第40話 命をかけた『茶番』



 視界の隅で、寧々が微かにうつむくのが見えたが――

 それでも俺は、止まれなかった。


「なのに何でお前は、そんなにまでしてこの島の連中に入れ込むんだ!?

 お前がそこまでやる必要なんか、どこにもねぇだろうが。何の見返りもなしに、どうしてそこまで――」

「巴君たちだって今まで、見返りなく命がけで魔獣と戦ってたよね?

 あ、給料は出るか。それと同じだよ」

「今までとワケが違うだろ!」


 もう我慢できず、ひたすら吼えまくる俺。

 それでも八重瀬は、少しとぼけたツラでこう言ってのけた――


「敢えて言うなら。

 この島には、寧々さんがいる。巴君も知ってると思うけど、彼女はとても賢くて、利発で、信頼できる子だよ」

「そりゃ、分かってるけど……でもなぁ!」

「それに……

 お餅、美味しかったから、かな?」

「へ?」


 あまりにあんまりな返答に、俺はそれっきり言葉を継げなくなってしまった。


「ほら、巴君も覚えてるよね? 村長さんの家で出た、あのよもぎ餅。

 とっても甘いけど、その甘さがすごく心地良かった。あれがこの世から消えてしまうのは、本当にもったいないって思ったし。

 ああいう料理を作れる人は――多分、そこまで悪い人じゃない。僕はそう思った」


 マジかよ……満面の笑みで言うんじゃねぇ、それを。

 餅一つでお前、島に命も身体も捧げようってのかよ。


「島の人たちだって、ひたすら晶龍を信奉しているだけで、心根はとても呑気で、優しい人たちだ。巴君も彼らの日常は見てきたよね?」

「そうだけど!

 それだけで、どうしてそこまでお前は――っ!!」


 そんな風に俺が、さらに八重瀬に詰め寄ろうとした時。

 それまでずっと黙っていた課長が、ようやく口を開いた。


「巴君、少し落ち着きなさい。

 まだ彼の話は終わっていませんよ」


 何言ってやがる、八重瀬を魔獣に売り渡した張本人がヌケヌケと――

 そう言いかけた俺の肩を、無言で掴んでくる宣兄。

 これ以上は暴言になると、その眼が強く俺に告げていた。


 課長は八重瀬に向き直り、静かに問う。


「八重瀬君――

 君と晶龍が出した結論。

 それが、先ほどの晶龍の言葉ですか」


 さっきの晶龍の言葉。つまり

 ――晶龍を、島民たちの前で、殺してほしい。


 思わず俺は、ごくりと唾を呑みこんだ。

 要するに、俺たちは、八重瀬を――



 そんな俺の心境も知らず、ヤツは答えた。

 笑みを崩さないまま。



「はい。

 心療課の皆さんに、晶龍を殺してほしいんです。

 島の人たちが見ている前で」



 寧々の背中が、一瞬ぶるりと震え上がるのが見えたが――

 それが意味するものも分からないまま、俺は思わず割って入る。


「だから……意味、分かんねぇよ!

 何で俺たちが、お前を殺さなきゃならないんだ!?

 晶龍を殺すってのは、お前を――!」

「そうだよ、巴君。

 晶龍を殺せば、僕も多分、無事ではいられないと思う」


 宣兄の手まで振りほどき、気が付いたら再び俺は八重瀬に掴みかかっていた。

 他人事みたいに、よくもこんなこと、しゃあしゃあと言える――!


「出来るわけねぇだろ!!

 魔獣でもないお前を殺すとか、イカレたことほざいてんじゃねぇ!!」


 そのまま首を絞めかねない勢いで掴みかかった俺――

 それでも八重瀬は微笑んだまま、俺の手を軽く握りしめた。


「ありがと、巴君。

 でも今の僕は、半分魔獣みたいなものだから……

 晶龍にも最初は、同じように反対されたよ。

 だけど、島の人たちを救うには、僕らが考えつく限りでは、これしかなかった」


 僕『ら』って……晶龍のことかよ。

 八重瀬は課長に向き直りながら、改めて告げる。


「要するに、僕たちの目的は――

『島の守り神たる晶龍が、現代技術の粋を尽くした魔獣討伐隊たる心療課に、完全敗北する瞬間を島民たちに見せる』ことなんです。

 心療課との、総力を尽くした戦いの果てに、晶龍が消滅する。

 その光景を島民が目の当たりにすれば、彼らの盲目的な晶龍信仰は破壊される。

 そして島民たちは少しずつでも、外界と交流せざるを得なくなる。

 彼らが自分の力で、外へ一歩を踏み出す。その為に――」


 ここにきてやっと、八重瀬と晶龍の目的が見えてきた。

 そうか……自分を殺せってのは、そういうことか。

 島の奴らに晶龍の消滅を、直に見せつけることによって……



 島を、晶龍の保護から、自立させる。



「なるほど。

 そうやって半強制的にでも、島民たちを時代に適応させようと……

 それが、貴方がたの出した結論ですか。

 彼らの信心深さを考えるといささか、横暴な気もしますがねぇ」

「かなりの荒療治なのは百も承知です。

 しかしそうでもしなければ、恐らく彼らの盲信は続いたままです。

 晶龍が島を支えられる力も、最早そう長くはもたない。

 今何もしなかったら、晶龍が完全に力を失っても、島の人たちは何も出来ずに晶龍を信じ切ったまま――

 国に一方的に踏みにじられるだけだ」

「やるなら、短期決戦しかないというわけですか」


 どこかのんびりとした口調で、髭をいじる課長。

 七種も口を出してくる。


「っていうかさ、八重瀬クン。

 晶龍クンって、もんのすごく強いじゃん? ボクでも一発で首跳ねられちゃったくらい。

 どうやって殺るの? もしかして、手抜きしてくれんの?」


 客観的に見れば当然の疑問だ。しかし八重瀬はゆっくり首を横に振る。


「手抜きはしないよ。

 お互い全力でぶつかり合わなければ、島の人たちの信心は覆せない。中途半端な戦いをすれば、すぐに見抜かれる。

 僕も晶龍も、仕事仲間だからといって――いや、仲間だからこそ、遠慮するつもりはない」


 その時の八重瀬はもう、笑ってはいなかった。

 静かに俺たちを見据えた瞳。碧の中に鋭い紅の閃光が宿っている。


「えー?

 じゃあ、どーやってボクら、君たち二人を倒せばいいの?」


 唇を尖らせる七種に、宣兄も加勢した。


「八重瀬。現実問題、心療課の今の戦力であの晶龍を倒すのは不可能に近い。

 支部から応援をかき集めても、対抗できるかどうかは怪しい。

 沖での戦闘を見ているなら、お前も分かっているはずだろう?」

「それについては――

 幻を生み出せるあの結界を、最大限に使います。

 あの結界で島全体を覆い、さらにその一部を心療課の皆さんにも使えるようにするつもりです。

 最初に課長から出された条件、そのままに」

「ほぅ……?

 いわば、壮大な茶番を行なうというわけですか」


 興味深げに髭を弄る課長。


「島を覆った結界の中で、心療課と晶龍の戦いが始まります。

 勿論晶龍の攻撃により、身体を吹き飛ばされることもあるでしょう――

 ですが結界の中なら、貴方がたも簡単に復帰が可能になります。たとえ、頭部を吹き飛ばされたとしても」

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