千年企業

森 四郎

第1話 

現存する世界最古の会社は日本にある、らしい。

歴史の教科書で何となく記憶がある程度の飛鳥時代という、もはや神話に近い時代に、これも伝説と言っていい人物である聖徳太子の指示が発端となって、設立されたと何かの本に書かれていた。

西暦500年代に創業したその会社の歴史はなんと1400年超え。

しかも更に驚くことに、つい最近まで創業者に関係する人たちが経営していたとのこと。

皇族や一部の人たち以外で、これほどわかりやすい歴史があるだろうか。

そしてこういったことがニュースになるほど、組織や会社、そして誰よりも企業の創業者は千年、つまり永遠の繁栄を望むのだろう。

永遠に生きられる人は誰もいないのに。


「美味っ。」

夏真っ盛りの8月。深夜2時。僕は大学2年生からもう2年近く続けている、いつものバイト先のコンビニで、さっき廃棄扱いとなった、というかそれを待っていたシュークリームを食べながら休憩室兼事務所で、さほど面白くもないお笑い動画を見ていた。

外はクソ暑いが、店内は快適そのもの。週末でも無い限り、深夜にはほとんど客の来ないこのコンビニは、僕だけのワンオペで全く問題無い。

自動ドアが開くと流れる音楽を聞いたら、ゆっくりと事務所を出て、聞こえないほどの声で「・・らっしゃーい・・・」とか言う。

会計ではレジ袋が必要かを聞き、最小の力でのんびりとスキャンする。急ぐほど客は溜まらないし、誰もさほど急いでいない。

更に最近導入されたセルフレジを使う客に至っては僕のいる必要性はゼロだし、万引きも僕は気にしないし、それこそ強盗なんかが来たらすぐに逃げるから番犬以下とも言える。


家から裏道を走ればチャリで2分。住宅街のど真ん中にあるこのコンビニには基本、地域住民しか買い物にこない。

ここで育った僕にとっては全員が顔見知りで、知らない人にはほとんど遭遇しない。ヤンチャなやつらも地元では無茶しないし、誰が先輩で誰が後輩かもわかってるので問題も起きない。

時々、元気な中学生たちが店の前でたむろするが、こいつらに至ってはちびっ子の頃から知っているので、「他の店で遊べ」と言うだけで全員が素直に表通りの別のコンビニに行ってくれる。

僕は誰かが風邪で休むといったヘルプ要請が無い限り、基本、夜の22時から朝5時までで働いている。

その理由は時間給が25%アップするからでしかない。

いつもの外国人留学生アルバイトの退勤時間ギリギリに出勤して交代。深夜の品出し、掃除。店番。これで仕事はほぼ終わる。仕事を手早く終わらせると期限切れとなった弁当をのんびりと食べ、you tubeを見ていれば朝になる。

朝5時になったら、これまたいつものおばさんにバトンタッチ。これが決まりきった一日の流れだ。

1日ざっと1万円弱だから月に10日働くだけで10万円くらいになる。一応学生なので扶養の枠内でやっているが、人手が足りないときなんかは商品券なんかでもらって上手くごまかしてくれる。

それと言うのも、お店のオーナーは小学校の同級生の父親だからだし、ベテランの僕がシフトに入ることでおじさんはゆっくり寝られる。僕は高い時給で楽に稼げる。

おお、まさにWin-Winの関係だ。

バイトが終わって帰るとビールが飲みたくなる。もちろん飲む。すると眠くなる。当然寝る。気が付いたらもう夕方。学校は終わっている。

バイトが無い日は夕方から朝まで友達と飲み会。もちろん昼間は寝ている。

これが2年近く続いている僕の日常だった。


僕、小田島 昭(オダジマ アキラ)22歳は、名古屋市出身、今年、一応は愛知県の県立大学を、本当にギリッギリッで卒業した。

身長も体重も体型も、おまけに顔も全て人並み。

大学の2年からは、もはや登校拒否に近いくらい遊び惚けて学校に行っていなかったので、成績というか単位数は壊滅状態。

卒業出来たのが“小田島の奇跡”と遊び友達から言われたが、我ながら、留年せずに卒業出来たのはまさに奇跡だったと思っている。


でも、僕は学校をサボってただけで、特に悪さはしていない。

親に反抗したことも記憶に無い。母親の誕生日に花を買ったことだって一度くらいはある。

万引きの経験すら無いくらいだから、それこそコンビニにたむろすることも無い。

せいぜい友達と遊びに行ったり、飲みに行ったりするくらいだ。

そんな僕は何かのときに友達に言われたことがある。

「小田島って、いてもいなくても変わんねえなあ(笑)。」

確かにそうだ。僕一人いなくなっても学校にも、仲間にも、日本や世界にも何の影響も無い。

でも、ほとんどの人は同じじゃね?

日本中の10人に1人、いや3人に1人くらいはいてもいなくても一緒だ。

バイトも僕が辞めても近所の誰かが入る。

大学にいたっては授業料さえ払っていれば行かなくても誰にも怒られない。授業料を払ってくれている親を除けば、だけど。

日本って本当に平和でいい国だ。


僕は特に名古屋を愛しているというほどのことは正直無い。でも名古屋が本当に住みやすい街というのは感じている。

大都会ではないものの田舎でもなく、大体の物は売っているし、遊ぶ場所もたくさんある。

僕は行かないけれど海や山も近い。

僕はそれほど好きじゃないけど台湾ラーメンや名古屋手羽先なんかも人気らしい。

僕には全く興味は無いけど美術館や図書館なんかもそれなりにある。

人は多くも無いし、少なくも無い。中途半端な僕が生きていくには実に住みやすい街だ。

何度か遊びで東京には行ったけど、あの人の多さとスピード感は、こんな僕が生きていくのは絶対無理と思った。


こんな地元名古屋から出たことの無い僕が、縁もゆかりもなく、麺の入ったお好み焼きくらいしか知らない、広島県の会社に入社しようと思ったのは、爛れた、というか緩み切った生活のツケが一気に回ってきて、就職活動を始めたのが大学4年生の8月だったことが最大の要因だった。


何故この時期になったかと言うと、8月の時点で僕の卒業確率はリアルに五分五分だった。とは言うものの就職先が決まっていないと卒業する意味が無い、と気づいたのがその時だったからだ。

気づくのが遅すぎるのは自分でもわかってますよ。はいはい。


そこで初めていわゆる新卒採用サイトに登録して、僕のゆるい就職活動は始まった。

まず聞いたことがあるような有名企業にエントリーしてみてわかったのは、アホか、というくらいすっかり遅かったことと、二流とは言え一応は公立大を卒業したものの、文学部という学部が就職に何のメリットも無いことだった。

理系なんて暗くてモテないやつばっかじゃん。とバカにしていた僕は、就職ヒエラルキーの頂点にやつらがいることを初めて知った。マジか。

大手から準大手企業にダウンサイジング(?)してエントリーしてみたが、イマイチ、と言うかほとんど反応が無い状況で、夏が終わる気配を感じて、僕はなかなかに焦ってきたのだった。


僕はその日も出席日数が必要な授業を半分寝ながら出席しつつ、新卒採用サイトを見ながらで企業検索を何となくやっていた。

しかし、大手の新卒採用サイトに登録をしていると、まあとにかく読み切れないほどのDMが届く。もちろん毎日の日課でなんとなく流し見をしながら気になった企業があると、とりあえずエントリーをするのだが、ほとんどのDMは明らかに怪しそうな会社や、聞いたことの無い会社ばかりで、スルーすることがほとんだだった。


新卒向けのSNSとかを見ると、どうやら大学生は2年生や3年生、下手すると1年生から「インターンシップ」とかいう、職場体験をしているらしく、そこで会社と学生の双方が気にいれば、どんどん就職に向けて実質的な試験や研修なんかが受けられるらしい。

どうして僕には誰も教えてくれなかったんだ。と怒ってみてもそもそも怒る相手もいなかった。

よくよく考えてみると友達、と言えるのは地元の遊び友達ばかりで、同じ大学には親しい友人や先輩、後輩はいなかった。こりゃ情報は入んないな。


そんなとき、「千年企業を目指す!上場企業!」というメッセージがほぼ毎日のように送られてくることに気がついた。

会社名は「天神株式会社(テンジンカブシキガイシャ)」。

てんじんって?

本社は広島!中国地方?行ったこと無いし。うーん。遠いなあ。上場企業って言うのは気になるけど。しかし遠い。しかもスーパーか。そして古めかしい会社名で格好よくない。よって興味ゼロ。と思ってスルーしていた。

しかし、こんなぐーたら且つ自分本位な就職活動をしていて就職先が決まるはずもなく、遂に9月になってしまった。

10月1日にはどんな会社でも内定式があると、さすがの僕もそれだけは知っていたので、更に、非常に、気持ちだけは焦ってきたのは間違いない。

卒業も出来るんじゃね?くらいまではきてたので、ますます焦る。

という訳でやっと、片っ端から選考試験を受けることにしたのだった。


有名な会社の就職活動は終わっている。この時期でも求人が出てるのは、よくわからない会社や、人材派遣系、営業、接客系の仕事ばかりだった。

出来る限り有名な会社で、仕事が楽で、給料がたくさんもらえて、休みが多いことを希望していた僕だが、そんな会社には東大か京大か早稲田や慶応とかじゃないと入れないのも、もちろんわかってる。

でも接客も営業もやってみたいとは全然思っていなかった。だって働く事自体が好きじゃないから。パソコンは好きじゃないけど事務職とかがいいなあ。


そんな中で今日も届いたのが、「千年企業を目指す!上場企業」のDMだった。


『天神株式会社からあなたにメッセージがあります』

またか。と思いつつ学食で一人、缶コーヒーを飲みながら画面をタップすると、会社情報が出てきた。

天神(てんじん)株式会社 本社:広島県広島市

中国地方を中心として中部地方から九州にかけて200店舗を超えるディスカウントスーパー「メガサンサンディスカウント」を展開

年間売上高 2,150億円(202*年度連結) 総従業員数2万1千名 東証**上場

当社は、流通業界を革命的に変化させた圧倒的な安さで創業からわずか35年で全国に200店舗以上を展開する大型ディスカウントストアチェーンです。

入社後は、店舗で経験を積んでいただいた上で、バイヤー・商品開発・立地開発・人事・総務・経理部門など様々なキャリアプランが可能です。盤石な経営基盤で急激に拡大を続けている当社は千年続く企業を目指しています。当社であなたの隠れた能力を発見しよう!


何言ってんの?

僕に隠れた能力なんかはありません。20歳過ぎると自分でわかるし。

しかし、あらためて、と言うか、初めてしっかりとそのDMを見ると、本社は広島県だが、名古屋にも4店舗あるみたいで、検索してみると家からもそう遠くない場所にあった。そう言えば通りがかりに見たような気もする。入ったことはないけど。


入社するとまずは店舗で研修した後、開発部門やバイヤー、総務、経理、人事なんかの部門へ配属されることも多く、キャリアプランが自分で選べるとのことだった。

「おっ!」

と、思わず声に出したのは、配属先は家から通える範囲で勤務か、無料の社宅を用意するとの記載があったからだ。


僕は就職と同時に家を出るように言われている。が、それには事件性は全く無い。


もちろん記憶には無いのだが、僕の誕生に合わせて長期ローンで購入した我が家は、名古屋の中心部から比較的近いだけが取り柄の、とにかく狭い3LDKの一軒家だった。

一部屋は僕の部屋で、もう一部屋が両親の寝室兼何でも部屋。そして見栄を張って使っていない客間。そして小さなリビング。とにかく物が溢れかえるのも仕方の無い家だったので、就職したら出て行ってくれ。という母親の命令は聞き飽きるほど聞いている。

そうした理由で独り暮らしが確定していた僕にとっては“無料社宅”はとても魅力的な条件だった。

そして一応、上場企業だし。


これならまあ話を聞くくらいはしてもいいか?と思った。卒業できるかもわからない男が偉そうにも、だけど。

説明会は毎週のように名古屋でも開催されていたので、早速、一番近い日程が3日後だったのでエントリーをしてみた。説明会を受けて、興味があれば選考に進めばいいらしい。

まあとにかく説明会だけでも参加してみよう。と思ったのが、僕と天神株式会社との出会いだった。


3日後。向かった説明会の会場は名古屋駅近くの貸会議室ビルだった。

指定されたフロアに行くと、部屋の前に若い男性社員がいて受付を済ませる。早速、中に入るように促されて入ったが、そこそこ広い会場には僕一人しかいなかった。

「すみません。今日は僕一人ですか?」

さすがに不安になった僕が尋ねると、受付の男性は

「そうだよ。時期も時期だしね。小田島さんのために今日は広島から来ました。松田と言います。よろしくお願いします。」

キラッと光る笑顔で爽やかー!

それがイケてる先輩。松田さんとの出会いだった。


「始めていいかな?」

そう聞かれ、僕の着席と同時に始まった説明会は、なかなか華麗だった。

松田さんがパワーポイントを使って流れるように格好良く天神株式会社の説明を行っていく。

時々、動画やショートムービーみたいなものもはさんで約1時間。しっかりと丁寧に説明を行ってくれた時点で、僕は随分とこの会社に好感を持っていた。


「何か質問は無いですか?」

そう聞かれたが、正直、予備知識もやる気もあまり無い僕は、

「そうですね。うーん。じゃあ一つだけ。もうすぐ内定式ですよね?御社を今すぐ受けるとしたら内定式には間に合いますか?」

という、後から考えると恥ずかしくて顔から火が出るような、そして、普通なら不合格になるようなことを聞いてしまった。

すると松田さんは、一瞬フリーズした後、いきなり大笑いして言った。

「あはは。笑える!いいなあ君。よし何とかしてやる。ちょっと待ってな。」

そう言うとすぐに携帯を取り出して誰かに電話を掛けはじめた。


「あ、すみません。松田です。忙しいところ申し訳無いですが、名古屋で1名、すぐに選考を受けて、内定式に間に合わせたい、という学生がいます。小田島昭さんです。小さいに田んぼの田、アイランドの島で、小田島さんです。エントリーデータ見られますか?はい、今日の名古屋の説明会画面から入れます。はい、はい、その人です。そうです。いい感じです。ありがとうございます。じゃあ明後日ならいけますか?13時。はい、はい。少しお待ちください。」

と言って受話器を身体で押さえながら僕の方を向いた。

「小田島さん、明後日ならなんとか出来そうだけど、13時。午後1時だけど空いてる?そう、面接だけど。」

僕がうなずくと、すぐに電話に戻り

「はい、OKです。じゃあ手配しますね。サイトを確認しておいてください。ありがとうございました。失礼します。」

「小田島君、OK!場所と時間は今日中にメールするね。」

すげー!早い!


これで面接が決まった。

正直なところ、この会社を受けるかどうかすら考えていなかったのに、このスピード感に圧倒されて、今更、結構です。とは言えなかったのが本音だった。

でも、僕一人のために、面接を急遽でやってくれるというのは嬉しかった。


松田さんにお礼を言って、帰ろうとすると

「小田島君は優秀だから問題無いと思うけど、とにかく面接では頑張ります!というのを全面に出して頑張ってな!会社で待ってるよ!」

と言ってくれたのは僕にとって大きなインパクトだった。人事って面白そうだ!と思ったのはこのときが最初だったし、松田さんの人柄は強い印象を僕に与えた。


2日後の午後1時の少し前。前回と同じリクルートスーツを着て、指定されていた説明会と同じ会場に向かった。面接は何社か受けていたが、やっぱり緊張する。

会場に到着してエレベーターで指定された階に上がり、エレベーターが開く。

と、すぐ目の前に女性が立っていた

「おおっ。」

つい声が出た。

そこには20代半ばくらいのはっきりとした顔立ちの女性が立っていた。あまりの距離の近さにちょっと驚く。

するとその女性の方から聞かれた。

「小田島、昭さんですよね?」

少しアタフタしながらも、返事をする。

「はい、小田島です。」

「私は天神株式会社、人事部、採用課の大原と申します。今日はお越しいただいて本当にありがとうございます。」

と言って深々とお辞儀をされた。顔は笑顔だけど目が全然笑ってないっス。そして全身、上から下まで、しっかりと見られた。

ちょっと、いやかなり怖いんですけど・・・。

「あ、はい、今日は宜しくお願いします。」

「今日は、小田島さんさえ宜しければ、少し時間をかけてしっかりとお話をお伺いしたいんですが、この後何か、ご都合はございますか?」


もちろん今日も明日も、授業か追試かバイト以外、僕には特別な事情は何も無い。

「いえ、バイトも今週は明後日の夜だけなので。今日は何もありませんので大丈夫です。」

大原さんというその人は、心底嬉しそうに、

「そうですか。良かったです。じゃあ、こちらの部屋にお入り下さい。」

と言われて入った部屋には、前回同様に僕一人だった。


「早速ですが、まず適性検査をやっていただきます。その後に、筆記試験ですが、これは学力試験ではなく適性検査の延長みたいなものです。すぐに始めていいですか?」

という感じで適性検査から初めて、2種類ほどの筆記試験をすることになった。ごく簡単な一般常識試験で、よくあるSPI的な試験と違って学力とか、IQとかが不要なことがありがたかった。

何故なら僕の学力、体力、おまけに気力は高校生がピークで、後は下がる一方だったからだ。


合計1時間ちょっとの試験が終わると休憩があり、それから面接となった。

この大原さんという若い女性が面接をするらしく、そのまま同じ会場で机をはさんで話し始めた。

こんな若い女性が面接するんだ、と少し驚いて聞いてみた。

「面接は大原さんお一人でされるんですか?」

「はい、弊社では一次選考は面接担当1名で全てやっています。ですから緊張しなくていいですよ。」

と明るく笑ってくれた。松田さんといい、なんだかこの人も本当にいい人そうだ。しかしこんな若いのに面接官なんだ。すごいなあ。


一次面接は、結構長かった。

2時間ほどだったが、面接というよりは趣味や学生生活でのこと、家族のこと。アルバイトや私生活のことなんかを結構たくさん聞かれたが、ある意味、雑談をした感じで堅苦しさはまるで無かったのも初めてで、僕にとっては新鮮な体験だった。

でも、さすがに毎晩のように朝までバイトか酒飲んで、昼は寝てます。卒業も危ないです。ということは言いませんでした。ごめんなさい。


面接が終わると大原さんは

「すみません。ちょっとお手洗いとかに行ってきますね。小田島さんも少しゆっくり休憩してください。」

と言って、出ていった。

僕はエレベーターホールにあった自販機でコーヒーのショート缶を買って一気に飲み干した。

トイレに行ってから部屋に戻っても大原さんはまだいなかった。そう10分くらいだろうか。大きい方かな?と少しだけ笑ってしまう。


でも、大原さんは戻ってきたときには何か、そう、何か腹をくくったような顔をしていた。そして、僕に対してか、自分に対してなのか、こう言った。

「小田島さん。私はあなたに必ず入社してほしい、と判断しました。私からすぐに人事部長に連絡を入れますから、明日はお時間いただけますか?」


僕が「あ、はい。大丈夫です。」とOKすると、大原さんはその場ですぐに電話を掛け始めた。そうか、トイレの10分間で僕を合格させるかどうか、悩んでたんだ。ギリギリ合格だったんだな。ま、いいか。


「大原です。部長、お忙しいところ申し訳ございません。今、少しだけ宜しいですか?明日か、明後日ですが、出来れば明日の午後、名古屋で最終面接をお願いしたい学生の方がいらっしゃいます。お時間いただきたいのですが、どうでしょうか?・・・はい、はい、わかりました。はい。リモートでやります。はい。では明日の16時に接続します。こちらは、私が明日も来て準備をします。ありがとうございます。あ、部長、本当にいい人なので必ず合格にして下さい。お願いします。はい、はい。ありがとうございます。体調は大丈夫です。ありがとうございます。では失礼致します。」


ギリギリ合格だった割に、必ず合格させて下さいって?


今度は内線を掛け始める。

「あ、すみません。今日、会議室をお借りしている天神株式会社ですが、お世話になっております。明日の午後いっぱい、同じ部屋を借りられますか?はい、はい。大丈夫ですか。ありがとうございます。じゃあお願いします。」


またまた携帯電話を掛け始める。本当に忙しい人だ。

「あ、山田係長ですか。忙しいところすみません。ちょっといいですか?明日の仙台の面接を申し訳無いんですが代わって行っていただけませんか?すみません。はい、どうしても明日は名古屋で面接に立ち会いたいので。はい、はい、ありがとうございます。助かります。詳細は後からメールで送ります。ありがとうございます。失礼します。」


一通り段取りが終わったんだろう。

「小田島さん。じゃあ明日の午後、3時50分にもう一度、この場所に来ていただけますか?最終面接になる人事部長のリモート面接をセッティングしましたので。」

松田さんもそうだったけど、この人たちのスピード感に驚いた。本当にすごいな。この会社は。みんなこんな感じなんだろうか?僕についていけるかな?と不安に思ったほどだ。


「わかりました。じゃあ、明日また来ます。」

と言うと大原さんはもの凄く真面目な顔で言った。

「小田島さん。一昨日に連絡を受けて、あなたのプロフィールシートを拝見してから、そして今日初めてお会いしてからも、ずっと考えていたんですけど、私はあなたにどうしても入社してほしいと思っています。当社にはあなたが絶対に必要なんです。ですから、私が必ず合格するようにしますので、安心して必ず明日来てください。必ず、お願いします。必ず来ていただけますよね?」


なんだかお願いみたいだな。ギリギリ合格じゃ無かったってこと?じゃ、何を考えこんでたんだろ?

ま、いいかと思い了解した。


それにしても大原さんは、人の目を真っすぐに見て話す人だった。たいして僕と年齢も変わらないのに、部長や係長と言われる人や、その他のやり取りだけ聞いていても、この人が真剣に仕事をやっているのだけはわかった。

「わかりました。明日必ず来ます。でも大原さんは、今日、広島に帰って、明日また名古屋まで来られるんですか?大丈夫ですか?」

と言うと大原さんは笑いながら言った。

「全然大丈夫です。これぐらいは当然ですから。慣れてます。私はとにかく小田島さんに入社してもらいたいんです。」

僕一人の採用にここまでしてくれるんだ、と素直に嬉しかった。


就職活動について親に聞かれても

「うん、大丈夫。何とかなるでしょ。」

と言いながらも何も進んでいなかった僕にとって初めての最終面接だった。


翌日、1着しかない同じスーツを着て、指定された3時50分の少し前に行くと、大原さんは抱きつきそうになるくらいに喜んでくれた。

ただ面接を受けにきただけですが。恐縮です。


最終面接となる人事部長面接は、とにかくあっけなかった。

時間ぴったりにリモートで出てきた人事部長と言われる人は、親父と同じくらいの年だと思うが、顔が怖い人が無理やりに笑顔を作っている感じの人だった。

逆に僕は最終面接ということで結構緊張していた。ところが。

特にスーパー業界にも興味は無く、接客も好きとは言えない僕に対して、だらだらと大学4年間コンビニでバイトしていたことが、“接客がお好きなんですね”とか“継続性を高く評価”され、“未来の幹部候補”と持ち上げられたこととで、あまり褒められたことのなかった僕の自尊心は大いに満たされた。

面接と言うよりは褒められ続けた時間で、ほんの10分くらいだったが、これも大原さんが口添えしてくれたからだろう、と感謝した。


最後に人事部長から、

「はい、わかりました。小田島さん、あなたを合格とします。是非、当社に来て下さい。内定通知は早急に送りますが、もう就職活動はしなくて結構です。」

と言われた。これが僕の初めてもらった内定だった。


あまりにあっけなかったので、「ありがとうございます。」としか僕も出てこなかった。

でも、横を見るとリモートでのやり取りを聞いていた大原さんが声を出さずにガッツポーズをしている。この人、本当にいい人だ。


リモート面接が終わった後、

「小田島さん。本当におめでとうございます!本当に良かったです。10月1日の内定式にも参加して下さいね。」

と言って握手をしてくれた。大原さんの手はちょっと汗ばんでいたが、それが逆に一生懸命に僕を応援してくれていたことが伝わって嬉しかった。


「ありがとうございます。人事の皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。」

「ううん。これは仕事でもあるけど、私は小田島さんには絶対に合格してほしかったから、嬉しいです。大丈夫だとはわかってましたけど、本当に良かった。安心した。あー、良かった。あー、疲れた。」

と大原さんがイスにどっかと座った。

僕たちは顔を見合わせて大笑いした。

こんな僕のために、こんなに一生懸命になってくれたことが嬉しい。

前回の松田さんといい、この人といい、天神株式会社にはこんな人たちがいるんだ、ということが、僕の心をかなり動かしたことは間違いない。

とは言っても、さすがにこの時点ではまだまだ就職活動はするつもりではあったのだが。


その日、帰ろうとすると大原さんから、

「小田島さん。この後、何か予定あります?良かったらお祝いしませんか?」

と言われ、その日バイトが休みだった僕は、二人で祝杯をあげることになった。

そして、酔っぱらう頃には、僕はすっかりこの天神株式会社に入社する気満々になっていて、更に広島県で勤務することまで決めていたのだった。

広島にしたのは、大原さんから本社の近くで勤務した方がキャリアプラン的に絶対いい、と何度も言われたからだ。まあ、社宅さえあれば、僕はどこでもいいし。特に名古屋に未練も無いし。

大原さんに上手く乗せられたような気もしないでも無いが。まあいいか。いい人たちだし、信じられる人たちだ。と思った。これもご縁ですね。


酔った勢いで大原さんに少し聞いてみた。

「ちなみに、僕の何が良かったんですか?」

彼女は少し考えこんでから言った。

「そうですね。面接って、結局最後は直感なんですよ。私には小田島さんを絶対に採用しなくちゃいけないって、はっきりと感じたんです。私にはわかったんです。」

と一人うんうんと頷いた。

わかったようなわからないような話だったが、何となく僕も、「そんなもんですか。」と納得したのだった。


そして3日後には、ぶ厚い紙に金色の装飾の入った立派な内定通知書が送られてきたことで、僕は就職活動を正式に止めた。

その頃には、松田さんと大原さんのいるこの会社に入りたいという気持ちが確信になっていたからだ。


内定式にかこつけて旅行気分で広島に行くことを少しだけ楽しみにしていた10月1日になったが、残念ながら、今年はリモート開催だったので、自宅のパソコンで画面に入ると社長や役員の祝辞なんかで一時間ほどで終了した。

何か感動的な場面を想像していたが、特に何も無くあっけなかった。

リモートでの緊張感の無さと、真剣に人の話を聞くことの無かったこの時の僕にとっては、おじさんたちの長い話はつまらなかったのもあるかもしれない。


その後、何度かあった内定者研修や懇親会なんかは、学校の授業や再試験なんかと重なってほとんど参加出来なかった。

何しろ内定はもらったものの、ギリギリの単位数で卒業危機の迫っていた僕には入る会社に興味を持つ余裕が無かったのだった。

内定をきっかけに、さすがにバイトを辞めて卒業に専念することにした僕は、毎日、朝一番から下級生に交じって授業を受けていた。すごく恥ずかしい。

久しぶりのフランス語とかは本当にチンプンカンプンで、しかも知り合いゼロは寂し過ぎる。

今になってもうちょっと学校に行っておけば良かった、と後悔しても始まらない。でも、後悔しまくった。自分のことながら、どうしてここまで学校に行かなかったのか不思議だ。笑える。


人事の大原さんからは毎週のようにメールが届いていた。

重要なものではなく「お元気ですか?」とか、「小田島さんが懇親会に来られなくて残念です。」「一度広島に遊びに来ませんか?」といったメールだった。

マジで卒業ギリギリだったので断ってはいたが、本当に丁寧な会社だなあと思う。

こういったやり取りが続いていった。


そして2月後半になってやっと、本当にやっと卒業が決まった。

これで晴れて社会人になれる。

大学を卒業する寂しさは全く無かった。むしろやっと卒業できるという嬉しさの方がよっぽど大きかった。大学には特に親しい友達もいなかったので、卒業式はスルーした。こんな感じで僕の大学生活はあっけなく終わったのだった。


そんなこんなで広島どころか中国地方に生まれて初めて行ったのは3月31日の日曜日。入社式の前日。そして引っ越しのときが初めてだった。


「元気でな!」

「帰ってきちゃダメよ!」

中堅商社でサラリーマンをしている父と、近所のスーパーでパート勤務の母は、一人息子が遠い地域に行くことや、「天神株式会社」という聞いた事の無いスーパー会社に入ることへの不安よりも、バイトと昼寝しかしてこなかったバカ息子が無事就職したことの方に安心した感が満々で、軽―く送り出してくれた。

僕の部屋は母の部屋にする気らしく、

「やっとお父さんと別々の部屋でゆっくり寝られるわ。ほんとに嬉しい!」

と喜んでいた。母は更に、

「あんたの部屋は無いから、ほんとに帰ってきちゃダメよ。」

と、しっかりと釘を刺される。一人息子が可愛くないのか?と寂しくて涙が出そうになる。ウソだけど。


午前10時過ぎの名古屋駅。事前に送ってもらっていた新幹線の指定席に乗り、広島駅に向かう。

そもそも新幹線が超久しぶりだし、指定席なんて乗ったことも無いので、物珍し過ぎて、ずーっと窓から景色を眺めてしまった。

京都、新大阪と都会を抜けていく。その途中、姫路城が結構近くに見えるな、と写メ。

停車した福山駅では駅の目の前にお城があって、こんなの見たこと無いよ。と写メ。

でも、たくさん写真を撮った後に送る相手もいなかったことに気がついた。仕方なく母親に「行ってきます」に添えて送っておいた。

そんなお上りさん気分で、名古屋から2時間ちょっとで広島駅に着いた。広島は予想以上に近い場所だった。


空はいい感じにカラッと晴れていて、なんだか名古屋よりも暖かく感じる。やっぱ南の方だし、瀬戸内だからか?

広島駅は改装したばかりなのか、かなり立派できれいだ。駅を出るとなかなかの都会感もあって、さすが中国地方最大都市。駅前には大きなビルもそれなりにある。

といっても路面電車もあって、大都会ほどの慌ただしさはなく、なんだか住みやすそうな街だと安心した。

ちょうどお腹も空いていたので、広島駅の中のお好み焼き店でも一番混んでいた店に入ってみた。

カウンターに座ると目の前で分厚い、いわゆる広島風(?)とかいうらしい麺が入ったお好み焼きが焼かれていく。焼きあがったところにソースがかけられる。匂いだけで、ご飯が食べられそうだ。

愛想のいい店員さんに「どうぞ。」と言われて初めて本場のお好み焼きを食す。

うん、美味い!毎日食えるなこれ。しかし、ビールが欲しい。もっと早く広島に来て食べておけば良かった。

お好み焼きを満喫した結果、鉄板焼き臭をふんだんにまき散らしながらバスに乗って30分ほどで社宅の最寄りバス停に到着した。

地方都市の市街地らしい場所をスマホのマップを見ながら歩くこと5分ほどで、建てたばかりなのか、きれいな3階建てのマンションに到着した。ここが僕の新居か。感慨深いな。


「小田島さーん!」

男は、母親以外の女性から大きな声で呼ばれたことがあまり無いと思う。

結構びっくりしていると、そのマンション階段の踊り場から人事の大原さんが大きく手を振っていた。


走ってきた大原さんは、面接の時よりも少しだけ明るめの茶髪にしていて、ショートヘアが良く似合ってるし、くりっとした目は力強く、目を引き付ける。

あらためて見るとなかなか可愛いじゃないか。


「大原さん、こんにちは。遅くなってすみませんでした。」

「こんにちは!小田島さん。待ってました。他の新入社員はみんな入居してるよ!小田島さ

んは3階のあそこの部屋。角部屋。」

と言って指を差されたのは、確かに一番上の階の角だった。

「荷物はもう届いてるから部屋に運んでおいてもらったね。鍵も開いているから入っちゃって。」

大原さんは面接で会ったとときよりも、ずっとフランクな接し方で僕はもっと話しやすくなった。

手を引かれそうな勢いで、3階の部屋に誘導され、真新しいドアのノブを引くと、そこには僕にとって、初めての一人暮らしの部屋があった。


ワンルームではあるものの、広めだし白い壁紙の内装は清潔で明るい。机もイスも使いやすそうだ。

「いい部屋でしょ。私が内装とか家具を決めたの。小田島さんが気に入ってくれると嬉しいな。」

「いや、全然いいですよ。初めて一人暮らしするんで、すごくいい感じです。」

と言うと大原さんは

「ほんと?嬉しい!良かった。」と言ってすごく喜んでくれた。

さすが上場企業。こんなお洒落な部屋が社会人スタートとは幸先がいい。しかも無料。


「ちなみに私の部屋はこの階の反対側の角部屋。なんかあったらいつでも声かけて。」

と爽やかに語ってくれたが、暑いのか、胸元が空いた薄手の白いシャツを着ている大原さんの、結構なボリュームのある胸元についつい目がいってしまうのは仕方が無い。若いから。


「そういえば、小田島さんは、人事部、採用課に配属だから。2週間のリモート研修が終わったら、1週間だけ本店に研修に行ってもらって、その後すぐに本社に出勤ね。」

「え? 新卒は最初、全員が店舗配属だったんじゃないですか?」

「普通はね。でも小田島さんは採用課。私のところだからよろしくね。」

「で、本社はすぐ近くで、あのあたりにある本店の2階だから、この後、時間があったら一度見ておいて。あっちの方角に真っすぐ歩いて5分くらいだし、大きいからすぐわかると思うから。」

と指を差して教えてくれた。


ま、いいか。悪い話じゃないし。松田さんや大原さんたちのやっている仕事には興味もあったし。

とにかくやってみよう。という軽い感じで、

「わかりました。大原さん、よろしくお願いします。」

「よろしく。小田島さん。何かあるといけないから私の携帯だけ登録しておいて。ワン切りするね。」

僕みたいな新入社員の携帯番号を知っていることに感心しながら、鳴らされた電話番号を登録する。

「そういえば、きちんと自己紹介してなかったね。私の名前は大原明音 明るい音、で明音、あかね、です。よろしく。」

「小田島 昭です。こちらこそ、宜しくお願いします。」

あ、しまった。お好み焼き臭くないか?と少しだけ後悔したが遅かった。

さっと差し出された右手を握ると、温かくて、柔らかくて、そしてちょっとエロかった。


事前にもらった案内を何となくは見ていたが、部屋にはベッドや布団、書棚と勉強机などの家具や簡単な調理道具。エアコン、テレビ、パソコン、冷蔵庫、洗濯機、電子レンジなどの家電が置かれてあった。

全ての品物が見た事が無いブランドではあるものの、洗濯洗剤、柔軟剤、ボディーソープにシャンプー、そしてトイレットペーパーやティッシュ、フライパンと鍋や一通りの調味料までそろっている。

至れり尽くせりで、一人暮らしデビューには本当にありがたい。


大原さんは、日曜日にもかかわらず、

「本当は小田島さんの引っ越しを手伝うつもりだったんだけど、今から大阪にちょっとだけ面接に行かなくちゃいけないの。引っ越し手伝えなくてごめんね。」

と言うと、

「これ、うちのお店のお弁当。とりあえず今晩はこれを食べてもらえる?でも、お好み焼き買ってこなくて良かった。」

と笑顔で言った。やっぱバレてたか。でも、わざわざ僕の晩御飯まで買ってくれてたなんて。ほんとにありがたいっス。


大原さんは言うだけ言い終わると、急いで広島駅に向かっていった。


とりあえず自宅から送った着替えやリクルートスーツなんかが入った段ボール3箱をざっと棚や引き出しに片付けた後、当面の食料を買わなきゃと思い、せっかくなので、さっき教えてもらった、これから自分の会社となるスーパーである「メガサンサンディスカウント(通称サンサン)」に行ってみることにした。


歩いてほんの5分でそこに着いたが、聞いていたとおり、すぐにわかった。とにかく大きかったからだ。

どーんと広い敷地のほとんどは駐車場になっていたが、日曜日ということもあってなのか車で埋め尽くされていた。

名古屋のサンサンも外からチラッとは見たことがあったが、これほど大きなお店は初めて見た。さすが本店。

ちなみに、恥ずかしながら、めんどくさくて結局一度もお店には入ったことはありませんでした。ごめんなさい。


道に沿って歩いていくと大きな道路に面した正面側が本社の入口になっていた。

本社入口には立派な看板に「天神株式会社」と大きな文字で黒々と書かれてあって、これから僕が働いていく会社だ、と思うとなかなか感慨深かった。

ちょっとだけ中を覗いてみたが、入り口からすぐに階段になっていたので、本社の中までは見えない。

まあ、出勤すればわかることだ、と裏側に回ってお店の方に行くことにした。


店内に入って驚いたのは広いお店に、大量の商品がそこら中に積み上げられていたことと、とにかく何でも安いことだった。

創業からあっという間に大企業になったこの会社。やはりただものでは無い。うどん一玉税別13円!なんだこりゃ!

コーヒーのショート缶やお茶のペットボトルは25円!とにかく安い。カップ麺を見るとメジャーじゃないが、なんと55円!おっとこっちには歯ブラシ10本100円。新入社員には嬉しい限りだ。

さすが僕の選んだ会社だな!と勝手に誇らしい気持ちになった。


近いし、また買い物に来ればいいやと思って、日持ちがする物を中心に、とりあえず両手に持ち切れる範囲で買い出しをしてから部屋に戻って、冷蔵庫や棚にしまった。

一通りしまい終わったところで、見たことの無い1本100円の外国製缶ビールを開け、ベランダで夕陽を見ながらくつろぐ。

「なんか、いいんじゃね?」

笑顔の口から勝手に言葉が出てきた。

下の階からは物音や灯りが漏れていて、人の気配を感じる。明日からが楽しみだ。どんな同期生が住んでるんだろう。早く友達ができるといいな。

大原さんにもらった弁当をつまみながらビールを飲んだ後、真新しい部屋で、新品の布団を備え付けのベッドに敷いて、少しだけドキドキしながら、気持ちよく眠りにつくことができた。


初出勤日となった日は、9時から始まる研修に送れないようかなり早めに社宅を出て、瀬戸内海沿いの研修会場に向かうところから始まった。

朝から晴れていていい天気だ。ちょっと眠いけど、冷たい空気が気持ちいい。


スマホで検索したルートどおりに、まず広島駅まで戻り、電車とバスを乗り継いできたものの、こんな田舎なのに結構満員の電車と、更に超満員のバスに驚いた。

ほぼ全員が下車すると見事に全員がリクルートスーツだったことでやっと理解した。

天神株式会社の入社式で、こんな田舎なのに電車やバスが満員だったんだ。

後で聞いたが、無料シャトルバスが広島駅には待機していたらしい。もらった案内をろくに見ていない僕と同じような同期がめちゃめちゃたくさんいたのが笑える。帰りはちゃんとシャトルバスを利用しよう。


4月1日が月曜日だった今年。天神株式会社では2週間の研修(正確には月曜から金曜までの5日×2週間)の後に、入社式を行うとのことで、最初の週の月曜日と2週間後の月曜日の入社式だけが全員が集まる場となる。

採用数は200人以上。こんなに採用するんだ!と驚くほど、会場はごった返していた。


僕もそうだろうけど、みんなの目が輝いているのが嬉しくなる。

でも結構、東南アジアや、インド方向の人も多いぞ。明らかに外国人も2割くらいいるんじゃないか?さすが全国展開を目指している会社だ、と感心する。


新入社員の流れから見ていて、席は決まっているらしく、入口の扉に貼りだしている座席表で確認していると、後ろから声がかかった。

「小田島さん、一番前ですよ。」

振り返ると、笑顔の大原さんがいつの間にかすぐ後ろに立っていた。

「あ、おはようございます。昨日はありがとうございました。」

「はい。おはようございます。研修頑張ってください!」

やっぱり公式な場では言葉遣いも違うんだな。と一人感心した。

おそらくアイウエオ順なんだろう。なかなか目立つ場所だなあ。と思いながら、一番前に進むとすでに両隣は座っていた。


せっかくなので同期に笑顔で挨拶を。

「おはよう。小田島です。よろしくー!」


ん?・・・。ノーリアクション。聞こえなかったのかな?まあいいや。


200人以上の人が集まるとこんなに部屋の温度が上がるのか、というくらい熱気むんむんの会場では、日本語と中国語?韓国語?ベトナム語?が飛び交っているが、その喧騒を、マイクを持った大原さんが冷静に、しかし明確に破った。

「皆さん静かにしてください。ここは会社ですよ!」


決して大声でがなり立てた訳じゃないのに、会場が一瞬で静かになる。

「出身国ごとに座っていただいていますから、日本語がわからない方には、わかる方が通訳をお願いします。・・・・・・どうですか?準備はいいですか?・・・・・。はい、それでは、あらためまして、おはようございます。人事部、採用課の大原です。皆さん、ご入社おめでとうございます。今日から皆さんは天神株式会社の社員です。細かいことはこれからの研修でお話しますが、天神株式会社の一員として恥ずかしくない行動を取っていただくようにお願いします。それでは、ただ今から202*年度新入社員入社研修を始めます。全員起立!」


全員が一斉に立ち上がる。言葉のわからない外国人ですら一人も無駄口をきく者はいなくなった。カリスマ性を感じるほどだ。

ただのエロいお姉さんでは無かったわけだ。


研修初日はこれからの流れや、全社員に貸し出されるパソコンシステムなどの座学がほとんどだった。また、明日から始まるリモート研修の説明も行われた。

日本語がわからない外国人の同期生には、同じ言語で日本語がわかる人が同時通訳をする研修はなかなか活気があった。


午前の部が終わり、お昼ご飯には、お弁当が出された。これも近くのサンサンで作られた物らしいが、鮭の切り身に、白身魚のフライ。きんぴらごぼうと小さなサラダ。そしてご飯とお漬物。普通に十分でしかもご飯は結構な大盛り。

これで値札シールにはなんと128円!200人前でも3万円しないのか。

まさに価格破壊。これで採算が取れるの?併せてお茶のペットボトルが付いていたが、これはサンサンで僕も買った1本25円。税込み27円のやつだった。

お弁当と合わせても1人前税込165円。コンビニだとデザートも買えない。すごいぜ、サンサン!


200人以上の新入社員が一斉にお昼ご飯を食べ、お茶を飲む。咀嚼音と会話が入り交じり、国籍や肌の色、言葉なんて大きな問題じゃない。

肌の色や言葉、宗教、色々な壁を越えて、そこら中でワイワイ話しながら食事する。

まるで多国籍で遠足に来たみたいだ。世界がこんな感じなら戦争は無くなるな。

そう言えば禁止食材とか大丈夫なのかな?とうっすら思っていたが、後で聞いた話では宗教上、豚肉がダメな人と、牛肉がダメな人がゴチャゴチャに混ざっていたので、肉は一切無し、魚と野菜、植物性の油だけで、このお弁当は作ったらしい。

やるな、サンサン!


しかし、それにしても気になったのは両隣の男性2人。

一言も発せず、黙々とメモをとりながら研修を聴いている。食事中も一言も話さない。

服装はリクルートスーツだし、別に変なところは無いのだが、何となく異質感を感じる雰囲気だ。ま、真面目、ということなんだろう。

挨拶をなんとなくスルーされてからは話し辛く、そのまま会話の無い席になってしまったが、ひそかに真面目1号と真面目2号と命名した。


いや?

二人だけじゃない。

最前列に座った僕以外の5人は全員同じように、全く会話していない。

弁当だけを見て黙々と食べ、静かにお茶を飲み、そして自分のノートを見返している。もちろん僕みたいにわき目もふらない。

なんだこの最前列は。すごいな、やる気満々だな。でも適当な僕にはこの最前列は厳しい。

もっとコミュニケーションを取ろうぜ!と思っていたけど、こりゃ無理だ!と、あっさりあきらめた。


でも今日の研修会場は、少し古い建物だけど室内からも瀬戸内海が見える最高のロケーションだ。太陽の光に波が反射する風景は遠い地方に来た、という感慨以上に未来への希望を感じさせる風景だった。

「なんだか明るくてキラキラしてるなあ。」


キラキラしてる。というワードから、ふと大学時代の彼女の顔を思い出した。美人と言うよりは可愛い子だった。振られたけど。


おっといけない。ぼーっとしてた。

時計を見ると、研修終了時間まで残り1時間。そこに突然、男性の社員から号令がかかった。


「それでは天神株式会社の朝礼、終礼のやり方を学んで研修初日を終了します。皆さん、しっかり覚えて下さい。それでは始めます。全員起立!」


そこからがちょっとだけ普通と違う感じだった。


「はい、まずは太陽に向かって拝礼を行います。この時間はあちらの方角ですね。全員、起立してあちらに向いて下さい。まず2回、深―くお辞儀をします。はい、1回。はい、2回。続いて3回、柏手(かしわで)を打ちます。はい、パン、パン、パン。わかりますね。そしてもう1回お辞儀をします。深―く一礼。わかりましたねー?」

「続いて、軽く右手を握って腰のあたりで止めて下さい。左手は腰に持ってきます。左足を前に踏み出します。こんな感じです。そして、全員で声を合わせて大きな声で「行くぞー!行くぞー!行くぞー!」3回繰り返します。以上です。わかりましたね?それでは全員でやりますよー。せーの!・・・・・・・・・・・・。はい、そうです。ちなみに日没後は月に向かってしますので覚えておいて下さーい!いいですかー?」


一時間くらいはしっかりと繰り返しただろうか?

最初は照れや戸惑いがあって声も出ず、足並みもそろわなかったが、やっているうちに自然と合ってくるもんだ。

太陽とか月に向かって、とか、何にお辞儀かはよくわからないし、どこに行きたいかもさっぱりだが、ま、とにかくやっているうちに全体が盛り上がってきたのは間違いない。


うん、楽しいかも。1号と2号も真剣にやってる?と思ったら僕以上にガチでやっていた。

うーん、なかなかやるな。負けられない。おっと、外国人の同期たちも全力じゃん!なんか盛り上がってきたー!

研修が終わると声はガラガラで喉は痛いし、でもなんだか心地よい疲れを感じていた。


同じ社宅の同期もここにいるはずだけど、まだ知らないので、シャトルバスで帰ろうとすると、大原さんから声をかけられた。

「小田島さん。これから社宅に帰りますよね?私も帰るので、良ければ私の車に乗っていきませんか?」

疲れていてバスとバスの乗り換えはきついなと思っていたところなのでありがたく、その申し出を喜んで受けることにした。あざっす!


大原さんは同僚と思われる男性社員に声をかけている。

「山口さん。私、先に帰りますね。お先に失礼します。」

「はい。大原課長、お疲れ様でした。」

ん?大原さんって課長だったの?まだ20代中盤にしか見えないけど。やっぱ、やり手なんだな。

そして先輩じゃなくて、完全に僕の上司だったんですね。エロいとか思ってしまい失礼しました。


大原さんの車はLマークの赤いスポーツカーで、親父の車の5倍くらいはしそうな高級車だった。

なかなかのいい匂いがするその車に乗り込むと、車はすーっと滑らかに発進する。

車の中では大原さんが一人、趣味の映画の話なんかをしていて、少しだけ緊張しながらもはいはい、と僕は聞いていた。

大原さんは、仕事が終わると途端にフランクな話し方になっていて僕はそのギャップにちょっと惹かれる。


行く時には1時間半以上かかった道のりは高速を使うとわずか30分ほどで社宅まで辿り着けた。

ここに住むならやっぱり車は買うべきかな?社宅に駐車場もあったし、中古ならローンで買えるか?なんて考える。


「大原さん、あ、大原課長、ありがとうございました。助かりました。また明日から、よろしくお願いします。」

社宅の敷地内の駐車場でそうお礼を言って、部屋に戻ろうとすると、

「小田島さん。晩御飯どうする?今から買い物に行くのもめんどくさくない?どっかに食べに行こうよ。もちろんおごるから。」

とお誘いを受けた。

一応は「明日も研修ですから。」と言ったものの、はいはい、といった感じで聞き流され結局、近くの個室居酒屋に行くことになった。


大原さんと飲むのはこれで2回目だが、前回は相当セーブしてたんだろう。

本性と言うと聞こえは悪いが、よく飲んで、よく食べる。そしておしゃべり好きだ、ということがわかる。

ビールから始まって、日本酒、焼酎ロックを飲みながらずっと話し、そして食べている。

これくらいのパワーが無いとこの若さで課長にはならないんだなあ、と納得させられるものがあった。


そのうちに大原さんからは

「ねえ、小田島さんは彼女いるの?名古屋においてきた?遠距離?」

といった少々からみっぽい感じの話になってきた。

「いません。というか、ここ2年はいないですね。がっつり振られてからは。」

「あー、そうなんだ。へえー。何で振られたの?」

「うーん、何でしょうね。性格の不一致とか、ですかね。」

本当の話はとても言えない。


しかし、大原さん、ちょっと待って下さい。

やや下からの上目遣い、微妙に胸の谷間が見えてますって!ていうか足を組み換えるとパンチラしそうですし。酒の勢いでいけそうな気もする、いやいやいや、入社初日で、セクハラでクビなんて最悪過ぎる!

「すみません。ちょっとトイレ行ってきます」

逃げるようにトイレに行って上下ともに落ち着かせてみたが、この若さで2年も女性に接してないからマジヤバい。

落ち着け!俺!相手は上司だ。しかも直属の。そして課長だ!


このままだと理性を保てるか、自制心に危険を感じた僕は、

「じゃあ明日も早いですし、そろそろ帰りましょうか?」

と、まだ飲み足らない感じの大原さんを少しだけスルーして切り出した。

会計はもちろん大原さんが払ってくれて僕たちは最上階のそれぞれの部屋に入った。

大原さんの視線を背中に感じた気もするが、気づかないフリをした。まだ飲み足りないんでしょうが、僕はもうギブです。


部屋に戻ってすぐベッドに横になると、酔いも回っていたのか、あっという間に寝てしまった。


翌朝、火曜日は思った以上にすっきりと目が覚めた。が、

「あっ!」

6時を少し過ぎていた。

社宅に入った時にもらったルールブックに、毎週火曜日の朝は6時から全員で清掃。と書かれていたので慌てて1階まで下りると、なんと1号と2号、だけじゃなく、昨日最前列に座っていた全員、男性3人、女性2人の5人。

僕を入れて6人全員がこの社宅に住んでいた。


「おはよう!ごめんごめん。寝坊しちゃって。」

と言ったものの、誰も振り向くことはなく、返事も無い。1号、2号はもちろんの事、5人とも黙々と掃除をしている。

うーん、変なメンバーが揃ってるなあ。そうか、昨日の席順は社宅生が先頭だったんだ、ということに一人納得しながら、何となくやっていない箇所の掃除をやってみた。


しかしこの社宅結構大きい。

1フロアあたり4部屋あって、3階建てだから12部屋あるけど、ここには僕を入れて6人。大原さんを入れても7人。あとは一般の人が入ってるのかな?


掃除は終わる時も、それぞれバラバラに解散となった。

「同期意識が欲しいぜ!」

ホウキをスイングしながら、ついつぶやくと、すでにこの時間からしっかりとリクルートスーツを着ている女性がくすっと笑った。

よし、友達になれそうな人を見つけた。


「おはようございます。小田島です。えっと、ごめんなさい。」

「あ、おはようございます。小林です。よろしくお願いします。」

さわやかな挨拶とともに名前を聞けた。暗いやつばっかりじゃなくて本当に良かった。また話しかけてみよう。


部屋に戻って、シャワーを浴びて寝癖を直し、まだ慣れないネクタイと格闘した後、税別55円の、名古屋では見たことの無いメーカーのカップ麺を朝ごはんにした。朝からラーメンって悪くない。そして普通に美味い。

そして9時ちょうどにリモート研修が始まった。


開始から半日が経った。

リモート研修は、新入社員は、ほぼひたすら聞いているだけなので、正直、眠い。

途中寝ててもわからないとは思うが、一応は人事部が定期的に画面をスクロールして巡回チェックをやっているらしい。僕も誰かに見られてるんだろうか?

45分の講義のあと、振り返りテストを10分やって5分休憩。この繰り返しが続く。

寝不足で受けるときついな、これからは注意しなきゃ。と思いつつ何度か意識を無くしていた。


研修は各部門の部長が出てきて、交代に各部署の仕事について説明をしてくれる。

そんな研修を受けていて、少しずつ会社の内容がわかってきた。

この会社、「天神株式会社」は35年前に現在の社長が創業し、一代で上場するまでになったそうだ。

今では全国に213店舗、2千百億円を超える売り上げを誇っている。業界ではまだまだ中堅の規模ではあるものの、競合店を破壊する勢いのディスカウント価格と、銀行グループと強力にタッグを組んだ資金力で、急速に全国に展開している。

そのため、優秀な人財はいくらでも欲しいらしく、中途採用の多い部長クラスの紹介ページには輝かしい経歴の人たちがずらっと揃っていた。


研修でも面白かったのが、次々に行っているM&A(企業買収)で、規模や事業内容を問わず、少しでも販売する商品に関連していて、安く出来る可能性があれば、商談1回目でも、社長が即断即決して買収を決めるとのことで、そのスピード感が業界でも驚異的とのことだ。

そういった新規事業は様々な紹介者や、銀行などから次々と案件が持ち込まれ、昨年だけで10社を超える企業を傘下に収め、部長クラスが社長として送り込まれていく。そして傘下に入った企業に“天神イズム”を伝えていく。

“天神イズム”とはズバリ!「徹底して1円でも安く!」である。安く買い、安く売る。それが消費を拡大し、日本全国を豊かにする、という考えが全ての根底にあるそうだ。

最近では、牛乳を作ろうと酪農の牧場や、ヤ〇〇トみたいな乳酸菌飲料を作れる会社を買ったそうだ。なんかジュースでも買う感覚みたいだな、とふと思った。


取締役経理部長の説明では、多額の買収資金は多くの銀行から借り入れを行っているのだが、天神株式会社の業績が極めて高い水準で安定していることから、メガバンクの方から「お金を借りてほしい」と頭を下げてくる。と胸を張って自慢していた。

「あんたの力じゃないよね?」

音声がミュートである事を確認して声に出した。偉い人なんだろうけど経理部長の自信満々なところが鼻についた。


天神イズムは商品交渉の場でも同じで、各バイヤーが一定の権限を持ち、基本即決、現金で倉庫を丸ごと買い取るといった商売を行っていることが、あの安さにつながっているらしい。

しかも代金は商品搬入後1週間以内に全て現金で支払うそうだ。小さな会社なんかじゃ本当にありがたいんだろうな。

バイヤーたちには、多少のミスは許容範囲として許し、チャレンジングな商売をさせるという方針だそうだ。バイヤーチームの紹介では、部長以下みんなイケイケ感が満載で、会社の花形部署で、全社員の憧れの部署というのもよくわかる。

こんなグータラな僕ですら一度はやってみたいと思ったから。


商品開発部はサンサンの店内で販売する弁当や総菜。パンや加工品などの商品の新メニューを作るのが仕事だ。

スタッフ1人が毎週1品の商品提案をするのがノルマらしく、開発部の人たちは「毎日が地獄の締め切りです!」と笑っていた。

マジか。毎週1品の新商品ってヤバッ。面白そうだけど大根も切ったことが無い僕には無理だな。


新事業開発部の部長はとにかく格好いい、お洒落で男前のおじさんだった。

この人が次から次へとM&Aを成功させているそうで、今、企画しているのは、魚の養殖から、農業、水耕栽培まで幅広いらしい。

男前で仕事が出来て、お金もいっぱい持っていそうな雰囲気に、ちょっと腹が立つ。


しかし、僕みたいなのんびりダラダラと生きてきた人間からすると、会社全体がパワーというか、挑戦力みたいなものが凄くて驚くし、なんかいい。


そして、なんと天神株式会社では社長の創業から成功までを綴った映画まで作っていた。

輝かしい経歴の部門長と違い、社長は中卒で、丁稚奉公のような仕事から、小さな小売業を始めたが、創業当初は、随分苦労したらしい。

顔は知っているけど名前のわからない俳優が社長役で出演していて、なかなか本格的に作ってある。お金かけてんなー。と感心する。


映像では社長の幼い頃からを振り返っていた。

家が貧しくて毎日同じ服を着て学校に通っていたことで、「貧乏人の子」と言われ、いじめられた小学生時代。

中学生になると、朝と夕方は新聞配達、夜は近所の肉屋でアルバイトをして家計を助けたこと。

親からは高校に行くように言われたが、家庭の事情を考え、自分で働くことを選び、中卒でも受け入れてくれた食品卸のお店に入社したこと。

コツコツと、誰よりも朝早くから、夜遅くまで働き続けた27歳のときに、そこのご主人から認められ、のれん分けをされ、最初のお店「大原昭一商店」を開いたこと。

安い商品を仕入れるために。大阪や九州まで自分でトラックを運転していったこと。

35歳のときに屋号を「天神株式会社」に変えて、千年続く会社にしよう、と決意したこと。

そんな話が感動的に綴られていて、ちょっとうるっときてしまった。

映像の最後では現在の天神グループを最新のCGで見せて、あんな小さな店から巨大企業を一代で作り上げたことがわかる。

そして大原社長がどーんとズームアップ!

たたき上げ、まさに裸一貫でここまで来た大原社長。その大きく、ぎょろっとした目、恰幅のいい姿は、大物感が満載で、直接見られたら石像化しそうな感じすらする。

ま、直接話をすることも無いだろうけど(笑)


会社説明でお店の名前の由来も説明された。

メガサンサンディスカウントという店名は、太陽の恵みように、地域の人々に安さという価値を降り注ごう、という社長の思いから付けられたとのこと。

少し長いけどいい名前だと思う。


サンサンでは独特な商品展示方法をしており(これを社内では、考案した社長の名前を取って、大原陳列と呼んでいるらしい)を行い、多くの同業他社が内々に視察に訪れるほど画期的なものだそうだけど、正直、僕にはただ段ボールのまま商品を積み上げただけのようにしか見えない。

全店24時間営業で、1店舗には社員は2~3名しかしないにもかかわらず、パートの戦力化とITシステム、そしてスタッフの頑張りで売り上げを伸ばしているとのことだ。


店舗では例の「行くぞ行くぞ朝礼(僕が勝手に名付けた)」を1日3回行い、従業員一丸となって、とにかく安く売る事を最大の使命として、実際にここまで成長している。

まだ従業員としてはお店に行っていないのでよくわからないが、なんだかすごい勢いのある会社で、そしてとにかく儲かっている会社なのだ。利益率は業界平均の倍以上あるらしい。

おかげでこんないい社宅に、しかもタダで住まわせてもらっている。


なかなか面白い話がたくさん聞ける研修だと思う。中でも、どうしても人事部の話には引き込まれた。

人事部長がやるのか?と思っていたら大原さんが登場したことが大きいし、やっぱり自分が配属される、と言われたこともあったと思う。

大原さんはさすがにプレゼン慣れしていて、流ちょうな説明や、わかりやすい資料。そして何よりも、真摯に話す大原さんの言葉や表情に、この会社や、新入社員への愛情がすごく感じられて、本当に良かった。

大原さんのプレゼン終了後には思わず拍手したぐらいだ。


ただ、全体的にはリモート研修は、会社勤めの感覚が非常に薄い。

テレビで見たけど上半身スーツで下半身はパジャマというのも、あながち嘘とは言えず、多くの同期がやっていそうな気もする。

そして、正直なところ、時々クソつまらない話もある。

その人の前では絶対に言えないが、総務部長と経理部長の話は、心の底から面白くなかった。それは、内容というよりも、作った原稿を、ただひたすらに読んでいただけだからだろう。

まず間違いなく、多くの同期生が爆睡していたはずだ。何故なら、僕も完全に寝落ちしたから。


そういう時は、眠気覚ましを兼ねて、ネット検索なんかもしていた。

そこで初めて「天神株式会社=太陽教」とのスレがたくさん立っているのを発見した。

太陽教自体を知らなかった僕は関連するリンクを色々と開いてみたが、そこにはなかなかのうさんくさい感があった。ざっと要約するとこんな感じだ。


太陽教 正式名称「太陽教団グレートサン教会」 信者数は国内500万人。海外1千万人。教祖グレートサン(本名:太田 淳一)。

本名はバリバリ普通の名前だな。

太陽を信仰し、その化身がグレートサンこと、太田淳一さん。ここの教義には終末思想があって、信者は助かるけど、教団に入っていない人は地獄に落ちるらしい。

でも、どこかで聞いたような気がするな、この話。笑える。


他にも「天神株式会社は太陽教の最大スポンサー」とか、「天神株式会社で幹部になるには信者じゃないといけない。」。「狂った会社」とか散々な言われ方だ。

でもそんな雰囲気は今のところ全く無いけどなあ。

まあ、いいや、僕みたいな下っ端には関係ないと思った。


リモート研修は2週目に入った。

今度の火曜日の朝の社宅掃除こそは、絶対に一番乗り、とまではいかなくても最後になるのは嫌だ、と思っていたので、携帯アラームを三段階でセットして、30分前なら余裕だろう、と1階に降りてみた。


が、しかし、もう全員掃除をしてた。

くそー、何時に来ればいいんだよ、と腹が立つ。けど、誰にも当たれない。

仕方ないので、先週と同じように他の人がやっていなさそうな場所を見つけてやっていく。


終わるころ合いに、小林さんがいたので、「ちょっといいですか?」と声をこっそりかけてみた。

「すみません。みんな何時から来てるんですか?」

小林さんはあっさりと

「あ、これ?掃除?1時間前の朝5時。私たちは1時間前集合だから。」

マジすか?そんなルールってどこの法律?時間ギリギリに僕は生きてきたんスけど!

「でも、多分、小田島さんはもっと遅くて、時間ギリギリで全然いいと思う。これは私たちだけの何となく、そう、ただの暗黙のルールだから。気にしないで。」

と言って小林さんは笑顔で去って行った。

私たちだけの暗黙のルールって?と少し気にはなったが、まあ、そんなもんか?と思って僕はいつも通り聞き流した。

細かいところを全く気にしないのは僕のいいところだ。


2週間のリモート研修中は、毎日終了後に点呼があった。

点呼、といっても社宅を大原さんが回って、「お疲れ様です!」と声をかけて行ってくれるのだけなので、近所のお姉さんが立ち寄ってくれる感じに近い。

そして大原さんは、必ずと言っていいほど、何かしら食べ物や飲み物を持ってきてくれる。よほど好きと思われたのか、お好み焼きが2回もあった。

本当に面倒見がいい会社だなあ、と心から感謝し、ありがたくいただく。

そして、受け取り際に大原さんのいい匂いをかぐ、という密かで変態的楽しみが僕の日課となっていた。

ちなみに、大原さんと、採用課の人たちは、1年の中で入社研修の時期だけは本社にずっといられるらしい。あとは年中出張続きだそうだ。


こんな感じで2週間のリモート研修は終わった。研修終了日、つまり入社式を3日後の来週月曜日に控えた金曜日、リモート接続が切れるとすぐに僕の携帯が鳴った。画面を見ると、ついこの前登録した大原さんだった。


「はい。小田島です。」

「もしもし、小田島さん。大原です。来週の月曜日は入社式だけどその前に少し話があるから、晩御飯でもどう?」

もちろん断る理由は無いので

「はい、わかりました。何時にどちらにいけば宜しいですか?」と聞くと

「今からすぐに小田島さんの部屋の前で。」

マジすか。

慌てて上着を着て外に出ると大原さんは、初めて見たノースリーブにタイトスカート姿で、フェミニンとでも言うのだろうか、まあそんな恰好だった。

ただ、ボディラインがはっきりとわかって目のやり場にやや困る。

「研修お疲れ様です。何が食べたい?」


結局、距離優先で、前回も行った個室居酒屋に行く事にして、まずはビールで乾杯しながら、あれこれと大原さんが注文していくのを見ていると、前回も感じていたが、あらためて、仕事が出来る人は決断力があるなあ。と感心する。


「何?どうしたの?ずっと見られると恥ずかしいよ。」

「いえいえ、大原さんと食事するのも三回目ですよね。いやー、いつも気持ちいい注文の仕方だなあ、と思って。」

「そう?子供の時から、即断即決しなさい!って言われてきたからね。タイムイズマネーだって。これがクセになっちゃった。やだ、恥ずかしい。」

いつもキビキビしている大原さんが顔を赤らめる感じはなかなかいい。


食事もひと段落したところで僕は切り出した。

「そう言えば話って何ですか?」

大原さんはニヤッと笑って言った。

「小田島さん、あなたに入社式で新入社員代表挨拶をしてもらうので。お願いします。」

なんすか、それ!ビックリなんですけど。

「えーっ!僕ですか?いやいやいや、他にもっと優秀な人がいるでしょう。僕なんか国公立とは言え二流いや、三流に近い大学ですから。」

すると大原さんは少し真面目な顔で話し始めた。

「確かに入社試験とか、入社研修での成績が小田島さんよりも高い人たちはいるよ。でもその人たちは太陽教学園大学の出身者たちなの。太陽教学園は知ってる?太陽教が中学、高校、大学までを一貫校として設立してるの。うちの会社ではその学校に寄付をしているんだけど、そこの大学1期生が今年初めて卒業になって、うちで5人受け入れたの。彼らは親元を離れて中学から全寮制で純粋培養されてて、一切遊び無しで勉強ばっかりしてるから、ものすごく優秀。でも、リーダーになれるような人はいないの。会社でも事務とか研究とか、太陽教との連絡なんかの仕事をする人たち。基本、3年間現場を経験したら、本社に異動してもらう予定。ちなみに、私たちの社宅にいる全員が太陽教学園の出身者で、あなたと私だけが一般大学出身。」


なるほど、それであの人たちだけは、掃除も1時間前なのか、と何となく納得する。

しかしあの小林さんも太陽教だったのか、と何故か少しだけ落胆。


「うちの会社は上場企業だけど、まだまだ中国地方だけで知られているだけだし、知っているかもしれないけど、新興宗教扱いされてもいるから、あなたみたいな人はなかなか入ってこないの。正直、採用数も多いのでまずは入社させて、ダメならダメでいい。って思ってる役員もいる。でも私はこの会社を誇りに思ってるし、人事の仕事も大好きだし、一人も辞めてほしくない。」

「でもね、まあ、色々あるけど、とにかく考えに考え抜いて、私があなたにしたの。文句ある?」

と言い切ると、一気飲みしたビールジョッキをドンっとテーブルに置いた。


最後は脅しだな、と苦笑しながらも、そこまで言われたら、いくら優柔不断な僕でも、男として引き下がれない。

「わかりました。文章を考えますから添削して下さい。大原さんに恥をかかせないように頑張ります。」

と言って、大げさに胸を叩いて、乗りかかった船に乗ってみることにした。

そこから先はこういう文章にしよう、とか、その表現は良くない、とか、夢を織り込もう、とか、わいわい話しながら、明日は休みだ、という気楽さもあって、ついつい、がっつり飲んでしまった。

ほんと、明日が休みで良かった。



まだカーテンの向こうは真っ暗な、夜中の3時過ぎにハッと目が覚めた。

ややうつろな記憶ではあるものの、ビールから日本酒飲んで、ワインボトル空けて、焼酎ロックと進んで、閉店までその店にいた後、大原さんが自分の部屋からどさどさっと有名な焼酎のボトルを何本か持って僕の部屋に上がり込んで、更に呑み直した。

そして、いつの間にか大原さんが僕の下で

「私、社長の娘だけどいい?」

と聞いてきた?そのような気がする。


いや、多分、間違いない。僕は両手でこめかみをきつくもんだ。


うーん。やってしまった。頭痛がする。横で裸の大原さんが寝てる。


隣で向こうを向いて寝ている大原さんのうなじと白い背中、くびれた腰を見て、興奮するよりも「後悔する前に考えろ」とか、「お前はほんとに計画性が無い」といった親からよく言われたグチを今になって思い出し、うなだれる。

でも、あんだけ酔っぱらって若い二人が一つ部屋にいたら、こうなるわな。しょうがないよ、そりゃするよ。

いや、しかし。

社長の娘って。


ふと気づくと大原さんが僕を見ていた。

何も言わずに僕にキスをしてくる。

振り払おうにも両手で頭を抱えられて、その豊満な胸を僕の顔に圧しつけてきた。こんな状況、22歳の僕には抵抗出来ません。

お父さん、お母さん、ごめんなさい。入社早々、社内の人に、しかも上司に、そして何より社長の娘に手を出してしまいました。ばれたら絶対にクビです。


と思いながらもう1回。しっかりしてしまった。若いから。


「小田島さん。ありがとう。」

と言って、大原さんは朝になると部屋をこっそりとでもなく堂々と、しかも結構な笑顔で出ていった。

昨日初めて聞いたのだが、3階には僕と大原さんしかいないらしいが。それにしても。

しかし、普通、お礼を言うのは男だよな?ありがとうって、僕ってそんなに良かったのか?多分ですが、超普通な方法しか知りませんけど。お恥ずかしいです。こちらこそありがとうございました、ですよ。普通。


呆然とすること約1時間。

やっとのことで大原さんの甘い香りが強く残るベッドを出て、かなり激しめの罪悪感を、「熱いっ!」と喚きながら、めちゃめちゃ熱いシャワーで洗い流したつもりになって、部屋で「行くぞ行くぞ朝礼」をやってみたら少し元気が出た。

隣に人がいないのはわかってるけど真下に人がいるかはわからない。昨日と今朝の騒音が聞こえてなければいいのですが。


そう言えば、大原さんは土日で、広島市内にある実家に帰ると言っていた。

安心したような、少し寂しい気持ちのような。そう言えばなんで実家から通わないんだろう。新入社員のお目付け役なのかな?

考えていると恥ずかしいがちょっとだけ興奮してしまった。僕は若すぎる。


アルコールを抜くためと気分転換も兼ねて、溜まりに溜まったいた初めての洗濯をやってみた。

と言っても洗濯機に洗剤と柔軟剤を入れれば、後は勝手にやってくれた。そして干すだけ。

でも何か充実感があった。

同じく備え付けだった、掃除機というものを初めてかけてみた。初めてだからだろう。これまた結構楽しかった。

でもこれを毎日やるとなると話は別だ。母さんって偉いな。とちょっとだけ思った。


洗濯と掃除、最後に布団を干すと午後2時になっていて、お酒も大体抜けてお腹も空いてきた。

せっかくなのでサンサンに行って何か買ってこようと外に出ると、玄関で小林さんにばったり出会った。

何故か、心臓がバクバクしてドギマギする。

「あ、おはよう、じゃなくてこんにちは。」

「小田島さん。こんにちは。どこか行くんですか?」

「うん、何か食べるもの買おうと思って、サンサンにでも行こうか、と。」

「私も行くとこ。一緒に行こうよ。」

と二人で歩いて買い物に行くことになった。いや、なってしまった。

小林さんには何の関係も無いのに、何故か罪悪感がハンパない。もしも大原さんにでも見られたらどんなことになるのか?なんて意味も無く想像してしまう。


でも、いい天気の中を、女の子と散歩するのも悪くない。

話しながら歩いていると、こんなシチュエーションはいつ以来だろう?と考える暇もなくあっという間に店に着く。わざわざ離れて買い物をするのも何か不自然と思ってカートを並べて買い物することになった。


小林さんの買い物を見ているとしっかり自炊していることがわかる。野菜を中心に色々な種類の品物を少しずつ買っている。

それにひきかえ僕のカートにはカップ麺。ビール。コーラ。水。弁当。わかりやすい。


僕のカートを見て、小林さんが笑った。

「小田島さん。これじゃ食生活がヤバイよ。野菜食べなよ。せめてこれ。」

と言ってカット野菜のパック詰めと野菜ジュースをカートに勝手に入れられた。

渋々ではなく、なんだかちょっと嬉しい。ついでにドレッシングも選んでもらった。小林さんはノンオイルのしそ風味ドレッシングを選んでくれた。


帰り道、二人並んで帰る5分間は楽しかった。

「小田島さん、付き合ってくれてありがとう。またね。」

「うん、またね。」


部屋に戻ると僕の気持ちはなんだかあったかかった。

せっかくなのでとりあえずサラダのパックを開いて、そのままドレッシングをぶっかけて食べながらコーラを飲む。

あれだけ換気したのに部屋にはまだ大原さんの香りが少し漂っているのに気付いた。


ちなみに僕の食生活はその後もサラダと野菜ジュースだけは買うようにした以外はあまり変わらなかった。

ご飯は時々炊いたが、おかずを作るという行為は最初の肉じゃがらしき物の失敗からあきらめた。

クックパットを見て作ったはずなのに、僕の肉じゃがは肉とじゃがいもの焦げた匂いしか感じられない茶色の何かになっていた。仕方ないので焼き肉のタレをかけてごまかして無理やり胃に流し込んだ。


結論。僕には料理を作るという才能は無い、と早々に判断したので、ご飯だけは炊いて、おかずはサンサンで総菜を買ってくることにした。

だって、なにしろ、サンサンは何でも安いから。弁当が128円だし、総菜にいたってはほぼ1品50円前後なんだよ。

自分で作るより安くて効率的なんだ。決してめんどくさいだけじゃない。ってね。


基本的に土日で保存できるものをまとめ買いしてから、ご飯を炊き、おかずは2日に1回、サンサンで買う。これが僕のルーティンになった。

中でもクセになったのが冷凍食品だった。今の冷凍食品はマジで美味い。一人暮らしで最大の発見だ。餃子にチャーハン、ラーメンまで。中でもケ〇ミ〇の焼きビーフンはあまりの美味さに超ヘビーユーザーになってしまった。この味がレンチンで食えるなんて美味すぎる。なんかCMみたいだ。

時々、他のスーパーにも行ってみたりしたけど、やっぱりサンサンは安くて便利ないい店だと思う、これは繁盛するよ。


そしていよいよ入社式の日。研修最終日がやってきた。


初日と同じ研修会場に向かう広島駅発、満員のシャトルバスの中で僕は作った文章を繰り返し頭に入れていた。

新入社員代表の挨拶は、土曜日のうちにメールで大原さんに送り、OKももらっていたので、後は読むだけ、とは思うもののやっぱり緊張はするものだ。


研修会場の自分の席に座ってそわそわしていると、なんと1号から話しかけてきた。ちょっと嬉しくなったのもつかの間。

「なんで君が新入社員代表なの?僕の方が圧倒的に成績いいのに。」

ガクッとくる。なんだ嫌味か。

「知らないよ。俺が決めたんじゃないし。人事の人に聞いたら?」

とそっけなく答えると、プイと向こうを向いてしまった。勝手にしろって感じだ。

確かに最前列のメンバーは僕なんか比較にならないくらい、研修での試験では良い成績を出している、というか1号なんてほとんど満点に近い。これも宗教のおかげなんだろうか?とにかく真面目で賢いのには間違いない。友達にはならないけど。


ふくれっ面で、ふと横の方を見ると、小林さんと目が合った。笑顔を送ると笑顔が返ってくる。いい人だ。

そしてなかなか可愛い。

僕に節操が無いんじゃない。客観的に可愛いのだ。


時間になって入社式が始まった。

司会は大原さんが努めている。一度、いや二度は確実に目が合った。なんとなく視線を送ってきてくれるのがわかる。

ごめんなさい。思い出して、また少し興奮してしまった。


役員の入場、とコールされるとドア前に立っていた総務部の人が2人がかりでドアを開ける。

まるで結婚式だな。と思っていると、ホームページや研修のビデオで散々見た大原社長を先頭に役員が入ってきた。

心の中で僕は社長に謝った。

どうもすみませんでした。でも僕からではないと思います。多分、ですが・・・・・。


今となっては、あのはっきり、くっきりとした目。なんとなくの顔つき。こうやって二人を見比べるとよくわかる。

そして同じ名字で、20代にして課長。普通に一族以外では考えられないはずなのに。

はい、お父さん、お母さん、ごめんなさい。普通気づきますよね。僕って本当にバカ。でも気づいていても止まったかどうか、はわからないけど。


社長の訓示は、さすが一代でこれだけの会社を作っただけに、迫力満点。目の前に立ったらまさに肉食獣。

多分いい話なんだろうけど、緊張MAXなのと、犯罪者感を持っている僕には一言も入ってこない。

やばい、ちびりそう。そして罪悪感ハンパない。


「それでは、新入社員代表の挨拶を行います。新入社員代表、小田島 昭さん!」

呼ばれてはっとすると、また大原さんと目があった。間違いなく僕だけに向けられた合図のような、ささやかなウインクに僕は色々な意味でクラクラする。

ぎこちなく歩いて、ライオン感のますます増している社長の前で用意した文章を読み上げる。やばい、死ぬかもしれない。


社長に真っすぐに見られている。まさかばれてはないだろうけど。

上から下まで全身を見られているのがわかる。

社長!顔は笑顔だけど目は全然笑ってないんスけど。

そう、草食獣を前にしたライオンの目だ。

僕、マジで食われるの?


なんとか練習したとおりに読み上げ、社長他役員に一礼し、席に着いた時には、もうクタクタになった。帰りたい。


とは言え、時間は過ぎるもので入社式とその後の辞令交付式も無事終わり、解散となった。

辞令の受け渡しは人事部長が全員分行った。

僕は大原さんの言った通り、「人事部 採用課勤務を命ずる」と言われた。

これで完全に大原さんの直属の部下だ。

色々なことが複雑すぎて困る。自分の責任だけど。


採用課配属、という辞令を受け取って席に戻ると、1号と2号が明らかにガンを飛ばしてきていたが無視しておいた。

お前らだけにはぜってー負けねえ。勉強以外は。


200人以上もいる同期生達は、グループごとに飲みに行くような約束をしている気配があるが、最前列メンバーだけは誘われない。別物扱いなんだと知る。

僕も新興宗教の一味、と思われているのか?まあ、いいか。と思いながらシャトルバスで広島駅まで戻った。

そこからまた市バスに乗ろうと歩いていると、最前列メンバー唯一の癒し、小林さんから声を掛けられた。

「小田島さん。社宅に帰るの?」

「うん、でも晩御飯作るのがめんどくさいからサンサンで弁当かなんか買って帰るつもり。」

「じゃあ、なんか食べに行かない?」

「あ、いいねえ。」

ちなみに、小林さんから誘われたからやむを得ず行くのであって、下心は本当にありません。多分。というか絶対に。

さすがに。

3日前の今日ですから。いくら若いと言っても。


僕たちは広島駅前の居酒屋に行くことにした。そして、小林さんが結構飲めるということに気づいたのは1時間も経った頃だった。

僕は、少し興味を持ち始めた太陽教について聞いてみた。

すると、小林さんは水を得た魚、と言うよりは、昔はまったパチンコの魚群のように、話し始めた。

いかに教祖様、グレートサンがすごい人で、自分たちは全てを信じている、とか。素晴らしいとか。自分たちの出身校である太陽教学園のレベルが高いか、とか。

1号なんかは東大に合格したものの、それを蹴ってその学校に入ったらしい。

「さすが変わり者。」

とつい口から出てしまって小林さんに軽くにらまれる。

1号と2号は親の代からの信者で、その2世になるらしく、小林さんと違って太陽教ではエリートなんだそうだ。へえー。僕には関係無いけど。

太陽教は新しい宗教なので親が信者の子供たちは「純粋信者」と言われて尊敬されるらしい。僕は尊敬しないけど。

他にも自分たちのお給料の2割は寄付する事が決まっているとか。寄付額は信仰の強さを現すので多ければ多いほどいいのだとか。何でも全て話してくれた。

適度に相槌を打てて聞き上手なのは、数少ない僕の特技だ。


ちなみに、グレートサンも、超の付く高学歴で、ハーバード大学を首席で卒業し、10か国語がペラペラ。経営者としても数多くの会社を成功させ、コンサルタントでも活躍していたが、ある日、突然に天から啓示を受け、自ら教団を立ち上げたそうだ。

「絶対に嘘だろ!」

と顔は笑顔でうなずきながら、今度はちゃんと心の中で叫んだ。


大原社長は教団の中でも、ぶっちぎりナンバー1の寄付をしていて、大原社長のことを知らない信者はいないそうだ。

今では信者筆頭幹事という何だかわからないけど、信者の最上位にいて、大原社長の下で働けることは自分たちの最大の喜びだ、とかを目を輝かせて話す小林さんの目はうっとりしていてマジ怖い。

ちなみに太陽教学園の中には大原社長の名前を付けた公園もあるらしく、学園の開校セレモニーではグレートサン、そして次の教祖となる予定のグレートサンの息子の隣。つまり教団ナンバー3の所に座っていたそうだ。

しかし、名前を付けた公園って?大原公園?昭一公園?ま、どっちでもいいか。


でも、あらためて感じたのは、信仰宗教とか、狂った宗教と言われているけど僕が知っている大原さんも、小林さんも、普段はごく普通、と言うよりは、むしろ、やる気があって本当に素敵な人たちだ、ということだった。仕事に対しても、ものすごく頑張っていこう、という気持ちが溢れている。


小林さんがグラスを持ちながら肘をついて言った。

「でも、なんか時々寂しいんだよね。」

「なんで?志望どおりの会社に入って、充実してるんじゃないの?」

「うん、そうだけど。普通の生活ってしたことないし、太陽教学園では、修行僧みたいな感じだったし、普通の学生の生活を知らずに就職しちゃったから。」

「修行僧?」

「うん、4年生の時にはまるまる半年間、山の中の教団施設にも行ってた。単位は3年生までで取るんで、4年生はひたすら教会のお手伝いとか、修行とか、瞑想の日々なの。お金も持ってないから外にも出られないし。テレビもラジオも無いから、世間から完全隔離だしね。みんな外界のことを娑婆って呼んでた。」

刑務所かって自分に突っ込む。

うーん、やっぱり、普通じゃない。

「そうなんだ。じゃあ会社に入ったら色々と遊びに行けるね。」

「うん、行きたい!小田島さん、連れて行って。」

僕ってモテ期?

そんな子猫のようなウルウルとした可愛い顔で言われたら「うん、わかった。じゃあ近いうちに行こうね。」と安請け合いをしてしまった。


一応恰好つけて「僕がおごるよ!」と言ったが、小林さんは割り勘にこだわって、しっかりと半分出した。男前な気持ち良い払い方だった。

帰り道、なんとなくお互いに話し足りなくて、社宅まで歩いて帰ろう、ということで、二人並んでずっと話しながら帰っていった。

気が合うという感じがしたのは、多分僕だけじゃないと思う。いい友達が出来た。

1時間以上歩いたのに、あっという間に社宅についた感じがする。

「小田島君。お疲れ様!またね。」と言われてそれぞれの部屋に入った。

いつの間にか「小田島さん」が「小田島君」になっていた。

なんだか距離が縮まった気がして嬉しい気持ちになる。


少し浮かれた気分で、部屋のある3階に一段飛ばしで上がると僕の部屋の前に大原さんが立っていた。

悪いことはしていないのにちょっと顔がひきつる。

「お疲れ様。遅かったね。」

「あ、すみません。同期とご飯食べてました。連絡下されば良かったのに。」

同じ社宅にいる小林さんと、とは何となく言えなかった。


大原さんはいきなりキスをしてきた。そして

「昭さん、会いたかった。」

とつぶやいた。こっちは昭さん?もう下の名前で呼ぶんスね。

そして、ほんの2、3日前に深―く、長―く会ってますけど。


大原さんは式典会場では気丈に振舞っていたが、この若さで年上の人たちを使ったりするのは大変だろうと思う。社長から受け継いだと思われるカリスマ性は強い魅力を放っていて格好いい。

でも、二人でいる時の彼女は名前で呼ばれたがった。そして呼び捨てしてくれるようにお願いされ、僕は言われたとおりそうした。

大原さん、いや明音は「昭さんに会えて良かった。」「私にはあなたしかいない。」「研修中もあなただけをずっと見てたの。」と言って何度も僕にしがみついてきた。

そうか、リモート研修では大原さんにずっと見られてたのか。変なことしてなくて良かった。


大原さんは熱かった。

僕に抱かれているとき、手を僕の背中にしっかりと回して離れなかった。

なんだか身体だけじゃなくて、大原さんの全てで僕を離さないようにしているようだった。

した後も僕を両手で抱え込んで、片時も離れない。

明け方になって、大原さんは僕の研修受け入れ準備があるからと、何度も僕にキスをして名残惜しそうに部屋を出て行った。


そんな朝。

当然のごとく、少し、いやかなり身体は重かったが、気持ち的には張り切って指定された朝7時少し前に本店の従業員入口に入っていくと、相当驚いた。笑顔の大原さんが店長室で待っていた。

「小田島さん、おはようございます。こちらが本店の店長、青山店長です。これから1週間だけですけど、これからの採用活動に必要な知識を身につける研修をお願いしていますので、頑張って下さい。」


いやいや僕的には昨日、いや、さっきまでのあなたとの違いに驚きますが。

「はい、大原課長ありがとうございます。青山店長、宜しくお願いします。」

となんとか切り替えられた。


紹介された店長は40代前半くらいだろうか?さすが本店の店長をしているだけあって、しっかりと七三分けにした髪型とピシッとしたワイシャツにネクタイ。そして態度がスマートだった。

「小田島君ですね。大原課長から伺っています。どこまで私がお伝え出来るかわかりませんが、出来る限りこれからの採用に使える知識を教えていきます。作業は基本やらずに、私についてもらって、徹底的にサンサンの仕事の流れと仕組みを理解してもらいます。頑張りましょう。」

大原さんは店長と一緒に、店内にいた社員だけでなくパートさんに至るまで僕を紹介してくれ、指導をしてくれるように頭を下げてくれた。

もちろん全員が大原さんを社長の娘と知っているはずだが、大原さんは、とにかく従業員の人たちに人気があることがわかった。

何せ、パートのおば様たちが仕事をほったらかして集まってくるし、キャーキャー言ってるくらいだから。


「小田島さん。本当は、せめて1日くらいは一緒に働きたかったんですけど、今から東京に面接に行かなきゃいけないんでごめんなさい。頑張って下さいね。」

そう言うと、かなり慌てて出張に出ていった。

大原さんが店を出た後に青山店長がポツリと言った。

「小田島君はよっぽど期待されてるんだねえ。あの忙しい大原課長が新入社員の受け入れに顔を出すなんて。僕も真剣にやらないといけないなあ。」

ついさっきまで一緒にいたもんですから、とは当然言えません。


どうやら青山店長はこの1週間、完全に僕に向けて研修をするためにスケジュールを空けてくれているらしく、1週間分のスケジュール表を出してくれた。

「早速今からかかるけど、とにかく1週間というか正味5日しか無いから、ちょっとハードになるけどごめんね。その代わり、店のことは大体わかるようにするから。」

こりゃやるしかないな。


店舗は365日、24時間営業なので当然、従業員は完全交代制だ。

社員の基本シフトは朝7時から夜の7時のパターンか、午後3時から夜中の3時の2シフトになっている。

つまり最初から毎日3時間の残業ありきで、暇な時だけは早めに帰れるらしい。もちろん忙しい時は更に延長になる。これは入社前の説明には無かったことだった。

ちなみに深夜3時から翌日の7時までは、原則、社員はいない。パートだけの営業になる。お客さんもほとんど来ないこの時間帯は、ほぼひたすら納品された商品の品出しを行っている。

これが365日どころか永遠に続いていくそうだ。


「でもパートさんだけだと万引きとか強盗とかで深夜なんかは怖くないですか?」

と僕が聞くと店長はあっさりと言った。

「小田島君。事件は誰がいても起きる時は起こるよ。うちのチェーンでも何度か強盗はあったけど、それは他の会社でも起きてるし、うちが特別に犯罪が多いわけじゃない。もしもの時はお金を渡してケガだけしないようにする。うちのお店は全店で、店内だけじゃなく駐車場から死角が無いように防犯カメラが設置されてるんで、その映像を警察に渡して終わり。まあ大概逮捕されてるよ。そういう評判は早いから、あまりうちでは事件も起きない。それがうちのマニュアルだよ。」

なるほど。

僕のいた店では無かったけど、名古屋でもしょっちゅうコンビニやファストフード店での強盗は起きていた。一度起きると同じエリアの同じチェーン店への被害が続く傾向があるらしいので「厳重注意」のお知らせが時々、事務所に貼ってあったのを覚えている。


要するに一定のリスクは無視すればいい、というのが天神株式会社の考えかただった。うーんそれはそれで賢い選択のような気がする。


社員、パートの一日は、精肉や鮮魚、青果部門などの一部の人以外は、ほぼ品出しと整理、値引き、そしてレジ対応だ。


店舗では大枠の割り振りが決められていて時間になるとそれぞれが勝手に動いて作業を進めていく。

特にベテランのパートさんの動きを見ていると、社員からの指示を聞いている人など誰もいない。

後で店長から聞いたが、社員は異動や退職なんかで代わっていくが、パートさんはずっとこの店だから下手な社員よりよっぽどよく働くし、動ける。つまり、

「ベテランパートさんの方が僕よりもずっと偉いんだ。僕たち社員の仕事は、パートさんたちが働き易い環境を作ることなんだよ。」

そう話す店長の顔は穏やかで少し嬉しそうだった。これはスーパーに限らずどのお店にも通じる哲学のように思えた。こういう言葉が自然と話せる大人に僕もなりたい。


店内だけでも20台近いカメラが設置してあって、1台のモニター画面を切り替えながらアップにしたりして、店長が話をしてくれる。

店長は「今ここで品出しをやっている。」とか、「値引きシールを貼っている。」と言った事を説明しながら、パソコンでデータを見ながら僕に詳しい解説をしてくれた。

何故、この時間に品出しをするのか、値引きシールを貼るのか、コンビニでもあったものの、そんなことに今まで気にしたことも無かったけど、全てに理由があることがわかった。

特定の商品が売れる時間帯。逆にもう売れなくなるタイミング。地域ごとに差があるそれらを、誰よりもパートさんたちはわかっていて、売り時を見逃さない。

小さなことのように見えるかもしれないけど、売上を上げるためのコツなんだ。

しかし、店長やスタッフの人たちが本当に親切に教えようとしてくれているのは僕を紹介してくれた大原さんへの尊敬の念の様な気持ちが、僕には感じられた。


お昼ご飯は、店長やお昼のパートさん達とサンサンのお弁当を食べたのだが、パートさん達の話に上手く合わせながら笑顔で話を聞いている店長の姿は、さすが本店の店長。という感じだった。

1週間と言っても、月曜から金曜までの5日間しか無い。

僕は店長と一緒に最初の4日間は朝7時からのシフトで、最後の1日だけは夜のシフトに入った。


最終日、夜22時の大量な納品を見て、さすがに画面だけを見ている訳にはいかないと思った店長から、

「小田島君。いっちょやる?」

と聞かれ、もちろん「はい」と答えて一緒になって荷受けと品出しをやってみた。

正直、夜のバイトは慣れてる、とたかをくくっていたが完全に甘かった。

何せコンビニとは物量が全然違う。夜間はトラック数台分、お店の繁忙期には夜だけでトラック10台を超える荷物が届くそうだ。


荷受けの仕方がわからないので、僕はひたすら商品を店内に出して陳列していく。もちろん先入れ先出し(先に入った商品を先に売る為に前に出す)が欠かせないので、すでに並んでいる商品を前に動かしながらやるのだが、これがまた物凄く大変だった。

特に飲料はとにかく重い。コーラ50ケースとかを平気で並べていく深夜のパートさんを見て、本当に尊敬する。

眠くなる心配など全くのムダで、あっという間に定時の午前3時になった。

店長から先に上がるように言われたものの、店長や先輩たちを残して帰るほど、僕は図太くない。一緒になって手伝って、結局朝の6時まで働いた。


朝日を浴びながら凝り固まった肩や腕、背中を伸ばしていると店長が缶コーヒーを買ってくれた。

ただの缶コーヒーがこんなに美味いなんて。

働くことはきついけれど、でも楽しい。

そんな当たり前のことを教えてもらった5日間だった。


店舗研修の最終日、お礼を言って帰ろうとすると店長が言った。

「小田島君。僕の記憶だと入社してすぐに本社に配属されたのは、今までの数えきれない新入社員の中でも君だけだ。君を採用課に選んだ大原課長の期待に応えるように努力しろよ。君ならきっと出来る。頑張れ!」

朝日の中で、ちょっとだけ七三分けの髪型が乱れていた店長の激励に、不覚にも涙が出てしまった。天神株式会社に入社して良かった、と思った。


筋肉痛を土日でしっかりと治した僕は、月曜日に本社の人事部採用課に初出社した。

そこには、笑顔の大原さんと、おじさん(50代?)の係長が1人。若手社員が他に8人。10人全員が揃っていて、自己紹介を受け、僕もした。


しかし何これ?

男性は全員イケメンで、女性は美人ぞろいだ。顔面偏差値の極めて高い部署、というか、絶対に顔で選んでるな、ここは。

ただし、僕と係長以外ですが。

なんだか意味も無く、ちょっと恥ずかしくて顔が赤くなる。


朝礼が終わったあとすぐに、大原さん、いや大原課長の案内で、満面の笑みの人事部長のところに挨拶をしてから、他の部署にも挨拶周りをした。

どこの部署でも部長や役員クラスが席から立ちあがって丁寧に挨拶をしてくるのはさすが社長の娘。

でも見ていると大原さんも絶対に偉そうにせず、若手社員の人たちにも丁寧に笑顔で接していた。

大原さんは偉い人たちだけじゃなく、若手の社員にも全員に僕を紹介してくれた。

大原さんが通ると社員の視線が集まる。社員のみんなが大原さんに注目している感じが伝わった。

そうか、みんな大原さんと話したがってるんだ。


採用課のスペースは本社の中でも一番奥で、広く、ガラス壁で他の部署と区切られている場所にあった。そしてここだけがオフィスの家具なんかも特別お洒落になっている。

松田主任から聞いた話だと、新卒の採用は大原さんに全て任されていて、提案は全て直接、社長決裁され、経費も行動も自由。会社の中でも特殊な部署だそうで、まさに選ばれた部署だった。

自分の実績はゼロだけど、正直、僕はかなり誇らしかった。


そういった特別な部署で、現場経験ほぼゼロの僕だったが、新卒ホヤホヤであるという事は、逆に新卒の気持ちはわかるかもしれないし、そこは活かすべきだと勝手に思った。


他部署からはなかなかの羨望のプレッシャーは感じるものの、採用課の先輩たちはみんな優しく、親切で、仕事が全くわからない僕に対しても熱心に教えてくれる。

本当に働きやすい職場だ。


採用課の人たちも社長の娘ということを抜きには出来ないとは思うけど、大原さんをきちんと立てていて、大原さんも部下の人たちに常に丁寧に接している。

ミーティングも常に笑顔だし、笑いが絶えない部署だった。

一体感のあるいいチームだと僕にもすぐにわかった。


サンサンのお店があるのは、北は中部地方、南は九州までだが、大原社長による

「優秀な人財を全国から採用!200名以上!目標必達!」

という号令によって(実際に、社長直筆の書が壁に貼り出してある。このお洒落なインテリアには全然似合わないが。)、北海道から沖縄まで全国で採用活動を行っている。

採用課10人が面接担当2人(大原さんと係長)と説明会担当8人に分かれて、全国を回る。


新人の僕は、入社6年目。採用課に入って3年目のイケてる先輩で、自称、女性新入社員からの支持率NO,1。僕に最初に会社説明会をやってくれて、そして内定式に間に合うように選考に進めてくれた松田主任とペアを組むことになった。

後で聞いたが、大原さんがわざわざ気を利かせてチームを組ませてくれたそうだ。

僕は松田主任のまさに手下として、説明会担当の仕事を一から勉強をすることになった。


松田主任に合わせて、基本は月曜から木曜は説明会で出張。金曜日の半分は出張、半分は本社でミーティングや事務仕事というスケジュールになった。

要するに2週間に1日くらいしか、会社にいないようだ。

早速、支給されたパソコンと会社用の携帯電話を使ってまずはスケジュールの登録や、共有情報をダウンロードしていく。


説明会担当チームは、ダイレクトメールの送信。ブログやコメントの更新。そして全国各地での合同企業展への出展と、それに合わせて開催する単独説明会を1日2回から3回行う。

そこで会場に来た学生としっかりとコミュニケーションをとり、エントリーの管理や面接まで引っ張っていくことが説明会担当の基本の仕事だ。

やりながら覚えろ!というのが、松田主任の指導方法だったので、聞いたことや教えてもらったことは片っ端からパソコンに入れて資料を作る事にした。


説明会担当は大きく日本を5つのブロックに区切ってあって、松田主任いわく、「俺はエースだから一番忙しいところ全部が担当」と言っていた。確かに東京、名古屋、大阪という主要3都市を松田主任が担当していた。


早速、明日には大阪で合同企業展があるらしい。いよいよ仕事が始まる!そしていきなり出張?と思ったら今日は僕の歓迎会だそうだ。ありがたいですが、明日は大丈夫なんでしょうか?


今日は色々な人に紹介されたり、パソコンまわりをセッティングしただけで、ほとんど仕事らしい仕事はしていなかったが、定時で全員が退社し、あらかじめ呼んであったタクシーで広島駅まで全員で行くことになった。さすが、というかほんとに段取りに慣れてる人達だ。


居酒屋につくとみんなで本当に楽しく飲んで騒いではしゃいだ。更に二次会はカラオケボックスに行ったが、大原さんが率先してマイクを握り唄っていた。

その後もさりげなくだけど、大原さんはみんなが盛り上がるように気を配っているのがわかった。


時間を気にして10時ぴったりに解散となった。

費用は全て大原さんが支払ったそうだ。


ある意味、当然の話かもしれないけど、天神株式会社の大株主でもある大原さんは、簡単に言えば、大金持ちらしい。

よくよく考えてみると物凄い恵まれた人なんだな。大原さんって。とその時は思った。


当然のごとく同じ方向、というか同じところに帰る僕と大原さんは1台のタクシーで帰ることになった。

二人だけになると大原さんは、タクシーの後部座席で指をからめてきた。そして少しずつ僕のところに近づいてき身体がぴったり密着するほどだった。


お酒も入ってるし、若いし。

僕が大きくなったのに気づいた大原さんがちょっぴり強く握ってきた。


タクシーが社宅に着いた後、なんとなく離れて3階まで上がると、僕たちはそのまま大原さんの部屋に入って玄関で靴も脱がずに抱き合った。お互いに服を脱がせながら、もつれ合ってベッドに向かう。はた目には滑稽だと思うけど、これが若いってことだよね。


大原さんはどんどん積極的になっていったし、若いからこそ僕もいくらでも応えられた。


といった、いつも通りの理由で、ほとんど寝られなかったが、朝4時半には起きて、6時半に広島駅に集合。すぐに新幹線に乗った。松田主任からは「これから出張が続くから、電車の移動中はしっかり身体を休めろ。」と言われたものの、いろんな意味でテンションが上がっていて寝るどころではなかった。


僕は何しろまともな就職活動をしていなかったので、合同企業展も初めて行った。そして早速驚いた。

大阪港の近くまで行くのだが、新幹線から電車を乗り継いで会場に近づくにつれ、電車の中でもはっきりとわかるくらいリクルートスーツの学生が加速度的に増えてくる。

目的地である大阪港近くの、どでかい会場に着くと、まだ早い時間にもかかわらず会場の前には学生が溢れている。そして駅からは続々と、茶髪を黒に染め直して、真新しいスーツを着た学生たちの真っ黒な集団が吐き出されてくる。

松田主任が言うには

「でも新卒の採用は人材紹介とかWebにどんどん切り替わっていて、年々イベントは学生の人数が減ってるんだよなあ。」

らしいが、僕には信じられない話だった。


会場に着くとまず割り当てられたブースで準備をしていく。今日は僕が初めてだったので、岡田さんというこれまた美人の先輩が現地集合で応援に来てくれていた。

ブースにポスターやパネル、スタンドポップを飾っていきながら、パンフレットやスクリーンを準備する。これなら何となく出来そうだ。


時間になるとアナウンスが流れた。

「出展企業の皆様。間もなく開場時間となります。学生の皆様をお入れしますのでブースのご準備を終わらせて下さい。繰り返します。・・・・・それではただ今から開場致します。」


数カ所の入口から、学生たちが広い会場に一斉に流れ込んでくる。まさに黒い波だった。

しかし、その波には何らかの意思があって、足早に何カ所かのブースに集中していった。見ていると、いわゆる有名企業のブースだった。

あれほどいた学生たちだったが、悲しいことに全員が素通りして僕たちのブースには一人も来なかった。


松田主任が僕の方を向いて言った。

「小田島。よく見とけよ。これが学生の中でのうちの会社の優先度だ。要するに低い。てか基本ゼロだ。全く認知されてないってことだ。これを俺たちの力で採用まで持っていくんだ。どうだ?燃えるだろ?」

と言うと、かっこよく岡田さんにウインクして、二人でパンフレットを持って歩いていく。松田主任は女性に。岡田さんは男性に。通りがかる学生に声をかけていく。


これはナンパじゃないっすよね?

人生は不公平だ。イケメンと美人のパワーを見せつけられた!

学生の目が♡になってる。


声をかけていくと、学生はどんどんブースに送り込まれてくる。タイミングを見て松田主任がパワーポイントを操作しながら説明を始める。岡田さんが立ち見の整理をしながらも、合いの手を入れる。学生の反応や男女比を見ながら時々、交代して話す。

見事な連係プレー。すごい。

松田主任は話すときにパワーポイントなど全く見ない。学生一人一人の顔を、目を見ていく。そして一人一人に語りかけている。

大事な話は声を大きく、強く、繰り返す。

笑いを起こす。学生はみんなうんうんと頷いている。

学生たちの視線は松田主任や岡田さんを追い、話を夢中になって聞いている。

ブースでの説明は15分程度でどんどん回転させていく。説明が終わって学生にはアンケートに記入してもらう。これでメールアドレスをとって、単独説明会に誘導するらしい。


あっという間に2時間以上が経っていた。

松田主任が真顔で言う。

「よーし、小田島。やってみるか?」

いや、無理っす。さすがのバカな僕でもわかります。

その日はとにかく、松田主任と岡田さんの話を聞くことと立ち見の整理、アンケート回収に徹した。というか他には何も出来なかった。

先輩たち、すげえな。

松田主任は岡田さんと僕にはお昼の休憩を出したが、自分はトイレに1回行ったきりで、ずっと説明をしていた。

帰りの新幹線で、ビールとつまみで乾杯しながら、松田主任になんで休憩しなかったのか聞いてみた。

「だって、全員と話ししたいじゃん。休憩してたらいいやつに会えないかも知れないだろ。それってもったいないじゃん。」

松田主任。素直に格好いいです。惚れそうです。しかし、僕もいつかこんなことが言えるレベルになるだろうか?

そもそも見た目に差があり過ぎるようにも思うし。まあ、それは忘れよう。なんともならないから。


合同企業展の1週間後と10日後には、同じ地域で天神株式会社の単独説明会を開催する。

合同企業展で集めたメールアドレスと新卒採用サイトへの応募。そしてダイレクトメールなんかを使って新たな応募をまとめていく。

こういった雑用は教えてもらえばすぐに出来るのでもっぱら僕の担当になった。

4月のこの時期だとまだまだ応募が多い時期だそうで、1回目の大阪会場では広い会議室に70名近い学生が集まっていた。


僕は受付や、アンケートの配布、回収。サンサンで売っているお茶を配ったり、資料を配ったりをしていたが気が気じゃなかった。

それは、前説。つまり最初の挨拶をするように松田主任に言われていたからだった。


定刻になった。僕は初めて学生の前で話した。

「学生の皆さん、こんにちは。天神株式会社と言います。あ、天神株式会社の小田島でした。えっと、今日はようこそてんじん×△〇×△〇」

最初から嚙みまくってしまった。


松田主任が颯爽と壇上に現れて話を引き取る。

「はい、皆さんこんにちは。天神株式会社の松田です。ここにいるのは今年の新入社員で人事部、採用課に配属された小田島君です。ど緊張していますね。いいことだ。」

と言って会場の笑いを誘う。さすがです。すごすごと僕は引き下がった。


松田主任は、僕の説明会の時には比較的早口で話をしていた印象だったが、上手くは言えないけど、なんだか今日は“伝える”という感じでプレゼンをしていた。

多分だけど人数や雰囲気でやり方を変えているのかもしれない。


時にゆっくりと、時にはテンポアップして、大きな声や小さな声を使い分ける。学生は引き込まれるように聞いている。学生の目が松田主任を追っている。

ヤバイ!格好いい。

その日、1回目の説明会が終わって昼飯を松田主任と食べに行くときにも僕の興奮は止まらなかった。

「松田主任、すごいですよ。感動しました。僕もあんな風に出来るように頑張ります。」

と言うと松田主任は笑いながら言った。

「褒めてくれてありがとな。でもな、小田島。俺のを参考にするのはいいけど、プレゼン資料の作成とか、トークは、絶対に自分で作れよ。そうしないとただの物真似になっちゃって、面白くなくなるから。」

なるほど。そんなもんですか。

「あと、伝える内容は大事だけど、話すのも聞くのも人間だからな。話すやつが感動してないのに、聞く方が感動する訳ないから。そのためには、何度も同じ話を聞いてお前は感動するか?」

えっ?ってことは毎回話を変えてるんすか?マジで?

「もちろん全部を毎回変えるわけにはいかないけど、つかみの部分とか、時事ネタとか、ヒネリは必ず入れるな。それは俺自身が飽きないようにするためなんだよ。そんな雰囲気って学生に伝わっちゃうからな。あ、そう言えば、小田島は新聞取ってるか?明日頼んですぐに取れ、そして読め。雑誌や本も読め。情報を集めろ。当たり前のことは絶対に知っとけ。

バカが採用してるとバカしか入社しないぞ。優秀な学生を採用したかったら、お前が優秀になれ。わかったか?」

はい、松田主任。あなたは優秀です。なんも言えません。


早速僕は新幹線の車中で、新聞をネットで申し込んだ。少しでも仕事が出来るようになりたかったからだ。本や雑誌も参考になりそうなものを松田主任から聞いた。

今度の休みに全部買いに行こう。

そして、ああは言われたものの、正しい答えとしか思えない松田主任を徹底的に真似することに僕は決めた。


それからは、毎朝30分かけて新聞を読み、会社か出張先で様々な雑用をこなしながら、松田主任のプレゼンを見てメモを取り、社宅やホテルで、いつかくるであろう、自分のプレゼン資料を作成し、時々見てもらって意見をもらう、という日々だった。


人と話すのは決して苦手じゃない、というか、どちらかと言えば得意な方だと思ってたけど、伝えたいこと、学生が聞きたいことを上手くまとめて話すのは、普段の話とは全然違うことに気づかされた。

僕が資料を作ると、どうしても言いたいことをとにかく詰め込んでしまうが、松田主任は、学生が聞きたいことを話している。その違いがなんとなくわかる。


松田主任のプレゼンをスマホで撮影して、ホテルや自分の部屋で鏡を見ながら何度も何度も練習する。

自分のプレゼン練習も撮影して見比べて見ると、自分のヘタさ加減にあきれるというか落ち込んでベッドに倒れこむ。


特に初めて指摘されたのが僕の名古屋弁だった。

松田主任は、出身は広島らしいが、大学が東京だったのできれいな標準語だ。

「小田島は多分気が付いてないだろうけど、結構な名古屋弁バリバリだからな。訛りは悪くはないけど、名古屋以外だとそこそこ違和感が出るから、ちょっと注意した方がいいかもな。」

嘘?僕って訛ってたんだ。初めて気がついた。


「僕ってホントにヘタだな。うーーーん。これじゃあ、永遠にデビュー出来ない。」

色々やればやるほど、松田主任がただのイケメンじゃない、っていうことがよくわかった。

多分こんな練習を他の先輩も、みんなやったんだろうな。

人事ってニコニコしてればいい、みたいに他の部署からは思われてるんだろうけど、こんな隠れた努力はわからないし、見せちゃいけない部分なんだろう。

作った資料を松田主任に時々見てもらっても、

「うーん。悪くはないんだけど、なんか面白くないんだよなあ。」

と言われている。

サラッとやれているように見せるのが格好いいと思うし。これからも人事の仕事をやっていくためにも、頑張らなきゃ。


説明会担当に負けず劣らず、というかそれ以上、圧倒的に、面接担当の仕事はハードスケジュールの一言に尽きる。

面接する大原さんと係長は、9人(僕は戦力外なので実質8人)の説明会担当から送られた全国の応募者を各地で面接する。学生の都合を最優先にするので土日の面接も多い。共有されている大原さんのスケジュールを見ると休みという文字がほぼ入っていない。


4月から6月は面接数も多いので説明会チームも面接のサポートに回る。

見習い中の僕は松田主任について、大原さんのときに1回。係長のときに1回、面接サポートを担当した。

2会場を使って、30分刻みで学生の予約を取り、適性検査と筆記試験、面接を進めていく。大体1割くらいの確立でドタキャンが出ることを見越しての時間配分だ。

面接が終わると学生が出てくる。時間を空けずに試験会場から予約順に学生を誘導していく。それを1日繰り返す。

丁寧で好感を持ってもらえるような挨拶も大切だ。意識して口角を上げて笑顔で、そして出来る限りの標準語で話しかける。細かなコミュニケーションが会社を身近にさせるんだ。と言われたことを心に刻んでおいた。

言われたとおりにやっていると、確かに実感も反応もあるので、納得できる。

面接は、一応は昼食時間もスケジュール化しているものの、ほとんどが押せ押せの時間になるので、面接官はちょっとした合間におにぎり程度を食べるか、もしくは夕方まで何も食べずに面接をやりきる。

僕は、根性論は好きじゃないけど、面接官は根性がいると思った。


係長に「面接ってしんどくないですか?」と聞いたことがあった。

入社から30年近いらしいベテランの係長は

「面接って本当に疲れるよ。だって、学生が本当のことを言っているか、嘘なのか、全然わからないしね。だからとにかく、良い人を採用しようと思って真剣にやるしかないんだよ。私の面接の心得みたいのものはそれだけ。だから毎日、終わったらヘトヘト。もうなんともなんない感じ。」

「1年やると大体、500人近く面接するから、なんだか人の人生をのぞき見し続けてる感じかな?係長として面接を初めてもう10年経つけど、相当おじいさんになっちゃった感じがするなあ。でもね。大原課長は面接官になってまだ2年目だけど毎年千人は面接してるんじゃない?あの人は社長の娘とか抜きにして本当にすごいよ。年下だけど尊敬してるからね。」

と言って笑った。

なんだか僕が褒められたように気持ちになって、嬉しかった。そしてあらためて大原さんの仕事に対する姿勢に感心した。


面接官は、面接数が落ち着いてくると、一人で出張に出て会場の設営をやって面接をする。その場で採否を決定してWebサイトにその日に入力しなければならず、会場でも移動の車中でもずっと処理に追われるそうだ。もちろん宿泊の手配や電車の手配、精算なんかも全て自分でやっている。

後日、大原さんにも「もうちょっと仕事を減らして休んだらどうですか?」と言ったこともあったが、

「昭さんと会えないのは本当に寂しいけど、社長の娘だからこそ、採用ノルマは絶対に達成したいの。私が達成しないと社員の皆さんに申し訳が立たないし。採用課だけがノルマ未達成で許されちゃいけないから。」

と少しだけ疲れた笑顔を見せたことがあった。


でも僕は他の部署の社員と雑談をしていても大原さんへの悪口は聞いたことが無い。

それは表向きでも何でも無く、多分、本音でだ。

特に若手はみんな絶賛していて、次の社長になる可能性の極めて高い大原さんにすごく期待している。

逆に偉い人達には様々な思惑もあって色々と難しいのかもしれない。

社長の一人娘。それはそれで本当に大変なんだろう。僕には想像もつかない。でも頑張ってる大原さんは格好いい。と本当に思う。

採用課の出張は泊りも多く、朝一出発で、最終で帰ってくることは当たり前なので、休みだけは確実に取るように徹底されていた。大原さんだけは別として。


休みは土日なので、店舗勤務で平日休みの小林さんとの約束もなかなか果たせなかった。

大原さんは、もちろんもっとハードだったから、たまに社宅に帰ってきても、遅い時間だと僕に気を使ってくれて、「お休みなさい。」とか、「会いたいけど、顔は出さないように我慢するね。」とメールしてくれていた。

こんな僕にここまで気を使ってくれる人は今までいなかったと思う。

あまりにも初めての経験でどういう感情やどういう返事がふさわしいのか僕にはわからなかったけど、嬉しいという気持ちが正直なところだった。


5月に2回。6月に2回。7月は僕の誕生日に1回。

大原さんは本当に忙しい中で、時間を作って僕に会いに来た。その時にはどこかのお土産や何かしらのプレゼントがあった。

そういう時は、会社から少し離れたところで待ち合わせて、一緒に食事をして、どちらかの部屋で朝まで一緒にいる。

そんな時の大原さんは決してグチや泣き言は言わなかった。そして僕との時間を少しでも長くするために寝ようとすらしなかった。

ずっと僕を抱き締めて、僕に触っていた。

朝が来て時間になると、何度も何度もキスをして、次の出張先に向かっていく。そんな月日だった。


ちなみに僕の誕生日には、見たこともない高級そうな腕時計をプレゼントされた。こんなに高そうなものはもらえません。と何度も言ったが無理やり渡された。

「私の誕生日には昭さんの一日をちょうだい。私にはそれが一番嬉しいプレゼント。」

と言って大原さんは僕の腕の中で笑った。

大原さんの誕生日は12月30日だった。


ある日の休日の朝、サンサンに行って買い物をしようとしたら、朝帰り、いや正確には仕事終わりの小林さんと出会った。

小林さんの顔にはくっきりと疲れが出ていたが、仕事終わりそのままのハイテンションで話しかけてきた。

「おはよう!今からどっか行くの?」

「うん、サンサンに買い出し。今、終わったの?お疲れ!」

「うん、疲れたよ。私も買い物に行かなきゃ、だけどめんどくさーい。」

特に深い意味は無く、

「じゃあ一緒に買ってきてあげるよ。何がいる?」

「いいよ、いいよ、悪いから。」

「疲れてるでしょ。僕なら全然大丈夫。遠慮しないでよ。」

見栄を張るのが若い男の悪いクセだ。言わなきゃ良かった。小林さんから遠慮なしのオーダーを聞くはめになった。

キャベツ1個、白菜1個、ネギ1束、ニンニク、豚バラ肉1パック、合い挽きミンチ1パック、醤油、料理酒、みりん、そしてお米10kg。

母親から言われてたら、聞いた後でも完全に断っていたと思うが、男の子としてそれは出来ない。自分の物は後にして小林さんの買い物をすることにした。


車を買うのはまだ早いとして、近いうちにせめて自転車でも買おう。

わずか5分の道だが、おおよそ全部で15kg近い買い物をぶらさげて真夏の道を一人歩いて帰ると僕は汗だくになっていた。

小林さんに届けたら帰って水浴びしたい。


「あーっ。」

重い荷物を地べたに下すわけにもいあかず小林さんの部屋のチャイムを押すが返事が無い。

何度も押して真面目1号とかが出てくるのも嫌だったので、恐る恐るドアノブを動かすとドアは空いていた。なんて不用心なんだ。


小林さんの部屋には電気も点いてなかった。

僕と同じ間取りの部屋で、奥のベッドに服のままうつ伏せになって倒れている小林さんを発見した。慌てて靴を脱いで部屋に上がり込む。

「小林さんっ!」

つい大声が出た。

すると小林さんがむっくりと起き上がった。

「あ、ごめんごめん。寝ちゃってた。」

安心して僕は笑ってしまった。心配した僕がバカだった。こんなに急に死ぬわけ無い。

「買ってきたよ。お釣りと一緒にここに置いとくね。」

「ありがとう。ごめん。助かりました。なんかお礼しなくちゃ。」

「いいよいいよ、またね。とりあえず寝てよ。」

「いや、それはダメ。お礼はちゃんとしなきゃ。小田島君、ご飯食べた?」

僕が首を振ると。

「良かった。じゃあ、うーん、1時間後にまたここに来て。10分だけ寝るから。」

と言って僕の返事も聞かずに、また突っ伏して寝てしまった。いや、ここ女性の一人暮らしの部屋だし、おいおい。


しかしこの部屋に女子感は無いなあ。とあきれてしまう。

部屋には太陽教の大きなポスターが1枚どんと貼られているくらいで、そもそも備え付けの家具以外、全く物が無い。

化粧品らしきものも見えないし、泥棒が入っても男性の部屋としか思わないだろうなあ。

クローゼットが開いてたので、こそっと覗くとハンガーにはジャージが2着しか架かってないじゃない。逆にジャージをハンガーにかける?普通。

小林さん。あんたはほんとに面白い!


そっと部屋から出て、仕方なく僕は1時間後にまた来ることにした。


チャイムを押すと、すっかり目が覚めた小林さんがジャージ姿で料理を作っている真っ最中だった。

「とりあえずそこらに座ってて。すぐに出来るから。」

さっき部屋は見学したのでまるで手持無沙汰だったが、あっという間に僕の前には次々と料理が運ばれてきた。

「時間があんまり無かったから、ハンバーグとサラダと白菜スープと自家製のキャベツのお漬物。ごめんね。これだけ。」

いや、この時間でこんなに作ったの?すごいんですけど。

僕はなんだかんだと家庭の味に飢えていたのかもしれないが、全部が本当に美味しかった。特にハンバーグは、残念ながら(?)母親が作ったものより全然美味かった。

「マジ美味しいけど。料理習ってたの?」

「ほんと?良かった。私の唯一のアルバイト経験が太陽教学園の学生食堂だったのね。そこでめちゃめちゃ怖いおばさんに一から教えてもらったの。安くて早くて美味しくて当たり前、って考えだったからバチバチに鍛えられた。おかげで大体の物は10分あれば作れる。」

と笑った。


「特にこのハンバーグ、めちゃめちゃ美味しいけど。何で?」

「うーん、作り方は普通だけど。愛を込めてみたよ。ってね。」

と笑った。


その笑顔に僕は正直ドキッとした。

僕たちは楽しく笑って、美味しく食べた。長居すると小林さんの寝る時間が無くなると思ったけど、ついつい無駄話を長くしてしまった。

小林さんと初めて長く話した日だった。


そんな頃、今でも忘れもしない7月4日、木曜日の東京会場。新宿の都庁の近くの貸会議室で、松田主任のGOサインをもらえた僕は説明担当としてデビューすることになった。


応募数は少なくなってきたとは言え、今日のエントリーは7人いた。受付は松田主任がやってくれていたので僕は時間寸前まで練習させてもらえたが、時間になった。

大きく深呼吸して、自分に言い聞かせる。

「相手はたかが学生。僕より年下。要するにガキ。もっと言えばクソガキ。どうってこと無い。」


しかし、自分の身体とメンタルは正直だった。

学生の前に出た瞬間に、何百回シミュレーションしたかわからないくらい練習して臨んだプレゼンは、緊張という魔物にあっさりと食われて、自分でも笑えるくらい真っ白になった。

何しろ、最初の挨拶すら嚙んだくらいだった。

声は震えるし、手も震える。口が渇いて張り付く。

かなり古いけど「こんばんは。森進一です」くらい震えてた。

相手はたかが・・・と自分に言い聞かせてみても緊張感MAXはごまかせない。


その後も、プレゼンの後の質疑応答すらろくに答えられず、ほとんどを松田主任にサポートしてもらった。


説明会が終わり、アンケートなんかを回収し、学生が帰ってから僕は一人、水深1万メートルに沈んだ。

そんな僕を見かねたのか松田主任から声を掛けられた。


「いいか?小田島の会社説明会は今日が一番良いから、絶対に忘れんなよ。」

一番良いって?意味がわからず

「いいってどういうことですか?メタメタじゃないですか。最悪ですよ。」

と、やや逆ギレして聞き返すと、

「バーカ。お前はほんとにバカだな。バカ。多分、あの感じだと、小田島は今日まで、死ぬほど練習しまくって、更に緊張しまくってただろ?自分じゃあダメだったと思ってると思うけど、今日の緊張感とか、頑張った感は今日来た学生に絶対に伝わったから。俺は今日来た学生全員の顔をずっと見てたけど、今日いた7人の学生の内、絶対に一人や二人は必ず応募してくるから。俺の予想だと多分3人だな。」

え?3人も?マジすか?


「いいか小田島。学生だって人間なんだよ。下手なことが良いっていうことじゃないけど、それに対しては、誰も悪意は持たない。でもな、一番ダメなのは緊張感や、誠意を感じない、ただの丸暗記なんだよ。悪いけど、今日の小田島はめちゃめちゃ下手だった。でもな、小田島の一生懸命さは俺が感動するくらいだったから、絶対に学生に伝わってる。だから今日が一番いいって言ったんだ。今日の気持ちを絶対に忘れんなよ。」

と言われて背中をドンっと叩かれた。

嬉しくて泣きそうだった。てか、ちょっと泣いた。

松田主任は本当にイケてる先輩だ。この人のおかげでここまでやってこれてるんだから。


そして、松田主任の予想はものすごく正確で、3人が応募してきた。


そのうちの一人が、日本でも一流と言っていい大学にいた田山だった。

彼はその日のうちに選考エントリーをして、最短で面接を受け、全ての他社内定を断って天神株式会社に入社することを決めていた。

彼のWebアンケートの希望職種には「採用課のみ」と書かれてあった。

僕は本当に嬉しかった。

これからずっと彼の名前を忘れることは絶対に無いだろう。


いよいよ真夏がやってきた。

仕事をしていると、本当に、あっという間に季節が変わっていくように感じる。

この時期は、再来年のインターンシップの対応や、まだ追われている来年の採用。そして現在内定している内定者のフォローと、更に毎日が予定でびっしりと埋まってしまっていた。

少しずつ色々なことがやれるようになってきて、仕事が面白く感じ始めた時期でもあった。

僕は、というか採用課のメンバーは全員が長期のお盆休みは取らずそれぞれの仕事を精一杯やっている。

スケジュール上ではお休みでも、全員が採用数を追いかけていた。


僕が参加したことがなかった、というか少し前まで知りもしなかったインターンシップは、天神株式会社では企業体験研修、という形で、大学3年生を対象にして2泊3日で行われていた。

必ず採用課の説明会担当メンバーが同行して、天神株式会社の色々な施設見学や、各地域の店舗に行って職場体験が行われる。運営は僕も含めて説明会チームの担当だ。

名古屋、大阪、そして広島の3エリアで行われるが、見学する施設はM&Aした牧場や、食品工場など大規模のところばかりで学生は強く興味を持つ場所だった。


職場体験では全国の店舗の中でも店長の見た目や、店の施設の新しさ、スタッフのレベルなど、要するに受け入れても学生が引かないような、選ばれた店舗に行くことになっていた。

牧場では牧場長の案内で実際に牛が全自動の機械で搾乳されているところを見たりする。これは学生にインパクト大だ。てか、僕が一番興味津々で見てしまった。

よほど好きでもなければ乳牛の搾乳シーンなんて誰でも初めて見る。

関係無いけど、牛のおしっこするところも初めて見た。バケツをひっくり返した水量が延々と何十秒か続く。とにかく凄い。夜の懇親会のときはこの話題でめちゃくちゃ盛り上がった。学生の興味を引くには本当にいいコースだった。


店舗での研修は2時間動いては、ミーティング。また2時間やってはミーティング。の繰り返しで学生が疲れないように、飽きないように上手く計画されている。

ミーティング、懇親会、宿泊がセットにしてあって毎晩、宴会をやって懇親を深める。というか我々スタッフと仲良くなる。

朝食から夕食まで一緒に過ごすと、学生同士でも勝手に仲間意識は生まれる。僕なら入社するなあ。なかなか上手いやり方だ。


夏はインターンシップだけでなく、内定者の辞退防止策としての内定者研修も頻繁に行われる。

こちらは1泊2日で、その時の参加人数次第だが、運転手さん付きのバスなどで現場見学と座学の研修が行われる。但し、メインはやっぱり宴会だ。

若者の宴会離れ、とは言うものの、採用課メンバーも全員若手だし、学生とは近い距離で話が通じる。


どれもこれも、とにかく手間と時間とお金がかかる。

これが新卒採用というものなのか、まともな就職活動をしてこなかった僕はあらためて色々なことに驚いた。

松田主任から、1人採用するのに100万円以上かかっていると聞いた。ということは、200人で2億円以上。

いくら儲かっている会社とはいえ、どれだけの数のうどんを売ればいいんだろう?

現場のみんなが一生懸命売っている激安商品は、超薄利多売だ。1個1円とか、時には0.1円の利益が積み重ねられて天神株式会社の莫大な利益となっていく。

僕たち、人事の仕事はそれをまさに湯水のように使って人を集める。

仕事の役割分担とは言え、大切に使う、という意識が必要だと現場研修をしたからこそ思う。お世話になった店長やパートさん達と一緒になって並べた大量のジュースを思い出した。

店長からおごってもらった缶コーヒーの味が蘇ってくる。


しかし、そこまでしても人を採用しなければならないのか、というと、それはやっぱり退職が多いからなのは間違いない。

最近になって少しずつわかってきたが、天神株式会社の新卒退職率は、1年目でざっと3割強、2年目で2割、3年目で1割辞めている。

つまり3年間で6割以上がいなくなっている、という状況だ。

ということは、200人以上いた同期も3年後には80人か。


もちろん僕自身は仕事も面白いし、辞める気持ちは全く無い。でもじゃあなんでこんなに退職していくんだろう?

松田主任の薫陶によって、新聞を取り始めた僕は、新入社員の定着率も気になって調べたりしていたが、業界や会社によってとてつもない差があることがわかった。

やっぱり営業系やサービス業なんかは正直、定着率はあまり良くない。それに対してメーカー系なんかは定着率もいい。

会社の差というよりは、業界とか、職種によっての差が大きいんだろう、と少しは納得したのだった。

でも、やっぱりサンサンは現場がきついからだろうなあ。とも思った。

働き方改革と言われながら、基本時間が12時間拘束じゃあ、今どきの若者じゃあ続かないかもしれない。僕だって楽で給料がいい、をキーワードにして仕事を検索してたし。

その頃はそう思っていた。


そんなことにどっぷりとはまっていた8月も後半になった夜に小林さんからメールが届いた。

「来週の土曜日空いてる?忙しければ全然いいけど。初めて土曜日に休みもらった(^^)/店長と交渉し続けた甲斐があったよ(^^♪」


相変わらず小林さんのメールは少し古い感じだけど小林さんらしかった。正直、身体は疲れていたけど小林さんとは話したかった。


土曜日の朝早く、僕は24時間営業のレンタカーを借りて、小林さんと遊びに行くことにした。香川でうどん屋さんを回ろう、と言い出したのは小林さんだった。


正直、僕は知らなかったが、「うどん県」として有名らしい香川県。讃岐うどんの本場。

少し興味はそそられた。


小林さんがかなり細かく調べているらしいが、僕も気になってネットで調べて見ると、香川県の有名うどん店はとにかく朝が早いらしく、6時、7時開店は当たり前で、早く行かないと食べられないとの情報に、僕たちは朝5時に出発することにした。

小林さんは前日、遅番らしくほとんど寝ずに来ることになるらしいが。


当日。

周囲の、いや、正直に言えば、大原さんが出張であることは確認していたものの、万が一を気にして、社宅から少し離れたコンビニの駐車場でレンタカーを停めて待っていると小林さんが走ってきた。


花柄の模様が入った白いロング丈のワンピース。手には小さなバスケット。

なんと言うか、美少女のオーソドックスというか、今風では無いけれど、実に小林さんに似合っていた。

「ごめん。待たせちゃった?仕事が終わってからダッシュでシャワー浴びて来たの。ほんとごめんね。」

「大丈夫だよ。お疲れ様。でも、その服、なんか小林さんの雰囲気と合ってるね。」

「変?」

「いや、マジで違くて。すごく似合ってる。」

「ほんとに?普段着って持ってなかったから、あわてて昨日、仕事の前に広島駅まで行って買ってきたの。ほんとに大丈夫?恥ずかしくない?」

「全然、大丈夫。いや、むしろいい!」

少し?いや流行りからは20年は遅れてるかもしれないけど、僕はすごく似合ってると思った。

実はジャージも覚悟してたし。


車で走るとあらためて気づくのは、広島県を含めて瀬戸内の地域は、本当に風光明媚なところだっていうことだ。高速に乗れば、それほど時間もかからずに本州と四国をつなぐしまなみ海道に入り、四国に渡れる。

距離的には近い瀬戸大橋ルートもあったけど、行きは絶景と評判の、しまなみ海道ルートを選択した。

聞いていたとおり、景色が本当にきれいで、特に車から見る、朝日に輝く瀬戸内海は眺める価値のあるものだった。

キラキラと輝く水面。ゆっくりと動く大小の船。緑鮮やかな島々はきれいとしか言いようが無い。

レンタカーだけど、久しぶりのドライブは楽しくて、小林さんとの話もはずんだ。

時々、小林さんがウトウトし始めると、僕はそっとラジオのボリュームを下げておいた。

小林さんの寝顔も可愛かった。


四国に入ってから香川までの道のりが予想以上に時間がかかったこともあって、有名と言われるうどん店は、僕たちが着いた頃には店の外にちょっとした行列が出来ていたが、回転も速いので、すぐ店に入れた。

席に着く前に、大釜で大量に茹でているうどん茹で担当の人の前で、うどんの量を指定するらしい。

前の人にならって並サイズを注文すると秒で熱々のかけうどんがカウンターに出され、それを受け取る。

そして好きな天ぷらを皿に乗せていく。

天ぷらを入れても1人前300円もしないくらいだが、あっさりとしながらも香りと風味の強い透き通っただし汁に、超ツルツルシコシコのうどんは本当に美味い。


今まで食べてきた、味噌で煮込んだ味が濃くて太いうどんは、それはそれで好きだが、それとは全く違う、見事な完成形に、僕たちは一気に3軒をはしごした。

2軒目はうどん出汁にラーメンの麺。最後はやっぱり釜揚げうどん。

すこし変わり種をということでラーメンの麺。正直、個人的にはこれが一番美味かった。ついおかわりしたくらいに。

締めの釜揚げうどんは木製のタライに熱々のお湯が張られていて、その中をうどんがまさに“泳いで”いる。それをすくってつけ汁につけて食べる。食感を喉越しで堪能できる一品だ。

でも、どれもこれも本当に美味かった。うどん県恐るべし。


3軒目を出たあとに海沿いの路肩に車を停めて、お腹いっぱいだよね。と笑い合いながらなんとなく会話が途切れた。

いつも瀬戸内海の海は穏やかできれいだ。

アームレストに置いていた僕の手に小林さんの手が重なった。

一本ずつ指がからまる。僕の鼓動が小林さんに聞こえるんじゃないかと思うくらい僕の心臓は暴れていた。

僕と小林さんはキスをした。

小林さんは目を見開いて驚いたように言った。

「そう言えば、私。キスって初めてした。」

「へえ、そうなんだ。」

そう言いながらも僕は動揺した気持ちを抑えられなかった。

何も言わずにもう1回。今度はもう少し長くキスをした。


その後は、何事も無かったような雰囲気を作ろうとすればするほど、二人とも妙に意識し合っているのがわかった。

どうでもいいことを話しながら社宅までの帰り道、小林さんは疲れているのに全然寝なかった、と言うかむしろずっとしゃべっていた。

「小田島君。ありがとう。すごく楽しかった。」

「僕も楽しかった。」

「また誘ってくれる?」

「もちろん。」


小林さんを集合場所のコンビニで降ろして、僕はそのままレンタカー屋に車を返しに行った。

出張中の大原さんには申し訳無かったけど、今日は小林さんのことで頭がいっぱいになった。

大原さんが休みも取らずに頑張っているのに僕は他の女性とキスをした。

罪悪感としか言いようがなかったけど、僕の心に小林さんがはっきりと存在していることが、今日わかった。

そのことについて小林さんに聞いてはいないけど、小林さんの心にも僕がいるだろう、という何故か確信めいたものが僕にはあった。


9月に入ると、説明会の合間に電話やZoomで内定者のフォローや、面接会場の手配。出張準備や宿泊先の手配などなど、採用課の雑用の一切合切を僕がやっていて、なんとかスムーズにやれるようになってきていた。

中でも内定者が最後の辞退となる9月は要注意の時期だそうで、辞退者を出来るだけ出さないようという指示、と言うか雰囲気を先輩たちから受けている僕は、必死になってメールや電話、時には郵送で会社情報を内定者に発信し続けていた。

「切羽詰まってくると、いい情報だけを送りがちだから注意しろよ。リアリティが無くなるぞ。」

そう松田主任に言われてはいたが、その頃の僕には採用数しか見えていなかったと思う。送った情報には明らかに偏りもあったかもしれない。


ちなみに大原さんは相変わらず出張続きで、全国各地の会場で面接官をしていて本当に忙しそうだ。

たまに本社に帰ってきても、社長への報告を済ませると、すぐに他の採用課メンバーにお願いされて次の面接に出かけていく。

採用目標が最低200名の中、現在160名と、かなり苦戦していることもあって、面接担当はフル稼働だ。

たった一人の面接のために北海道まで行って、ドタキャンされるなんてこともあった。

その北海道の説明会を岡田さんがやっていたらしい。岡田さんは「大原さんに申し訳ない」と言って机で一人泣いていた。

そんな岡田さんを責めるようなメンバーはここには誰もいなかったし、出張から帰ってきた大原さんの手には岡田さんへのお土産があった。

「岡田さんのおかげで休めたし、リフレッシュ出来ました。ありがとう。これは私からのお礼ね。」

岡田さんはまた泣いた。申し訳なさそうに。でも本当に嬉しそうに。

全員がなんとかしようと頑張っていた。松田主任に聞くと、採用は3月ギリギリまで続くらしい。先輩たちも必死だ。

いつも笑顔の大原さんですら、時折、顔にも声にも疲労が滲んでいるのがわかる。たいした役に立っていない自分に腹が立つ。


小林さんからもメールが来るが、こちらはこちらで気合と根性で長時間労働を頑張っている。

小林さんいわくサンサンのお店ではどこでもらしいが、出勤すぐから大量の商品を品出しする。その後、賞味期限のチェックと値引きシール貼り。そこからはひたすらレジに入ってお客さんの対応。

休む暇もなくあっという間に、品出しとまたまた賞味期限チェック、そして値引きシール貼り、本社への報告書の作成などなどなど、小林さんから送られたメールを見るとすごいスケジュールだ。

小林さんのメールはこんな文章で締めくくられていた。

「でも働くって本当に楽しいし、お店の人たちもすごく優しいから。私、この会社が大好き!」

大原さんも小林さんも、二人とも本当にすごい!


二人だけじゃない。松田主任も、採用課の他の先輩も、他部署の人たちもみんな頑張っている。

バイヤーの人たちは1日中、業者さんがひっきりなしに来て商談ブースで商談をしている。あと0.1円。あと0.05円を削っていくことが1円安く販売することにつながる。

商品開発の人たちは毎日の様に、総菜や弁当の新商品を役員にプレゼンしている。そのほとんどが、ボロカスに言われた上でボツになるそうだ。もっと安くて、美味しくて、買いたいものを作れと檄が飛ぶ。役員会議室から出てくる姿は打たれまくったボクサーみたいだ。でもカウント9.9で立ち上がって、次の日にはまたリングに向かっていく。

総務や経理の事務の人たちも朝から晩まで机に向かっていて、顔を上げて笑っているところを見たことが無い。

僕たち採用課も事務所に全員がそろうことはほぼ無い。下手をすると誰もいないことだって多い。

そして、もちろん店舗の人たちは全力で安く売るために努力している。

みんながみんな、自分に与えられた役割をこなしていこうと頑張っている。

本当にやる気に溢れた会社だ。そんな自分の会社が誇らしい。

下っ端とはいえ、僕もその一員だ。頑張ろう!


ほんの少し法律にはふれているかもしれないけど、採用課の先輩たちが、大原課長には隠れて、表向きは休みでも自宅だったり、ファミレスだったりで、学生への連絡やコンタクトをしたり、アポ取りなんかをやっていることを僕は知っている。

大原さんに気づかれないようにしているのは、サービス残業とか言われて迷惑を掛けたくないからだ。

採用課の全員が、一番頑張ってるのが大原さんだってことをわかってて、少しでも力になりたい。と思ってみんな勝手にやっているだけだ。

僕もそうしよう!

僕も少しでも大原さんの力になりたい。

採用課の戦力になりたい。

みんなで目標を達成したい!

それは、僕が初めて知った感情だった。


そんな夏が過ぎ、秋になってきた。内定式の1週間前時点で採用数は200名に対して175名。

松田主任によると内定式時点でこの数は、目標達成はギリギリらしい。

クッソー。燃えてくるぜ!


10月1日には内定者最大のイベントである内定式がいつもの海沿いの会場で行われた。僕の時にはリモート開催だったので、僕自身も何も知らないに等しい。

内定式に参加すると9割以上の学生がほぼ入社することが見えてくるらしいので、内定式への誘導案内は重要だった。

全員がヘトヘトだけど、内定者には笑顔しか見せられない。

そして内定式には、大原社長以下、全役員がそろって参加するので、人事部長も珍しく朝からいて、会場や段取りのチェックをしている。

もちろん主催は採用課なので大原さんも戻ってきて、先輩が作り上げた細かい役割分担に基づいて、バタバタと全員が走り回る。


学生も続々と入ってくる。

当然のような当日キャンセルも何名もあった。

一生に一度の内定式をすっぽかすか普通?と思って怒っていると、松田主任が言ってくれた。

「怒るのはわかるけど。労力のムダだから。学生もいろんな会社と天秤にかけてうちを選んでる。ギリギリまでどこに入社するかの計算をしてるんだよ。内定式に参加しても辞退するやつも結構いる。だから怒ってもしゃーない。割り切れ、小田島。」

なるほど、そんなもんか。と思うことにしよう。腹は立つけど。

逆にリストに入っていない学生がいたりして、現場は混乱する。結局は本人の勘違いで不採用となった学生だった。係長が対応して帰ってもらう。


「あっ!」

人が溢れかえっている中で、僕の第1号採用だった田山がこっちを見ているのが目に入った。手を振る。すると嬉しそうな笑顔で手を振り返してくる。いい顔してる。

採用ってなんだか幸せな気持ちになる仕事なんだと実感する。

採用課に配属してもらって本当に良かった。人を幸せに、笑顔に出来る仕事。それが採用だ。僕は人事の、そして採用の仕事が本当に好きになっていた。


内定式はそんなバタバタの中、開始10分前に到着する大原社長を役員とスタッフでお迎えするのが恒例行事らしく、採用課メンバーも一旦作業を止めて玄関に集まった。

会場前の車寄せ前には役員も全員揃っている。そこに予定時間どおりに古い国産車が到着した。大原社長が自分で運転している車だ。


大原社長は貧しい時期を長く経験しているだけに、自分には一切お金をかけない、というのは先輩たちから聞いていた。

服や靴下は破れたら奥さんが縫う。財布やカバンはボロボロ、靴も傷だらけだそうだ。

だけどそんなイメージ以上に本当にボロイ車だった。何しろ塗装は剥げてるし、ドアミラーがボンネットに付いてる。こんなのタクシー以外で見たこと無い。てか、元タクシーだと思う。

大原さんにも聞いたことがあったが、これも大原社長の信念で、家族は安全第一で高級車にするように言われるらしいが、自分自身はいつまでも苦労してきた時代を忘れないために絶対に贅沢はしないそうだ。

さすが創業者。

お金をかけるのは事業の発展と家族、そして信仰だ。本当に徹底している。


大原さんがさっと車に駆け寄り、ギギギイッっと嫌な音のするドアを開けると社長は満足そうにうなずきながら降りてくる。

大原社長が大原さんに誘導され、悠々と歩いてくると、全役員とスタッフがダークスーツで「お疲れ様です!」と一糸乱れず声を出し、深々とお辞儀をする姿は、なかなか壮観で、昔のヤクザ映画の雰囲気。

少し圧倒されていた僕も、ようやく上ずった声を出す。少しタイミングがみんなとずれてしまった。

「お、お疲れ様です。」

その時、大原社長が射るような視線で僕を見つめたような気もした。が、ほんの一瞬で、何事も無かったかのように、笑顔の大原さんに誘導されていった。

うん?僕を見た?気のせいか。


ちなみに内定式では一切の宗教色は感じない。

僕も入るまでは全く知らなかったし、ごくごく普通の(他を知らないが)、おごそかな内定式だった。

大原社長は祝辞で、内定者たちに熱く語りかけた。

「内定者の皆さん、本日はご内定おめでとうございます。天神株式会社、代表取締役社長の大原です。皆さんは就職サイトや、企業展などで当社のメッセージをご覧になったと思います。それは千年企業を創る、という言葉です。これは私の願いでもありますが、社員全員の願いです。何故だと思いますか?それは、企業が最も犯してはいけない罪は何か、ということにつながります。その罪とは何でしょうか?わかる人はいませんか?もちろん人によって解釈が違う場合もあるでしょう。しかし、絶対に犯してはいけない罪は何か。それは倒産です。倒産だけは絶対にしてはならないのです。何故なら倒産は悲劇しか生みません。社長の私が責任を取るのはやむを得ないことです。しかし、例えば皆さんが入社して1年でこの会社が倒産した、としましょう。皆さんはどうしますか?路頭に迷う、とまでは言わないまでも途方に暮れるのではないでしょうか?他にも当社とお取引いただいている会社は優に千社を超えます。大手の会社であれば、まだいいかもしれません。しかし、家族でやっていらっしゃるような会社であれば、当社の支払いが無ければ連鎖的に倒産してしまいかねないところだってたくさんあるのです。そういった多くの企業様、従業員の皆さん、そしてここにいる多くの仲間、全員を守っていくことが千年企業を創りたい、という私の思いに他なりません。皆さん。私も皆さんも千年生きるわけではありません。天神株式会社は創業からまだ35年ですが、これからも全国に展開していき、千年続く会社、千年企業にすることが夢です。しかし、それは私だけでは絶対に出来ません。そのためには、若い皆さんの力を貸してください。千年企業の礎を創るのは皆さんなんです!」

聞いていた学生たちは感動していたと思う。実際、何人かは泣いていた。スタッフの僕ですら、熱くこみ上げるものがあった。

いい祝辞だった。


相変わらず社長以外の役員の話は長いだけで面白くなかったが、式典は無事終了し、大原さんが社長を誘導しながら一緒に帰っていった後、他の役員も帰り、内定者も連絡事項を伝えた上で帰っていった。後片付けを終わるともう夜の8時近く。僕は、松田主任の車に乗せてもらって帰ることになった。


「そういえば、今年の入社式で、小田島がどうして新入社員代表になったか、知ってる?」

「いえ、全く。」

ほんとは大体、知ってますが。

「毎年、一番高学歴の新入社員がやるんだよ。そういうこと。今年は太陽教学園がいたけど、一応上場企業だから、あまり最初は全面に出したくなくて、お前がなったんだよね。」

はい、それはしっかり聞きました。

「でもいきなり人事に来ることになったのは、俺もよくわかんないなあ。人事は最短でも店舗に入って3年以上やってからだからなあ。ま、お前が頑張るやつだってことを大原課長は見抜いてたんだろうな。」

はあ、嬉しいですが、それは僕もよくわかりません。

「あと、大原課長は社長の一人娘だから絶大な力を持っているんで、彼女だけは怒らせないようにな。わかってると思うけど。ま、でも大原課長ってほんとにいい人だから、そもそも怒るようなことも無いけどな。しかし、大原課長って、普通なら激モテするだろうに、社内では言い寄れないよなあ。社長の娘じゃあヤバすぎるよ。あんないい女なのに、勿体ないよなあ。」

はあ、ごめんなさい。謝るしかありません。言い寄ってはいないと思いますが。

「あ、そうだ。もし幹部を目指すなら嘘でいいから太陽教に入信することな。俺も名前だけ入っておいたから楽ちんだよ、絶対にクビにはならなくなるから。よっぽど悪さしても信者っていうだけで扱いが違うからな。本社でずっと仕事したいなら、小田島も入っとけよ。親には内緒で。うるさいから。」

マジすか?それは初耳です。

「幹部はみんな信者なんですか?」

「そうだよ。役員になるには信者になってちょっと大きな寄付必須な。ま、俺はそこまでは求めてないんで、ニセ信者だけど。部長クラスは大体ニセ信者だらけだから。それでも社長は満足しているからいいんじゃない? あ、そういえば、お前も主任くらいになったら太陽教の中国支部に行って研修受けるはずだから。内容がマジうけるから。」

松田主任は過去の研修を思い出したんだろうか?一人で爆笑していた。


ニセでいいから宗教に入るってどういうことなんだろう?

まあ、日本人ってクリスマスやらお正月やらみんなごちゃ混ぜだからいいのか?

僕の実家は仏教徒でもゆるゆるだから、親には内緒にしとけばいいか。僕は本当に適当だ。


「あと、わかってはきたと思うけど、うちはノルマ必達主義で、絶対に採用数は減らせないからお前も覚悟しとけな。大原課長が採用課長になる前の課長は、信者じゃなかったせいもあったと思うけど、採用ノルマ惨敗で、今は田舎の小さな店で平社員。そうはなりたくないだろ?」

「大原さんだから左遷は無いと思うけど、逆にあんないい人は絶対に目標達成させなきゃダメだって、俺たち全員が思ってるから、お前も頑張れな!ググったら天神株式会社=太陽教なんてバンバンに書かれているけど、トークマニュアルに沿って対応しろよ。上手くやんないとダメだぞ。」

「あ、はい。わかりました。」

松田主任の言葉には大原さんへの尊敬がしっかりと詰まっていて、なんだか僕も嬉しかった。


ちなみにトークマニュアルと言うのは「新卒採用トークマニュアル」のことで、学生や外部との受け答えが一言一句書かれているものだ。

採用課に配属されて、最初に徹底的に読みこむように言われ、今では完全に暗記している。


Q:天神株式会社は太陽教と関係があるんですか?

A:弊社社長は太陽教を信じておりますが、会社の経営、運営とは一切関係ありません。


Q:会社に入ったら太陽教に入らなければならないんでしょうか?

A:そういったことは全くありません。会社の組織や考え方とは全く別です。


Q:太陽教に入らないと出世出来ない会社って聞いたんですが?

A:全く関係ありません。実際に信者ではない幹部社員の方が圧倒的に多いです。


こういった項目がおよそ50以上書かれているのだ。僕は会社の中でなんとなく太陽教の存在は感じるが、かといってそれに左右されているとは、その時は思っていなかったし、マニュアルに大きな嘘は書いて無いと思っていた。


松田主任にサンサン本店前で降ろしてもらい、晩御飯の弁当でも買おうとしていると小林さんに声をかけられた。

彼女も買い物をしていて僕を見つけてくれたらしい。

「久しぶり。今日は内定式だったよね。疲れた?」

「うん、クタクタだけど、まあ明日休みだし、なんか食べるもの買おうと思ってさ。」

「そうなんだ。じゃあどっかで、ご飯食べない?」

「僕はいいけど。仕事疲れてるんじゃない?」

「ううん、今日休みだったし、明日は遅番だから大丈夫。午後3時出勤の夜中か朝まで。」

相変わらず店舗勤務はハードだなあ。僕は本社だから、まだ楽なんだろう。


僕たちは、社宅の近所で、おじさんとおばさんがやっている少し古びた居酒屋に入った。

お店は4名掛けのテーブルが4つくらいしか無い、本当にアットホームなお店だった。店内ではテレビでバラエティー番組をやっていた。客は僕たち以外にもう1組。年配のご夫婦の様な人たちがいた。

チューハイを頼んだ後、自分たちで取ったおでんをつまみながら、今日は僕が、内定式の事や、大原社長の祝辞なんかについて小林さんに話すことになった。

熱狂的太陽教信者の小林さんは大原社長の祝辞が一番気になるらしく、どんな雰囲気だった?とかを聞かれ、僕が話をすると、

「さすが大原社長。」とか、「なるほど、そうお考えになられるんだ。」といった感嘆しきりで、まるで教祖様の話でも聞いているかのようだった。

彼女たちにとって、大原社長がいかに偉大な存在かを感じさせた。

「私も直接、社長のお話を聞ける立場になれるように頑張らなきゃ。」


「あ、そういえば僕、そのうち、なんとか教会で研修って言われたよ。」

「えー。マジで?うらやましい。私も行きたいなあ。でも、これも修行だから頑張らなきゃ。でもうらやましい。いいなあ。」

何がいいのか、さっぱりわからないが、信者の小林さんにとっては、ものすごくうらやましいことらしい。

正直なところ、僕には何の興味も無いが。


僕は気楽な気持ちで聞いてみた。

「小林さんは何で太陽教を信じるようになったの?親御さんも信者の方?」

小林さんは、少しの間黙っていた。あまりの深刻な顔に僕は質問を間違えたことに気が付いた。


少しの時間の後、小林さんは笑顔で言った。

「私、死のうと思ってたの。」

僕はフリーズした。


小林さんは怒るでも泣くでもなく、淡々と話し始めた。

「私、子供のころからちょっと他の人と違ってたの。そう、例えば、幼稚園でお絵かきするでしょ。今は違うけど、その頃の私には太陽は青く見えたの。だから青く描くと先生に真面目に書きなさいって怒られるの。目の色が燃えているみたいに赤く見えたときもあった。」

「小学生くらいときには同級生の顔がおじいさんや、おばあさんに見える頃があって、怖くて友達とも話せなくなったの。」

「中学生の時には、学校で勉強してると突然、後ろから何かに髪の毛を引っ張られるの。そうすると怖いじゃない。大きな声で叫ぶと後ろには誰もいなかった。他にも、帰り道には必ず幽霊にしか見えない人が立ってて、私をずっと見てるの。道を変えても必ずいるの。」

「こういうことは毎日ある訳じゃない。でも時々は確実になるの。そういう騒ぎが続くと、先生から親に呼び出しがあるから、親は心配じゃない。高校に入ってすぐくらいのときに私に内緒で、ある日突然に精神病院に連れていかれたの。そうしたら何とか分裂症とか、乖離症とかなんとか言われて。すぐに入院しろって。そのまま半年間強制入院。」

「最初は病院から出してほしくて病院で叫んだりしたの。そうしたら、大きな男の看護師たちに囲まれて、わざと胸とかお尻とか触られながらベッドにベルトで縛り付けられるの。そいつらはいやらしい顔をしてたよ。口には猿ぐつわをされてるから声も出せないし、もちろんトイレにも行けないから、そこで漏らしちゃう。そうするとたくさんの人の前で服を脱がされて裸で掃除させられるの。看護師のやつらは全員大笑いしてた。あのね。死ぬほどじゃなくて、死ぬよりも辛かった。」

「頑張って叫ばないようにした後は、毎日毎日、気持ちが悪くなる薬を山ほど飲まされた。でも飲まないと、もの凄く怒られたり、ベッドに縛りつけられるから頑張って飲むの。でもその薬を飲むと意識がぼーっとして何もわからなくなる。」


小林さんの頬を涙が一筋流れ落ちた。

「このままじゃ、本当に死ぬって、殺されるって思って。薬を飲みこんだふりをして、自分の身体に隠してトイレで捨てたり、必死になって治ったふりをし続けたの。先生にもいつも笑顔を作って嘘ばっかり答えてた。それでやっと病院から出られた。半年かかった。」

「病院に入ってる時に何を考えて耐えられたと思う?それはね、まず親を殺してから、病院の先生と看護師を全員殺してやろうと真剣に思ってた。どんな殺し方をすれば一番苦しむんだろう、とかの想像ばっかりした。こんな世界、全部壊れてしまえばいい。そこから始めて、手当たりしだい殺してやろうと思った。でも退院した時に、全員を殺すのは無理だし、私の気力も続かなくて、私が死んでこの世界を終わらせようと思ったの。」


小林さんは切ない笑顔で笑った。

「病院を出てからも、家で親にずっと見張られてたんで、なかなか外に出ることも出来なかった。でも、病院にいたときのことを考えたらなんてことなかった。親が安心するまでずっと笑顔を作っていい子にしてた。」

小林さんが手元のチューハイを少し飲んだ。

「退院して3カ月くらい経ったときにね、初めて親が二人とも家にいなくなったの。安心したのね。これでやっと死ねると思って家の外に出たの。いい天気だったから、好きだった海に行こうと思った。」

「そうしたら今でも不思議に思うけど、中学校のとき、一人だけ私に優しくしてくれていた女の子とばったり出会ったの。その子が今から太陽教に行くから一緒に行こうって。私はもう家には帰らないつもりだったから、まあいいか、と思ってついていった。」


またチューハイをぐっと飲む。

「太陽教の教会に行ったら、ココアをくれたの。すっごくあったかくて美味しかった。こんな美味しいものがあったんだって思った。何かわからないけど気が付いたら大泣きしてた。教会の先生がずっと私の話を聞いてくれて、私の背中をさすってくれた。そして、私は狂ってなんかない。心が正直なだけなんだって教えてくれた。」

「その先生は言ったの。あなたの感性はむしろ他の人よりも優れている。だから、太陽が青く見えるんですよ。太陽の本質は優しさと愛です。海のように深く、空のように果てしないのです。あなたはその本質が見えたんです。だから、あなたは間違っていない。って。」

「後ろから誰かに引っ張られたのは、あなた自身の心があなたの何かを止めようとしたんですって。怨念が見えたのは何かをあなたに伝えるためです。理由さえわかればもう大丈夫。何も心配する必要はないって。怨念も見えなくなるから安心しなさいって。」

そんな言葉は、小林さんの氷のような心を一瞬で溶かした。

自分はもっとここで知りたい、と思わせた。

死のうとしていた自分はもうどこにもいなくなった。

「私は太陽教に出会えたおかげで、今も生きてるの。」

そういって小林さんは笑った。

「だから親には、ものすごく反対されたけど、太陽教の学校に行って、いっぱい学べて、私も随分変わったんだよ。あれだけ憎んだ親も、病院の人たちも、今は全員許せるようになったもん。太陽教の先生が、憎しみからは何も生まれないって教えてくれたの。親は親で、必死になって私のことを考えてくれてたんだよって。私を助けてくれて、教えてくれて、変えてくれたのが太陽教。だから私は信じてるの。」


僕は「そうなんだ。」としか言えなかった。

気軽に聞いたのが申し訳なかった。

こんなに明るい小林さんにもそんな辛い時期があったんだ、と思うと平々凡々と生きてきた僕にはショックだった。

僕には本当にショックを受けるようなひどいことは今まで無かった、と思う。


重くなった空気が気になったのか、小林さんから、天神株式会社と太陽教の関わりについて話してくれた。

天神株式会社の創業は35年前に遡るが、もはや伝説であるその話は太陽教の中ではすでに神話化され、信者の教育でも話されているとのことだった。


大原社長は、最初に事業を起こしてすぐの頃、取引先の詐欺行為に引っ掛り、いきなり多額の借金を抱えて倒産の危機に陥った。来週までにあと100万円無ければ倒産する。

打つ手はもう無い。死のう。と思ったらしい。

そんなタイミングで、ふと目にした新聞広告で太陽教に出会う。

藁にもすがる思いで、当時信者数も数十人に過ぎなかった教祖から直接の法話(教祖様の話はこういうらしい)を聞いた。そしてその場で100万円という大金をなんの担保も無く、教祖様から直接渡されたらしい。

最初は半信半疑ながらも、教祖に教えられたとおりに実行した大原社長は着実に苦境を脱出し、復活。

その後、会社は急成長し、店を出せば大繁盛。M&Aをすれば株価は急上昇。となったそうだ。

今では、天神株式会社は教団の最大支援者となって、大原社長は教祖であるグレートサン(本名:太田 淳一。どうしてもちょっと笑える。)と直接話が出来る数少ない存在となっているらしい。

教団内でのランクは信者としては最高位で、信者筆頭幹事と呼ばれ、もはや下々の者では直接会話すらしてはいけない人だそうだ。

ちなみに、信者筆頭幹事の一人娘である大原さんは、大原社長の崇高な血統を受け継いでいる、ということで生まれた時には信者ランクで上から5番目。今では上から3番目らしい。よくわからないけど多分すごいんだろう。

太陽教は正直言ってうさん臭いし、信仰で会社が復活したかどうかは僕にはわからない。だけど、結果的に会社が上手くいって、みんなが幸せになってるんだったらそれでいいんじゃないか?と僕は思った。


疲れからか、かなり酔っぱらってしまった僕がうとうとし始めると、いつの間にか、小林さんがお会計を済ませてくれていた。払おうとしたが、この前のうどんツアーのレンタカー代。と言われて、断固として受け取ってくれなかった。


店を出たところで僕を見つめる小林さんと自然とキスをする。

彼女は僕にしがみついて僕に聞いてきた。

「精神病院に入ってた私、怖い?」

僕は怖くない、という意味で小さく首を振った。そして何十秒か、もしかすると何分間かわからないけど、長いキスをした。


「私の部屋に来る?」

断れなかったんじゃない。行きたかった。


部屋の鍵を開けるのももどかしく、部屋に入ると同時に、小林さんと僕は、抱き合ってキスをしながら靴を脱いで、もつれあうようにベッドに倒れこむ。

そして何度も何度もキスをした。

スレンダーなその身体を服の上からさわると、最初は体を固くしたけど、僕に身をまかせた。


服を脱がせると小林さんは言った。

「私、初めてだけどいい?」

「うん。わかった。」

僕が入っていくと小林さんは僕の腕を強く掴んで痛みをこらえていた。僕が動くたびに小林さんの眉間には強いしわが刻まれた。僕たちは朝まで何度も何度も抱き合った。

翌日まで大原さんの事は忘れていた。いや思い出さないようにしていた。


明け方になって、外に人の気配が無いかを確認してから僕はこっそりと自分の部屋に戻った。

携帯には「内定式お疲れ様。ゆっくり休んでね。」という大原さんからのメールが入っていたが、朝になって「すみません、疲れて寝てました。」と嘘の返信をしてしまった。

僕は一線を越えてしまった。

でも、いつかこうなることはなんとなくわかっていたことだったし、避けようと思えば避けられた関係だった。

つまり僕は避けようとしなかっただけだ。


それからはまた二人とも、いや小林さんも入れて三人ともに更に忙しくなった。


小林さんはずっと遅番(基本、15時から深夜3時まで。よく朝まで、時にはお昼までになるらしいが)に入っていて、なかなかゆっくりと時間はとれなかったけど、LINEも毎日したし、時間が少しでも合えば小林さんの部屋に行くようにしていた。たとえ5分でも会いたかった。ただ会って、どうでもいい話をして、抱きしめて、キスをして部屋を出てくるだけだった。でも僕は、いや、多分、二人とも楽しかった、と思う。

大原さんとのことを棚に上げての行動は気になったが止められなかった。

僕の部屋を見たい、という小林さんに「大原さんが同じ階にいるから会うとまずいから。」という本当であり、嘘の理由を言って断っていた。

本音は、大原さんを抱いた、この部屋に小林さんを入れたくなかったからだ。


この頃から少しずつ大原さんを避けるようになってきたのかもしれない。


11月に入ってすぐに、満面の笑顔の人事部長から太陽教での研修が告げられた。

決まっていた全てのスケジュールをキャンセルしなければならないのと、まだ入社1年目で?と松田主任からも驚かれる。

しかも今回参加するのは僕だけで、来週末の土日に宿泊で行くことになるらしい。

「小田島君は、今回の研修がとても重要だから、しっかりと学んでくるようにね。社長からもくれぐれも、と言われているからね。土日研修だから、その翌日の月、火は代休を取りなさい。」

社長が僕の研修を知ってるのか?という驚きも無いでは無かったが、

「わかりました。頑張って行ってきます。」

と能天気に答えた。ま、何もかも経験だし。小林さんの話を聞いてから興味も湧いてきたし。


11月2週目の土曜日、指定された太陽教の施設は、広島駅から電車とバスを乗り継いで1時間近くかかる瀬戸内海沿いの場所だった。

電車からの風景はのどかな田園風景だったが、バスに乗り換えてからは更にのどかな海沿いの田舎町を進んでいく。気が付くと入社研修の場所にも近いようだった。晴れた日の瀬戸内海はいつも変わらずきれいだ。さざ波が太陽を反射してキラキラと輝いている。結構近くに見える小さな島々と穏やかな海は、ずっと眺めていられる。老後に住むにはぴったりなところだと僕は思う。


指定された時間は午後4時だったが特にやることもなかった僕は午後3時くらいには到着してしまった。


降りたバス停のすぐ目の前に南欧風の大きな白い建物があり、看板も無く、外には何も書かれていないがマップでは間違いない。


白くて高い壁沿いに進んで門をくぐると広くて芝生が敷き詰められた庭と、教会ぬいはとても見えない、むしろリゾートホテルのような3階建ての真っ白な建物があった。

門から入口に通じる石畳を進むと玄関があったが人気が無い。

玄関を入り受付で声をかけてみる。

「すみません。今日、研修に来させていただきました。天神株式会社の小田島と言いますが。すみませーん。」

すると中からバタバタと中年の女性が走り出てきた。

「ああ、天神株式会社様の小田島様。大変失礼いたしました。お出向えもせずに申し訳ございません。ようこそお越し下さいました。大原筆頭幹事様をはじめ天神株式会社様には本当にいつも大変お世話になっております。どうぞどうぞお入り下さい。支部長!天神株式会社様の小田島様がお越しになられました。支部長!支部長っ!」

おおっ、さすが噂に聞いた天神株式会社と大原社長の権力をここでまざまざと見た気がした。

慌てて奥からスーツ姿で走り出てきた人が支部長らしい。真面目そうな七三分けの中年男性だった。

「すみません。早く来てしまって。」

「とんでもございません。お出迎えが出来ず、誠に申し訳ございませんでした。私、中国支部長で、この教会の責任者をしております、前川と申します。小田島様、本日は本当にようこそお越し下さいました。お疲れの事と思います。まずは本日お泊りいただきますお部屋でお寛ぎください。さあ、さあどうぞ。」

支部長は高級とは言い難い僕のバッグをさっと持ち、エレベーターで最上階の3階に上がる。自らが案内してくれた部屋に通されると、僕のワンルームが5つは入りそうな広いリビングになっていた。

そして、その部屋の一番奥には2メートル近い金色に光り輝く像があった。

これが、松田主任が言っていた金色の教祖像か。大原社長の社長室にも同じ像があるらしいが。


支部長はうやうやしく像に向かって一礼をした後、

「このお部屋は、と申しますか、こちらの建物は3年前に大原社長様、信者筆頭幹事様のご寄進によって建てられたもので、このお部屋にお泊りになる方は、当教団でも特別の方のみでございます。」

いやいやいや、僕はただのサラリーマンの息子で、実家はなんとか真宗といった気がするたしか仏教徒ですし。結婚するならチャペルだな、とか思ってるし、そもそもおたくの宗教には1ミリも関係ありませんが。


「本日、このお部屋にお泊りいただくよう、天神株式会社様から直々にご指示を受けておりますので、ごゆっくりお過ごしください。本日は、夕方5時からミサがございますが、その時間までは、自由でございます。宜しければ図書室もございますし、館内の見学などもご自由にされて下さって結構でございます。夜のお食事は館内でもご用意出来ますし、外にお出になられてもどちらでも構いません。」


支部長が僕と金色のグレートサン像に向かって、うやうやしく礼をして出ていった後も、あまりのVIP待遇に驚き過ぎて落ち着かずにいると、見計らったように大原さんからメールが届いた。

「もう着いた?ミサまでにはそっちに行くから待っててね」

この状況だと正直、後ろめたさよりもありがたい気持ちの方が強い。

誰かに見られていると感じて振り返ると、金色の教祖様と目が合ってしまった。怖い。

分厚いカーテンとふかふかの絨毯は真っ赤だし、天井にはシャンデリアと教祖様を中心にして、天使が飛んでる絵が一面に書かれている。

見る人が見ればありがたい部屋なんだろうけど。僕には正直気持ち悪い。


部屋の窓を開けて外を見ていると大原さんを乗せたらしいタクシーが到着した。と同時に館内放送が流れる。

「全ての信者に通達します。天神株式会社、大原明音様、太陽教主査様がご到着になられました。全員、作業を中断してお出迎えしてください。繰り返します・・・。」


太陽教主査。現在の信者レベルは上から3番目。生まれながらの高レベル信者。

以前、小林さんに聞いたのは、上から、信者筆頭幹事→幹事→主査→主務→高等教師→教師→高等専任信者→専任信者→高等信者→信者と10段階に分かれているとのことだった。

面白過ぎて、つい覚えてしまったが、何だか役所みたいだ。

ちなみに小林さんは一番下の信者だったのが太陽教学園を卒業したので2階級特進で専任信者になった、と言って笑っていた。


大原さんがタクシーを降りるところが海に面して開け放たれた部屋の窓から見えた。正門から玄関まで、こんなに人がいたのか、というほど驚くほどの人が並んでいる。およそ50人近くはいるだろう。

大原さんが門をくぐったところで盛大な拍手が起こる。

「大原主査様。ようこそお越し下さいました。」と支部長が言うと、口々に「お疲れ様です。」とか「ようこそ。」といった声があふれ、その一人ずつに大原さんは鷹揚にうなずき笑顔を返したり、握手をしていたりしていたが、僕に気づくと、軽く手を振ってきた。


支部長を始め、多くの人に迎えられる大原さんはまるで女王のようだったが、それがまた似合っていた。

大原家には彼女しか子供はおらず、目の中に入れても痛くない一人娘であり、いずれは婿をとって、大原家や天神株式会社といった大原社長の全てを受け継ぐことになる。

それは太陽教最大スポンサーであり、信者筆頭幹事を継ぐことにもつながるわけで、彼らにとっても、とてつもなく大切な存在なんだろう。


一通り、挨拶が終わった大原さんが部屋にやってきた。

やっぱり、まずはグレートサン像に深々と礼をする。

「お疲れ様。どう?広い部屋でしょ。私たちの家族もここに来る時はこの部屋に泊まるの。」

「そうなんですか。」

「昭さん、会いたかった。」

大原さんは僕に抱きついてきたが、つい僕はやんわりと避けてしまった。

大原さんは寂しそうな顔をして、

「私のこと、嫌いになった?最近、なかなか会えないし。」

「いえ、違います。こんな場所ですし、最近は本当に忙しくて。ごめんなさい。」

僕はとっさに、つい嘘をついてしまった。恥ずかしい。大原さんは少し無理やりに笑顔を作って言った。

「今日はミサだけでしょ。終わったらご飯食べにいこ。すぐ近くにお魚の美味しい店があるから。」


ミサは普通にキリスト教っぽく1時間ほどで終わった。普通と違うのは、支部長が意味不明のグレートサンを讃えているっぽい言葉を話し続けていることと、最前列の僕の隣に大原さんがいること。

そして、拝むのがキリスト像ではなく教祖様、巨大で金色のグレートサン像であることだった。でも僕には芸人の金粉まみれとさほど変わらない。


その像を大原さんも含めて、全員が一心不乱に祈り続けている。

なんだか変な空気を感じているのは確実に部外者の僕だけ、だろう。

この違和感は何だろう。僕がこの宗教を信じていないからだけだろうか?


礼拝が終わると支部長がおごそかに宣言した。

「本日ここに小田島昭さんの洗礼が滞りなく完了致しました。」

どうやら僕は洗礼を受けていたらしい。全くわかっていなかったが。


歩いて5分ほどの場所にあったそのお店は、気楽な居酒屋で、繁華街も無いこの地域で、落ち着いたいい雰囲気の店だった。


飲み物を頼むと、すぐに大原さんは僕の目を見て、謝ってきた。

「昭さん、さっきはごめんなさい。あなたが忙しいのはわかってるし、私の時間がなかなかなくて、連絡するのもいつも遅い時間ばっかりだったよね。ほんとにごめんなさい。」


謝らなくちゃいけないのは僕の方なのに。

「いえ、そんな、僕もすみませんでした。」

「私、昭さんに嫌われないようにするから。我慢するから。だから許して。怒らないで。」

「いえ、怒っていません。本当にすみませんでした。」


本当に悪いのは僕なのに。

大原さんは少しも悪くない。


大原さんは不安げな顔をしていたが、自分自身に納得させるように、また話し始めた。

「今日、ここの研修を受けてもらったのは、私からお父さん。社長に頼んだの。これも今のうちに昭さんに私たちの世界を知って欲しかったから。それとあなたに会いたかったから。昭さんは迷惑かもしれないけど。」

「いえ、迷惑ではありません。ただ、いきなり、洗礼を受けた、とか言われても。少し驚いています。」

「そうだよね。ごめんなさい。」

「でも、あまり深く考えないようにしています。徐々に馴染めればいいかな?くらいです。」と言って僕は笑った。

すると大原さんもやっと笑ってくれた。

「仕事上では、“今は”上司と部下だけど、プライベートは別にしたいの。それでいい?」

「もちろんそうして下さい。」

「一つだけ言っておくけど、私はあなたとセックスしたいだけじゃないから。遊びでも無いから。」

そう言われた、そのときの僕は何も言えなかった。


食事をしながらその日、大原さんは初めて、自分の小さい頃の話をしてくれた。

大原さんが小学生のとき、天神株式会社はまだ小さく、店は数店舗しかなかった。その上、店の入り口には太陽教のポスターが貼られていたり、教義が書かれた額が掛けられてあったらしく、近所の人たちからは

「大原さんところは新興宗教にはまってるから近所付き合いはしちゃいけない。」

と言われていて、大人は無視。子供たちからは随分ひどいいじめにあっていたそうだ。

子供の集まりにも大原さんだけは声がかからないか、もし間違って声がかかっても、「おかしな宗教の子は帰ってもらいなさい」とわざと聞こえるように言われたそうだ。

学校の先生にも言ったことがあったが、何一つ聞いてもらえないばかりか、圧倒的大多数である他の保護者と一緒になって、完全に無視されたそうだ。


ある授業では前から順番に当てていっても、大原さんだけはいないものとして飛ばされた。

子供ながらに、大原社長やお母さんに、

「お父さん、うちはなんであんなに嫌われてるの?もうこんなの嫌。」

と泣いては大原社長やお母さんを困らせたと笑った。

「子供って容赦無いでしょ。物を盗まれたたり、壊されたりするのはしょっちゅうだったし、何かあると必ず私が疑われるの。だから途中からは誰とも話さないで、ずっと一人で本を読んでた。本を読んでるときは何もかも忘れられるから。でも大体、学校に持っていった本は目を離すと捨てられたりするから学校ではいつもランドセルを背負って移動してた。」

「でもね、今では近所の人もみんな、私にまでペコペコするの。おかしいね。世の中って。でもそれは、お父さんが地域にものすごくたくさん寄付してるからだけなの。地域のいろんな整備費用はほとんどお父さんが出してるの。それも私が嫌な思いをしないようにって。でも、陰では子供の頃と一緒。新興宗教の家って言われてるのは変わらないし、今でも時々、生ゴミとかが玄関にばらまかれてあったりするから。それを朝からお父さんやお母さんと一緒に掃除したりするの。いつも守ってくれるのは家族だけ。」

「私が太陽教を信じているのは、もちろんお父さんに連れて行かれて、色々な教えを受けたからだけど、それだけじゃないの、家族以外で初めて私を全面的に認めて、受け入れてくれたからなの。家族と太陽教だけが私という存在を全部、肯定してくれるの。だから、私も太陽教を信じてる。」

社長だけじゃなく、大原さんも、もの凄く苦労してきたんだ。

あれだけ人に優しいのは、人に傷つけられた痛みをわかっているからだ。

大原さんが人に与える大きな優しさは自分の数えきれない深い傷の代償みたいなものかもしれない、と僕は思った。

「太陽教は色々と言われてるけど、全部嘘ばっかり。昭さんにも太陽教の素晴らしさを知ってほしかったの。」

大原さんはそう言ってほほ笑んだ。


大原さんは泊りの用意をして来ていたが、僕が「会社の研修ですから。」と断ると、無理に笑顔をつくって「わかった。そうだね。研修頑張ってね。」と言ってタクシーで帰っていった。

あきらかに深く落胆している、その後ろ姿が切なかった。

嘘でも残ってもらって一緒にいた方が良かったんだろうか?


一人、巨大で豪華なお風呂に入った後、この部屋に全く似合わないバラエティー番組を見るでもなく流していると、小林さんから「頑張って学んできてね!貴重な経験だからね!」のといった激励のような、うらやましいみたいな感じのメールが入った。


でも、僕はそれを見ても素直に笑えなかった。

大原さんにも悪い。小林さんにも悪い。

この頃の僕は最悪中の最悪だった。


ぼーっとして天井を眺めていると、何故かふと、大学2年生までの彼女、坂下さんのことを思い出した。


大学1年生のときに、せっかく大学に入ったんだから、大学生らしいことをしたいと思って、何でもいいからサークルに入ろうとした僕は、英語が嫌いなのにも関わらず、可愛い女性の先輩に歩いているところを勧誘された、というだけの理由でESSサークルに入ることにした。

そこで同じ日に入会したのが、外国語学部の坂下さんだった。

ショートヘアで丸顔。くりくりっとした目が印象的な可愛い子だった。

彼女は将来英語を使った仕事がしたいから、このサークルで勉強したいの、と言っていた。


同じ日に入会したので、ガイダンスやスケジュールは当然の様に同じになり、授業が終わると部室で会って、行事の話や、担当する役割を打ち合わせした。

そのうちに、食事に行ったり、映画を見たりと学校の外でも、休みの日でも会うようになったのは自然の流れだった。

僕も坂下さんもお互いが初めてだった。初めてのとき、上手く出来なくて落ち込んでいた僕を何も言わずに後ろから抱きしめてくれたことを覚えている。


彼女は長野県の出身で親元を離れてアパートで独り暮らしをしていたので、彼女の部屋に入り浸る生活が続き、その頃は、家にも帰らずほとんどの時間を彼女と過ごしていた。

二人で買い物に行ったり、借りて来たDVDを見たり、抱き合ったりしていた。学生なのでお金は無かったけど、いつも二人一緒で楽しく過ごしていた。

少なくとも僕はそのつもりだった。ESSの人たちにも、二人が付き合っていることはオープンにしてたし、隠す必要も無かった。

一緒に学校に行って、学食でランチをする。授業が早く終わった方が図書館で待って彼女の部屋に一緒に帰る。これが毎日の流れだった。


でも付き合い始めて1年が経つ頃だっただろうか?何となく彼女との会話が減っていった。理由は特に無かった、と思う。

お互いに忙しくなったのかもしれないし、慣れ過ぎてきたのかもしれない。それとも僕たちの興味が他に移ったのかもしれない。どうでもいいことで喧嘩をする日が増えて、僕は自分の家から学校に行くことが少しずつ多くなっていた。

でも少なくとも別れるなんてことは、僕は考えていなかった。


ある日、午前の授業が休講になったのでESSの部室に忘れ物を取りに行った。

「あれ?」

普段は空いている部室に鍵が掛かっていた。

その当時、2年生のリーダーだった僕は鍵をもっていたので躊躇なく鍵を開けた。


最悪だ。

中に入った瞬間に、女のあえぎ声と、何かがきしむ音。そして独特の匂いでSEXの真っ最中だと気づいた。

大きく開かれた女性の太ももの間で、男の尻が前後に動いている。何もこんなところでしなくてもいいだろうと思った瞬間。

悲しいことに女性の顔が見えてしまった。


坂下さんだった。

彼女は僕に気づくと気まずそうに顔をそむけたが、上に乗っていた4年生の先輩が、下半身丸出しで僕の前までやってきた。そいつのあれは勃ったままだった。

「おい、小田島。悪いけど坂下が気にするから出ていってくれるか?まあ、俺は気にしないけどな。」

と笑いながら、あれを自分の手でしごいた。

「小田島!出ていく時に鍵かけとけな。」

追いかけてくる声を無視して、僕は鍵を掛けるどころか、扉を開けっ放しにして部室を出ると鍵も投げ捨て、そのままESSには二度と行かなかった。

ESSの他の先輩や同級生からは何度か連絡があったけど、無視しているうちに自然と連絡も来なくなった。

当然のように坂下さんからの連絡は一度も無かったし、彼女の部屋に置いてきた荷物は全て諦めることにした。

どんな知り合いにもどこかで顔を合わせるのも嫌だったから、学校にもほとんど行かなくなった。

かといって裏切られた。とか、悔しくて夜も寝られない。ということも無かった。

まあいいや。そんな感じで過ごした。

僕はそんな人間だった。


二人がなんとなく変になる前に言われた言葉を思い出した。

「昭。ほんとに私のこと好き?」

今の今まで忘れていた。


ほんとだね。どうだったんだろう?もちろん好きだった、と思うよ。

僕はなんて答えたんだっけ?思い出せないな。


そうか、あれから学校に行かなくなったんだ。

あれ以来、女性と付き合うこと自体もなんだか億劫になってしまったんだ。

他人とも何となく距離をおくようになったかもしれない。

そうか、あれからもう2年経つんだ。

坂下さん。僕は今、広島にいるよ。君はどこにいるんだろう。


寝たような寝てないような夜を過ごした翌朝7時。ベッドで朝のワイドショーを見ていると、ドアチャイムが鳴る。

慌ててシャツを羽織って、ドアを開けると、そこにはまだ10代前半に見える白い服を着た女の子が、一流ホテルで出るような豪華な朝食をゴロゴロとワゴンで運んできた。


「小田島様、おはようございます。お寛ぎのところ、申し訳ございません。ご朝食をお運びしましたが宜しかったでしょうか?」

まだ幼い子供がこんな言葉使いをして、食事を運んでくることに驚いた。そしてその子はあたかも王様に使える召し使いのように僕に接してきたので面食らった。

「おはようございます。僕はただ研修に来ただけだから、適当でいいですよ。」

「いえ、小田島様は大原信者筆頭幹事様のご縁のお方で、本来であれば私のような者がお声をかけていただくことも出来ない階層のお方でございます。申し訳ございません。」

「すごい言葉を知っているね。今いくつ?」

「はい、もう12歳です。」

「なんでここにいるの?土曜日だから?学校は休み?」

「私は先月から、学校に行かずにここで学んでいます。たくさんの先輩方が教えて下さいます。教会にいれば学校に行かなくていいので、今はとても幸せです。」

見ると両手首には何重にも包帯が巻いてあった。

今は幸せ。つまり以前は不幸だったんだろうか。

ここにも小さな小林さん、大原さんがいるのだろうか、それとも違う事情なのかはわからない。義務教育の制度から飛び出てていいのかもわからない。

でもこの子が言う、「今は幸せ」と言うのは嘘じゃない気がした。

僕は「そうなんだ。頑張ってね。」としか言えなかった。少女は「ありがとうございます。」と言って、とてもいい笑顔で部屋を出て行った。


他の宗教でも大僧正や、教皇といったのは聞いたことがあるけど、信者にも階層があるということは、僕には腑に落ちないし、おかしいと思う。

ましてや僕なんて何も偉くないし、こんな金ピカの部屋で、こんな豪華な朝食は似合わない。ワンルームでカップ麺がぴったりだ。

でもあの子の笑顔は本物だった。きっとあの子はここで命を救われたんだろう。


太陽教は、世間ではカルト宗教とまで言われている。

それは、若い世代をターゲットにして洗脳に近い信者獲得を行っているからだ、とネットに書かれてあった。

きれいな女性が大学に入学した地方学生をメインに勧誘する。それは一人暮らしの学生であれば親の目が届かないからだとも書いてあった。

大学での楽しいサークルという名目できれいな女性が勧誘し、食事を共にし、仲良くなり、時には好意を抱かせる。

そういった心理を利用して徐々に太陽教の世界に入れていく。

一旦、入信すると簡単に脱会は出来ない。

親が子供を連れ戻しに来る、といった騒ぎも報じられていた。

それらが事実であれば、大事件を起こしたあの教団と何も変わらないじゃないか。


だけど、少なくとも僕の知っている限りでも大原社長、大原さん、小林さん、そしてさっきの女の子、4人の命が救われている。

世間の話か、目の前の現実か、どっちが正しいんだろう。今の僕にはわからない。


朝9時から研修が始まった。

研修と言っても、僕一人に対して、支部長自らが講義をしたり、教祖様のビデオを見たりして、僕がしょうもない感想を言う程度のものだった。

僕が適当に発言した、「感動しました。」とか、「理解できました。」といった低レベルの感想を聞いて、支部長は深くうなずき納得していたので、まあ良かったんじゃないんだろうか。


でも、教祖と言われる人のビデオは、金色のマントのようなものを着た小柄な普通のおじさんがただ金儲けについて関西弁で延々と話しているだけだった。むしろお金について語る漫談のような感じというと本当に信者の人に怒られるだろう。

例えば、

「皆さんのお金を太陽教に寄付したり、私の著作や太陽教のグッズを買うと、そのお金は太陽教を通じて社会の役に立つことに使われる。そしてそのお金はいつの日か、あなたの元に戻っていくのです。」

という具合だ。理由も原理も何の説明も無いこれって、ただのマルチ商法じゃないんだろうか?

僕には教祖様の話の何がありがたいのか、さっぱりわからなかった。

しかも教祖様の時計は金色のロレックスだった。間違いない。

僕にとっては、太田淳一さんという、金ぴかが大好きなおじさんの下品な話としか感じられなかった。


研修は、またも豪華な昼食とティータイムをはさんで午後4時まで続き、最後にミサがあった。


二人きりのミサの最後に支部長がグレートサン像の前に立ち、「それでは小田島昭さん。あなたは今日この日から当教団の教義を学び、今後とも研鑽していくことを誓いますか?」と僕に向かって言った。

ここで「いいえ。」と答える勇気の無い僕は、あっさりと「はい、誓います。」と言ってしまった。言うしかなかったし。


でも、この日はそれだけでは終わらなかった。


ミサが行われた部屋を出て玄関ホールに向かうと、そこには人があふれていた。


そして、大原社長と大原さん、専務と、常務と、人事部長、他にも会社の役員全員が立っていた。

支部長が厳かに言う。

「大原信者筆頭幹事様。天神株式会社の皆様。お集まりの信者の皆さん。小田島昭様は正式に教団の洗礼を受け、信仰を得ました。そして今後も研鑽を積んでいくと宣誓されました。」

大原社長が更に厳かに答える。

「そうか。それはご苦労だった。支部長、小田島君を導いてくれてありがとう。」

大原社長は僕の目を真っすぐに見て

「小田島君、これで君は私たちの正式な仲間であり、もう私の家族だ。娘も君を信頼している。今後とも頼むよ。」

と僕の肩を叩いて言った。

ぼくの周りにいる全ての人たちがコピーして貼り付けたような笑顔で更に大きな拍手をする。まるでどこかの国のパレードみたいに。

周りの人たちの笑顔が怖い。

拍手がうるさくて仕方が無い。

目が回る。

僕はパニックになりそうだった。


それに気づいた大原さんが助け舟を出してくれた。

「もう、お父さん、やめてよ。小田島さんも今日は疲れているから、私が送っていくね。小田島さん、行きましょう。」

「あ、はい。お疲れ様でした。失礼します。」

大原社長以下、全員の拍手、満面の笑顔は大原さんの車が教会の敷地を出るまで続いた。まるでハネムーンに出る新郎新婦を見送るように。


その時、たまたま通りがかった近所のおばあさんが眉をひそめる顔が視線の片隅に入る。

後ろでまだ続く盛大な拍手。

それは妙に強烈なコントラストだった。


走り始めて5分くらい経っただろうか、僕は少し興奮して、初めて怒った口調で大原さんに言った。

「大原さん、あれってどういうことですか?」

「ごめんなさい。」

「社長がどうして来られたんですか?専務とか他の役員も。」

「昭さんと、ああいう関係になった事をお母さんだけには話したのね。そうしたらお母さんたらお父さんに話しちゃったみたいで。ごめんなさい。」

ごめん、というかなんと言うか。仕方ないことだけど。


「それで?」

「お父さんに呼ばれて、グレートサンのお導きのとおりだな。わかった。彼でいいのか?本当に間違いないか?って聞かれて。それで、もちろん絶対に間違い無いよ。って言ったら、そうしたら今日の儀式に行くって言いだして。今日、昭さんは正式に会社と教団の幹部になったの。」

お導き?幹部?何のことだかわからない。

「大原さん、意味が全然わかりません。」

「お父さんが、昭さんには、とりあえず来月には教団では主務。会社では役員待遇で課長になってもらうことにしたって。1年後には私を追い越して次長になって、3年後くらいには部長になってもらうって・・・。」

もう無茶苦茶だな。さすがに流されて生きていくことが得意な僕も、はっきりと言った。

「それはさすがにありえません。松田主任や他の先輩もいますし、僕にそんな能力が無いのは自分自身が一番よくわかってます。そんなことをされたら僕はこの会社で仕事を続けていけなくなります。」


大原さんは少し寂しそうに黙り込んだ後に話し始めた。

「そうだよね。そのとおりだね。社長って極端だから。うん、わかった。私から言っておく。安心して。」

「でも、私とのことは遊びじゃないよね?」

胸にどーん、と直球が飛んできた。

「大原さんは、なんで僕なんですか?グレートサンのお導きって何ですか?」


大原さんは、走らせていた車を、海沿いの小さな休憩所の前に車を停めて、深く深呼吸して目をつぶった。そして、何かを口の中で唱えるようにした後、話し始めた。

「あなたはまだ信じていないかもしれないけど、私たち家族は太陽教を心から信じているし、グレートサンの教えは絶対なの。」

大原さんたちにとって太陽教を大切にしているのはわかるし、それは別にいい。僕は頷いた。

「去年のお正月、グレートサンの法話の時に、お父さんと私だけに直接お話をいただける時間があって、その時に言われたの。」

「今年入る新入社員の中に、太陽、つまりグレートサンの影響を生まれながらに大きく受けた人が入るから、私はその人と結婚しなさいって。そして10年後に、その人を社長にして会社を継いでもらえれば、天神株式会社は必ず千年企業になるって。その人には必ず私にわかるサインがあるから、私に必ず見つけなさいって。」

「だから、私は必死になって探したの、その誰かを。面接も立ち会うか、録画しておいてもらって全員分見た。応募書類も全部確認した。最初、松田さんから電話を受けてあなたのエントリーシートを見て、あなたの名前にお父さんの名前、昭一の文字が入っていて何かを感じたの。面接で初めてあなたと会って、あなたと話して、私の心が震えたの。グレートサンが私に何かを教えてくれていることにはっきりと気づいたの。もちろん太陽教学園の出身者にも会ったけど、私は何も感じなかった。でもね。あなただけは初めて会った時から、この人だってわかったの。」

「だから社長に話して、あなたと一緒にいるために、社宅としてマンションも借りてもらって、私も自宅から引っ越したの。他に入居者がいないと変だから太陽教学園の出身者も一緒に入居してもらった。自然とあなたに近付いていけるように。」

「でも本当に、本当に確信したのは、あなたに抱かれたとき。私にはこの人しかいない、って。慣れているふりをしたけど、あの時が私は初めてだったの。でも本当に嬉しかったし、良かったの。あなたは外に出したけど、私の身体と魂はあなたの全てが欲しい、って叫んでた。」


僕には大原さんの言っている意味がよくわからなかった。

結婚とか、社長を決めるとか、そんな大事なことを教祖様に決めてもらうのか?

僕に近づくためだけにマンションを1棟まるまる用意して、3階は僕たちだけにして、それらを取り繕うために、太陽教学園出身者も入居させるなんて。


「じゃあ、最初から僕とこういう関係になるつもりでしていたんですか。」

「そう。でも騙すつもりなんか全然ないし、どこかできちんとこうやって話すつもりだった。あなたは引いちゃうと思うけど、私は本当に真剣なの。だって、昭さんと一緒になることが私の運命だから。」

確かに大原さんの目は真剣そのものだった。

「少し考えさせてください。僕はまだ太陽教もよくわかっていませんし、結婚もすぐには考えられません。」

「うん、わかってる。急に言われても驚くよね。全然大丈夫。少しずつ私を知ってくれればいいから。ずっと待ってるから。仕事もやりにくくないように、お父さんとか他の人にも言っておくから。今すぐじゃなくていいから、いつか、でいいから私と一緒に歩いてほしいの。お願い。昭さん。お願い。私にはあなたしかいないの。」

大原さんの話は最後には懇願になっていた。

話しながら、両手で、僕の手を強く強く握った。その手は驚くほど熱かった。本気なんだとよくわかった。

大原さんは計画的に僕と接点を持ったかもしれない。でもその計画は、純粋な動機であって、打算じゃない。

僕と一緒にいれば教祖様が言うのだから必ず幸せになれると信じた行動だ。

それに引き換え、僕は小林さんとも関係を持ったことすら告白できずにいる。

圧倒的に僕の方が卑怯だ。

帰りの車の中は、二人とも黙ったままだった。


社宅に着いて、一緒に3階まで上がってきた大原さんの、僕の部屋に来たそうな雰囲気を振り払って、ドアを閉めて鍵をかけた。

ベッドに腰かけて缶ビールを一気にあおる。


今日は色々なことがあった。


何もする気が起きず、ダラダラと過ごした代休の2日間が終わって、朝、社宅を出る前に大原さんからメールが来た。

昇格の件は大原社長を説得したらしい。ただ、給料だけは役員待遇として恥ずかしくないように上げるそうだ。

これ以上は抵抗出来なさそうなので、「わかりました」とだけ返事をした。


その日から、心は澱んでいたが、目の前の仕事をこなし、会社と社宅を往復する日々が続いた。

でも、確実に新入社員が入ってくる時期が近づいてきている。

更に忙しくなってきたが、そう遠くない時期に大原さんと、小林さんに答えを出さなければいけないことはわかっている。

正直なところ、ただの二流大卒が十年後、30代前半で場企業の社長になれるなんて凄すぎるし、こんな話は永遠に無いだろう。卑しい下心が無いといったら嘘だ。大金持ちにもなれる。

会社の経営ってどういうことなんだろうって興味も正直ある。

あさましいのはわかってるけど、これも本音だ。

でも、本当にそれでいいのか?正解がわからなくて僕はずっと悩んでいた。


給料は教会での研修の翌月から、明細の役職欄に役員待遇と書かれ、毎月150万円以上が振り込まれていた。経理の担当の人はなんて思ってるんだろう?

こんなことは親にも、小林さんにも、もちろん松田主任にも誰にも言えなかった。でもいつかは噂になるだろう。


真剣に考えるために、小林さんには「当面は仕事に集中するからごめん。」といってメールを送った。

「大丈夫?(ノД`)・゜・。」とか、「忙しいんだね。頑張ってね!(^^)!」といったメールが定期的に来ていたが、上手い返事が思いつかず適当な返事になってしまっていた。


僕はどうするかをきちんと決めるまでは小林さんには会わないようにしよう、と決めた。


でも、本音では今こそ小林さんに会いたかった。直接会って、正直に話がしたい。全部話してしまいたい。

でもそうすると僕たちは、僕たちは終わる。

当たり前だ。当然だ。

わかりきってる。

社長の娘であり、高レベル信者の大原さんと関係があったのに、それを黙って小林さんともSEXした。

純粋な信者である小林さんが普通でいられるはずはない。

許してもらえるはずがない。


でも、会いたい。会って声を聴きたい。

僕は、そんな自分勝手な考えで悩んでいた。


大原さんからも定期的にメールが来ていたけど、僕に気を使って「返信不要です。頑張ってね。」といった内容だった。

小林さんも、大原さんも二人とも本当に優しいのに、それに比べて僕はずるい。

はっきりさせなきゃ、と思いながらずるずると月日だけが経っていった。


天神株式会社では、年末年始も店舗は営業しているので、年末29日から3日間だけ、本社スタッフが各地のサンサンに行って応援をする。

先輩から働く店はどこでもいい、と言われたので、僕は地元、名古屋の店を選択した。

大原さんの誕生日が12月30日にあるというのはわかっていたけど、今の気持ちでは会いたくない。というのが正直な理由だった。

大原さんには

「親から親戚が集まるから帰ってこい。と言われていて。」

と嘘をついてしまったが、大原さんはもちろん許してくれた。許してくれるとわかっている、嘘をついていることがばれていることを知っている僕はずるい。

僕は本当にひどい嘘つきだ。


12月28日の夜に名古屋に戻って、翌日の朝から店に行った。店舗で働くのは久しぶり、と言うか、ほぼ初めてで、それに加えて年末ということもあってメチャクチャに忙しかったが、何も考えずに身体を動かすのは、楽しかった。

店長や社員の人たちとも仲良くなって、働くって気持ちいい。というのを実感したし、現場の人たちが懸命に働く姿は美しかった。この会社の本当にいい部分をたくさん見た気がした。

出せば出すほど飛ぶように売れていく年越し蕎麦とめんつゆや、おせちの食材。僕たちが必死になって補充していく横からおばあさんやお母さんが買っていく。

お菓子を取る子供たちの笑顔が嬉しかった。安くて良い品を買っていくお客さんたちの顔は素敵だった。

僕は商売を本格的にしたことは無いけれど、「商売って楽しい!」と素直に思えた。


大原さんの誕生日の日、12月30日には、

「お誕生日おめでとうございます。広島にいられなくてすみません。」

とメールを送って済ませた。

大原さんからはすぐに返信があり、

「ありがとう。一番うれしいメッセージ!!!応援頑張ってね!無理しないでね」とあった。

きっと大原さんは僕からの連絡を待ち続けてたんだろう。

大原さんの真剣な気持ちがわかるからこそ、悲しい気持ちにさせていることもわかっている。

それでも、まだ僕は結論を出せずにいた。


年が明けても採用活動はまだまだ続いていた。採用最低ノルマ200名に対して1月15日時点で182名。

わずか18名だが、ギリギリになって、「親に反対された。」といった辞退者も毎日のように出ているので一進一退を続けている。

応募数が少なくなってくる中、ここからが追い込みになってくるらしい。2名内定を出して、1名辞退者が出る、いう日々の繰り返しだった。

そういう時期にも大原さんは課員全員に声掛けを欠かさなかった。

「さあ、もう少し。」「やれるよ!」「絶対、大丈夫!」

と採用課のメンバーを優しく、温かく鼓舞していた。

大原さんはたまに本社にいても誰よりも早く会社に来て、最後まで残っていた。

僕もノルマ達成の難しさと、目標に向かっていくやりがいを同時に感じていたけど、それも全て大原さんのリーダーシップがあってのことだった。

採用課のメンバー全員が大原さんを信じてついていっていた。


内定受諾者数、182名が185名になり、190名、195名になっていく。

2月になって、ようやく最低ラインの200名を超えて内定者数が推移するようになってきた。

ノルマ達成が見え始めると、今度は再来年の採用活動や、新入社員を受け入れる準備が始まる。

でもこの時期になっても、僕は答えを出せなかった。

大原さんは車での告白以来、部屋に来ることは無かった。

僕からの連絡をただひたすらに待ってくれているんだと思う。


もちろん僕も考えていない訳では無かった。

むしろ毎晩のようにどうすればいいか、悩んでいた。

何で僕は結論を出せないんだろうと、もがいていた。

今、思い返すとこの頃の僕はほとんど寝ていなかった気がする。


2月以降、当たり前だがこの時期になると応募数はほぼ無い。

DMを使っての最後の応募促進や、人材紹介会社を使っての採用が行われる。

正直なところこの時期の応募者は、時折、公務員志望をあきらめたとか、スポーツの最後の大会が終わって、といった学生もたまにはいるものの、ほとんどが他社選考を落ち続けてきた人たちになる。

つまり、どこにも受からない学生たちだ。

一人で説明会をやらせてもらえるようになっていた僕は、採否は面接官の人が決めるわけだから、とにかく天神株式会社を好きになってもらおうと説明会を懸命にやっていた。

もちろんそれは僕だけじゃなく、採用課のメンバー全員が必死だった。

あと1名。もう1名を確保することが続いた。


そして3月31日、僕が入社して、そして採用課に配属されてちょうど丸1年。

初めての後輩を受け入れる日の前日がやってきた。

採用数は206名だった。

全員で、1名を積み重ねた結果の206名だ。

メンバー全員が胸を撫でおろし、拍手をし、握手を交わした。全員でやり切った感覚が心地よかった。


大原さん、いや大原課長が採用課のメンバー全員に言った。

「ありがとうございます。今年も何とか200名を超えて採用出来ました。本当に皆さんのおかげです。本当に、本当にありがとうございました。」

と言って深々とお辞儀をした。

採用課のみんながわかっていた。

誰よりも頑張っていたのは大原さんだっていうことが。

女性の先輩たちは全員、大原さんに駆け寄って、抱き合って泣いていた。

僕や係長も含めた男性社員も本当は一緒になって泣きたかったけど、頑張って泣かずに拍手した。

松田主任は、腕組みをして上を向いたまま顔を降ろさなかった。

だって男だからな、って後で言っていた。でもその目は赤くなっていた。


本当に素晴らしい職場に配属されて良かった。

この仕事で、この先輩方で、そして何よりも大原さんと働けたことで、たくさんのことを学んだ。

僕と大原さんの間には大きな課題はあるけど、仲間として、先輩として、上司として本当に尊敬できる素晴らしい人だ。

そしてきっかけはどうあれ、僕を心から愛してくれている人だ。


昨年と同じで、入社研修は初日と最終日以外はリモートで行われる。206名分のレンタルパソコンの貸し出し、発送準備だけで一仕事だ。

僕たちはとにかくバタバタしていたが2週間の研修と入社式は、無事、日程を終えた。

その後、全国の店舗に新入社員は配属されるが、僕たちの仕事はまだまだ終わらない。

配属後、特に最初の1カ月間は勤務時間のチェックやレポート管理など、やることは限りなくあった。

スーパー業界。中でもサンサンの現場はハードワークが多い。気をつけておかないと1週間で退職者が出るらしい。

採用課で一番の若手である僕がこのあたりを一手に引き受けて各店長や関係部署に連絡をしていった。

頭の奥には問題の期限をとっくに過ぎているにも関わらず、僕は仕事に忙殺されていることを理由に答えを出していなかった。


彼らが配属されてから2カ月近くが経った5月の末。

夜中と言ってもいい時間にその電話はかかってきた。


僕が最初に会社説明会をやった時の彼。田山からの電話だった。

毎週送られてくる研修レポートを見ていても、彼は配属先の店長からの評価も極めて高かった。

「おお、田山。どうした?元気?」

彼の言葉は直接的だった。今思うと、彼は少し酔っていたのかもしれない。

「小田島さん。なんで入社前に、この会社は宗教団体だって教えてくれなかったんですか?」

僕の血という血が下がっていくのがはっきりとわかった。

「何かあった?」

「店長から、一緒に入った太陽教学園出身者の給料は僕の1.5倍って言われました。どう考えても僕の方が仕事は出来ています。店長もそう言ってくれています。小田島さんは太陽教を信じている人もいるけど、会社の方針は全く関係無い。仕事も実力次第だからって言ってくれてましたよね?全然違うじゃないですか。他の先輩にも聞きました。役員は全員信者なんですよね?信者じゃないと、昇格も出来ないんですよね?嘘でいいから、お前も太陽教に入っとけって、少しでいいから寄付しろって店長に言われました。この会社は宗教団体に寄付する為に稼いでるんだって言われました。そうなんですか?小田島さんも信者なんですか?太陽教を信じてるんですか?」

まくしたてるように言われた僕は何も言い返す事が出来なかった。

「小田島さん、僕はあなたを信じて、あなたのようになりたくてこの会社に入ったんです。小田島さんは僕をだましたんですか?」

「いや、だましたなんて。そんなつもりは。」


田山は本当にいいやつで、内定者の懇親会なんかでは入社前にも関わらず、僕の手助けをしれくれたり、みんなを盛り上げたりしてくれていた。

それもこれも僕と気が合ったことが根底にあるのは、誰よりも僕が自覚している。

東京の一流大学出身だった彼が、天神株式会社よりも有名な会社の内定を断って入社したのは僕がいたから、という気持ちは僕には伝わっていた。

何故なら、僕自身もそうだったから。大原さんや松田主任と出会ったから、この会社に入ろう。この会社なら。と思って入社したからだ。


「小田島さん。僕をだましたあなたを許せませんし、こういう考え方の会社は好きになれません。今月末で退職します。お世話になりました。」

田山は最後に言った。

「小田島さん。あなたは信者じゃないって僕に言いましたよね?じゃあなんでこの会社にいるんですか?あなたは何が大切なんですか?」


唐突に電話は切られた。

僕が何かを反論する間も無かった。

いや、何も言うことが出来なかっただけだ。

もっと情けないことに、切られた後にこちらから掛け直すことも出来なかった。

彼の言っている事は全て本当だ。

だまして入れたと言われても仕方が無いし、僕の今の給料は、洗礼を受けて信者になったからだし、大原さんの彼氏であるからこそだからだ。


最初の頃こそ、何もわかっていなかったけど、途中からわかっていた。

そして今はもっとはっきりわかる。この会社は太陽教の教えで経営されている。会社の利益の多くがお布施と言われて太陽教に寄付されている。評価を高くするには仕事よりも入信することだ。

いや、それよりも何よりも、大原さんの彼氏になる事だ。田山。僕は入社1年で役員待遇なんだよ。

ごめん。お前は真っすぐで本当にいいやつで、本当に素晴らしいやつだよ。お前の言うとおりだ。僕は君をだました。


田山は予告通り月末で退職していた。

店からは1枚の退職届が出され、退職理由のところには「一身上の都合」とだけ書かれてあった。

彼の退職は数多い早期退職者の一人としてあっさりと受理、処理され、忘れ去られていった。僕の記憶以外からは。


田山。僕はなんでこの会社にいるんだろう?僕の大切なものって何だっただろう?

ずっと悩み続けていた答えを出す時がきたことに気づいた。


僕がこの会社にいるのは、最初は偶然にせよ、今はこの会社が大好きで、今やっている仕事が本当に好きだからだ。

苦しいし、ハードな時も多いけど、初めて仕事を楽しいと思ったし、やりがいを感じているからだ。


でも、その仕事は一つの考え方、つまり太陽教の教えに基づいている。

店長会議なんかでの社長の発言にも、数字の精査などは行われない。会議のほとんどの時間が仕事観であったり、人生観について述べられる。全員が太陽教の教えを守っていれば我が社は益々発展していくという思想教育だ。

太陽教の知識を得た上で聞いていると会社の重要会議というよりは、信者獲得大会にすら見えてくるし、それを聞いている全国の200人以上いる店長たちの多くが、正直うんざりしているのが顔色でわかる。

真剣に聞いているように見える人たちは、幹部社員か、ニセか本物の信者たちだ。

でも、それが悪いとは僕は思わない。嫌なら辞めればいいからだ。


僕がダメだと思うのは、僕たちの採用活動だ。太陽教を信じているならいるで、そのことをきちんと伝えた上で、採用するべきだという点だ。

でもそれでは確実に今の採用数は確保出来ないだろう。超拡大戦略の天神株式会社としては、それは受け入れられない。

これが天神株式会社の悪いところだ。

太陽教が正しいか、間違っているか、そして大原社長や役員が太陽教を信じているかどうかなんかは問題じゃない。問題は太陽教とは関係無いと言って採用していることだ。

でもこれは僕には変えられない。それこそ社長になれば別かもしれないけど。


そう、僕は社長になれる、って言われているから、それまで待てばいいかもしれない。

でも、僕みたいな、能力も覚悟も無い人間が社長なんてなっちゃいけないし、なったとしてもそれまでに採用した人はどれだけ辞めていくんだ。

そんな採用は絶対にしちゃいけない。

人事の仕事が好きで、誇りをもっているならそれだけはしちゃダメだ。

田山のような採用をもう二度と、少なくとも僕だけはやっちゃいけない。


そして僕はやっぱり太陽教を信じることは出来ない。正しいかもしれないし、すごいかもしれない。たくさんの人が助けられたのも事実かもしれないけど、僕には信じられない。その気持ちは僕だけのものだ。

大原さんは太陽教の教えが正しいと思っているから、入ってから少しずつ太陽教を知っていって、幸せになってほしい、と真剣に思っている。だから罪は無いと思う。

じゃあ、先輩たちはどうか?

正直、ノルマがあるからとか、評価が上がるからと言って、何が何でもやっているところはある。

でも、他の人たちがどう思ってるかは僕には関係無いことだ。

僕はこの職場が好きで、今の仕事も大好きだからこそ、人に嘘をついてこのまま仕事をしたくない。つまり、会社の方針には僕は従えない。

だから辞めるしかない。


僕の大切なもの。


それは小林さんだ。

小林さんと一緒にいたい。堂々と小林さんを好きだ、と言いたい。


大原さんを嫌いなわけじゃない。

大原さんは僕を心の底から愛してくれている。

そのことに感謝もするし、嬉しい。もちろん本当に尊敬している。

でもこれは恋じゃない。


僕は小林さんに恋をしている。

それだけだ。

小林さんに会いたくてしようが無い。小林さんを抱きしめたい。小林さんとずっと一緒にいたい。小林さんだけをずっと好きでいたい。


でも、小林さんを好きでいるためには、大原さんとのことや、太陽教を信じていないことを、そして結果的に会社を辞めなくてはいけないことを、全て正直に言わなくちゃいけない。


多くのことは時間が解決してくれるかもしれないけど、大原さんとのことを話せば絶対に小林さんを失うことになるだろう。


だから僕は逃げ続けてきたんだ。

答えを引き伸ばし続けてきたんだ。


「大原さん。本当にごめんなさい。」

やっと気づいた。僕は本当にずるいです。

小林さんに嫌われたくないからという理由で、あなたへの答えを引き延ばし続けて、ずっとずっと苦しめ続けてきました。

本当はとっくに答えがわかっていたのに。

小林さんに嫌われるのが嫌で、小林さんと別れたくないから目を背けて、大原さんへの答えをせずに傷つけ続けてしまった。僕は本当に最悪だ。

僕は自分の得になるようにしか考えてこなかったんだ。


田山。ありがとう。君のおかげで答えが出せたよ。

自分のずるさ、汚さにやっと向き合えたよ。

逃げずに話せるように、頑張ってみるよ。


僕には、友達は多いけど、親友はいない。軽い飲み会に呼ぶ友達はたくさんいるけど、大切な相談をする親友はいなかった。

マンガや映画、バイクに車。好きなことはたくさんあるけど、のめりこんだことは無かった。

勉強も適当に出来るけど、必死になって取り組んだ記憶も無い。

何しろ彼女が先輩に抱かれていても殴ろうともせずに、言われたとおりに鍵をかけて出ていくような男だった。

要するに本気で何もしてこなかったんだ。自分の心に向き合わずに、嫌なことがあれば、考えずにすむように逃げてきたんだ。

苦しみたくないから、苦しくなる前に、自分から逃げていたんだ。


今は心が痛い。過去を本当に後悔している。時間を巻き戻して、もう一度、小林さんに出会いたい。

小林さんを失うのが怖い。失いたくない。泣いて許してくれるなら、いくらでも泣く。


でも今の僕は大学2年生のときとは違う。結果的に小林さんを失うことになっても、僕は小林さんを愛しているからこそ、小林さんから逃げたりしない。

大学2年生の僕は、坂下さんよりも好きな人がいたわけじゃない。

じゃあ坂下さんを心底愛してはいなかったのだろうか?


いや、それも違う。本当に好きだった。

でも好きな人に裏切られたことを認めたくなかったから、辛いことから目をそむけるために、そんなに好きでも無かった、と自分の記憶をすり替えたんだ。

彼女が他の男に抱かれているのを見て、無理やりに平静を装おうとして、たいして好きでも無かった、とか、腹も立たなかったことにしたんだ。

本当はあの男を殺したいほど憎んだくせに。


だからあの時坂下さんは言ったんだ。

「昭は私のことほんとに好き?」

やっと思い出した。僕はあの時、マンガを読みながら明るい口調で言ったんだった。

「ああ、もちろん好きだよ。」

もちろん、ってなんだ。気になったから勇気を出して聞いてくれたのに。

坂下さんはものすごく傷ついたんだろう。だからあんなクソみたいな先輩にでもついて行っちゃったんだ。

でも僕は、そのクソ以下だ。


彼女が他の男に走ったんじゃない。僕が走らせたんだ。

ごめん。坂下さん。君はちゃんと僕に知らせてくれてたんだね。このままだと嫌いになっちゃうよ。ってサインを送ってくれてたんだね。

そのときの僕は全然気がつかなかったよ。ごめん。


僕は大原さんとは付き合えない。

それは小林さんが好きだからだ。

そしてこれ以上、大原さんのような素晴らしい人を苦しめちゃいけない。

たとえそれがどんな結果になっても。


すぐにでも伝えよう。


翌日のお昼休憩に、久しぶりに自分から小林さんにメールをした。

「久しぶり。近いうちに会えないかな?」

休みだったとのことで、返事はすぐに返ってきた。

「うん、今日でもいいよ」

「じゃあ、今晩7時頃に部屋に行っていい?」

「OK!なんか作っておくね。(^_-)-☆」

「いや、話をしたいから何も作らなくていいよ」



小林さんの部屋に入ってから、もう3時間は経っていると思う。

いらないと言っておいたのに作っておいてくれた美味しそうなハンバーグは見るからに冷え切っていてカチカチになっていた。

僕は大原さんとのことや太陽教のこと。そして今の気持ちを正直に全部話していた。

そして、聞きたくもないだろうけど、大学時代の坂下さんのことや、僕の色々なことから避け続けてきた人生、僕が何も真剣に出来なかったこと、そして会社を辞める事になるだろうと洗いざらい全部話した。

いかに僕がダメでアホな人間かがわかったと思う。


小林さんは怒るでもなく、ただひたすらに悲しそうな顔で静かに聞いていた。

そして大きくて深い息を吐いてから言った。

「わかった。それで、もう辞めるの?」

「うん、明日にでも大原さんに話して、多分、すぐに辞めることになると思う、というかクビかな?」

少しふざけた口調になったが、顔は笑えなかった。小林さんも笑っていなかった。


「僕に言う権利は無いと思うし、許してもらえるとも思ってないけど、大原さんにはきちんと付き合えないことを伝える。辞めることも伝える。そしてはっきりと言うけど、君が好きだ。君と一緒にいたい。でも君の信じている宗教は、僕には信じる事はできない。」

「君と最初から全部やり直したいけど、こんなことをしてしまった僕じゃあ、もう無理だということもわかってる。」


最後にもう一度、声を振り絞った。本当に真剣に。僕の心からの思いを込めて。

「僕はあなたが好きです。」


小林さんは少しの沈黙の後、言った。

「わかった。もういいよ。ちゃんと話してくれてありがとう。今日はもう寝るね。明日早いから。」

小林さんは僕を見ずに、うつむいたままだった。


「今まで言えなくてごめん。さよなら。」

そう言って、僕は最後になる彼女の横顔を少しの時間目に焼き付けて、部屋を後にした。

ドアの向こうから小林さんの泣き声が、ほんのわずかに聞こえた。


翌日。金曜日の夜、仕事の後に大原さんの部屋で、退職届とともに話をした。

大原さんは泣き崩れ、僕にすがりつき、叫び、わめき、捨てないで、とまで言った。

結婚しなくていいから。遊びでいいから。私が会社を辞めるから。お願いだからここに残って。近くにいてくれるだけでいいから。とも言った。

でも、僕の心はもう決まっていた。

どのくらいの時間が経ったんだろうか?カーテン越しに見える外が明るくなってきた。

大原さんが泣き止むまで、僕は大原さんの肩をずっと支えていた。


僕は最後に

「本当にごめんなさい。」

と謝って、僕の背中に回された大原さんの手をそっと外して、部屋を出た。

もう大原さんは何も言わなかった。

大原さんの手は冷たくて、ちょっと震えていて真冬に外に出ていたみたいだった。

誕生日にもらった腕時計は玄関のところにそっと置いておいた。

結局1回も使わなかった。

大原さんも小林さんも本当にいい人で、純粋で、何一つ嘘も無いし、悪くない。悪いのは全て僕だ。


大原さん。一つだけ正直に言っていないことがあります。小林さんのことです。

もちろんあなたは小林さんとのことを知っても、小林さんに何かをするなんて思っていません。

でも、小林さんだけは僕の心の中だけに大事にしまっておきたかったんです。

最後まで嘘つきでごめんなさい。


土日は何もしなかった。何もする気になれなかった。

携帯を切って、食事もせず、電気もつけず、ずっと部屋にいて、天井を眺めていた。

世界が終わったかのように僕の周りだけモノトーンになって音が消えていた。


初めての社会人。

たった1年ちょっとだけだったけど、本当に色々なことがあった。

きついこともあったけど、本当にやりがいを感じられて楽しかった。

そして、自分がどれだけダメな人間だったか、どれだけ逃げ続けてきたか、目をそらし続けてきたか、がよくわかった。


大学選びのときもそうだった。高校の先生から

「小田島はもっとやれるのに何で挑戦しないんだ!」

とよく言われた。その時は、“うるせえなあ”としか思わなかったけど、先生は真剣に言ってくれたんだと今ならわかる。

自分ではやっているつもりだけで、受かる大学を受けただけだった。大学に行ったのも、勉強したいから行ったんじゃない。まだ働きたくないだけだった。

何となくみんなが行くから大学に行っただけだった。学部は偏差値となんとなく恰好よさそうなところにしただけで、文学にも興味は全く無かった。

そう言えば高校の部活もそうだった。小学生の頃から好きで続けていた剣道も、一人の先輩から何かと言われるのが面倒になって行かなくなった。あれも大きな理由なんてなかった。

中学の頃のことなんて、もはや記憶にすら残ってない。


僕は今まで何がしたかったんだろう。

僕は今まで何が好きだったんだろう。


訳もわからず入った天神株式会社で、いつの間にか時間も忘れて、採用数を追い求めていた。

一生懸命に働くことが楽しかった。

達成したときにみんなで心から喜び合えた。仕事が楽しかった。

先輩や仲間、学生との関係が楽しかった。

僕から色々な仕事の提案もした。

「こうしたら学生はもっと興味を持つんじゃないでしょうか?」

「こういう内定者向けの企画はどうでしょうか?面白いと思うんですが。」

先輩たちも積極的に聞いてくれたし、時にはその提案を採用してくれた。嬉しかった。もっともっとやれることがあるんじゃないか、と思って休みの日は情報を集めた。


僕の人生で、こんなに一つのことに熱中したのは初めてだった。


採用目標を達成したときの感動。みんなで喜び合ったあの瞬間。涙を堪えたあの日、あの場所に、もう僕はいられない。


僕に親友がいないのは、僕から何かをしたことが無かったからだ。

何かをしてもらって、それに対して適当な何かを返していただけだ。

与えられることが当然のように、受け止めていたけど、それは当然じゃ無かった。

自分からは何も与えなかった。だから僕には大切なものが何も無かったんだ。


天神株式会社と、最高の仲間と出会って、初めて真剣に何かに取り組んだ。

大原さんと出会って、初めて心から自分を求めてくれている人がいることを知った。

小林さんに会って、初めてこの人だけは離したくない、と思った。


初めて本気で人や仕事に向き合った。


そして今、僕は自分のせいで、初めて出来た仲間を、やりがいのある仕事を、そして本当に好きだった人を、全て失った。


「坂下さんにもいつか、きちんと謝らなきゃ。」

そんなことを土日の二日間考えていた。


重い心と、動こうとしない足を引きずって月曜日に会社に行くと、大原さんは病欠の連絡が係長に入っていたそうだった。

退職の手続きをしようとすると、先回りして人事部長から内線が入って会議室に呼ばれた。

すでに連絡がいってたんだろう。

別人かと思うほどの冷たい態度の人事部長からは、名前を書くだけの退職届を放り投げられて、有給休暇を今日から消化して自主退職するように言われた。

それだけじゃなく、訴えたければ訴えればいい、とも言われた。

訴える気は無いし、そういう態度を取られるのも当然だと思う。

なぜなら大原さんは天神株式会社の輝く未来で、全社員の希望だからだ。

その未来や希望をゴミみたいな僕が踏みにじった。

「お世話になりました。」

と僕は頭を下げて会議室を後にした。

むしろこの程度で済んだのは、大原さんが、怒り狂う社長を抑えてくれたんだということは、こんな僕でもわかる。大原さん、最後までごめんなさい。

みんなの宝物を僕が壊したんだ。


松田主任に報告しに行くと、空き会議室を見つけて入り、1週間以内に社宅を出るように言われた。

「お前、何をやらかした?あんだけ絶好調だったのに。辞めるなよ。と言いたいところだけど、裏ルートでこっそり事情は聞いたから。でも大原課長の名誉の為に、他の採用課メンバーには、お前が太陽教で研修を受けたら辞めたくなったって、もっともらしい理由を言っといたから安心しろ。でもな、お前な、しかしな。」

と言った後、一呼吸おいて、

「お前ほんとにバカだなあ。社長にでもなれたのに。しかも、あんなにいい女を選ばないなんて。俺なら喜んで受けるよ。バカ。ほんとにバカ。バカとしか言いようが無い。」

と最後に本気でバカにしてくれたのが何よりも救われた気持ちになった。


自分の机の片付けが終わったら、速やかに出て行くように言われていたので、急いで自分の机を片付ける。

採用課の先輩たちが、「寂しいぞ。」とか、「次が決まったら連絡してね。」と言った言葉をこっそりとかけてくれる。

松田主任がそっと僕のポケットに「これやる。」と言って何かを突っ込んできた。

それは松田主任が使っていて格好いいと僕が褒めたことがある、大切にしていた万年筆だった。

声が出ない。僕は万年筆を握り締める。涙が溢れる。

僕は本当に、あたたかい人たちに恵まれた。ここは最高の職場だった。


僕は会社にとって、“あり得ない存在”だから、声に出さずに一人ずつ先輩たちにお辞儀をして、私物をカバンに無理やりに詰め込んで、すっと会社を出ていった。

先輩たちの視線があたたかく、そして優しく、僕の背中に羽毛のようにかけられるのがわかる。


会社の玄関を出ると、空が雲一つなく晴れているのが、なんだかとても残酷だった。


1週間と言われたものの、ここにいて、大原さんや小林さんに会ってはいけない、と思った僕は、その日のうちに、必死で部屋を片付けて掃除して、コンビニから宅急便で荷物を実家に送った。

松田主任に言われたとおり、鍵を郵便受けに入れて、社宅の玄関を出たのは深夜1時頃だった。

松田主任にそのことをメールすると、こんな夜中なのにすぐに「またな」と返事があった。


「すごく快適な社宅でした。ありがとうございました。」

社宅に向かって深くお辞儀をして、建物を見上げると大原さんの部屋に灯りが点いていてカーテン越しに人影が見える。

大原さんが僕を見てる。きっと、ずっとあそこで待ってたんだ。

胸が強く強く締め付けられる。

もう一度、深くお辞儀をした。

「大原さん、本当にごめんなさい。」

出て行こうとしている僕の背中に痛くて悲しく、でも本当に優しい視線が送られているのがわかる。

僕は振り向きそうになった。

でも振り向くわけにはいかないこともわかってる。

僕は歩きながら何度も何度も言った。

「大原さん、ごめんなさい。本当にごめんなさい。」

小林さんの部屋は見ることさえ出来なかった。もしかすると小林さんも僕を見ているかもしれなかったけど、逃げるように出ていく、泣いている僕の顔を見られたくはなかった。


夜中だったこともあったけど、広島駅に徒歩で向かった。なんとなく歩きたかったからかもしれないし、小林さんと一緒に歩いた道を記憶にとどめておきたかったからかもしれない。

二人で歩いたときは、あんなに楽しかった道が、果てしなく遠くて、つまらなくて、暗い道のりだった。

そして僕は完全に、好きだった仕事や会社、小林さんという大切な存在、大原さんという僕を守り続けてくれた全てから完全に切り離されたことがわかった。

電気の消えた広島駅に着くと、誰もいない路面電車のそばの地面にヘタヘタと座り込む。


当たり前だけど、初めて会社を辞めてわかったことがある。

所属する場所が無くなるということは、人間で無くなる訳では無いけれど、ただの小田島昭になる、ということだった。

今までは、〇〇大学の小田島だったり、天神株式会社の小田島、と名乗っていたのが、これからはただの小田島だ、ということだった。

もし今、逮捕されたら『住所不定無職 小田島昭容疑者』となるんだよな、とかつまらないことを考えたりもした。

酔っ払いが時々通りかかるくらいの、暗くて寂しい広島駅前で、僕はただの小田島昭になった。

今までどれだけ会社に、先輩に、上司に守られてきたかがわかって、自分でも気づかないうちに頬を涙が流れていた。

自分のせいで辞めることになったけど、天神株式会社に、大原さんに、松田主任、そして先輩方、他の部署の人たち、本店の青山店長、たくさんのパートさん、田山も含めて全ての人たちに思う。

本当にありがとうございました。


朝一番の新幹線で帰ろう。

こうして1年とちょっと、僕の最初の会社生活、広島での一人暮らしは終わった。



新幹線でたった2時間半の名古屋は能天気に晴れていた。

始発で帰ったので、午前中には実家に着いてしまう。

母親には、昨日のうちにメールを入れてあったが、僕の顔を見ると、まずはバカにしたような、やっぱりな、というような態度で出迎えられ、顔を見るなり、速やかにアパートを探すように言われた僕は、客間で寝泊まりしながら、就職活動とアパート探しを同時にすることになった。


後悔、懺悔、反省と、その他もろもろは、もう切り替えることにしよう。

これからは恥ずかしくない生き方をするだけ、と真剣に思った。

もう二度と同じ過ちは犯さない。

幸い、手をつけていなかった多額の割り増し給料がたくさんあったので、当面はお金には困らないだろう。

本来返却すべきかもしれないとは思うが、心の中でお詫びしつつ甘えてしまった。

いくら反省していても、ちゃっかりしているところは変わってないな、僕は。


次の就職先でも、人事がしたい。そしてきちんと会社を調べて普通の会社にしよう。

それが僕の願いだった。

でも、本当の願いは、小林さんに会いたい、ということだった。

でもそれは不可能なこともわかっていた。



それから半年が経った。

僕は名古屋を拠点とする中堅の建設会社で新卒採用担当として働いていた。

アパートも職場から7駅先の、築年数はまあまあいってるけど少し広めの部屋が無事見つかっていた。

業界は全く違うが、採用を強化するために、人前で話せる若手を探していたその会社と上手くマッチングしたらしい。

最初の面接では、最初に「あの天神株式会社?」「もしかして信者の方?」とかを聞かれ、「違います。」と答えただけで、何となくわかった感じで大きくうなずかれ、「わかる、わかる。信者じゃなきゃ辞めるよねー。早く気が付いて良かったね。」とまで言われた。

僕は、退職理由を聞かれたらある程度は素直に答えるつもりだったが、正直なところは、詳しく説明せずに済んで助かったと思った。

どうやら天神株式会社は、国籍や学歴を問わず、根こそぎ採用することで人事業界では有名だったらしい。わかるけど。

天神株式会社と入力すると最初に太陽教と出てくるということで、外から見るとやっぱり、少し変わった会社だったことは間違いないようだ。これもわかってはいたことだけど。


新しい会社に無事、入社が決まって仕事を始めていくと、なんだかんだと厳しい採用活動の経験が活かされていて、それなりに戦力になっている気がしてやりがいも感じた。


少なくとも同じことを任されて、僕の同年齢程度の同僚よりははるかにスピードが速いことは上司や先輩たちにも評価されたし、自分でも少し驚いた。たった1年ちょっとだったけど松田主任や他の先輩たちに真剣にしごいてもらったことが確実に自分の中に根付いていることが感じられた。


今度の会社は天神株式会社ほどの派手さは無いけど、堅実で、しっかりと面接や選考をしていて、建設業の中ではかなり定着率もいいし、社員のモチベーションも高い。

僕はいい会社に入れたと思う。

そして、働く事はやっぱり楽しい。僕はこんなに働き者だったっけ?と自分でも驚く。

そうか、仕事が面白い。というのは天神株式会社で教えてもらったことだったと気がついた。



そしてまた更に半年が経った頃。

お昼休みに、僕の携帯にメールが入った。

スマホの画面には、最初に登録したときのままの名前が出ていた。



“小林さん”



「名古屋にいるけど会えない?でも忙しいならいいよ」



思い出が蘇る。何度も何度も消そうとして、最後の削除ボタンを押せなかった番号。何度も何度も何度も電話しようと思って手を止めた番号だった。

あれから1年経ったとは思えないほど、ついさっきのように感じる痛い記憶で胃酸がこみ上げてきて、僕の胸をギリギリと締め付ける。

けれど、僕も会いたい。

「仕事が18時に終わるから、それまで待てる?何なら午後半休取るけど?職場は名古屋駅前だけどどこがいい?」

すぐに返信があった。

「夕方でいい。名古屋駅でそれまで待ってる。終わったら連絡ください」

小林さんがすぐそこにいる。僕に会いに来てくれた。


もろもろあった予定を全て翌日回しにして定時とともに、

「すいません。すいません。お先ですー。すいませんー。」

と言いながら、上司の目も気にせずダッシュで事務所を走り抜け、エレベーターに乗り1階まで下りて電話をした。

「今どこ?」

「名古屋駅の中の新幹線の乗り場の近くの大きな時計の前。」

「わかった。すぐ行く。」

僕の会社は名古屋駅前の大きなオフィスビルに入っていた。小林さんが言ってきた場所は名古屋駅でもちょうど反対側だ。

今の時間なら、地上よりも地下街を突っ切る方が早いと思った僕は、ビルの自動ドアが開くことすら、もどかしい。

普段に増して人が多く感じる。目と鼻の先の階段が遠くに感じる。人ごみを避けながら全力で走ると息もきれる。名古屋駅のコンコースが長く、遠い。でもそんなことよりも今すぐに会いたい。

僕は全力で走った。


その人は、そんな人ごみでも、遠くからでも、すぐにわかった。

あの時の服を着て、旅行用の大きなスーツケースを横に置いて立っていた。


目の前に立つ。

息が切れまくっているのに、つい僕は噴き出してしまう。

「何よ?」

小林さんが怒った顔をする。

「いや、うどん屋ツアーの時の服なんで。」

「わかった?」

小林さんが少し笑顔になる。

「わかるよ。」


小林さんは大きく息を吸い込んで吐いた。顔がなんだか赤い。

「私、先週までで会社を辞めて、今日、広島から出てきた。それはあなたがいないから。1年間ずっとずっと考えてたし、色々とほんとに、めちゃくちゃ腹は立つけど、あなたと一緒にいたいことがどうしても我慢出来なかった。私は太陽教を信じることは止めないけど、あなたにも他の誰にも強制はしない。私の心の中だけで信じることにした。それでも良かったら私と付き合ってくれる?」

心臓がバクバクと音を立てる。今にも壊れそうだ。

でも僕は、ついいつものクセでつまらないことを言った。

「1年も経って、僕が他の誰かと付き合ってるとか想像しなかったの?」

小林さんはポカンとした顔で言う。

「そう言えばそうだ。してなかった。誰かと付き合ってるの?」

「ううん。小林さんに会いたかった。ありがとう。」

「私もありがとう。」

小林さんが笑顔になった。


恥ずかしいけど涙がこぼれて止まらない。

混雑している名古屋駅の中、周囲を歩く人が僕をちらちらと見ては笑っていく。僕のみっともない泣き笑いの顔を。


少しだけ時間はかかったけど、一番大切な人が目の前にいる。

もう絶対に離さない。

僕は小林さんの柔らかくてあたたかい手をギュッと握りしめて言った。


「小林さん。僕と結婚して下さい。」


近くにいたおばさんの集団から歓声と拍手が起きるのが、どこか他人事のように遠くで聞こえた。

エピローグ

小林さんは自分の親に「今、結婚する人と名古屋にいる。心配しないで」とメールしただけで、あの名古屋駅の日から、大きなスーツケースとともにそのまま僕のアパートに居ついてしまった。

とにかく大きいスーツケースの中身が気になったのでこっそり覗いてみると、ほとんどが太陽教の分厚い本ばかりで、洋服はリクルートスーツとジャージ、タオル。そして下着くらいだった。

確かに修行僧ならこれでいいかもしれないけど、大好きな人には申し訳無いが、かなり引く。明日にでも仕事帰りに何か買ってこよう。


会社から帰ると電気のついた部屋に、僕が買ったセーターとデニムを着た小林さんがいて、ご飯を作って僕の帰りを待ってくれている。

岡山から逃げるように出てきた、絶望で何も見えず、感じなかった、あの時の僕に言ってあげたい。

「また会えるよ」って。


小林さんの私服も少し落ち着いてきて、ネットショップあたりも時々見るようになった1ヶ月後。さすがに小林さんの親御さんに申し訳無いと思い、渋る小林さんをどうにか説得して、実家の連絡先を聞き出した僕は、ちゃんと電話をした上で、小林さんを引きずるように連れて挨拶に行った。


小林さんの実家は大阪府高槻市の郊外だった。「この店が懐かしい」とか、「ここのうどんが美味しい」とか、なんだかんだと到着を遅らせようとする小林さんをなだめすかして家まで行くのがまず大変だ。

実家はごく普通の一軒家だった。

玄関のインターフォンを押すと、ご両親が慌てて出てきて、小林さんのお母さんの方から先に謝られた。

「小田島さんですか?ご迷惑をかけてすみません。私たちの言うことを聞かなくて。」

後でお母さんがこっそり話してくれたのだが、小林さんが同級生に太陽教に勧誘されてから熱心な信者になったせいで、親の猛反対を押し切り、太陽教の大学に入学したこともあって、それからは、ほとんど音信不通だったらしい。


眉間に深い皺の刻まれたなかなかの険しい表情のお父さんからは開口一番、

「君はやっぱり、その、例の、あの宗教の、信者の方?」

と聞かれ、僕が

「いえ、違います。でも、あの、すみません。あまりわかってないんですが、普通のお寺の、なんとか真宗という、仏教です。多分ですが。お葬式は近所のお寺でやってます。」

と言うと、ものすごく笑顔で頷いてくれた。これがいわゆる新興宗教に対する普通の反応なのかもしれない。

特に、小林さんのご両親は、一人娘がいかがわしい新興宗教にはまって、自分たちを捨てたくらいに思っていただろうから、相手が僕みたいな平凡な男で安心したのかもしれない。


僕は、彼女が何故、太陽教に入ったかを僕から言うことは無いと決めていた。

小林さんのお父さんとお母さんは、悪い友達や宗教のやつらに騙された、と思っているなら、それでもいいと思っていた。今更過去をほじくってもいいことなんて一つも無い。

僕がこれから小林さんを幸せにすればいいだけだし、彼女も過去をもう乗り越えている。


小林さんのご両親には、天神株式会社での出会いや、僕が今は名古屋の普通(?)の会社に勤めてて、小林さんも天神株式会社を退職したことなんかを説明した。

ご両親は初めて聞く一人娘の情報に飢えていたらしく、物凄い食いつき方で僕の話を聞いてくれた。そしてとにかくたくさん質問された。例えば「あの子は食べるものは何が好きなのかしら?」「料理とか作れるの?」とか。

ご両親が、小林さんのことが心配でたまらなかったことがよくわかった。

「何でも早く作れてすごく美味しいですよ。」

と僕が答えるとお母さんは涙ぐんでいた。


僕がご両親と話している間、小林さんは僕たちの会話には加わらずに、家で飼っている犬と庭でずっと遊んでいた。彼女は彼女で、多分色々と照れ臭かったんだろう。

そりゃあそうだ。家出娘の数年ぶりの帰宅なんだから。


話の最後になって、まだ犬と遊んでいた小林さんを呼んで、無理やり隣に座らせて頭を下げた。

「小林さんのお父さん、お母さん。初対面で申し訳ありませんが、お嬢さん、恵理さんと結婚させてください。必ず幸せにします。」

小林さんのご両親は、子供のときは精神病にかかって苦労し、治ったと思ったら、新興宗教にはまって長い間遠くに行って、もしかするともう二度と帰ってこないかもしれない、と半ばあきらめていた一人娘が、突然帰ってきて、普通の結婚をするということを聞いて、驚いたのか、それとも嬉しかったのか二人で泣いていた。そして、

「ふつつかな娘ですが、宜しくお願いします。」

と言ってくれた。

小林さんはその時、外を向いていたけど肩が震えていたのがわかった。


無理にでも会いに来て良かった。小林さんのお父さんもお母さんも少しは安心してくれたようだ。

泊まるように言ってくれたが、初対面ではさすがに失礼だし、これからも定期的に顔を出すことを約束して、その日のうちに名古屋に二人で戻ってきた。

ご両親は新大阪駅まで、車で僕たちを送ってくれた。少しでも一緒にいたかったんだろう。改札に入る時、小林さんが言った。

「お父さん、お母さん。今まで心配かけてごめんね。私、幸せになるからね。」

ご両親と抱き合う姿に僕までもらい泣きしてしまった。

ちなみに僕はちゃんと手土産に名古屋名物の海老せんべいも持って行った。こういうことは天神株式会社で学んだことだった。

その日の帰り道から、僕たちは下の名前で呼び合うようにした。彼女もなんとなく嬉しそうだった。


その翌日に、うちの親にも恵理を正式に紹介した。

こちらは正直、僕が恥ずかしかった。

幸い、恵理のユニークさは良い意味で、うちの母親に大いに気にいられた。もちろん父親は娘が出来るという喜びに、感慨ひとしおだったようだ。

うちの親からは、早く結婚式をしないと相手方の親御さんに申し訳無い、すぐにでも挨拶に行くと言って、大騒ぎだったが、何とかなだめて、出来るだけ早く両家の顔合わせをするように約束させられた。

しかも、うちの母親はその場で恵理の実家に電話を掛け始めて、恵理のお母さんと結婚式をどうするか、で大盛り上がりしていた。

名古屋か、大阪か、それとも2回やりますか?とかで楽しそうだった。

このままじゃあ、親同士で勝手に決められてしまいかねない。早めに企画しよう。


何はともあれ恵理も、率直かつ、ライトなうちの両親を気に入ってくれたのが良かった。

自分たちのアパートに帰る途中に、笑いながら

「昭って、本当にあなたのお父さん、お母さんにそっくりね。」

と言われたが、まあ誉め言葉と受け取っておこう。

そう言えば、当たり前だけど初めて自分の親に言ったな。

「僕、この人と結婚するから。ちゃんと守っていくから安心して。」って。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「スーパー業界の革命児。天神株式会社(広島)食品偽装発覚!」

というニュースが出たのは、大阪に行ってきた翌月のことだった。


僕も、職場見学なんかで何度か行ったことがあるグループの食品工場で、大規模な消費期限の偽装や、廃棄しなければならない食材を商品に流用していたことが、「天神太郎」というふざけた名前のSNSで写真や動画付で暴露され、異常なほど一気に拡散されたのだった。

成長著しくメディアでも何度も取り上げられ、業界の革命児とまで言われていた大原社長、そして天神株式会社は、過去の映像や、出版していた書籍を転用され、ネットだけでなくテレビのワイドショーの格好の標的となった。


でも、それは始まりにしか過ぎなかった。

天神太郎のSNSは、毎週決まって日曜日の深夜に新しい問題を暴露系サイトにアップしていった。

しかも食品偽装はただの前触れにしか過ぎず、少しずつ重大な問題になっていったのだった。

太陽教への度を越した寄付と社員の強制的な入信。決算報告書の改ざん。不正の隠蔽。M&Aした会社の従業員への過酷な処置。成果を出せない社員への左遷人事などなど。幹部しか知り得ない内部情報や機密書類が流出していった。

テレビなどのメディアは、ネット情報をまず速報し、その後取材をかけ、先を争うように天神太郎の情報を後追い報道していく。内容があまりに詳細で、計画的な情報の出し方から、おそらく天神太郎は、社内の幹部社員だろう、ということをテレビのコメンテーターが言っていた。

ひと月が経った頃には、もはやどのメディアも天神太郎のSNSを心待ちにするようになっていた。

この状況は天神太郎の狙い通りだったんだろう。


天神株式会社も最初に開いた記者会見で総務部の広報担当者だけが対応したことも致命的なミスとなった。

どこかの週刊誌の記者が「何故社長が説明しないんだ!」とわざと大きな声で怒鳴り、退席したことがきっかけで、全てのメディアが一斉に社長の会見を求めて取材を拒否。全ての記者たちが退席する騒ぎになった。

大きな声を上げ、会見をボイコットする記者たち。何度も何度も頭を下げるまだ若い広報担当者。右往左往する天神株式会社のスタッフたち。

イスが倒れ、雑然となった空っぽの記者会見会場。

この映像が全てのメディアやネットで流された時が、一気に全国民の関心が向いた転換点だったように思う。

この映像は繰り返し何度も何度も、何度も流された。結果的に日本国民の誰もが一度は見た映像になってしまった。


更に輪をかけたのが、発端となった食品工場にいた外国人技能実習生の、過酷で劣悪な環境の映像や、工場長による差別的発言などの人権侵害や暴力をふるっている行為が、隠し撮られていたのか、生々しい動画でアップされたことだった。

これはテレビだけじゃなくSNSで流すのにも格好の素材だった。

食品工場の工場長は会社でもかなり古株の社員で一時は役員にまでなっていたこともある人だった。

社長の信頼する人だったものの、かなりパワハラ的なことをやっているという噂は確かにあった。

そして、天神太郎は念入りにもこの動画を外国人技能実習生の母国の大使館公式サイトにも投稿していた。

結果的に大使名で外務省に抗議が入ったことが国会で取り上げられることになったのだ。

社長を証人喚問しろ!そういった声が出るほどに大きな事件になっていった。

こうなると完全に歯止めが利かず、まさに日本中から袋叩きの状態となった。


そしてついに、堂々と幹部社員が告発する時がきた。

それは社長の徹底したイエスマンで、熱心な信者と言われていた取締役経理部長だった。

「私は社長に不正を強要された。抵抗したが無理だった。」

とメディアを集めて発表した。

それは泥船から逃げ出すネズミにしか思えず、大きな批判もあったが、ほんの一握りの役員しか知らない機密情報が世間に流出したことは大きかった。

新入社員の前ではあんなに偉そうに自分の成果を語っていたくせに。


実際に会社の裏帳簿と言われるものを示して会社の不正会計や、成果至上主義によるパワハラ、過酷な左遷人事などを徹底的に、そしておそらくは過大に発表したのだった。

真っ黒なインクが水に落ちて広がるように、社会全体でこの会社の存在を許してはいけないという空気が大勢を占めるようになっていた。


大原社長は次々と報道される新しい疑惑が報じられる度に、説明会見を開いたし、不正会計や、パワハラへの関与は完全に否定した。

僕も社長の話を信じたし、多くの社員もそうだったと思う。何故なら大原社長は清貧であり、部下に対して暴言は吐いていなかったことを社員たち全員が知っていたからだ。

むしろ社長はいつも社員にも業者にも、誰に対しても丁寧な言葉遣いや態度だった。


ただし、目標必達主義は役員や部長クラスの幹部社員に徹底されていたので何が何でも目標を達成させるために、役員や部長たちは相当に強引な指導を行っていたのは事実だし、それを社長が黙認していたことは否めない。

否定すればするほど、社長の発言は責任逃れと更に強く糾弾され、火に油を注ぎ続ける結果となった。

何度目かの記者会見ではすでに大原社長はどう答えていいかわからず、お詫びするばかりになっていた。もちろん役員会も機能不全に陥っていたんだろうと思う。

常に誠意を見せようとはしていたが、世論と言われる意思を持った濁流には抗えなかった。


株価はストップ安を連続して記録。全国的に発生した不買運動や訳のわからない賠償請求が起こされ、売上は激減していった。

店舗ではアルバイトだけでなく社員の大量退職が発生したため、運営が維持出来ず、一時的に閉鎖する店も増えていった。

もちろん新卒の採用なんか到底出来ない状態になっただろうし、採用課はどうなったんだろう?大原さんや、松田主任。先輩たちは大丈夫だろうか?


そしてその日は突然にやって来た。

今まで頭を下げて金を貸りてもらっていた銀行団が、会社の存続危機を理由に債務の一括返済を求めて、手の平を返したことで、天神株式会社を守ろうとする人たちの必死の抵抗は終わった。


臨時株主総会が開催され、創業者一族と、ほぼ全役員の解任を発表。債権者代表と称する銀行団から送り込まれた取締役による新会社、サンサンコーポレーションが発足することになった。その間わずか半年だった。

唯一役員で残ったのは、会社を告発した経理部長だった。

彼が銀行と組んで、会社を乗っ取ったんじゃないか?とか、天神太郎はあいつだ!との説が一部サイトにはあったが真実は僕にはわからない。


ただ、その経理部長も週刊誌の記事によると、新会社が発足した3か月後には業者からのリベート着服が明らかになり、功績(?)を考慮されたのか、うやむやのうちに自主退職に追い込まれていた。

ある意味、銀行団の思惑通りで、いいように利用されて捨てられたのか?といった記事だった。それが事実なら上には上がいたということだろう。


僕が一時期、真剣に思ったのは、僕が残っていれば天神株式会社は以前のままに成長していたんじゃないのか?というグレートサンの予言だった。

もちろんそんなことはありえないし、むしろ僕がいた方がもっと叩かれる口実が増えていただけだろう。

でも、もしかすると大原さんだけは僕と一緒にいられなかったからこうなった、と思っているんじゃないだろうか?

万が一そうであれば、大原さんは自分のせいにしていないだろうか?

僕には何も出来ないし、声もかけられないけど、そのことはずっと僕の心の奥に引っ掛かっていた。


その後、大原社長は銀行による会計監査によって、多額且つ数多くの使途不明金が指摘され、背任容疑で告発されたことを報道で知った。

本人は関与を否定し続けていたが、社長としての責任はまぬがれないだろうとの予測記事だった。新会社側、つまりバックにいる銀行団は多額の賠償を要求していて、全ての株式、私財を処分させるとも書いてあった。

要するに身ぐるみ剥いで追い出す、ということだろう。この短期間のうちに調べ上げたのか?いや、相当前からの周到な計画があったとしか思えない。


一方、今まで天神株式会社から多額の寄付を受け続けてきた太陽教は、

「天神株式会社は世間を騒がせた上、当教団の倫理規程に違反しており、天神株式会社ならびに大原昭一氏、及び氏の関係者全員を除名処分とした。」

とホームページ上で発表しただけで、一切の取材を拒否した。

それだけでなく、教団内では大々的に大原家のネガティブキャンペーンをやっているとの記事もあった。

銀行以上にひどい手の平返しだ。

大原社長や大原さんは、太陽教を本当に信じていただけに、このことが一番辛いんじゃないだろうか。

あのグレートサンはプライベートジェットで“海外布教活動”に出たらしい。ハワイに。


せめて寄付された金くらい返してやれよ!

あんまりだ。

宗教って人を救うものじゃないのか?金が無くなったら切り捨てるのが宗教なのか?あまりにもひど過ぎる。


知らないうちに洗礼を受けたあの教会での出来事を思い出す。女王のようにふるまっていた大原さん。威厳をもって支部長に応えていた大原社長。

あの時、満面の笑顔で拍手をしていた信者の人たちも手の平を返すのだろうか?それは正義なのか?

ろくに理解もしようとしていない僕に真剣に教えてくれた支部長さんや、朝食を持ってきてくれた、あの女の子は納得出来るんだろうか?


大原社長は何度も何度も開催した会見で、マスコミの集中砲火を浴び続け、以前の眼光鋭く、恰幅の良かった姿は、見る影も無くやつれていく様子が手に取れるようにわかった。


そして最後の大原社長の退任と新社長の就任会見はまさに勝者と敗者としか言いようがなかった。


大原さんはどうなったんだろう。


ソファーでそんなワイドショーを見ていると恵理が「大原社長可哀そう」と言って隣に腰かけ僕の手を強く握りしめた。僕も彼女の手を優しく包んだ。

社長というものはもちろん全ての責任があると思うけど、あれだけ自分にお金をかけない大原社長がお金を不正に着服する訳がないし、理由も無い。おそらくは多くの取り巻きや幹部社員たちが会社を私物化していたんだろうと思う。

「私、太陽教を信じているけど、大原社長やご家族に対する除名処分だけは納得できない。あんなに太陽教に貢献してきたのに。ひどすぎる。」

恵理が太陽教の批判をするのを始めて聞いた。

僕は恵理の肩をそっと抱き寄せる。

思えば、恵理はこの頃から少しずつ太陽教に疑問を抱くようになったのかもしれない。


「昭は大原さんの事が気になる?」

恵理にズバッと直球で聞かれて、片手に持っていたコーヒーをこぼしそうになった。

「いいよ。もう前のことだし。大原さんって仕事頑張ってたもんね。」

そう言われて僕も素直に言えた。

「うん、本当に頑張ってた。すごい人だったし尊敬してた。ごめん。気にならないと言ったら嘘になる。」

「いいよ。そういう昭が私は好き。関係無いって言ったら逆に軽蔑する。」


大原さんももちろん会社には残らない、というか残れないだろう。あれだけ仕事に情熱を燃やしてきただけに残念だと思う。

再就職しようにも大原家、そして天神株式会社の名前は中国地方では絶大だっただけに苦労するだろう。

僕には何も言う資格は無いけど、もったいなさ過ぎる。

大原さんが新入社員全員の前で緊張感を持って話していた姿が蘇ってくる。

大原さんが壇上に上がると、誰もが注目して、静かになった。部下に対しても常に敬語で、丁寧に接する上司だった。

どれだけ忙しくても部下には必ず休みを取らせて、自分はそれをカバーするために休みなく懸命に頑張る人だった。

社長の娘じゃなくても必ず一流のビジネスマンになる人だった。


大原さんとは色々とあったし、最後はなかなかのドロドロだったけど、あの人に惹かれた部分がたくさんあったのも事実だ。

小林さんと出会わなければ大原さんと広島で一緒に暮らしていたかもしれない。いや、きっとそうだ。

“たられば”は無いけれど、そうなっていたとしたら、今、この瞬間に僕はあの人の手を握り締めてあげていられただろうか?他の役員のように逃げ出さずにいられただろうか?

違う理由ではあったけれどあの場所から逃げ出した僕は、天神株式会社の皆さんに対して、本当に申し訳無いと思う。


大原社長がよく言っていた「天神株式会社は千年企業になる。」は幻に終わった。でも、少なくともその言葉を僕は覚えています。

たくさん勉強させていただきました。ありがとうございました。

天神株式会社は、問題もちょっとありましたが、いいところもたくさんありましたし、何よりも、大原さんをはじめ、たくさんの素晴らしい人たちが働いていました。

今になって本当によくわかります。

せめて、これからの新会社が社員のみんなにとっていい会社になってほしいと心から思う。


心の中で、誰に言うでもないお礼を言うと恵理が優しく見つめてくれていた。

そうだ、何よりも天神株式会社に入らなければ、この人には出会えなかったんだから。



◆おまけ

そういえば、この前、うれしいことがあったんだ。それは、あの田山から「あのときはひどいことを言いました。すみませんでした。」という電話だった。

僕は、田山のおかげで新しい人生を歩んでいることや、恵理と結婚すること、あれもこれも説明しながら、あまりにもたくさん話があるので、その週末に彼のいる東京まで行って会うことにした。

お互いに詫びを言いながら、飲みながら、そして泣きながら、肩を組んで兄弟のようであり、親友でもある存在になった。これも天神株式会社に入社したおかげだ。

酔っぱらった挙句に、夜の新橋駅前で、二人で「行くぞ!行くぞ!行くぞ!」をやってみた。周囲は変な目で見ていたかもしれないけど、実にサイコーだった。

酔っぱらった田山を彼のマンションまで連れて帰って、そのまま彼の家に泊まることにした。田山は僕が今いる会社に転職すると言ってきかず、「まあ、一度、上司に聞いてみるよ。」と口約束をされられた。この調子じゃあ、一生こいつとは付き合うかもしれないと思う。

まあ、でも、それも良いか。

そうだ。いつか大原さんにも笑って出会える日がくると信じよう。あの大原さんがこんなことで終わるわけがないじゃないか!

きっとそうだ!

◆大団円

天神株式会社の消滅から2年。かつての報道は嘘のように忘れ去られ、客足は戻り、上層部のごっそり抜けたテンコーポレーションで、採用課長に出世していた松田さんから携帯に写メが入った。松田さんとは、時々メールのやり取りをしていたぐらいだったから、よほど嬉しかったんだろう。


スマホの画面には、白いTシャツを着て、日に焼けて真っ黒だけど、本当にいい笑顔の大原さんがピースサインをして写っていた。


驚いてすぐに電話をすると、松田さんは興奮してまくしたてた。

「おい、小田島。大原課長、いや大原さんが広島市の郊外でディスカウントスーパーを立ち上げたぞ。300坪くらいの店だけど、あの大原家の一人娘が、という感じで、とにかく話題になってるし、何しろ天神イズムでとにかく安い!もう広島では大注目されてて、超満員御礼だぞ!すごくないか?すげーだろ!おい、小田島、聞いてるか?おい!」


電話口で、僕はもうすでに泣いていた。


起業には、あの時の採用課のメンバーや、店舗のパートさんたち20人以上が参加したそうだ。

それも大原さんが声をかけんじゃなくて、その人たちから一緒に働きたいと何度も頼み込んだらしい。

他にも大原さんの起業を聞きつけた、たくさんの入社希望者がいたらしいが、今は給料が払えないと泣く泣く断ったとのこと。

その光景が目に浮かぶようだ。大原さんの素晴らしさをわかる人たちがたくさんいたこと、大原さんと働きたいと思う人たちがたくさんいたことに、僕は涙が止まらなかった。

電話口で松田さんもわんわん泣いていた。僕たちはただただ、嬉しかった。


松田さんが開店のお祝いに行くと、倉庫を簡単に改装した店に、ギュウギュウ詰めにお客さんが入っていて、元採用課のいけてるメンバーたちが、スーツじゃなく、そろいの白いTシャツにデニムで、大声で接客をしていたらしい。


その中でも最前列で特売のキャベツを、誰よりも大きな声で売っていたのが写真の大原さんだった。松田さんもその場でキャベツ運びを手伝ったそうだ。

店の名前が写真に写っていた。大きな木の看板に太く黒々と、少し丸文字で堂々と書かれている。

「大原明音商店」

集まったメンバー達が提案し、渋る大原さんを押し切ったらしい。これしか無い、と。

超格好いいじゃないか!

大原社長も泣いていると思う。天神株式会社を愛していた人たちもきっと泣いていると思う。

検索すると、色々な意味でネットでも大きな話題になってきているようだ。きっと大きな会社になるに違いない。

もしかしたら大原社長の夢を継いで千年続く会社にもなるかもしれない。可能性は無限だ。



いや、違うか。

今の大原さんはそんなことは思ってないだろう。


今この時を。そして開業に参加した仲間を。目の前のお客さんを。そして大原さん自身が幸せになれる会社を創っていこうとしてるんじゃないんだろうか?

千年続こうが、先のことは自分ではわからないし、むしろ知ったこっちゃない。

今の自分に出来る精一杯をやろうとしてるような気がする。

なんとなく僕はそう思った。


大原さん。やっぱりあなたはすごい人です。

更に5年後

 小田島 昭(オダジマ アキラ)・小田島 恵理(オダジマ エリ) 昭は採用担当を継続し係長に昇進。恵理と結婚し、双子の女の子に恵まれる。結婚前に恵理は太陽教を正式に脱会。現在は子育てと、檀家になっている寺に行って、和尚さんから仏教の真理を聞くのを趣味としている。やっぱり何かを追い求めるのが止められない性格らしい。

尚、田山敏夫は有名大学出身の力を発揮して昭の会社に無理やり転職。このコンビは当分続くと思われる。


 大原 明音(オオハラ アカネ) 起業したディスカウントスーパーが大ヒット。明音を慕う元天神株式会社の優秀なスタッフが続々と集結したこともあり、現在20店舗近くまでに急成長。多忙な社長業とともに、全国規模の若手起業家の研究会でリーダーを務めている。独身。


 大原 昭一(オオハラ ショウイチ) 背任事件の裁判で無罪を勝ち取った後、全ての事業活動から引退し、妻と共に大原明音と同居。財界団体などから多くの要望が寄せられ、経営者セミナーなどで経験談を語る講演活動を中心に活動。波乱万丈な人生が結構な人気になっている。近々、自伝も出版するらしい。


 松田 紘一(マツダ コウイチ) テンコーポレーションで早くも人事部長に出世。新しい会社でもそのコミュ力が大いに発揮され、新経営陣とも上手くやっている。将来の社長候補、と自分で言っていたが、案外なるかもしれない。

大原明音のところには何かと理由をつけて通い続けている。すでに4回ふられているらしいが全く懲りていないので、もしかするとやり遂げるかもしれない。相変わらずイケてる人。


 グレートサン(太田 淳一) 跡を継がせる予定の一人息子が大原明音と親しかったことから、天神株式会社への処分に大反発。父親に反旗を翻し、ほとんどの信者を引き連れて「真太陽教」を設立。太陽教には少数の古参信者だけが残る形になる。更に50mを超す巨大グレートサン像の建設計画や、自身の大邸宅の新築工事、海外のリゾート施設への多額な投資の失敗によって急速に資金繰りが行き詰まり、既に資産の差し押さえが始まっている。

ざまあみろ!

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千年企業 森 四郎 @ogasan1121

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