最後の仕事 三 〜医師、事件に巻き込まれる〜

 翌日、桜は手続きのために出かけ、流澄は留守番をしていた。


 ルーチェに来てから、一月ほどが経つ。


 新たな誘拐は、警察も流澄も阻止できなかった。


 賞金百万円だけで一月も滞在できるはずがないことは、さすがに周りにも勘づかれているだろう。


 霞には桜の賞金で来た、とすでに伝えているため、これからどうごまかそうか、と流澄はぼんやり考えていた。


「私の気まぐれで私の貯金を削って滞在期間を延ばしている、というのが一番説得力があるかな……」


 ふいに扉が叩かれ、流澄はおもむろに立ち上がった。


「誰だい?」


「ミシェル・ボーベル医師ですけど」


 扉を開けると、ミシェルは「おじゃまするわね」と言って流澄の横を通った。


 ふたりは向かい合ってソファに腰かけた。


「久しぶりだね」


「そうね。あんたが逃げなかったのには驚いたわ。でもまさか、大人しく捕まるつもりではないでしょう?」


「もちろん。大人しくは捕まらないよ」


「どんな取引を持ちかけたの?」


「国境事件の解決」


「はぁ?あんたの推理力を疑ってるわけじゃないけど、それっていつまでかかるのよ」


 ミシェルはありえない、という顔で流澄を見つめる。


「そうだねぇ、ここだけの話、誘拐組織の拠点はベルメールにあるらしいことが分かったんだ。だから私と桜くんで潜入しようと思っているんだけど」


「――潜入?ベルメールに?」


 ミシェルの紺色の瞳がさらに見開かれた。流澄は満面の笑みだ。


「楽しそうだろう、羨ましい?」


「あたしはこの生活を気に入ってるのよ。そんな危険なこと、ハルトちゃんはよく承諾したわね」


「初めに話を持ちかけた時から、まんざらでもなさそうだったけどね。しぶしぶといった風を装っていて面白かったよ」


「すぐに快諾する人なんていないわよ」


 ミシェルはため息をついて立ち上がり、台所に向かった。


「あんたは客に少しの気遣いも見せられないものね、ハルトちゃんがどれだけできた子かが分かるわ」


 そう言いながら、引き出しから茶葉を出す。


「桜が存分に力を発揮するために、私はいつも一歩下がったところにいてあげてるの」


「はいはい、言い訳はいいわ」


 ミシェルは紅茶をいれ終わると、カップを持ってまたソファに座った。


「私もコーヒー飲みたいな、いれて来ようっと」


 ミシェルと入れ替わる形で、今度は流澄が台所に立った。


 二度目のノックには、ミシェルが対応した。


「ごきげんよう、ボーベル医師」


 現れたのは、銀髪の大きな体躯たいくの男だった。


「ごきげんよう、ブリュームさん」


 ミシェルは紺色の目を細めた。


 霞はブリュームと呼ばれたことは意に介さずに、ミシェルに導かれるまま居間に上がった。


「ブリュームさん?」


「ええ、ブリュームさん」


 流澄は首を傾げ、ミシェルはなんともない風に反復した。


「霞はルーチェ語でブリュームだけど……。なんで霞くんだけ音じゃない名づけ方なんだい?」


「ちょうどいい音の名前がないのよ」


「大人しくそのまま呼べばいいのに」


 ミシェルは霞にそのままの紅茶を出したので、流澄が彼に砂糖を渡した。


「ブリュームさんは、甘党なの?」


「私にとっては普通のことなのだが、周りに言わせれば、どうやらその類のものらしい」


「あら、面白いこと言うのね」


 珍しく多弁な霞に、ノリのいいミシェル。


 流澄は少し不機嫌そうに、コーヒーを持って霞の隣にかけた。


「で、君は何の用事で来たの?」


「あたし、席を外そうかしら?」


 事件のことだろうと踏んだミシェルが、立ち上がろうとする。


「いや、私が来る時機を間違えただけだ、気にしないでくれ」


 霞が慌てて止めに入った。


 流澄は

「なんならミシェルも同席でいいんじゃないかい?」


「一介の医者にすぎないあたしが同席なんて、恐れ多いわ」


 ミシェルは大きく首を振る。


「医師としての君の見解を聞きたいんだ」


「静星探偵が倒れた時の容態を、詳しく教えてくれないか」


 意見を求められ、ミシェルはソファに座り直した。


「あれは前にも言った通り、魔力の流入と流出が同時に起こったことで、体が耐えきれなくて気絶したのよ。ルースは魔力なしだから。いわゆる電気ショックみたいなものね。最悪の場合は死んでたかもしれないけれど、病院に運ばれて来た時点で、命に別状はなかったわ。これだけよ。他に言うことはないわ」


「いや、聞きたいのは客観的事実じゃない、君の見解だよ。治療しなかったら、どれだけの期間しびれが続いたと思う?後遺症が残ったりはすると思うかい?」


「治療しなかったら、ねぇ……」


 ミシェルは腕を組んで考え込む。


「一ヶ月ほどは症状が残るかしら。ひどい後遺症は残らないと思うけれど、何度も同じ目にあったら、徐々に死ぬ確率が上がるわ」


「回数を重ねると危険なんだね」


「そうよ。あんたも気をつけなさいよ、魔法は何回受けても耐性なんてつかないんだから。それどころか、逆に魔力が少しずつ蓄積されて危険なのよ」


「分かってるよ」


 霞の前でのやむを得ない茶番に、ふたりは苦笑いを交わした。


「ひとつ質問があるのだが」


 霞が灰色の瞳でミシェルを見やった。


「静星探偵は成人だが、子供の場合はさらに魔法に弱かったりはするのか」


「するわ。誘拐が同じ魔法陣で行われ続けているのなら、体調を崩した子もいるんじゃないかしら」


「気づいていたんだね、魔法陣のこと」


「もちろんよ!だってあんた、誘拐事件の調査に来たって、周りに言いふらしてるんじゃないの!それとあんたの症状からしたら、もう隠す気がないんじゃないかって思えてくるわよ」


「ううむ」


 隠す気がないというのは図星である。


「子供たちは人質だろうから、さすがにこれ以上傷つけるようなことはしていないだろうが……。相手方にも魔法医がいると見て間違いないな」


「警察にはもっと有能な魔法医がいるんじゃないの」


「それがだな……」


 霞は目こそ泳がせないものの、少し言いづらそうに続けた。


「どうやら警察の魔法医らが、敵方に買収されているようなんだ」


「はぁ?」


「まあ」


 流澄とミシェルはあまりの衝撃に、霞を見つめる。


 霞は説明を始めた。

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