27、朝起きて
まだ薄暗い明け方の時刻に、ジュリアンは帰って行った。目を真っ赤にさせた彼は、ひどい顔だった。一晩中起きて付き合っていたヴェロニカも寝不足でひどい有様だ。
彼は何も言わなかった。ヴェロニカも黙って見送った。ひどく、疲れた。張りつめていた糸が切れるように横になり、いつの間にか意識を失っていた。
次に目を覚ましたのは、昼過ぎ。グレンダがカーテンを開けた音で目覚めた。
「おはようございます。ヴェロニカ様」
起き上がったヴェロニカは無言でグレンダを見つめた。
「……あなた、私に何か言うことはないの」
「陛下の命でございました」
「だから謝らないってこと?」
「……ヴェロニカ様には、陛下のそばにずっと居てほしいと思っております」
「なによ、それ」
勝手に自分の意見を押しつけようとするグレンダにヴェロニカは苛立ちを隠せない。
「そんなにあの人が大切なら、あなたが支えてあげればいいでしょう」
「私では陛下に必要なものを与えることはできません」
「はっ、私だったら与えられるっていうの?」
はい、とグレンダは迷いなく肯定した。どこまでも主人思いな侍女の態度にヴェロニカは怒るよりも呆れの方が勝った。
(周りが甘やかすから、あんなふうになったのではないの?)
深くため息をついた。
「あの人に必要なのは、恋人でも妻でもなく、母親でしょう。その役を私にやれっていうの? 冗談じゃないわよ。気持ち悪い」
寝台から降りて、自身の髪をかき上げる。
「お断りよ。そもそもね、あの人に必要なのは自立よ。誰かの助けじゃないわ」
「……それでも、おそばに」
「くどい。何度も同じこと言わせないで。子どもじゃあるまいし、放っておけば勝手に立ち直るわよ」
「そんな勝手な」
「勝手はどっちよ。私を利用しないで」
割られると凶器になるからと、この部屋には鏡すらない。ヴェロニカはグレンダの持ってきた手鏡を手に取り、首筋を確認する。赤い吸い痕がしっかりとついていて、舌打ちする。
一晩経って冷静になってみると、怒りがふつふつと湧き起ってくる。
(なんで絆されそうになっているのよ!)
ジュリアンが引っかき回したせいで、ヴェロニカは知りたくもなかった夫の過去を知る羽目になった。しかも夫は今行方不明で、もしかするとカトリーナといるかもしれないのだ。
あれもこれもすべてジュリアンのせいではないか!
「もう! 絶対許さないんだから!」
「ヴェロニカ様。落ち着いてください」
「これが落ち着いていられますか!」
とにかく身を清めたいとヴェロニカはグレンダに命じた。それから腹も減っているので空腹を満たしたい。難しくて、面倒なことを考えるのはその後だ。
しかし考えるといっても、ヴェロニカにできることはない。残念ながら。
(もうとにかく隙を見て逃げようかしら)
彼女はじっと窓の外を見て思った。鉄格子が嵌められており、しかも飛び降りたら骨折程度ではすまない高さである。
(外、には見張りの騎士がいる……)
扉の外に二人、鼠一匹見逃さないという鋭い目線で警備にあたっている。見当たらないだけでもっと他にもいるはずだ。逃げることなんて……冷静に考えれば無理に決まっていた。
(どうすればいいのよ)
本当にこのままなのだろうか……。
ヴェロニカはバスタブの中で顔を覆った。
◇
「食事をとっていないのか」
「……食欲がわかないの」
誰かさんのせいで、と言外に告げても、ジュリアンは「そうか」と返すだけであった。
(というか、また来たのね……)
今度は昼過ぎである。前回忙しいからと言って夜に足を運んでいたのはヴェロニカを油断させるためだった。ということを思い出して、またむしゃくしゃする。
「どうして来たの」
「来てはいけなかったのか」
「あんなみっともない姿を私に見られて、恥ずかしくないの」
わざと挑発する言葉をかければ、ジュリアンは白い頬をサッと染めた。怒ればいい。
(そして私を傷つけてよ)
こんな状況が続くならもういっそのこと――
「恥ずかしいさ」
しかしジュリアンは恥じ入ることはしても、以前のように声を荒げることはしなかった。
「あら。認めるのね」
「ああ。自分の弱さをつくづく突き付けられた気がした。……けれどどこかで、胸のつかえがとれた気がした」
落ち着きを払った様子で自分を見るジュリアンの顔に、ヴェロニカの方が動揺する。彼に翻弄されているようで、むかむかと腹が立ってくる。
「なによ、それ。たった一晩過ごしただけで覚悟が決まったというの? ふざけないでよ。じゃあ、今まで過ごしてきた女性たちは何だったというの? あなたのために身体まで差し出したのよ。子どもまで産んであげたのよ。それを今さら……!」
ジュリアンは黙ってヴェロニカの怒りに耳を傾けていた。激昂しているのは自分一人だけであり、冷静なジュリアンが心底憎らしくなる。
「そうだな。私がやってきたことは、最低だったな」
「今さら善人ぶるのはやめて!」
立ち上がって、ジュリアンを睨みつけた。国王に対してここまで不敬な態度をとっているのに、彼は微動だにしない。ヴェロニカは肩で大きく息をしながら、椅子から離れた。窓際に寄って、ジュリアンの姿を目に入れないようにした。
「食欲がわかないなら、他のものを持ってこさせよう。何がいい」
機嫌を取るような振る舞いが耐えられない。この人は一体自分をどうしたいというのだろう。
「そんなもの、いらない。反省したのなら、私を今すぐ家へ帰して……!」
ジュリアンは何も答えない。どうしてそこで黙るのだとヴェロニカが振り返れば、彼は音もなく自分の後ろに近づいていた。
驚いて、大げさなほど身体を震わせてしまった。それを見て、ジュリアンは一瞬辛そうに顔を歪ませた。
「……帰すことはできない」
くるりと背を向けて、また来ると彼は部屋を出て行った。
こんなやり取りを今まで何回繰り返したことだろう。毎回同じだった。それなのにいつからか、何かが変わってしまった気がする。
それがひどく、恐ろしかった。
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