2.知り得た幾つかのこと
司の記憶と寸分違わぬ姿で笑いながら、友介は道に立っている。
しかしそんなはずはない。友介はもういない。スマートフォンだけを残して隠邪に食われてしまった。
「……友介……なんで、いるんだ……」
食われた友介は敵となって司の前に現れたのかもしれない。思わず身構える司とは対照的に、友介は変わらぬ朗らかな様子で答える。
「なんでって、ランニングの途中だからだよ」
確かに今の友介は、ウィンドブレーカーやジョガーパンツを着用している。言葉通り『いかにも走っている最中』という恰好だ。
「中二からずっと走ってるんだけど、もう忘れた?」
「え? ……いや、覚えてる……けど……」
中二の春に「
「まだ、走ってるとは思わなかったからさ……」
隠邪に食われたのに、という言葉はさすがに口に出せなかった。おかげでニヤリと笑った友介は「当り前じゃないか。僕の意思は固いよ。お爺さんになっても走り続けてみせるからね」とだけ言う。そうして司の方へ一歩近寄り「あれ?」という頓狂な声を上げた。
「首に巻いてるの包帯? 怪我してるの?」
言われて司は思い出した。隠邪によってつけられた傷には今、ユクミお手製の包帯が巻かれているのだ。右手で首元を覆った司は
「……まあ、怪我は怪我なんだけど、大したことはないから大丈夫だ」
「大丈夫って、それ絶対に嘘だよね」
司のすぐ目の前にまで来た友介が眉間の皺を深くする。
「今にも倒れそうな顔色してるよ」
「そ、そうか?」
司は最初、自分の顔色が悪いのは意外な出来事が怒涛のように押し寄せてきているせいだと思った。思考の許容量を超えてしまったために血の気が引いているのではないかと。
だが今、ようやく気が付いた。ユクミの力で動いている今の司は
「それに服だってずいぶん汚れてるよね。この寒空の下でコートも着ずにジャケットだけだし。……なに? どっかで喧嘩でもしてきたの?」
コートは友介がいなくなったあの世界で脱ぎ捨ててきた。首に噛みつく隠邪の牙がフード部分の厚みで外れそうな気がして怖かったのだ。だがもちろん、そんなことは言えない。司は無理にも笑って明るい声を出す。
「んなわけないだろ。俺がそんな派手な喧嘩をすると思うか?」
「思うよ。司は単純だから何かあったときは周りが見えなくなるでしょ?」
「……いや、単純とか言うなよ……」
きっぱりと言い切った友介からは付き合いの深さを感じる。こちらの“司”も友介とは良い関係を築けていたのだろうか。
あり得ない現実の中に当てはまる記憶が入り混じると虚構と真実の境が曖昧になってぞわぞわする。湧き上がってくる気味の悪さを押し込め、司は「落ち着け」と自分に言い聞かせた。
ここが隠邪の作った異界である以上はどこに罠が潜んでいるか分からないのだ。
「とにかく俺の怪我は大したことないんだ。顔色が悪いのは……あー、うん、今が冬だからだな。寒いから顔色も悪くなるだろ? そう、それに服が汚れてるのも冬だからだ。なかなか乾かないから洗濯も面倒になる。な?」
「……僕だから誤魔化されてあげるけどね」
深くため息を吐いて、友介は司の背後にある荒れた家へ視線を向ける。
「もし佐夜子さんがここにいらしたら、司が本当のことを言うまで追及してたはずだよ」
司はハッとする。
友介は佐夜子が“ここにいたら”と言った。ならばこの世界の友介は祖母の所在を知っている。異界のことだと分かっていても身近な人物がどうなったのか気になってしまう心は抑えられなかった。
「なあ、友介。俺の婆ちゃんはどこへ行ったんだ?」
尋ねると友介は硬直し、二十秒ほどおいてから感情を殺した声で言う。
「それはどういうつもりで聞いてるの?」
「どういうって……」
「何かの冗談なら本当に笑えないよ」
司の表情を見る友介は、それが冗談ではないと分かったのだろう。固い声と表情のまま告げる。
「佐夜子さんは四年前に亡くなったじゃないか」
司は自分が死人になっていたことを心から「良かった」と思った。そうでなければ急激に顔色が変わって友介にはさらに怪しまれたことだろう。動揺する心を「ここは異界だから、異なる事実があるのは当然だ」と宥め、司はもう一つ質問をする。
「じゃあ、今日は何年の何月何日だ?」
「……司もスマホくらいあるんじゃないの?」
「電池が切れたんだ」
友介は何も言わず、腰のランニングポーチから取り出したスマートフォンを司に見せた。ひび一つない液晶に表示されている西暦と月日は“あの夜”の翌日だ。
(どういうことだ?)
ユクミは司が目覚めるまで五日かかったと言った。ならば今日はあの惨劇の夜から六日目でなくてはおかしい。
(……これも異界だからだろうか)
塚周辺の変容や荒れ果てた祖母の家、生きている友介と四年前に死んだ祖母の話。この短時間で司は“本来の出来事”とは違うものを幾つも見つけている。ここは紛れもなく別世界なのだから、時間がずれているのだって当然のことなのかもしれない。
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