「神近、工場で待ってろ」

 ついにさん付けせんようになったやんと思いながら頷いて、指し示された扉の方向へ向かった。

 工場は電気がついたままだった。修理台に載せられているバイクが一台と、修理待ちらしいバイクが数台あった。一般家庭のリビング程度の広さで天井は結構低い。様々な工具が壁に立て掛けられている。

 修理工場に初めて入った。器材に触らないよう気を付けつつ、並んでいるバイクをしげしげ眺める。どこが壊れているのかまったくわからないが見た目は抜群にかっこいい。乗ってみたいなとちょっとだけは思う。すぐ事故りそうやけど。

「……、俺轢いたバイクどこやろ?」

 工場の中を見渡した。外に置いてあるかとも思ったが、シャッター近くにある一台を見つけて、それかと思い近付いた。

 全体が黒色のバイクだった。これが遠城の乗っていたものだろうか。轢かれたときはもちろんそんな余裕はないため見た目は何も覚えていない。ライトの眩しさと、重たいエンジン音は記憶を過ぎる。

 シート部分に手を置いてみた。特に意味はなかった。自転車のサドルよりめちゃくちゃしっかりしてるなと当たり前の感想を持っただけだった。

「お前轢いたやつそれちゃうで」

「おわ!」

 飛び上がりながら振り向くと、遠城が扉からこっちに向かって来る姿があった。慌ててシートから離れ、バイクからも距離をとる。俺の様子に何を思ったのか、遠城はふっと鼻で笑った。

「お前轢いたやつはなぁ、普段は乗らんバイクやねん。今触っとったそいつはGSR400。取り回しがそこそこダルいけどオレが気に入って使っとるネイキッドや」

「ごめん、用語あんまわからん」

「そうやろなと思て言うた」

 遠城は俺のすぐ目の前まで来た。病院に来たときから着っぱなしの作業着は、この空間にいると恐ろしく馴染む。伸びた髪を後ろで縛る髪型も職人の雰囲気を作るのに一役買っている。顔が良いから余計だろうか。

「神近お前、楓の前で変な話さすなや」

 急に怒られた。

「それは……それはごめんやけど、その、どうしても知りたいねん」

「ゲイ向けのマッチングアプリを?」

「そう、それ、えーと、男女の婚活アプリとかはめっちゃあるやん。せやから男同士とか、女同士とかのももちろんあるんやろなって……」

「そらあるわ、あったら何なん?」

 あったら使う、詐欺並びに金のために。などと言うわけにはいかないので止まってしまった。遠城は俺の様子をじろじろと見てから、わざとらしく溜め息を吐いた。呆れたというよりは、込み上げた笑いを逃がすような息だった。

「絶対安静のくせにソッコー退院したり……送ろうとしたら家ない言うたり……ゲイに引くんかと思たらアプリ知りたがったり……お前ほんまになんやねん」

「えっ……でも、退院もやけどアプリもそうせなあかんというか……」

「何やそれ? 男とヤリたいって話か?」

 違う、と言いかけてから、いや詐欺するんなら男とヤレんと話にならんのちゃう? と思い直す。それでつい黙る。ヤレる……ヤレるか……? 試したことないし全然わからん……。

 考え込んでいると、遠城が何故か俺の左肩を叩いてきた。

「まあ、そんな難しい顔すなよ。アプリも良し悪しの差ぁ激しいからな、試すにはあんまおすすめせん」

「あ、そう、なんや……」

「ちょっと男に興味あるだけなんやったら、介護内容に入れたるわ」

 介護内容。理解が追い付かず鸚鵡返しをすると、遠城はすっと目を細めた。

「今は楓おるからな、ホテルでも行くか?」

 俺は無言で遠城の顔を見つめた。あっこれセックスしに行くかって誘いなんやと気が付くまで、俺と遠城は見つめ合っていた。

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