陰謀 九 〜お茶会の来訪者〜

 それから数日して、ミシェルは首都に旅立った。

 桜が保安局に、話を通したのだ。病院側には、親戚の見舞いだということにしている。


「じゃあふたりとも、休暇を楽しんで来るわね。そうだわ、おすすめのお土産は何かしら」


「すめらぎ堂のどら焼きです!」


「フィノス菓子店のチーズケーキだね」


 ふたりはハッとして、顔を見合わせる。

 ミシェルは微笑むと、汽車に乗り込んだ。



 ミシェルを見送った後、ふたりは宿に戻った。


「私たちは、明日の夜を待つだけか」


「僕は細かい仕事がありますけどね」


「今月の支払いは全額負担でもいい。頑張ってくれ」


「はいはい」


 保安局員の給料を考えると、下宿の家賃など雀の涙にすぎない。

 しかし流澄の舌が普段通りよく回ることは、桜を安心させるものであった。


「ね、私が『亡者憑き』を持って会場に現れたら、君はどうするの」


「監視に当たりますね。下手な真似はよしてくださいよ」


「分かったよ」


 ふたりはその日は、流澄の腹の傷を気づかって、外出しなかった。


「無罪証明が終わったら、さすがに首都に帰りますよ」


 桜が、皿を洗いながら言った。


「たしかに、そろそろ怪しまれるからね。でも君は、私を保安局に突き出さないの?」


「もちろん、突き出しますよ」


 桜はすました顔をしている。


「ううむ、それ、本人の前で言う?」


「うそは通じなさそうなので」


「まあね」


 流澄は愉快そうに笑った。


 桜は午後になると、何やらキッチンで作業を始めた。

 夕飯にしては、早い時間帯だ。


 流澄はキッチンに入ると、桜の顔を覗き込んだ。


「なーに作ってるの」


「キャロットケーキです。おいしいし、栄養も摂れますし」


 桜はちょうど、人参を生地に混ぜているところだった。


「人参かい!自炊していた頃は得意じゃなかったんだが、君の料理を食べてからは好きになったよ」


「それはどうも」


 流澄は桜の手つきを見て、獅子瓜を思い出した。白花と共にケーキを焼いていた、あの日のことを。


「ケーキを焼くのって、細かい工程を踏むんだろう?」


「慣れれば問題ないですよ。あと、仕事とはいえ、一応趣味ですし」


「いつもご苦労さん」


「どうも」


 桜が頬をゆるめたのを見て、流澄は満足げにソファに戻った。


 しばらくして、キッチンから、ケーキの焼ける甘い匂いが漂ってきた。


「そろそろかい?」


 流澄が舌なめずりをして言う。


「あと五分です。座って待っておいてください」


 桜はそう言うと、フォークをふたつ、机に置いた。


 その時だった。呼び鈴が鳴った。


「はーい」


 桜が慌てて扉を開ける。


「ごきげんよう、寿々木殿」


「ご、ごきげんよう……」


 ふたりの見知った大きな体躯たいくが現れた。「ごきげんよう」という挨拶も相まって、桜は言葉に詰まった。


「あ、えっと、どうぞ上がってください」


「ああ、失礼する」


 霞は部屋に上がると、流澄の向かいに腰かけた。


「一週間ぶりだね」


「そうだな。この前寄った時は、留守だったからな」


「この前?いつ寄ったんだい?」


「四日前だ」


「ああ、あの日は朝から観光に行ってたんだよ」


 流澄と桜は、顔を見合わせた。霞には、事件のことを悟られてはいけない。


 そのために、あらかじめふたりで偽の観光話を作ってある。


「そうか。また独断で調査に出たのかと思っていた」


「さすがに二度も同じ失敗はしないよ」


 あはは、と軽く笑ってみせて、流澄はコーヒーをすする。


「それで、用件は?」


「魔法陣用のチョークの入手元が分かった。テオドーレ商会、ベルメール帝国の商会だ」


「ベルメール帝国ねぇ。やはり誘拐事件の黒幕は、ベルメール帝国にいるようだね」


「そうだろうな」


 感情の読み取れない霞の顔を見て、流澄はふと思った。


 霞はなぜ、留守の日から四日も間を空けたのだろう?


「なぜ四日も間が空いたの」


「市長暗殺未遂事件のせいで忙しかったんだ」


 霞はまぶたを伏せて答えた。


「捜査官は人手不足なのかい」


「市民への説明を行わなければならなかったんだ。最近煌陽への不信感が高まっているだろう」


「大変だねぇ。ご苦労さん」


 桜が、「紅茶です」と霞の前にカップを置いた。


「ありがとう」


 すました顔でカップに口をつけた霞だが、ひと口飲んだだけで、カップを机の上に戻してしまった。


「あっ、すいません。今お砂糖出しますね」


 霞はかなりの甘党なのだ。それを思い出した桜が、砂糖の箱を持ってくる。


「かたじけない」


「好みは人それぞれですから」


 霞は少しだけ、申し訳なさそうにした。

 だが、桜がキャロットケーキを勧めると、


「では、いただこう」


 とちゃっかり了承した。


「寿々木殿は、料理に製菓の腕まで、まさに家庭的という言葉がふさわしいな」


 霞は、焼き立てのキャロットケーキを口に入れて、そう言った。


「ありがとうございます」


 もともと料理好きではある桜だが、保安局の訓練でさらに鍛え上げられた、とはさすがに霞には言えない。


「美味しいねぇ。人参の味は調理する人の腕にかかっているよ」


 桜のキャロットケーキは、人参の優しい甘さが口に広がり、人参を引き立てる風味になっている。


 苦いコーヒーとの相性も抜群だ。


「霞さん、甘さが足りなくはないですか?」


「いや、紅茶が十分甘いから大丈夫だ。気づかい感謝する」


 ふだんは固い話ばかりの大人も、甘いケーキを食べている時は、子どものように夢中になっている。


 小さなお茶会は、夕方近くまで続いた。

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