19、国王の謝罪

 それからグレンダとは少しずつ話をするようになった。


 彼女が仕えるのはあくまでもジュリアンであるので、何もかもすべてを話す、というわけにはいかなかっただろうが、以前よりもずっと王宮で今何が起きているかを知ることができた。


「陛下はクレッセン公爵の言葉に気分を害され、これ以上余計なことを言うつもりならば宰相の地位から降ろさせる考えのようです」

「相変わらず無茶苦茶な人ね……」


 聞いて呆れるわ、とヴェロニカはグレンダの淹れてくれた紅茶を飲みながら思う。


「あの人、もうここへは来ないつもりかしら」

「それは……わかりません」


 前回あれだけ暴れてやったのだ。もういい加減嫌気が差しているはずだ。それなのにまだ手放さないとは……。


(引っ込みがつかなくなっているのかもしれないわね)


「これは本来言ってはいけないことかもしれませんが、陛下はヴェロニカ様の傷の具合をとても心配なさっているようです。私や医師にも、何度も確認されましたから……」

「自分が仕出かしたことなんだから、当たり前じゃない」


 なにをさも慈悲深い男のように語っているのだと、ヴェロニカは冷たく言った。グレンダはいささかムッとしたようである。


「ですが、最初の時はヴェロニカ様にも非がありますわ。刃物でご自分を傷つけようとなさるなんて」

「だって夫以外の男に抱かれようとしたのよ? 死んだ方がましよ」

「それはそうかもしれませんが……思いきりがよすぎます」

「好きな男以外に身体を汚されるくらいなら、ってあなたは思わないの?」

「……私はそれでも、生きることを選ぶと思いますわ」


 意外だ、とヴェロニカはちょっと思った。


「あなたは迷いなく死を選ぶと思ったわ」

「私にそんな勇気はありません」


 微かに苦笑したグレンダは、それにと続けた。


「たとえこの身が汚れてしまっても、愛する人とは別れたくありませんから」


 カトリーナもそうだったのだろうか、とヴェロニカは思った。ジュリアンの妻になって、彼の子どもを産んで、それでもまだ心だけはハロルドを想い続けたのか。


(ハロルドも……)


 またカトリーナたちのことを考えている自分がいて、ヴェロニカは暗い気持ちになった。


「そうね、あなたの言うこともわかるわ。それでもやっぱり私は……あの人以外知りたくない。知らなければならないのなら、あの人を想ったまま死んでしまいたい」

「ヴェロニカ様……」


 呟くように言ったヴェロニカの言葉をグレンダはどう受け取っていいか困惑していたが、ヴェロニカは気づかなかった。


「そなたの愛は一途だな」


 第三者の声にグレンダがびくっと肩を震わせた。


「陛下!」

「あら。陛下。お久しぶりですわ」


 ヴェロニカの落ち着いた態度をジュリアンは忌々しそうに見つめた。


「殺されかけたというのに、ずいぶん落ち着いた態度ではないか」

「殺されかけたからこそ、ですわ。一度死にかけた人間が一体何を恐れる必要がありますの」


 陛下にですか、とヴェロニカはわざとらしく言う。


「そなたは本当にああ言えばこう言うな」

「ふふ。ごめんなさい。首を絞められていないおかげで、たくさん言葉が話せて、楽しくって仕方がないんですの」


 ジュリアンとヴェロニカの言い合いをグレンダがはらはらした様子で見守っている。いつまた前回のような騒動になるかわかったものではない。彼の護衛である騎士たちも、そわそわと落ち着かない様子でこちらを見ている。


 別に何も毎回殺されかけることを望んでいるわけではないので、ヴェロニカはここらで引いてあげることにした。


「立ち話も何ですからどうぞ座ってください。公務でお疲れでしょう?」

「……」


 ジュリアンもこれ以上不毛な言い争いは労力の無駄だと思ったのか、大人しく長椅子に腰かけた。その席はヴェロニカから一番遠い位置に当たる。


(一度殺されかけた相手をこうして迎えてあげるなんて、確かに異常ね)


 あまりにも予想外のことが起き続け、すでに感覚が麻痺しているのかもしれない。


(どちらにせよ今の私にはこの人を追い返すすべはない)


 なら形だけでも大人しく従ってやった方が都合がいい。相手に隙が生まれる。


「それで、今回はどのような用件でいらっしゃったのでしょう」


 またハロルドとカトリーナの二人を持ち出して嫌味を言いに?


 それともようやく帰してくれる気に?


 ああ、もしかするとご自分が王として相応しくないとでも思いましたか?


「……何か失礼なことを考えているだろう」

「いいえ、とんでもありませんわ」


 頭の中にまでケチをつけるとは、とんでもない男だ。


「……悪かった」


 目も合わせずジュリアンは謝った。


 そばにいたグレンダが小さく息を呑むのがわかった。ジュリアンのような身分の人間は簡単に謝罪の言葉を口にしてはいけない。国王は間違えてはいけないから。常に正しい判断を下し、完璧な存在でなければならないから。


 けれどヴェロニカからすれば、それだけ? というのが本音であった。


「それは一体何についての謝罪ですの」


 ジュリアンはヴェロニカ……だけではなく、ハロルドやカトリーナに対しても、許されないことをすでにたくさんしている。それを単に「悪かった」の一言だけで済まそうだなんて、あまりにも誠意が見られず、図々しい。


「何についての謝罪かおっしゃってくれないと、心当たりが多すぎますもの。私、わかりませんわ」

「……そなたを傷つけようとしたことだ」

「殺しかけたこと?」


 露骨な言葉に、ジュリアンは表情を曇らせる。わかりやすく言い換えてあげたのに、なぜそんな顔をするのだろう。


「そうだ。悪かった」

「他にも謝ることがあるのではないの」

「ヴェロニカ様」


 これ以上は、とグレンダが止めようとする。だがヴェロニカは聞こえない振りをした。


「私をハロルドや子どもたちから引き離して、夫婦交換なんて意味のわからない提案を実行しようとしていることについては、何か言うことはないの?」

「それについては謝るつもりはない」



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