第4章 露れるのは真実と嘘

怠惰な男の話

 これは昔の話。


 あるところに一つの村があった。

 大きな山の合間にぽつんとある小さな村だ。家屋や道を除けば田畑にできるほどの開けた土地はわずかしかなく、糧を求めるには山へ入って猟や山菜採りなどを行わなくてはならない。

 村人たちは年齢や性別にかかわらず勤勉で、朝から夜まで良く働いた。そうでなくては生きていけなかったからだ。


 しかし村の中に一人だけ、とても怠惰な男がいた。

 若くて力もあるというのに働くのが嫌いで、老人よりも動かず、子どもよりも採集物を持ち帰らない。本来ならば鼻つまみ者となるような者なのだが、何事もなく村にいられるのは、彼が大いなる武器を持っているからだった。

 この男はとても見目が良かった。加えて、相手の心をある程度読むことができた。おかげで自身に好意をもつ人物が分かったし、相手がどんなことを望んでいるのかも分かった。男は相手に合わせて甘い言葉を囁き、泣き落としをし、時には恫喝もしながら採集物を分けてもらうことで日々の糧を得ているのだった。


 やがて男は自分に想いを寄せてくれていた女性の一人と結婚した。妻となった女性は献身的に尽くしてくれ、初めのうちは男の暮らし向きも今まで通りだった。

 しかし妻が身ごもったあたりから少しずつ風向きが変わる。

 子の世話をするぶんだけ動けなくなった妻に代わり、男が何とかしなくてはならなくなったのだ。怠惰な男は日々に嫌気がさし、働かずに過ごす方法ばかりを毎日考えるようになった。


 ある日のこと。山のふもとまで行った男は切り株に座り、青空を見ながらふと膝を打った。

 この辺りで最も力を持つ者に取り入れば寝て暮らすことができるのではないだろうか、と考えたのだ。


 最も力を持つ者とは人間ではない。村の周りをぐるりと囲む大きなの山のほとんどは、実は一頭のあやかしの支配下にある。この妖のことだ。

 妖は村人が山奥まで踏み込んだときに現れる。山のふもと程度までしか行かない怠惰な男は妖に出会ったことはないが、村には妖を見たことのあるものが多くいる。話によれば、九本の尾を持つ大きな白い狐だそうだ。

 これを篭絡ろうらくすればよい。

 そう考えた男はある日、妻や両親、兄弟に「妖を倒してくる」と宣言した。「あの妖さえいなくなれば、もっと山の奥の方まで猟や山菜取りに行けるだろう」と言って。


 誰もが反対した。

 人間が妖を倒せるはずはないし、そもそもこの妖は人間に比較的寛容だ。あまり奥まで行かなければ山に踏み込んでも許してくれている。

 つまるところ村人たちは妖がいても別に困らない。

 だが、男はもちろん耳を貸さなかった。そしてあくまで「村人のために妖を倒す」というていを崩さないまま、斧を片手に山の奥へと入って行った。


 いつも山のふもと部分までしか行かない男にとって、村が見えなくなるほど奥に踏み込んだのは初めてだ。少しばかり緊張しながら慎重に歩みを進めて行くと、目の前に忽然と白い影が現れた。九本の尾を持つ大きな狐だ。静かに男を見つめる黄金の瞳は「ここまでなら許すが、これ以上先へ行くのは許さない」と言いたげだった。


 神々しさや畏怖すらも感じるこの妖の姿を見るだけで、いつも村人は踵を返す。だが今回、妖に一つの誤算があったとすればこの男が特殊だったことだ。男が持っている『相手の心を汲み取る力』は、妖にも有効だった。

 男は妖の心を読みながら声をかけ、共に行きたい旨を熱心に伝えた。


 気が付くと妖は男にほだされていた。乞われるまま男を背に乗せて山奥へ連れて行き、男のために心地の良い家を建て、男の好みに合わせて美しい人間の女性に――妖はメスだった――変化へんげし、やがては男との間に子まで成した。

 妖は幸せだったし、男もしばらくは幸せだった。なにしろ男が寝ているばかりだとしても暮らし向きにはまるで困らず、そればかりか妖がさまざまな物を与えてくれるのだ。怠惰な男にとってはまさに理想の生活だった。

 しかし何年か経つうちに男は妖との生活に飽きてきた。山奥には特に目新しいものがなく、話し相手は妖のほかに誰もいない。生まれた娘は少しずつ大きくなっていたが、これは男にとって特に興味を引かれる存在ではなかった。


 そんなある日、妖が娘と共に縄張りの見回りに出かけた際。男のもとへ一人の女性があらわれた。

 村に残してきた妻だ。

 どうして妻が妖に見咎められずここまで来られたのか不思議だったが、よく見ると妻は男が村に残した着物を身につけていた。着物に男の気配が残っていたため、おそらく妖は妻を見落としたのだろう。

 妻は「あなたが生きていると信じてました」と涙を流しながら「さあ、一緒に帰りましょう」と、窓の向こうから手を差し出した。


 男は少しのあいだ考えた。

 妻と一緒なら村へ帰れる。しかも妖の首を手土産にすれば男が出発前にした作り話に信ぴょう性が生まれるはずだ。男は皆から持て囃される存在となり、きっと村の中にいても働かずに暮らしていける。


 山の暮らしに飽きていた男は妻の手を取った。「妖の術に囚われて今まで村のことを忘れていた」と嘘をつき、妖を倒すまでどこかに隠れているよう妻に言い含めた。

 妻は大人しく男の言うことに従った。

 あとは男が、演技のために村から持ってきた斧を、演技ではなく妖に向けて振り下ろすだけだ。


 穴だらけだった計画が存外うまくいったのは、妖が男のことを心から好いていたからだった。疑うことなく背を見せる妖の首を斧で落とすのは、男にとってさほど苦労しないことだった。


 嘘を嘘と知る邪魔な娘を殺せず逃がしてしまったのは予想外だったが、再び死体のある部屋へ戻った男は背を粟立たせながら「娘を殺さなくて良かったかもしれない」と思った。

 先ほどまで悲しそうだったはずの妖の顔がいつの間にか憤怒の表情に変わっていたからだ。もしも娘を殺していたら男は今頃、妖の最後の力で体を引き裂かれていたかもしれない。


 とにかく、事は済んだ。男は人々への証拠として示すために妖の首を持ち、妻と共に村へ戻った。男の姿を目にした村人たちは驚き、帰還を大いに喜んだが、それも初めのうちだけだった。

 村の周囲を隠邪がうろつくようになったのだ。

 今までは妖が隠邪を倒していた。その妖を倒してしまったのだから隠邪が出現するようになったのは当然だ。“人を食う存在”である隠邪が出るようになったことで生活が脅かされ始め、村人たちは男に対し徐々に厳しい目を向けるようになる。


 男は焦った。周囲の尊敬を集めながら働かずとも暮らしていけるはずだったのに、このままでは働かずとも暮らしていくどころか村を追い出されかねない。

 なんとか打開する方法を探していたある日、男は一つの噂話を耳にした。村の近くに見知らぬ女の子が現れるというのだ。しかもその女の子は白い狐の耳と、白い一本の狐の尾を持っているらしい。きっと、男が妖との間に儲けたあの娘だ。

 最初は母の復讐をするために男を探しているのかとも思ったが、なんとなく違和感があった。もしも男を殺したければ早々に村へ来て暴れたら良いだけの話、それにあの娘はどんな相手に対しても復讐心を抱くような性格ではない気がする。


 そこで男は一人で山に入った。目についた切り株に腰かけ、得意の口笛を吹いていると、ほどなくして小さな「父さん……」という声がした。男が名を呼ぶと、藪の中から小さな顔がおずおずと覗いた。やはり娘だ。

 男は娘の心を読み、そこにあった感情を知ってほくそ笑む。


 妖力を持つこの娘は母から隠邪と戦う方法も教わっている。今度はこの娘に隠邪を排除させればいい。そうすれば男の立場はまた良くなるはずだ。

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