陰謀 十一 〜煌陽帝国立帝国病院〜

 汽車に揺られること五時間以上。


 首都の街並みは、数週間前と少しも姿を変えずに、桜の前に現れた。


「空気が濁っている……」


 行李鞄を抱えて、彼はそう呟く。


 あいにくの雨で、重苦しい雲が人々の気道にのしかかっていた。

 吐く息と共に、落ちてきそうな黒い空だ。


 桜は大きな白い建物を目指した。


 覆いかぶさる黒い雲に抗うように、天に向かって伸びた白い姿。

 それは、煌陽帝国立帝国病院だ。


 病院の門の前で、彼はふたりの警備員に呼び止められた。


「失礼。名前と用件を」


「僕は、寿々木桜です。用件は、大叔父の見舞いです」


「分かった。通そう」


 警備員が彼を通そうとした時、もうひとりが腹を押さえて唸った。


「どうしたんだ、お前」


「大丈夫ですか?」


 警備員は腹をさすりながら、

「お腹壊したみたいで……」


「豆乳チェリーパイでも食べたんですか」


 桜がそう答えると、「引き留めてしまい、申し訳ない」と、ふたりは彼を通した。


『豆乳チェリーパイ』というのは、桜が本物か試す、れっきとした合言葉だ。


 建物の前に来ると、警備員が扉を開けた。

 彼は襟を整えると、白い建物に足を踏み入れた。


「久しいな、寿々木くん」


「お久しぶりです、安藤あんどう先輩」


 桜が笑顔で駆け寄ったのは、金茶の髪の男だった。


「これ、お土産です」


「お、美味そうだな」


 桜が茶色い紙袋を差し出し、安藤が受け取る。

 中身はルーチェの大聖堂で買ったクッキーだった。


「最後に会ったのは、いつだったか」


「二ヶ月前ですかね?」


「そこまで前じゃないな。俺の感覚では、半年は前だったと思ったが」


「先生の時間感覚がおかしいんですよ」


「うむ。ところで」


 安藤と桜は、連れ立って歩き出した。


「今回の件、探偵には言ってないだろうな」


「言ってませんよ。知ったら絶対大騒ぎしてついて行く!って言うと思います」


「怪盗東雲には興味ないんじゃないのか」


「怪盗東雲には興味なくても、市長の暗殺未遂事件には興味しんしんですよ。なんせ流澄さんの名前を首都で有名にしたのは、あの毒殺事件ですからね」


「殺人に興味があるってことか」


「そういうことです」


 桜は呆れたように言った。


「それで、探偵は何と」


「新聞を見てから、しばらく黙って考え込んでましたけど、僕が、怪盗東雲は人を殺さない縛りを自らに課している、と言ったら、これだけでは何とも言えない、と」


「だが新聞には、怪盗東雲が刺したように書かれているぞ」


「最近、反煌陽勢力の動きが活発になっていますが、怪盗東雲は煌陽ルーチェ関係なく盗みを働きます。彼が反煌陽派だったら、煌陽だけで活動するはずだ、と言っていました」


「うむ」


「怪盗東雲が反煌陽勢力と関係ないとすると、殺害する理由がありません。ただ、単に混乱を起こして面白がっている可能性もあるので、白か黒か判断できない、と」


「なるほど。名探偵でも分からないとなると、やはりお前の目撃情報は、かなり有力な手がかりだな」


「そうですね」


 話しているうちに、ふたりはエレベーターの前に来ていた。


 エレベーターに乗り込むと、ふたりは本格的に話を始めた。


「今回、東雲が現れる確率は」


「くたばってなければ、六十パーセントだな」


「場所は知られているでしょうが、部屋までは突き止められられないでしょう。結界も張っていますし」


「あの怪盗東雲のことだからな、何が起きてもおかしくはない」


「良くも悪くも、能力は高く評価されてますね」


 何度か乗り換えを繰り返して、ふたりはとうとう半一階に着いた。

 ここは、一階と二階の間に位置する、いわば隠し部屋だ。


 暗殺未遂で倒れた要人は、ここかもしくは半五階に入院する。


 桜と安藤は、服を替えると市長の病室に入った。


 高級ホテルの一室のような広さの部屋に、桜はとても驚いた。


 大きなシャンデリアに、レンガ造りの暖炉。家具も豪華な物が置かれている。

 緑を基調としているが、とても病室とは思えなかった。


 広い部屋の奥で、ルーチェ市長ベルンは、青い顔をして寝台に横たわっていた。

 そばには、夫人と娘がついている。


「初めまして。特別捜査官の益荒ますらと」


手弱たおやです」


 安藤と桜は、夫人に挨拶する。


 夫人は泣きはらした顔を上げて、

「わたくしはクシタール・ベルンの妻、レエーラ・ベルンです。こちらは娘のラーミです」


「こんにちは、おじさまたち」


 無邪気に笑うのは、まだ幼い市長の愛娘だ。

 桜は心の中で、黒いローブの魔術師をののしった。


「医者の方はどちらに」


「ボーベルさまなら、隣室でお休みになられていますよ」


 ふたりは、これまた高級ホテルの一室のような、広い隣室をノックした。

 そこは、ミシェル・ボーベルの部屋だ。


「どちらさま〜?あら」


 ミシェルの長身が出てきて、桜の顔を見て微笑む。


「久しぶりじゃないの」


「お久しぶりです」


 桜は笑顔で答える。


「そちらは初めましてね」


「そうだな。俺は安藤。このフロア内では益荒と呼んでくれ」


「分かったわ、アンちゃん。このフロア内ではそうね……」


 嫌な予感がして、安藤は桜の顔を見た。


「マーセラにしましょう!」


 安藤は顔をしかめた。ミシェルは気づかないふりをして続けた。


「それで、ハルトちゃんは何て呼べばいいの?」


「手弱です」


「それじゃあ、ターニャね」


 上機嫌なミシェルに、安藤は不服そうな目を向けている。


「俺、こいつ無理かも」


「任務ですから、我慢してください。慣れですよ」


 目線で会話する桜と安藤。

 ミシェルの支度が終わると、三人は食堂に行った。

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