第139話 その頃世界は……2

 ヘイムダル帝国、帝都アースヴェル(sideカール)



 胃が痛い。余、カール・グスタフ・アーサヘイムが皇帝に即位してからというもの、毎日のように心労がたたる日々が続いている。


 たった一人の勇者によって、帝国全軍が壊滅の危機に瀕したのだ。

 しかも、その勇者には白竜王ヴリドラと黒竜王エキドナと魔王アルテナが付き従っているという前代未聞な状況である。

 もう完全にバランスブレイカーだ。


「悪夢だ……たった一人の男により、世界情勢や軍事バランスがひっくり返されてしまった。もはや我が帝国は強者ではない。勇者アキの機嫌を取りながら、細い糸の上を歩くが如く国の舵取りをせねばならぬのだ」


 執務室の椅子に深く腰掛け、ため息交じりに愚痴をこぼしてしまう。


「疲れた……そもそも父上が勇者アキに無礼を働いたのが原因なのだ。まったくあの父上は……」


 ふと、アキのもとに預けている末妹の顔を思い出す。


「マチルダ……元気でいるだろうか……。煮るなり焼くなり好きにしろとは言ったが、まさか酷い拷問や辱めを受けておるようなことは……」


 そこまで言ってからかぶりを振った。


「いや、アキは悪い男には見えなかった。そこまで酷いことは…………。待て! 魔王軍幹部の女には容赦のない公開調教をしたと聞く。やはり妹が心配だ……」



 マチルダの安否を心配していると、ちょうどその妹の情報を調べさせている部下が部屋に入ってきた。


「失礼いたします! 陛下、マチルダ殿下から文が届いております」


 そう言って畏まった部下がテーブルの上に一通の文を乗せた。


「なっ! マチルダからか!」


 カサッ! パラパラッ!


 急いで封を開け手紙を取り出した。


《拝啓、お兄さま。マチルダは平民男アキの側でメイドの修行をさせられています。アキは仲間の女とエッチなことばかりする最低男ですわ。この私にも自分の趣味のメイド服を着せて楽しんでいるのです――》


「マチルダぁああああ! やはりエッチな目に……」


《アキは私の恥ずかしい秘密を握り、それをネタにしてエッチをしようとするとんでもない男です》


「な、何だと……」


《でも、一日三食出されるアキの料理は、どれも絶品で、帝国で贅沢な食事をしていたこの私でさえ唸らせるほどです。もうアキの料理無しには生きられないくらいに》


「ん?」


《きっと、アキは美味しい料理で私をとりこにしようと企んでいるのですわ》


「食事は……ちゃんと食べさせてもらっておるのだな」


《あと、私が失敗しても決して怒らず、優しく教えてくれますの。でも、悪いことをしてしまった時は、ちゃんと叱ってくれましたわ。それは私が悪かったのです。小さな子供に酷いことを言ってしまい、少し心が痛みましたの。あっ、でも、たまに頭をナデナデして私の心を乱してきますのよ》


「んん?」


《キングヒュドラに襲われそうになった時、アキは身を挺して私を守ってくださいました。アキの背中は、とてもたくましく頼りになりましてよ。この私が命を預けようと思うくらいに》


「えっと……」


《ああぁ……もう私の心はアキに囚われてしまいましたの。寝ても覚めてもアキのことばかりですわ。きっと、あの男が私に恋の魔法をかけたに違いません。だって、この気高く高貴な私が、あんな地味で平民の男に恋するなんてありえませんもの。なんて卑劣な平民男なんでしょう。あっ、そういえばアキは貴族になったのですわ。それなら結婚も可能ですわね。私としたことが》


「ま、マチルダ?」


《不本意ですが、本当に不本意ですが、私はアキの子供を産みたく思います。でも、ライバルが多くて大変ですわ。これからは頑張ってアキと子づくりに励んでみますわよ。そんな訳で、私はリーズフィールドで元気にしていますから、お兄さまは安心してください。敬具》


 手紙を読み終わってから、緊張の糸が切れ大きく息を吐き出した。


「マチルダ……心配していたが何とか上手くやっておるようだな。しかも、アキのことを……。最初はアキを嫌っておったはずなのに、一体どういう心境の変化なのだ……」


 マチルダは、『あんな平民男には絶対に屈しない』と言っていたはずだ。

 しかし、手紙の文面は、アキを慕っているようにしか見えない。


「ま、まあ、良いか。一時はマチルダが選ばれてしまい、計画が台無しだと思っておったが、存外ぞんがい、上手くやっておるようではないか。これでアキとの間に子供が生まれれば帝国も安泰である」


 勇者アキと血縁関係を結び帝国の礎とする。


 貴族社会では、婚姻により外戚関係を作る閨閥けいばつ定石じょうせきである。余とアキが親類となるならば、ヘイムダル帝国は百年安泰となるだろう。


「頼んだぞマチルダ! 何としてもアキと恋仲になるのだ!」


 ◆ ◇ ◆




 アストリア王国、王都リーズフィールド(sideエゼルリード)



 近頃、側近の者どもがうるさい。

 やれアキに王女を嫁がせろだの、やれ序列一位の公爵にせよなどと。


 このエゼルリード・ガウザーに、何度も何度も具申してくるから面倒くさいのじゃ。


 アキには十分な報奨金を与え、グロスフォード辺境伯に任じたのじゃ。

 しかも、仕えているメイド少女が旧領主邸に嫌な思い出があると聞いたので、わざわざ城を建て替えてやったくらいである。まあ、半壊しておったのじゃがな。


「ふふっ、勇者アキか。面白い男よ」


 城のバルコニーから庭を眺めながら一人つぶやく。


「どうもあの男には権力欲が無いように思えるのじゃ。スローライフが何とかと言っておったからの。下手に貴族のドロドロした世界を押し付けると、却って機嫌を損ねることに成りかねぬわ」


 触らぬアキと竜王に祟りなし。


「そう、アキを刺激せぬよう、暮らしやすくサポートすれば良いのじゃ。余計なことをして、竜王の逆鱗にでも触れたら王国は滅んでしまう」


 アキで思い出したが、前グロスフォード辺境伯のアレクシスとその妻アマンダは無期懲役とした。


 一見、領地経営は優秀じゃと思っておったが、叩けば次々と埃が出た。奴隷売買に麻薬密売に不正蓄財、そして東海青竜王ゲリュオンを激怒させるという失態。


「青竜王が思慮深い性格じゃから我が国が滅ぼされずに済んだが、これが混沌を司る黒竜王じゃったらと考えたら恐ろしいわい」


 前辺境伯夫妻を断罪し青竜王の怒りを静めたアキには感謝せねばならぬのだ。


「まあ、贅沢な暮らしに慣れた者どもじゃ。ずっと冷たい牢の中で暮らすのじゃから、死刑より辛かろう」


 アレクシスには冷たい牢屋の中で罪を償ってもらおう。


 部屋に戻ると、側近がウィンラスター公爵家の三男坊を連れてきたようじゃ。


「陛下、ウィンラスター侯爵子息ジョージ様がお見えです」


 側近に促されて部屋に入ったジョージが、絵に描いたように流麗な仕草で礼をした。いつ見ても大袈裟なほどにキザな男じゃわい。


「陛下、ご機嫌麗しゅうございます」

「おおっ、よく来たなジョージ殿。話を聞きたかったのじゃ」

「はっ、何なりと」


 そう、この男にはアキの様子を聞こうと思っておったのじゃ。


「此度はキングヒュドラ討伐、ご苦労であった」

「ありがとうございます。されど、その件は勇者アキの功績が大きいかと」

「ふむ」


 余は本題に入った。


「そなたはアキ……辺境伯と懇意こんいにしておるようじゃな?」

「はい」

「そなたの目から見てどうじゃ、あの者は?」


 ジョージは目を輝かせる。


「辺境伯アキ・ランデルは素晴らしい男です。グロスフォードでは囚われの子供たちを解放し、傷を治療しパンを与えたと聞きました。彼は、悪辣な者には断罪の一撃を加えますが、罪なき者、力なき者には種族の分け隔てなく救済の手を差し伸べます。アキならは、きっと良い領主になることでしょう」


「うむ、余が思った通りであったな」


「一つだけ難点を申しますと……」


 そこでジョージが顔をほころばせる。


「アキは強い力を持つ女性や、肉食系女子に好まれるようです。何でも毎晩のように複数の女性から添い寝をせがまれたり、足や尻で踏まれたり、逆に尻をペンペンしたり、一晩中キスをしながら眠る日々を送っているそうです。フォォーッ!」


「ぶっふぉぉおおおおぁっ!」


 思わず吹き出してしまった。いくら何でも激しすぎじゃ。


「な、なるほど……英雄色を好むとは聞くが、アキのそれは、もっと変態的でネットリしておるようじゃな」


 余はアキに干渉せず放っておくことに決めた。何だか子供の教育に悪そうだからじゃ。


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