7.齟齬
「……ところで俺はまだ、隠邪を倒す術が使えるんだろうか?」
司が尋ねると、ユクミは頷く。
「大丈夫だと思う」
「そうか」
司は試しに右手で刀印を作り、いつものように体内の呪力を集めてみる。いつもと同じ感覚で、いつもと同じだけの力が集まった。
術が使えるのなら司はまだ祓邪師だ。あの隠邪とも戦える。ただ。
「ユクミ。ここを出た俺には、どのくらいの時間が残されてるんだ?」
司の言葉を聞いたユクミの表情が怪訝なものへと変わる。
「どのくらいの時間? とは、どういう意味だ?」
「言葉通りの意味だ。……俺は、俺がここへ来た理由を言ったか?」
「聞いた。強大な隠邪を殲滅したいと。あとは……聡一という人間も」
「その通りだ」
祓邪師たちを食った猿、加えて猿と行動を共にしている聡一。
奴らが何をしようとしているのかは分からないが、分かっていることが一つある。
隠邪は人間の敵だ。もちろん、その敵と行動を共にしている聡一も今は敵。
だから司は連中の思惑を止めなくてはいけない。
あの場の状況を知っているのは今や司ただ一人だ。友介のスマートフォンで送ったのは「強力な隠邪出現」という緊急連絡のみで聡一のことは何も触れていないのだから、他の祓邪師ともなるべく早く情報を共有する必要がある。そして出来ることなら聡一たちの目的を探り、阻止したい。
残念ながらそれは一日や二日で達成できるものではないだろうと司は覚悟していた。
「俺がやりたいことは時間がかかるかもしれない。だから、こうやって人間と同じように動き回れる時間はどのくらいあるのかを知りたいんだ」
「どのくらいって……お前が望む限りはずっとだ。司は何の心配をしているんだ?」
「なんていうかな。俺はユクミの術で動いてるわけだろ?」
司は立ち上がる。床の上で腕を回し、体をひねり、屈伸をする。――順調だ。すべては元の通り。隠邪の生気で動いていたときのようなズレはない。
「マンガとかで見たんだよ。蘇った死体が動けるのは夜だけに限定されるとか、十日後には魂が抜けてしまうとか、そういうの」
「ああ」
ようやくユクミはほんの少し表情を崩す。
「ならば安心していい。私が生きている間は力を分け与えてやる。行動の制約はないし、期間の条件もない」
「うん。……うん?」
今度は司が言葉にひっかかりを覚える番だった。
「力を“分け与えてやる”?」
「そうだ。お前は私の力で動いているんだから、当然だろう?」
「だよなあ……」
司はほんの少し落胆する。ただし、ほんの少しだ。このくらいなら想像の範疇内でもある。
「力を分けてもらうときは、どんな感じになるんだ?」
「司の体のどこかに私が触れるだけだ。手でもいいし、足でもいい」
「頻度は? 一度ユクミの力をもらったら俺はどのくらい動ける?」
「……一昼夜は持つはずだが……」
ユクミは一度、きゅっと唇を噛む。
「司は私に触られるのが嫌なのか?」
司を見上げるユクミの顔に表情はなかったが、声からは悲しみや寂しさという感情が窺えた。司は慌てて膝をつく。
「違う違う。ユクミに触られるのが嫌なんじゃなくて、ここへは何時間おきに戻ってくる必要があるのかって考えてたんだ」
「戻ってくるって、誰が?」
「俺が」
「どうして戻ってくるんだ?」
「……ユクミ」
真面目な調子で言って司は軽く布団を畳み、改めてユクミの前に膝をつく。彼女はどこか不安そうに瞬いた。
「俺を動けるようにしてくれてありがとう。俺はこのあと隠邪と聡一を探しにいくつもりだ。だから、俺は――」
ここから出て一人で行動する、と言いかけて司は気づいた。
ユクミはこれまでの間に「今後は行動を共にする」とは一言も言っていない。
(もしかするとユクミは、どっかから遠隔で俺を助けてくれるって可能性があるよな? で、必要なときだけ落ち合うと……)
そう思うと、「俺はこの先一人で行くから、ユクミとはお別れだ」とは言えなくなった。もしも「当り前じゃないか。何を言っているんだ」と返されてしまうとあまりに格好悪い。
「だから、俺は……あー……その……そうだ。ユクミはこの後、どこに行くんだ?」
「……どこに?」
司としてはさりげなく質問をしたつもりだったが、ユクミは再び怪訝そうな調子に戻った。
「そう。ほら、扉が開いてユクミは自由になったろ? 俺は力さえ分けてもらえたらそれで十分だから、ユクミに行きたいところがあるなら――」
ユクミからの返事はなかった。代わりに見える範囲の小さな顔がどんどん朱に染まる。これがどんな感情によるものか分からずに司は困惑するが、実は怒りによるものだと分かったのは彼女が司を睨みつけてからだ。
黄金の瞳が力を持って輝く。
ようやく司は、目の前にいるのが『見た目通りの幼い娘』ではないのだと理解した。確かに彼女は何百という年数を重ねて生きてきた妖だ。恐ろしいほどの力を持つ視線に射すくめられた司が今のユクミに抱く思いは、大いなる自然の力を目の当たりにしたとき抱く畏怖に似ている。司は言葉だけで分かったつもりになっていた「何百年の齢を重ねたユクミという妖」の存在を、このときようやく芯まで理解することになった。
「司。お前は私をどうみているのだ?」
低い山鳴りのような声を聞き、司は言葉もなく、ただ身を震わせる。
「私はそんなに
「私は言ったはずだぞ、司! お前が『約束の者』だとな!」
ユクミが一歩足を踏み出した。雪崩が近づく時の気持ちはこのようなものかと司は思う。
「私は『約束の者』を助けるためにずっとここで待っていた! 私はお前を助ける! そして私のせいで死なせたお前が願いを叶えるその日まで、支障なく動けるようにしなくてはならない!」
座る司より高いところにいるユクミは、言葉を区切りながら高らかに叫んだ。
「だから、よく聞け、司! この後の私は、お前の傍にいる! お前の行くところへ、一緒に行――!」
そこまで言ってユクミは目を見開き口ごもった。気勢を失い、うつむき、着物の裾をぎゅっと握って唇をわななかせる。
その姿からは今しがたの威厳が消え去っており、どこから見ても姿どおりの幼女でしかなくなっていた。
「……そ、それとも……司は、私と一緒に居たくないのか……? ……私のことが……き、き……嫌い、で……仲間に、入れたくない……のか……?」
「違う!」
司は必死に首を横に振った。ユクミの突然の変化に関しての理由は不明だが、彼女に対して負の気持ちがないことは間違いないのだから、きちんと伝えなくてはいけない。
「いきなり現れた俺に力を与えてくれただけじゃなく、こうして介抱までしてくれたんだ。俺はユクミに心から感謝してる。もちろん嫌いなんかじゃない」
「だったら、どうして」
「それは……」
『
しばらく迷って、司はある程度正直に答える。
「……ユクミは妖だからだよ」
妖というのは年を経た山野の獣や、あるいは自然の力が変化した存在だと伝わる。攻撃的であったという伝承もあるがそれらはすべて縄張りを守るための戦いであって、本来は好戦的ではないそうだ。
だから妖はもう人の世にいない。
縄張りから人間や、ときには隠邪も排除しなくてはならない日々にうんざりした妖たちは自分たちだけの世界を作って平和に暮らしており、もしも人の世で妖が生まれたときはそれを察知して迎えにまで来るのだと聞いたことがある。
「俺はこのあと隠邪と戦うんだ。だけどユクミは隠邪と戦うなんて嫌だろ?」
悪くはない理由だろうと司は思った。
しかし、床に尾を落としたユクミはぽつりと言う。
「……私はここへ来る前にずっと、隠邪と戦ってた。だから戦うのは嫌じゃない」
「嫌じゃないのか? 妖なのに?」
初めて聞く話に司は目を丸くした。
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