第87話 その頃ヘイムダル帝国では(三人称視点)

 アキにボコボコにされた帝国第三軍銀翼騎士団偵察部隊は、うのていで帝都に帰還した。


 致命傷を負うこともなく傷も上級ポーションで治癒済みではあるのだが、名誉ある帝国騎士が女にちょっかい掛けた挙句、一人の冒険者にボロ負けしたのでは不名誉の極みである。


 無様に引き返してきた部下を見た銀翼騎士団の団長ハインツ・ランベルトは憮然としていた。


「それで、たった一人の冒険者に負け、おめおめと逃げ帰ってきたと申すのか」


 騎士団長の鋭い眼光を受け、偵察部隊の隊長は言い訳を始める。無論、女にちょっかいを掛けたのは誤魔化すのだが。


「そ、それがですね、その冒険者の強さは異常でして……。我々も奮戦したのですが、なにぶん相手が悪かったと言いますか……。そ、そう、相手は魔族を連れていまして。きっと魔族の仲間です。そ、そうです、運が悪かったのです」


「卿らは名誉ある帝国騎士であるのを忘れたのか! たった一人の冒険者に負け、任務を放棄し逃げ帰るなど有り得ない失態だ!」


 ハインツの叱責を受けた騎士たちは気まずそうに下を向いた。


「それで魔族の動静は分かったのか!? 状況を詳しく話せ!」

「そ、それが、魔族には会ったのですが……」

「うむ」

「オドオドした弱そうな少女と、偉そうな態度をした長い黒髪の女です」

「それでどうした?」

「いやぁ、黒髪の女が絶世の美女でして。気が強そうなところがグッとくると言うか」


 隊長の話しぶりでハインツは察した。この隊長が無類の女好きだからだ。


「もしや、女にうつつを抜かし、事も有ろうか魔族と揉め事を起こしたのではあるまいな!?」

「ギクッ!」


 図星だ。いつの世も女性関係になると途端に嘘が下手になるものである。


「ぐぎぎっ! き、貴様ら! あれほどこの任務は世界の命運をかけたものだと言ったはずであるぞ! 不必要な戦闘を避けよとの命を忘れたのか!」


「ひぃ、ひぃいいっ、もも、申し訳ございません」


 団長の怒声を浴びた騎士たちが一斉に頭を下げる。それはもうこれ以上低くならないくらいに。


 しかし運命は悪戯である。この問題騎士たちに罰を与えようとしたその時、それが消し飛ぶくらいの情報が入った来たのだ。


「閣下、大変です! す、すぐに来てください!」


 息を切らせた側近が慌てた様子でハインツに報告にきた。


「何だ、騒々しい。今からこやつらの――」

「そ、それどころではありません! 魔族が、まま、魔族が!」

「魔族がどうした!?」

「魔族が、魔王軍が、宣戦布告を通達してきました!」

「なんだと!」


 ハインツは衝撃で目の前が暗転しそうになった。


「ば、バカな。ここ百年続いた均衡が崩れただと……」

「全団長に緊急会議の招集が掛かりました」

「すぐに行く!」


 こうしてハインツは、その場に調査隊を残したまま城内の廊下を戻って行った。

 罰を免れた騎士たちだが、ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、その後に比べ物にならない恐怖が襲うとは思ってもいなかっただろう。


 そう、その場面の一部始終を見ていた女が居たのである。



「これ、そこの者どもよ。先ほど長い黒髪の女がどうと申しておったな」


 それは新雪のように煌く美しい銀髪の女だ。肌も透き通るように白い。純白のドレスと相まって、そこだけ別次元のような雰囲気を醸し出している。


「ん? 黒髪の女が何だって…………って、うひぃいいいいいいっ! ヴヴ、ブリドラ様ぁああああ!」


 後ろから声をかけられ振り向いた男が腰を抜かす。ガタガタと恐怖で震え、体に力が入らず床を這いつくばる。

 それほどの恐怖を植え付ける女。そう、最強にして至高、絶対的強者、西海白竜王ヴリドラが現れたのだ。


「どうした? 寝そべってないで早く話せ」

「あひぃいい! おお、お許しを! 死にたくない、死にたくない」

「話しにならぬな。ほれ、誰かおらぬか」


 ヴリドラが他の者に視線を向けると、皆同じように床を這いつくばる。ますます彼女の機嫌を損ねるように。


「あああ、お許しをぉおお!」

「ぎゃああああ! 殺される!」

「助けてママぁああああああ!」


 この世の終わりかのように右往左往する騎士たちを冷たい瞳で見下ろしていたヴリドラだが、ついに苛立ちが限界を迎えたようだ。


「いい加減にせぬか! ふざけるのも大概にせい!」


 ジュババババババババババッ!


 周囲の空間に青白い閃光が走ったかと思うと、騎士たちが強制的に起立させられていた。いや、起立ではない。空中に浮かび上がっているのだ。


「あががぁああ……」

「体が勝手に……」


 それはヴリドラの膨大な魔力の極微量な一端であろう。竜王がその気になれば、指先一つ動かすことなく人間を消し去ることも可能である。


「ほれ、質問に答えろ。我は聞いておるのだ。魔王領域で会った長い黒髪の女とは、どのような容姿であったのだ?」


 隊長の男がヴリドラの正面に運ばれる。その冷徹で鋭い眼光に睨まれ、ガタガタと体を震わせながら。


「早く申せ。黒髪の女を見たのであろう」

「は、はは、はい……」

「どのような女なのだ?」

「こ、腰よりも長い髪……漆黒で艶やかな……」

「それで?」

「か、顔は美しく……長いまつ毛に……赤い瞳……」

「ほうほう」

「尊大な態度で、古風な口調で話す女です……」

「うむ、間違いないの」


 ドサドサドサ!


 もう騎士たちには興味を失ったかのように、ヴリドラは拘束から開放した者どもを雑に放り出す。そのまま彼女は廊下を戻って行く。


「そうかエキドナが北方領域を出ようとしておるのか。これは我もうかうかしておれぬな」


 ヴリドラの瞳がギラリと光った。


「何かが起きようとしておるのか。何か重大な事態が。それも、千年に一度の。これは……我も行くしかあるまい」


 一人つぶやきながらヴリドラは頷いた。


 古の盟約を守り世界の四方を守護する。竜王同士の邂逅かいこうは世界の終わりを意味するのだ。したがって、竜王自ら他のテリトリーに出歩くなど許されるはずもない。


 ヴリドラは自分に言い聞かせるように何度も頷く。仕方がないと。

 ただ、実は面白そうだからとか、美味しいものを食べたいからとか、そんな気もしないではない。


 ◆ ◇ ◆




 その日、ヘイムダル帝国は皇帝の勅命ちょくめいにより、北方領域に向け魔王軍討伐の大軍勢を差し向ける決定をした。

 それは百年ぶりとなる全騎士団による大遠征である。


 ずらりと並んだ精悍な騎士団長の顔を一人一人見つめながら皇帝オーギュスト・ユングベリング・アーサヘイムが高らかに宣言した。


「百年続いた安寧の時代は終わりをつげ、魔と闇の時代が到来しようとしている。それは千年戦争の結果を受け入れたはずの魔族どもの手によってだ。奴らは卑怯にも、魔王がさらわれ処女を奪われたと嘘偽りを喧伝しておる。もはや一刻の猶予も無い! 余は魔王軍に対し宣戦を布告する!」


 宮殿大広間に勢揃いした屈強な騎士団長が一斉に敬礼した。


 帝国第一軍銀獅子騎士団団長アーサー・エルトマン

 帝国第二軍銀虎騎士団団長ゲオルク・シュターデン

 帝国第三軍銀翼騎士団団長ハインツ・ランベルト

 帝国第四軍銀狼騎士団団長オットー・ライプニッツ

 帝国第五軍銀蹄騎士団団長フランツ・ザーフェン

 帝国第六軍銀鰐騎士団団長ペーター・ベルリンゲン

 帝国第七軍銀蛸騎士団団長アルベルト・ベハイム


 帝都防衛には近衛軍を残すのみとし、ほぼ全ての戦力を北方に向かわせることとなる。その総数は一般兵を含め約10万であった。




 時を同じくして、アストリア王国も国王エゼルリード・ガウザーの命により、王都防衛と領内侵攻阻止の為、約5万人の動員を決定した。



 様々な運命が絡み合い集約する。その絡まった糸は、一人の冒険者の男に集まろうとしていた。

 そう、見た目は何の変哲もない支援職サポーターでありながら、何故か強い女を惹き付けてしまう男のところに。


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