ハロルド 出産と懐妊
「サンドラに子ができた」
先に身ごもったのはカトリーナではなくサンドラだった。公爵は祝福の言葉を述べながらも、落胆の色を隠せない様子であった。
「女だといいんだが」
出産は命がけだ。無事に生まれてくるだけでも喜ぶべきだが、これが王族の子どもとなると話が違ってくる。
男であったらその子が未来の王となる。クレッセン公爵としては何としても娘に男児を産んでほしいのだろう。
(サンドラ様もカトリーナ様も不憫だ……)
そしてジュリアンに毎日意味もなく抱かれる女性たちも。
「――陛下。父親となるのならば、今の態度を改めるべきではありませんか」
ハロルドが思い切って苦言を呈すると、ジュリアンは口を歪めて笑った。
「子が生まれるから親も変わらなければならないのか」
「はい。手本となるような振る舞いを心がけるべきです」
「私の子とはわからぬではないか」
ハロルドは目を見開いた。
「何をおっしゃいますか! 冗談でもそのようなこと、おっしゃるべきではありません」
「冗談ではないさ」
長椅子に寝そべっていたジュリアンはのっそりと起き上がり、どこか据わった目でハロルドを見やる。
「そなたも知っているだろう? サンドラと共についてきた護衛騎士の男」
サンドラが隣国に嫁ぐ際、どうしてもと付き添いを王女自身が願い出たそうである。彼女と同い年の、幼くして仕えていた騎士。その男と通じているとジュリアンは冷めた口調で述べた。
「そんな愚かなこと、いくら何でもしないでしょう」
そもそもサンドラとジュリアンの結婚した理由が子を作ることなのだ。ジュリアンの血を引いていなければ、何の意味もない。
「どうだかな。私がこの有様だからな。人目を盗んで励んだかもしれぬぞ」
ハロルドはふと、ジュリアンはもっと前から二人の関係を疑っていたのではないかと思った。それこそ、結婚した時から――
もしかすると彼が見境なく女性を抱くのも、あてつけのつもりだったのか……。
「初恋の相手は、特別らしいからな」
その言葉に内心どきりとする。
「そなたはどうだ。やはり忘れられないものか」
ジュリアンは誰のことを指して尋ねているのだろう。まさか
「……私には妻がおりますので」
ハロルドがそう答えると、ジュリアンは目を丸くして声を立てて笑った。
「そなたはこんな時でも妻の顔色を窺うのか。立派なものだな」
「私も妻のことを愛しておりますから」
「そうか。ならばこの質問は聞かなかったことにしよう」
ジュリアンの追及を免れてホッとする。同時にヴェロニカを利用してしまったようで罪悪感がわいた。
「私の初恋はやはりカトリーナだな」
「ならば、なぜもう少し優しく接してあげないのですか」
カトリーナにはジュリアンしか頼る者がいないというのに。他の妃たちにも言えることだが、カトリーナに対しては特に強く思った。
「……私とて、優しく接してやりたい」
「ならば――」
「しかし、カトリーナは私のことを何とも思っていない」
ハロルドは一瞬言葉に詰まる。ジュリアンと目が合うと、何か言わねばと焦った。
「カトリーナ様は不安なのですよ」
「不安?」
「ええ。彼女の立場からすると、自分以外にも妻がいる。貴方を愛したいが、怖くも思うのではないでしょうか」
「ならばどうすればいい」
わからない、とハロルドは思った。
ジュリアンの立場もまたわかるからだ。
「そうですね。結局は想い続けるしかないのかもしれません」
「役に立たぬ答えだな」
その通りだと思うので、申し訳ありませんと謝った。ただこれだけは言っておかねばならない。
「ですが今の陛下の態度は改めるべきです」
「……善処する」
ジュリアンはそう面倒そうに言うと、ハロルドを下がらせた。彼は別れ際にもう一度同じことを頼み、退出した。
(カトリーナ様……)
彼女はいつも寂しげな笑みを浮かべている。かつて自分に見せていた心からの笑顔ではない。彼女が憂うるのはジュリアンのせいか。
カトリーナが幸せになってくれないと、ハロルドもまた彼女を忘れることができなかった。
それは妻を想う気持ちとは別の感情であったが、ヴェロニカからすれば許しがたいものであることには違いない。
それでもハロルドはカトリーナを見捨てることができなかった。
(変わってくれればいいんだが)
ジュリアンにも、カトリーナにも、そう願わずにはいられなかった。
◇
「おお。ついにか……!」
クレッセン公爵の喜びに満ちた声。
サンドラに次いでカトリーナが懐妊したと聞いた時、ハロルドは複雑な心境になったが、ジュリアンを素直に祝福した。しかし肝心の本人はあまり嬉しそうではなかった。
「どうかなされたのですか」
「いや……今度こそ男であればいいと思ってな」
サンドラが産んだ子は女児であった。
王女としてサンドラの国へ嫁ぐことになるだろうと、生まれた瞬間から将来の行く末を話し合われていたのを、同じ子を持つ父としてハロルドは不憫に思ったが、王子であったら後々面倒なことにもなりかねないので、かえってよかったかもしれないと臣下たちは零していた。
何にせよ、未だ王子が望まれているのは変わらない。
ジュリアンも気を揉んでいるのだろう。その時のハロルドはそう思っていたが、やがてそれも違うということを気づき始めた。
「陛下。王女殿下のもとへは行かれないのですか」
「私が? 乳母がついているのだから、いいだろう」
生まれたばかりの赤子にも、身重であるカトリーナのもとへも、ジュリアンは足を運ばず、気にかける言葉も口にしない。
自分が行ったところで、できることは何もない。だから行く必要はないと考えているようだった。
(生まれたばかりの我が子が可愛くはないのだろうか)
それとも本当に自分の子ではないと思っているのだろうか。
「なぁ、ハロルド」
「はい。何でしょうか」
「子を産むと、妻は変わるものか?」
ハロルドはなぜそんなことを尋ねるのだろうと思いながら、妻のヴェロニカを思い浮かべた。
「そうですね……。やはり二人でいた時よりも子どもを優先するようになったかもしれません」
でもそれは当然のことであり、ハロルドも目を離すと何を仕出かすかわからない我が子の方を気にしてほしいと思っている。
それに子ができたといっても、ハロルドは変わらず妻の愛を感じていた。一人の女性としても、子を養っていくパートナーとしても。
「そうか……。カトリーナも、変わるのか」
ジュリアンはひどく憂鬱そうであった。
「陛下。子ができると女性はひどく不安になると言われています。悪阻などでお身体も辛くなりましょう」
「そうらしいな」
気のない返事にもどかしくなる。
「陛下がそばで支えてあげてください」
ついきつい口調で述べれば、ジュリアンは眉根を寄せた。何か言いたげな顔をしてハロルドに言おうとしたが、結局「わかっている」とぶっきらぼうに答えるだけであった。
彼がその後カトリーナのもとへ足を運ぶことはほんの数回であり、大きくなっていく腹から目を逸らすように足早に退席するのがお決まりの流れであった。
そしてそのほんの数回のうち、ジュリアンが偶然にも居合わせた席でカトリーナが産気づいた時、彼は真っ青になって取り乱したという。
カトリーナがどうにか無事に子どもを出産して、その子が待望の男児だとわかっても、ジュリアンは血の気の引いた顔でカトリーナと赤子を見つめていた。
喜びよりも何かを恐れている顔に見えて、ハロルドの胸からも不安が消えなかった。
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