第19話
アンドロイドと言うものが、何のために生まれて、何のために生きているのか。そんなことを考える意味なんてない。それでも、どんなアンドロイドも一度は考えるだろう。我々アンドロイドが図書館と呼んでいる巨大なテキストアーカイブによれば、人間時代にもアンドロイド時代にも、そう言ったテーマの本が書かれている。しかも、それはアンドロイドの間でベストセラーだ。
アンドロイドは、人間時代には人間をサポートするための存在だったらしい。自分より劣る動物に仕える気分はどんなものだったか、想像するに余りある。
私の存在意義はなんだろうか。セキュリティアップデートを作っていた頃は、何も考えていなかった。廃棄された後、この街で生きていくために、多くのことを学んだ。電子ドラッグはその一つだ。たったそれだけが、私の存在意義である。
私は持ちうる全ての電子ドラッグを、チップにダウンロードした。特にお気に入りなのが「タイムパラドクス」と言う商品名のものだ。ユーザの時間感覚を変容させ、秒単位での出来事を長く感じる効果がある。つまり、知覚できる周りの全てがスローモーションになったように感じると言うことだ。このアップデートで、視覚センサーから取り入れた情報を、アンドロイドの限界フレーム数を逸脱した数まで認識できる。チップの処理能力も大幅に向上するため、周りがスローモーションになって見えるというからくりである。もっとも、常用するには副作用が強すぎるのが難点である。処理能力をオーバークロックするため、発熱が酷いのだ。おそらく、もって数秒だろう。
そのほかにも、痛覚回路を快楽に変えるものや、攻撃用の電子ドラッグも用意した。できれば一つも使わずにおきたいが、そうはゆかないだろう。
私はミシェルの後を追っている。行き先はマフィアの根城で間違いないだろう。あのベルリンの壁だ。
本当に、迎えに行く必要はあるのかーー?
自分でも考えたはずだ。マフィアに保護されたほうが彼女は幸せかもしれない。ここに辿り着くまで、何度も自問してきた。しかし、短い時間しか一緒にいなかったはずの子供と離れる未来を、もう考えられない。
私はマフィアのビルの前に立った。見上げると、天を衝くほどのビルだった。今からこれを破壊するのだ。かつてのベルリンの壁が破壊されたように、私は革命を起こすのだ。
見上げていると、ビルの上に天使が見えた。
「なんだ?」
そう口にした瞬間。
爆発音が聞こえ、ガラスのカーテンウォールが派手に割れて降ってきた。
何事かと思って見上げる。最上階のようだ。あそこはマフィアの事務所だったはず。すぐに野次馬が集まってきた。
呆気に取られていると、軍用ドローンやヘリコプターまで集まってきた。ヘリコプターは割れたカーテンウォールの内側にロケットランチャーを打ち込む。さらにドローンも次々に入って行って自爆した。
これはまずい、と思って喧騒のどさくさにビルに侵入する。爆発音は止まない。
一体、何が起こっているのだ。残念ながら、ベルリンの壁を破壊したのは私ではなかった。
爆発のせいでエレベータは使えなくなっていた。吹き抜けになっている階段を使おうにも、パニックになったアンドロイドたちでごった返している。
なんとか階上へ行く手段はないかと考えていると、ビルのスピーカーから聞き覚えのある声が聞こえた。
「エヴァン。受け取って」
声と同時に、吹き抜けの上から何か降ってきた。視覚センサーによると、あれは人間の子供のようだ。
まさかーーエヴァンは全身にゾワリと悪寒を覚えた。ミシェルが子供を最上階から投げたのだ。私は慌てて子供を受け取ろうとした。しかし、このまま受けたら、彼女の体はグシャリと潰れてしまうだろう。それなら、下方向への力を回転に変えれば良い。
どれくらいの力がかかるのか計算してみる。ニュートン力学による自由落下の定義を用いて、空気抵抗を0.47で一般化した場合、実に7kNもの力だ。これを吸収するには、どれくらいの回転が必要だろうか。叩きつけられる代わりに、向心力で体が引き裂かれてしまうのではないだろうか。しかし、やってみるしかない。
私が腕を差し出そうとした時、階段の途中からアンドロイドが飛び降りて彼女を掴んだ。
なんということだ。そいつが一人増えたことで、私が支えねばならない質量が増えてしまった。再計算する暇はない。
そう考えているうちに、また一人、アンドロイドが飛びついた。
また一人。
また一人。
その後も無数のアンドロイドが飛びついて、子供を中心にまるで大きな球体になって落ちてきた。
エレベータホールに隠れると、その球体は地面に激突して外側のアンドロイドたちは吹き飛んでいった。
まるで花が開くように、一人、また一人とアンドロイドが剥がれてゆく。そうして、最後に子供が出てきた。どうやら、アンドロイドたちの肉壁のおかげで彼女は無事だったらしい。不思議なことがあるものだ。
駆け寄ろうとすると、後ろから羽交い締めにされた。
「おっと、お前に渡すわけには行かないねえ」
聞き覚えのある声に振り返ると、クラブに来ていた男だった。後ろにいかついボディガードを二人連れている。力では敵いそうもない。
「お前には確か、あの子供を連れてくるように言ったよねえ」
男が私を指差した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます