『司祭殺し』のシスターとラーメン屋による目指せ! 王国転覆!? な物語
八葉
第1話 私が殺した司祭様
月の明るい夜の事だった。
その日は冬場にしては比較的暖かく過ごしやすい一日で、それは夜になっても変わらなかった。
月明かりの下で一人の女性が呆然と立ち尽くしている。
ゆったりとした裾の長いシスター服にベール状の頭巾を被り首から女神の聖印を下げている彼女は呼吸を乱して額に冷たい汗を浮かべていた。
年齢はまだ若い女性だ。
長身であり身の丈は180程もある。
そして彼女の目の前では1人の男がうつ伏せに倒れていた。
サーコートに金属鎧で武装した中年男だ。
近くには投げ出された女神の聖印が意匠された盾と
禿頭で薄く口髭を生やしたその男の瞳は灰色に濁っており呼吸は既に止まっていた。
「し、し、司祭様……?」
震える声で必死に言葉を絞り出す長身のシスター。
だが、無論骸は答えることはない。
「死ん…………」
それきり言葉を失うシスター。
その彼女に足音が近付いてくる。
「死んでいるぞ」
低く静かな声。
その主は拳法着を身に纏った小柄な赤毛の若い男だ。
彼女はその男の方をぎこちない動作で向いた。
「わ、私……私が……」
赤い髪の男がうなずく。
「そうだ」
そして淡々とした声で告げられた事実。
「お前が殺した」
その言葉は彼女の耳の中で大寺院の鐘の音のようにいつまでも反響し続けていた。
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丼の中には『世界』が表現されている。
彼はそう考えている。
調理には作り手の心の内が現れる。
故に出来上がってきたものは調理師の内に秘めた世界なのだ、と。
茶褐色の透き通ったスープに黄金色の麺。
そしてそれらを彩る様々な具材。
美味しそうに湯気を立てるそれを彼は腕を組んで見つめている。
時刻はまさに夕食時。
多くの客で賑わうラーメン屋の店内。
1人で来店した彼はカウンター席に陣取っている。
無言でラーメン丼に鋭い視線を注いでいる彼。
体格がいいとはお世辞にも言えない。
身長は160はないだろう。
赤い髪を襟足で短い三つ編みに纏めた整った彼の顔立ちはともすれば女性的とも言える。
だが目付きは異様に鋭い。
そして射抜かれたものを思わず萎縮させる圧がある。
紺色のバンダナを頭巾のように被って同じく紺色の拳法着に身を包んでいるその男の年齢は……見た感じ成人はしていないように思えるが……。
しかしその
鋭い視線はまるで潜んだ先から得物を見つけた狩人のそれである。
「……食わねえのかい? 兄ちゃん」
カウンターの向こう側から声を掛ける店員。
「まず目で楽しんでいる」
簡潔に答えた客席の男。
低く静かな声だ。
見た目よりは歳がいっているのかもしれないと店員は思った。
そしておもむろに彼は箸を手に取る。
「いただきます」
おごそかにすら聞こえる声でそう言うと小柄な赤髪の彼は丼の中の『世界』に挑みかかった。
荒々しくも不思議と品のある所作でその一杯を見る見るうちに胃の腑へ落とし込む男。
一心不乱。
見ていてそう言いたくなる食べっぷり。
やがてスープまで残らず飲み干して彼は丼を静かにカウンターに戻す。
「……ご馳走様」
カウンターに代金を置く赤い髪の男。
几帳面に額面ぴったりの硬貨で。
隣の椅子に畳んで置いていた上着に袖を通す。
背に龍がデザインされたジャンパーだ。
「まいどあり。どうだった? 兄ちゃん。うちの一杯はよ」
立ち去ろうとした彼にカウンターの店員が声を掛けた。
「美味い」
そう言ってから男は肩越しに振り返る。
相変わらずその目は鋭い眼光を放っている。
「だが……まだ上がある」
「へ?」
ポカンとした顔の店員を残して赤い髪の男は立ち去っていくのだった。
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まず、祈りより全ては始まる。
広い聖堂に多くの僧やシスターの祈りの声が唱和する。
正面の壁の太陽と女神が意匠されたステンドグラスを通した朝日が祈りを捧げる彼らを照らす。
「天の頂に御座します我らが女神よ……」
厳粛なる早朝の礼拝の時間。
彼らは聖職者でもあり騎士でもある『
女神エリスを信報する宗教国家であるここバルディオン王国においては神の権威のみならず国家を防衛する最強の戦力でもあった。
頭を垂れて手を合わせ無心に祈りを捧げる彼らの中に一際目を引く長身の女性がいる。
クリスティン・イクサ・マギウス。
それが彼女の名前。
年齢は二十歳。
入団して2年目。
地方貴族マギウス家の娘であり地元の神学校を優秀な成績で卒業し大聖堂に推挙されてやってきた娘。
銀の長髪はややクセっ毛で瞳が大きく愛嬌のある整った顔立ちをしており、気立ては優しく裏表がないので男女問わず彼女に好意を持つ者は多い。
身長は180強。スタイルも良くメリハリのある体型をしているのだが、それは普段のゆったりとしたシスター服や聖堂騎士団の武装ではあまり目立つことはない。
……そして彼女の最大の長所、否、既に異能とすら呼べる特殊能力が……。
「クリスティン」
礼拝を終え大聖堂の外を掃き掃除していた彼女に声を掛けて近寄ってきた男性。
禿頭に口髭のその中年男は司祭パウル・ゴドリック。
クリスティンの所属する第6大隊約400人を統率する大隊長であり、これは聖堂騎士団内では団長、副団長に次ぎ3番目に高い地位となる。
「はい。司祭様」
箒を壁に立てかけ優雅に一礼するクリス。
「小麦粉が届いたのだ。倉庫に運び込むのを手伝ってくれ」
「わかりました。ただ今参ります」
そう言ってクリスはパウル司祭をひょいと持ち上げて小脇に抱えた。
「クリスティン、私は運ばなくていい」
腰のあたりを右腕で抱えられ手足をだらんとぶら下げた司祭。
そのまま彼女は走り出す。
成人男子1人を片手で持ち上げたまま軽快に。
「私は運ばなくていい」
そう言うパウル司祭と共に疾風のようにその場から走り去るクリス。
「相変わらず凄いな……クリスのバカ力は」
「女に向かってバカ力は酷いだろ」
その場に残された同じく掃除をしていた男性団員2人が彼女の去っていった方を見ながら言葉を交し合っている。
「そう言われても……どの言い回しにしても大してイメージは変わらん」
窘められた方の男性団員がそう言って頭を掻いた。
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夜になり寮の自室で就寝の準備をしていたクリスティンは愛用の筆記具を紛失していることに気付いた。
「……あれ? 私のペン……」
身の回りを探してみるが筆記具は出てこない。
そのペンはクリスティンが故郷を出る時に共に神学校で学んだ同期生たちがお祝いと記念として贈ってくれた高級品である。
彼女に取ってみれば替えの利かない大事なものだった。
「むむむむ……」
腕を組んで難しい顔をしながら唸るクリス。
今日1日の自分の行動を振り返ってみる。
「あ! 聖堂で……」
思い当たることがあった。
聖堂で他の団員から今週の予定を告げられ手帳にメモを取った。
今日ペンを取り出したのはあの時しかない。
明日の朝回収すればいいかとも思ったクリスティンだが一度気になりだすと落ち着かない。
「はぁ……しょうがないか」
観念してシスター服にもう一度袖を通す。
さすがにこの時間とはいえ部屋着で聖堂へ向かうわけにはいかない。
本当ならこの時間に聖堂に立ち入るには許可が必要である。
だが今夜ばかりは大目に見てもらおうとクリスは思った。
寮は聖堂とは同じ敷地内だ。
裏口は施錠されているが、実は近くに立つ巨木の
この合鍵の存在はこういう時に一々上位の者に許可を得るのを面倒がった団員たちによって共有されており上司は知らない。
鍵を開けて足音を殺して石造りの廊下を進む。
勝手知ったる何とやら……窓から入る月明かりだけで行動にはまったく支障がない。
音もなく聖堂に入るとクリスの思った通りに机の上にわずかな光を反射している銀色のペンがあった。
安堵してそれをポケットにしまうクリス。
だが、そこで予期せぬ出来事が起きた。
廊下から足音が近付いてきたのだ。
「……!!!」
息を飲んだクリスは慌てて周囲を見回す。
どこか身を隠せる場所はないか……と。
そうして目に付いたのが装飾の施された大きな石の柱だ。
できる限り物音を立てないようにして柱の陰に身を隠す。
その直後に誰かが聖堂に入ってきた。
足音は……2人分。
明かりも灯さずにこんな夜に何者かが聖堂にやってきた。
2人は聖堂に足を踏み入れた気配と、続く静かに戸を閉める音。
「約束のものはこれだ」
男の声が聞こえる。
……聞き覚えのある声だ。
(司祭様……)
低めで落ち着いたその声はパウル司祭のものだ。
司祭が誰かと密会している。
こんな夜に人目を忍んで会っているのだ。
陰謀事には疎いクリスティンでも流石にきな臭い何かを感じずにはいられない。
「物は確かなのだろうな」
もう一人の声は口に何か布のようなものを当てているのか、くぐもっていて知っている声なのか知らない声なのかもよくわからない。
「当然だ。高い金を払っているし相手は信用ができる。……小匙に一杯程度でいい。口にすれば数時間で心の臓が止まって息絶える。この国ではこの薬は検出できん。病気に見せかけるのにこれ以上の
「いいだろう。お
何かを受け取り、それをごそごそとしまう音がする。
「お前のように揺ぎ無き忠誠心を持つ者がいて、この国の未来も明るいな」
「皮肉のつもりか。聞く耳は持たんぞ」
司祭の声が一段低くなる。
「額面通りに受け取ってもらって結構なのだが……。まあいい、用事は済んだ。失礼する」
そう言い残して足音が1つ聖堂から去っていった。
「……
そして後に残った司祭もそう独り言ちてから聖堂を出て行った。
「………………………」
聖堂に1人残されたクリスティン。
彼女は途中から自分の口を押えて乱れた呼吸音を聞き取られないようにするのに必死であった。
心の臓が止まって……薬は検出できん……病気に見せかける……。
聞こえていたいくつかの言葉が今彼女の脳内をぐるぐると回っている。
それが毒殺の謀議である事がわからない程クリスティンも脳みそがお花畑ではない。
期せずして自分がとんでもない秘密を知ってしまった事に気付いて彼女は四肢の震えを抑えることが出来ずにいた。
それからどれ程の時間が流れたのだろうか。
ようやく震えと呼吸の乱れが収まったクリスティン。
窓から見上げる月の位置は先ほどまでとほとんど変わっていない。
そう長い時間ここにいたというわけではなさそうだ。
クリスはもう1度大きく深呼吸すると入り込んだ時同様に物音を立てず静かに聖堂を後にした。
今はともかく寮に戻ろう。
色々考えるのは一度眠って落ち着いてからにしようと彼女は考える。
「クリスティン」
寮に入ろうとしたクリスが裏口の戸のノブに手を掛けたその時……背後から声が掛かった。
一瞬呼吸が止まり硬直するクリス。
声はパウル司祭のものだ。
声を掛けながら彼はゆっくりと近付いてくる。
「クリスティン。聖堂の方から来たな? こんな時間に何をしていた?」
司祭の口調は平時とまったく同じもので……。
その事が逆に彼女に恐怖を感じさせる。
「……その、違うんです。司祭様、私は……」
必死に頭を巡らせるクリスティン。
だが動揺もあってどんな言い訳も思い浮かんではくれない。
「
その問いもやはり普段とまったく同じ口調で……。
司祭のこげ茶色の瞳に言葉を失ったクリスの青ざめた顔が映っている。
「…………………………」
ほんの僅かな思考停止の間を経て、彼女は身を翻すと脱兎の如く走り出した。
この場を離れなくてはならない。
遠くへ逃げなければならない。
それだけが必死の彼女が辿り着けた思考であった。
すぐには追わずに走り去るシスター服の後姿を見送る司祭。
「仕事が増えたな」
短くそう呟く。
もしやと思って彼は鎌をかけたのだが、あの反応ではもう疑いようがない。
彼がすぐにクリスティンを追わなかったのはわざとである。
聖堂の敷地内で騒ぎはまずい。
向こうから離れてくれるのなら少し好きにさせるべきだと。
聖堂から市街までは林を抜けていく必要がある。
この夜で徒歩ではどうせ大した距離を稼ぐことはできない。
馬を使えばすぐに追いつくことはできるだろう。
この時刻では城下町への門は閉ざされ許可を得た者にしか開門はされない。
彼女が逃げ出してから約20分後に完全武装し馬に騎乗した5人の聖堂騎士が出発していった。
────────────────────
……走る。
ただひたすらに走る。
月明りだけが照らす林道を必死に走るクリスティン。
幸い騎馬の部隊が通る事も想定した広めの道は躓くような物は転がっていないものの、それでも焦りから何度か転びそうになりつんのめりながらクリスは夜道をひた走る。
行き先はどこなのか……それは自分でもわかっていない。
街に辿り着いたとして、こういう時に駆け込んで匿ってもらえるような知り合いがいるわけでもない。
仮にそういう知り合いがいたとしても聖堂騎士団が乗り込んできて身柄を引き渡せと言われれば従うしかないだろう。
そしてバルディオン城下町は城壁に覆われており夜は街への門は閉じられている。
事情があれば開門はして貰えるのだがこんな時刻に駆け込んできたシスターにそれが可能かと言われれば無理であろう。
逃げながらも自らの状況が八方塞がりである事を徐々に自覚していくクリスティン。
遂に彼女の足が止まった。
うつむいてはぁはぁと荒い息を吐く。
「……どうしよう」
呟いた彼女の目尻に浮かぶ涙の雫。
その時、ふとその彼女の鼻腔を良い匂いが掠めていった。
「……?」
顔を上げて気付く。
林を抜けた所に明かりが見える。
近付いてみると……林を抜けた所の街道の脇に屋台が出ている。
車輪の付いた木製の手押し型の屋台。
のれんには『ラーメン緑』の文字があった。
「ええ……? どうしてラーメン屋さん、こんな所に?」
狐に抓まれたような心地で言うクリスティン。
「いらっしゃい」
屋台の亭主は小柄な赤毛の男であった。
目つきの鋭い整った顔の男。
クリスティンは一瞬彼を顔立ちと背丈から少年かと思ったが……。
「一杯どうだ。温まるぞ」
その低い静かな声で思ったよりは年上なのかもしれないと考えを改める。
「こんな所でやっててもお客さん来ませんよ……」
思わず自分の置かれている状況も忘れてクリスティンはそう口にしていた。
この周辺は夜はほぼ無人のはずである。
「そうだな。だが城壁の中は営業許可が下りなかった」
あまり感情を感じさせない口調で男は淡々と言う。
そこに数頭の馬の蹄の音が近付いてくる。
「ああっ!? ごめんなさいラーメン屋さん……逃げて! 私追われてて……」
「もう遅い」
赤い髪の男はそう言って目を閉じる。
駆け付けた騎士たちが彼らを取り囲んだ。
武装した聖堂騎士たち……。
いずれもクリスティンの良く知る顔ばかり。
「マクミラン先輩。キャンベルさん……」
彼らの名を呼ぶクリス。
だが呼ばれた者たちからの返事はない。
いずれもいつも見ていた温和な表情ではなく冷たい視線をこちらに向けている。
2年一緒に過ごしてきた仲間たちだが、まるで知らない相手のように見える。
「クリスティン」
そう名を呼んでパウル司祭が馬を降りた。
鎧がガシャンと鳴る。
「さっきは驚かせてしまったか。済まなかったな。誤解があるようなので落ち着いて話をしよう。一先ず聖堂へ戻ってくれないか。迎えに来たのだ」
「それなら……」
悲しそうに目を伏せるクリス。
「どうして鎧を着て武器を持ってきたのですか」
「……………………」
聖堂へ戻ろう、そう司祭は言った。
だが自分は聖堂へは戻れないだろうとクリスは思う。
彼らが自分に戻ってほしいのは林の中だ。
何かがあろうと露見し辛く後始末も楽な林の……。
フゥ、と短く鼻で息を吐いた司祭が腰に下げたフレイルを手にする。
「残念だクリスティン。お前には色々と期待をかけていた」
言いながらパウル司祭はフレイルを構えて1歩前に出る。
「……そちらの男を始末しろ」
司祭の言葉に反応して馬上の聖堂騎士たちが剣を抜き放つ。
銀色の刀身が月光を弾いて冷たく輝いた。
聖堂騎士たちの向けてくる殺意の中、赤い髪の男は言葉もなく……また動揺も見せずに黙ってその場に立ったままだ。
「運がなかったな!」
そう叫ぶと聖堂騎士の1人が赤い髪の男に馬上から剣を振り下ろした。
しかしその一閃は男の残像を斬る。
跳躍して剣を振り下ろした体勢の騎士の真横に彼はいた。
「……まったくだ」
静かにそう言うと空中の赤毛の男が拳を突き出す。
中指の第二関節だけを三角に立てた拳。
その一撃は騎士の喉に突き刺さった。
……ゴグッ!
鈍い嫌な音が周囲に響いたかと思うとのけ反るように騎士は馬上から落ちる。
派手な音を立てて地面に叩き付けられた騎士は首をおかしな方向に曲げて既に絶命していた。
「……!!」
無残な仲間の最期に無言のまま残りの騎士たちの怒気と殺意が膨れ上がる。
「今日は厄日だ。客は来ない上にトラブルに巻き込まれた」
赤い髪の男は足を開き気味にして腰を落とし構えを取った。
拳術の構えだ。
「そして、望まん殺しを4つもしなくてはならなくなった」
その台詞に重なるように3人の騎士が一斉に襲い掛かってきた。
一方でパウル司祭は巧みにフレイルを操りクリスティンを追い詰めていた。
司祭は長年大隊長として部下を率いてきた歴戦の強者である。
その実力は訓練でクリスもよく見ていて知っている。
また彼の操るフレイルも恐ろしい武器だ。
まともに受ければ骨を砕かれる。
掠っても鎖の先の鉄棍棒に生えた鋭いスパイクが標的を削る。
牽制のための数度の攻撃を経て司祭の放った一撃がついにクリスの二の腕を掠めていった。
「…………っ!!」
痛みに顔をしかめるクリスティン。
咄嗟に傷口を抑えた手のひらにはべっとりと血が付いている。
棘が肉を裂いていったのだ。
自らの血を目にしてクリスの胸中に冷たい怒りの炎が燃え上がった。
「……死んでたまるか」
低い声で小さくそう口にして突然彼女は走り出した。
「逃がさんぞ」
後を追って走るパウル司祭。
しかし彼女は逃走のために走り出したのではなかった。
街道の脇に大きな石材が積んである。
近く城壁の補修が始まる予定でありその為の資材だ。
積み上げられた直方体の石材は長さが長辺1m以上もありその重さは数百㎏にも達する。
……その石材の1つをクリスは両手で持ち上げ頭上に振り上げた。
「……!!???」
これまで鉄面皮を崩すことのなかった司祭が驚愕に目を見開き表情を強張らせた。
「待てッッ!!!」
「……うわああああああッッッッ!!!!!」
手を上げクリスを制止しようとした司祭。
だが彼女は咆哮を上げながら無我夢中で司祭に向けて持ち上げた石材を振り下ろす。
……ドガッッッッ!!!!!!
石材が折れて2つになり、直撃を受けた司祭は地面にうつ伏せに叩き付けられる。
落ちた石材がずずん、と低い音を立てて地面を揺らした。
そして、静寂の中にクリスティンの荒い呼吸の音だけが響く。
やがてハッと我に返る銀髪のシスター。
「し、し、司祭様……?」
喘ぐように震える声で言うクリス。
しかし倒れている司祭はもはやピクリとも動かない。
「死ん…………」
絶句するクリスティン。
その彼女に足音が近付いてくる。
「死んでいるぞ」
赤毛で小柄なラーメン屋台の店主が近付いてくる。
その背後には地面に転がる4人の騎士たち。
いずれも既に息をしていない。
「わ、私……私が……」
震えながら言うクリスは目に涙を浮かべている。
赤い髪の男がうなずく。
「そうだ」
無感情に淡々と言うラーメン屋。
「お前が殺した」
そう言って赤い髪の男はクリスを見た。
鋭いが澄んだ瞳で静かに見ていた。
月明かりが煌々と2人を照らしている。
……これが、麺道を歩む求道者クリストファー・
2人のクリスの出会いだった。
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