10.司は語る

納賀良ながら 聡一そういちというのは、お前の敵の一人だな?」

「そうだ。だけど、あいつ……聡一が生まれた納賀良家も、俺の梓津川しづがわ家や、友介の依畠よりはた家と同じように昔から続く祓邪師の家系なんだよ」


 言って司は瞳を伏せる。


「今は祓邪師もずいぶん減った。長い年月の間には隠邪に食われて絶えた家もある。それでもなんとかなってるのは、隠邪の通り道が今は一つだけになってるからだ。――隠邪の通り道はもともと数多くあったんだよ。でも、数百年前に起きた大きな戦いのあとに祓邪師が消してまわったから他の場所にはもうない。再び道ができたときのことを考えて各地方に残ったままの祓邪師もいるけど、大半の祓邪師は、今も開くたった一つの道の近辺に集まってる」


 ユクミが知る限り、隠邪とはあちこちに出現するものだった。だからあのときユクミも隠邪と戦ったのだ。おそらく司の言う『大きな戦い』とは、ユクミがこの灰色の世界に入ってから起きたものだろう。


「一つだけある隠邪の通り道ってのは、この灰色の世界を出た場所にある丘だ。ユクミも見たよな? さっきの異界じゃ本当に古墳の扱いになってたけど、あれは本来なら祓邪師が作った塚なんだ。あの塚の影から一か月に三度、隠邪が現れる。十五夜、十六夜、十七夜の日だ。その際に隠邪を倒すっていうのが、今も変わらない祓邪師たちの役目なんだよ」

「司も隠邪退治をしていたんだな?」

「もちろんやってた。俺も、婆ちゃんも、友介も……聡一も」


 司が肩に力を入れ、拳を握る。自然とユクミの背も伸びた。――きっとここからが司の本当に話したいことだ。


「聡一は七歳のときに両親と弟を亡くした。隠邪討伐の後に車で帰宅する途中、居眠り運転の対向車に突っ込まれたんだ。……助かったのは聡一だけだった」


 司の話す内容は分からないこともあったが、聡一の家族が突然失われたことだけは分かってユクミの胸の奥が痛む。ある日突然一人きりになってしまった悲しさは、ユクミにはとても良く理解できる。


「聡一を引き取ったのは俺の婆ちゃんだ。二人に血の繋がりは無いんだけど、俺の爺ちゃん――婆ちゃんの夫は亡くなってたし、息子に当たる俺の父さんはとっくに家を出てたから、気兼ねもないだろうってことになったらしくてさ」

「もしかしてその『家』っていうのが、朝に友介と会った場所か?」


 司は首肯し、小さく笑う。


「当たり。あの廃墟だよ。……実際にはよく手入れされてて綺麗なとこなんだけどさ。まあ、あんなふうになってたのは……異界だから仕方ないよな」


 司の口調はユクミにというより、自分に言い聞かせるかのようなものだった。ユクミは「そうだな」とだけ答えてやる。きっとあの家は司にとって大切な場所だ。


「俺さ。あの家には十七年くらい住んでたんだ。父さんと母さんは早くに離婚したから、俺は父さんに引き取られた。シッターさんを雇ってたから育児放棄してたわけじゃないらしいんだけど……まあ、でも、とりあえず何やかんやあって、婆ちゃんが一歳だった俺を引き取った」

「なるほど。お前の祖母は、息子以外の人物を二人育てたわけか」

「そういうことになるなあ」


 ユクミが軽い口調で言うと、司は頬を緩め、続ける。


「当時の婆ちゃんは五十代の半ばで、その年から一歳の子どもを見るのはちょっときつかったろうけど……一緒に暮らしてた聡一が十七歳になってたから、まあ、色々と手伝ってくれたって聞いてる。本当に小さい頃の俺はすぐ熱を出すせいもあって、割と手がかかったらしいし」

「病弱だった? にわかには信じられ……」


 言いながらハッとして、ユクミは語尾をしぼませた。

 服を脱がせたときに見た司の体は引き締まってとても健康的だった。きっと本来なら肌も健康的な色をしていたのだろう。しかし今の司の肌は不健康な白色。これは司が死人になってしまったせい、ひいては司を死なせたユクミのせいだ。

 申し訳なくて身を縮めるユクミだったが、しかし司は屈託なく笑って腕に力を籠めて見せる。


「俺、小学校に入る前くらいから少しずつ丈夫になったんだよ。中学以降は病気知らずでさ……って今はそんな話なんてどうでもいいか」


 笑みに苦いものをまじえた司は腕を下ろし、一緒に目線も下げた。


「だから俺が小学校に入ったあたりで、婆ちゃんは聡一を家から出したんだ。『司も健康になってきてるし、いつまでもここにいなくていいよ』って言ってたのを俺も知ってる」


 意味を測りかねるユクミが首を傾げたのを見た司は、口の端をほんの少し上げる。


「聡一がずっと婆ちゃんの家にいたのは、俺の面倒を見るためでもあったってわけさ」


 こうした経緯の後にすぐ聡一は独り暮らしを始めた。二十三歳の頃だそうだ。

 それまでにも「婆ちゃんは怖いから嫌だ」と言う司に術の基礎を教えてくれていた聡一は、家を出てからも何かにつけて梓津川家に足を運んだと司は語る。

 初めのうちは一人で。結婚後は妻の美織みおりを伴って二人で。娘の知穂ちほが生まれてからは親子三人で。


 そうか、と胸の内だけで呟きながらユクミは“でんしゃ”から降りた場所で会った女性たちを思う。

 美織と知穂というあの二人は、聡一の身内だったのだ。


「最初は聡一も塚に近い場所で暮らしてたんだけど、知穂ちゃんが生まれて少し経ってから引っ越したんだ。それが今日、知穂ちゃんたちと会ったあの場所だ。あそこなら塚からも遠すぎるってわけじゃないしな」


 聡一、美織、知穂。それに司と司の祖母はとても仲が良かったらしい。五人で共に過ごした日々のことを、司はたくさんの時間を使って話してくれた。それはまるで司が心の底にしまっていた大事な宝物を一つずつ見せてくれているかのようで、話題が積み重なるたびユクミはあたたかい気持ちになる。

 だが一方で心の片隅には、先ほど知穂たちと会った司の反応が一点の暗い影としてずっと残っていた。


 もしも過去が明るいものばかりだったのなら、司がここでユクミと話をしているはずはない。

 それを裏付けるように司の表情はふと陰りを帯びた。一つ重い呼吸をして、その呼吸に見合う重さで唇を開く。


「……だけど今から四年前だ。美織さんが病気で亡くなった」

「美織が……」


 先の言葉をユクミは飲み込む。美織を見たときの司の態度がすとんと腑に入った。彼の胸中にユクミが思いを馳せる間もなく司は続ける。


「そして美織さんが亡くなって一年後。つまり今から三年前。知穂ちゃんも、亡くなったんだ」


 司は淡々とした表情で告げる。その感情の無さが逆に苦しい。ユクミはこくりと唾を飲み込んで口を開く。


「知穂も、やまいか」

「いや」


 司は首を横に振る。


「知穂ちゃんは、隠邪に食われた」


 格子越しに入り込んだ風がユクミと司の髪を揺らして消える。まるで何も起きなかったかのようだが、わずかな水の匂いが風の通った証として残っていた。

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