3.推測
黙ったままうつむく司を友介はきっと不審に思っただろう。しかし彼はいつものように、ほっとする調子で司に言う。
「とりあえずさ。僕の家に来て少し休んでいきなよ。
「……知穂ちゃん?」
なんでここで知穂の名が出てくるのか分からない。彼女が三年ほど前に亡くなっているのは友介だって知っているはずだ。それこそ笑えない冗談だぞ、と司が抗議するより早く友介が目を丸くする。
「あれ? その子、知穂ちゃんじゃないんだね」
友介に言われた司はようやくユクミの存在を思い出した。荒れた梓津川の家と生きていた友介に気を取られてすっかり忘れていたのだ。
狐耳と尾を持つだけでなく、白髪に黄金の瞳という異質な存在のユクミをどう紹介したものか。慌てて顔を下に向け、司は唖然とした。
横で司のジャケットを握ってる少女はいる。ただし彼女には狐耳も尾もないし、髪や瞳も黒色だ。
この子は一体誰なんだろうと思ってよく見てみると、身に纏っているものはユクミと同じ、白地に赤い花柄の着物だった。
まさか、と思うと同時に彼女が口を開く。
「知穂じゃない」
わずかに拗ねた調子の声は間違いなくユクミのものだった。友介に見咎められないよう、術を使って
「そっか。名前を間違えてごめんね」
友介がしゃがみこみ、ユクミと視線を合わせる。
「初めまして。僕は、
しかしユクミは口を引き結んだままぷいと横を向いてしまった。司は苦笑する。
「おーい。さすがにそういう態度はどうかと思うぞ」
「いいんだよ。――違う名前で呼ばれたの、嫌だったよね。本当にごめん」
友介はユクミへ向かって律儀に頭を下げ、
「この子、アレルギーはある?」
と司に尋ねてくる。
妖にアレルギーがあるのかどうかは分からないが、もしも駄目なものがあればユクミ本人が判断してくれるだろう。
「あー……多分、無いと思う」
「よかった」
言って友介は、ランニングポーチから飴を一つ取り出す。司も良く知るメーカーの、何度も食べたことのある飴だ。
「これは、ごめんなさいのプレゼント」
友介と飴とを交互に見比べたユクミが物問いたげに司を見上げてきた。司が頷くと、ユクミは友介の方へそっと両手を差し出す。ユクミが手を出したのだから、この飴には隠邪たちによる罠や毒の類は仕掛けられていないようだ。
渡された飴を包み込むようにして受け取ったユクミは、果物の描かれた小さな袋をつまんで珍しそうに眺めはじめる。その顔からはつい今しがたの不機嫌さが全く感じられない。
くるくると表情の変わるユクミをなんとなく微笑ましく思ったのは司だけではなかったようで、目の前の友介も優しい表情になる。
「司と一緒にいる女の子だから知穂ちゃんだと思い込んじゃったよ。次からは誰なのかちゃんと確認しないとね」
友介が口にしたのはなんと言うことはない話題だ。誰なのかを確認するのは間違っていない。だが、司はなぜかその言葉にひっかかりを覚えた。
(なんだ? 俺は何が気になるんだ?)
頭の中で同じ言葉を繰り返し、どの部分に違和があるのかを探ろうとする。しかし友介はそんな司の勝手な事情を知るはずがない。
「司の知り合いには小さい子が多いんだね」
立ち上がって揶揄するように言う友介は会話を続ける様子だ。
「この子は、どこの子?」
「親戚の子だよ。母さんのほうの」
会話を切りたい司が言うと、友介は少し気まずそうに「そっか」とだけ答えて引き下がる。ありがたくも沈黙がおりたので司は友介の言葉を吟味し、ようやく思い至った。
(分かったぞ。俺と一緒にいる幼い子が誰なのかを確認するっていう、その考え方だ)
それに友介の表情も気にかかる。四年前に死んでいるこの世界での佐夜子の話をしたとき、友介の態度からは死者に対する敬意が感じられた。もちろん佐夜子が年長者だということもあるだろうが、しかし同じく死んでいるはずの知穂を引き合いに出す友介の表情が穏やかなままなのはあまりにも奇妙だ。この二つを比べてみると、まるで――。
(まるで、知穂ちゃんが生きてるみたいじゃないか)
思いついた途端、司は体内に電流が走ったような気がした。
ここは司の知る世界とは違う。
塚は無く、友介は生きており、佐夜子は四年前に死んでいる。
司の知るものとは違う過去が、現実が、ここにある。
だとしたら知穂の現実も司が知るものとは違っているかもしれない。
頭の隅の方がじんじんと痺れて五感が遠くなる。だが、気を失っている場合ではない。改めて地を踏みしめた司は、なるべく平静を装って口を開く。
「なあ。友介は最近、知穂ちゃんに会ったか?」
「知穂ちゃん? いや、僕は司と違ってあんまり知穂ちゃんには会わないからなあ」
「じゃあ、最後に会ったのはいつだ?」
「最後かあ……」
今度の友介は体を強張らせない。代わりに記憶を探るようにして遠くを見たあと、司に視線を戻してニコリと笑う。
「夏かな。ほら、あの花火大会のとき」
司は自分の想像が当たったことを確信する。そっと左手を後ろへ回し、強く拳を握った。この異界が存在する理由を見つけられた気がした。
「さて。じゃあ行こうか、司。まさか僕の家の場所まで忘れてたりしないよね?」
冗談めいて言う友介の目を司は見つめる。
「覚えてる。でもごめん、友介。俺は行かなきゃいけないところがある。お前の家には行けない」
唐突な司の言葉にも、もはや友介は驚きを示さなかった。小さくため息を吐いてランニングポーチから財布を出し、数枚の紙幣を抜き取る。さらにポーチからは何かを取り出して、紙幣と一緒に司へ押し付けた。
「返すのはまた今度でいいよ」
司の手の中にあったのは見慣れた紙幣と薄型のモバイルバッテリーだ。どうやら司の言った「スマホの電池が切れた」を覚えていてくれたらしい。
「万一のための予備だから容量は小さいけどね。あと、
渡してくれた紙幣はここからアパートまで数度往復してまだ余る。友介のことだ。もしかしたら言外に「不審に思われない程度には身なりを整えろ」と言ってくれているのかもしれない。
「……ありがとう」
「まったく、昔から司は世話が焼けるんだから」
声に心配を滲ませる友介は更に何かを言いかけたようだが、ぐっと唇を噛んで下を向く。
「……佐夜子さんに顔向けができないようなことだけは、したら駄目だよ」
「友介……」
「じゃあね」
道の先へ顔を戻した友介は一人、軽快な走りで去って行く。朝靄に消える後ろ姿を見ながら、司は苦い思いを噛みしめた。
(婆ちゃんに顔向けできないようなことはするな、か……。友介め、こっちの世界でも痛いところついてきやがる)
初めは偽物なのかと思った友介だが、ユクミの態度にも敵意はみられなかったことからしてもどうやら彼はこの異界で生きている存在らしい。
ならば、きっと知穂もいる。知穂が生きているのなら、彼女こそがこの異界のカギだ。
佐夜子が最後に司へ望んだのは「梓津川家の人間として隠邪を倒し、聡一のやろうとしていることを止める」だった。
しかし聡一の考えていることが本当に司の想像通りだとしたら、司は聡一を止められるのだろうか。
司は強く首を横に振った。
余計なことを考えてはいけない。何があろうと、どんな事情だろうと、例え誰に会おうとも、司に許されているのは「やる」の一言だけなのだ。
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