第14話 安眠グッズ
抱き枕、保健室に現着す。
今回のお題目は、綾森さんの不眠症改善プログラム。
その前に、彼女がどんな対策を講じたのか教えてもらう運びとなった。
保健室の主は研修があるとかどうとかで留守らしい。普段から真面目にお勤めを果たしてくれ。奇天烈な性癖を除けば、生徒想いなのだろう?
ちょっと待って。全然親身になってもらったことないんですけど! 真っ当な茨鈴蘭なんて、もはや茨鈴蘭にあらず! 解釈違いだッピ!
過激派モルモットの意見はさておき、俺は部屋を華やかに彩る存在へ声をかけた。
「もしかして待たせちゃった?」
「ついさっき来たところよ」
ノートパソコンを広げていた綾森さんが顔を上げ、俺を出迎えてくれる。
本日は、ポニテとメガネスタイル。休日を過ごすアイドルのようなリラックスムード、いと良き。私服姿の妄想が捗るやないかい。
「しまった。配信者を待つべきはリスナーの方か」
「今はメアじゃないわ。それに、メリーじゃなくて牡羊君でしょ」
「枕営業に来ました牡羊です」
これからぼく、あの人に抱かれるんだ……さようならDT……ずっと綺麗な体でいたかヨッシャァァアアアーーッッ!
さもなくば、お前の好きなVは活動再開できないって脅されたパティーン。
「俺の身体はどうなってもいい! 好きなだけ貪ればいいさ! でもあの子だけはっ、推しの体調だけは救ってあげて!」
俺が両手でボディを抱きしめるや、綾森さんはハッと気づいた様子で。
「わたし、悪徳プロデューサー役かしら? 好いではないか、好いではないか……?」
「それだと、悪代官ポジ? 山吹色のお菓子、訳あって持参できず」
梨央と呼称される害妹に、家の菓子は全て食い荒らされていた。駆除の依頼出そう。
「袖の下じゃないけれど、お菓子ボックスならあるわ。茨先生、甘い物好きだから」
テーブルに置かれたプラスチックの箱には、チョコやマシュマロ、ペロペロキャンディー、大麻成分ゼロな合法グミと多岐に渡る。
「いや、アラサー女史の趣味嗜好はできるだけインプットしたくない。全力で脳内フォルダからアウトプットしよう……あれ、何の話だっけ?」
「君が、並々ならぬ決意で抱き枕をやってる話」
「あぁ、俺の戯言は気にしないで。大根の皮むきくらい薄っぺらいから」
「薄皮一枚が希望の一筋へ繋がることもあるの。まさに、この瞬間がそうじゃない」
小さく微笑みを携えた、綾森さん。
あまり期待しないでくれ。美少女スマイルは眩しく、非モテに有毒である。
俺の個性を有効利用して元の場所へ舞い戻れるかどうか。結果の大部分は、綾森さんの気持ち次第。ゆめゆめ勘違いしてくれるなと己を律していく。
さて、切り替えよう。仕事もとい推し活のターン。
「手始めに、綾森さんが今まで試した睡眠療法を教えてもらおう」
「牡羊君が来る前に、一通り揃えたわ」
綾森さんが個室のカーテンを開けば、ベッド上に様々なブツが並んでいる。
「ネットで調べて評判だったものを、片っ端から買った結果よ」
綾森さんは懐かしむ様子で、眠れぬ夜を共にした相棒たちの名を順番に呼んでいく。
「ホットアイマスク、湯たんぽ、ピローミスト、ヒーリングミュージック、間接照明、プラネタリムの映像」
「効果のほどは?」
「さっぱりだったわ」
「ダメじゃこりゃ」
新喜劇よろしくズッコケを披露した、俺。往年の平成ノスタルジー。
「でも、この子たちとの出会いは無駄じゃない。収集が楽しくて、家にはまだ他の子も」
「あ、集めるのが目的になってやがるぜ……目的と手段が入れ替わるとはこのことかっ」
そうだよ! セルフツッコミをそこそこに。
「ところで、ピローミストって何ぞや?」
「睡眠導入効果があるアロマキャンドルみたい」
「オサレ!」
キャッチフレーズは、オーガニック由来の香りと幸福感に包まれて寝たいあなたへ。
ハーブ成分たっぷり配合と言われても、その辺の草と違いが分からん。草生えろ。
「興味があるなら、牡羊君も試してみる?」
「俺自身が安眠グッズだから。滑稽なシーンがとても虚しいね」
ちらりと俺の表情を窺った、推しの中の人。
どうやら、自慢の我が子たち? を自慢したいらしい(重複)。
「新しい企画として、夢喰ナイトメアの安眠コーナーとかどう? 悪夢を食らうにはまず、メリーを快眠させる必要がある。だから、オススメグッズのレビューとか?」
「……」
綾森さんが眉根を寄せて、俺の顔をじっと凝視する。
「まあ、安直か。この案、却下で――」
「採用」
「え?」
「牡羊君、まさか企画もできるなんて。復帰後はプランナーの方向で調整かしら」
本気でアイディアいただきっ。されてしまった。
事務所の人。もっと、このVtuberに本腰入れなさい。
アバター作って終わりじゃねえぞ。キャラを育てろ。企画を考えろ、バックアップしてくださいよ! いつまで経っても、大手の後追い隙間狙いじゃ差は埋まらないでしょうが! 縮まるどころか圧倒的に引き離されていくエンドレス。由々しき事態ですよ!
夢喰ナイトメアは、し、素人感が売りだから……
Vの神様、良い感じに救いたまえ。俺は明後日の方向へ祈りを捧げる他なかった。
「予行練習してもろて」
「やってみるわ」
綾森さんが素直に頷き、テキパキと安眠グッズの準備をしていく。
枕元に間接照明とピローミスト、足元に湯たんぽ。ノートパソコンからヒーリングミュージックとプラネタリウムを出力。保健室の明かりを消して窓をカーテンで遮った。
芳香と星空が、白々しい部屋を包み込んだ。
ホットアイマスクを被ってベッドへ横たわれば、なんということでしょう。あんなにも消毒液のにおいが鼻を刺激した保健室が、睡眠ガチ勢御用達のスリープルームに変貌を遂げました。劇的なビフォーとアフターに、匠もトンカチを置くレベルだ。
学園のアイドルの寝姿をまじまじと観察した、俺。
別に、いやらしい感情は全く以って断じて全然皆無。枕営業を嗜む者として、依頼人へ優れた快眠を提供するために仕方がない処置ゆえ。ジロジロジロジロジロ。
目元隠して、美人隠さず。可憐さを一部隠したところで、美しさは溢れ出しまう様。むしろ、少しエッチだと思いました。エロティズムは俗物じゃない、高尚な文化なり。
ことわざ辞典の人! 編纂してもええんやで?
カップ麺の3分は悠久の時を超えるのに、美少女を30分眺めるのは一瞬だった。
スゥースゥーと呼吸音が一拍を刻んでいく。
「そろそろ寝たかな?」
「ううん、ダメ。昨夜もほとんど起きてたし、熟睡する意気込みで臨んだのにね」
「敗因は、リラックスと対極の臨戦態勢かもしれない。あと、悲しい現実を伝えます。初手アイマスク装着じゃ、プラネタリウムは全く意味をなさない」
「それはわたしも……うすうす感じてたの」
アイマスクを外した、綾森さん。薄暗くても、恥ずかしそうな表情が鮮明である。
「配信時は、使い心地を喋ったり、メリーを寝かしつけるASMRとかおなしゃす」
「その日が来るのが楽しみだわ」
「待ってるだけじゃ、復帰なんて遠のくばかり。もういくつ寝ると、配信日?」
お正月もかくや待ち遠しく、お年玉でスパチャする勢いありき。
推し活は課金にあらず、お布施なんだッ。ガチャとは違うのだよ、ガチャとは!
アイドル商法にハマった、CD爆買いマンの心情を一つまみ理解すれば。
「少なくとも、今日はぐっすり寝られるはず。わたしの抱き枕さん、出番よ」
ハニトラよろしく来い来いと手招きされた、俺。
――これは人助け。推しを推すためだから。邪まナッシング。
その矜持ゆえ、心を鬼にして鋼の精神をへし折ろう。押し曲げろ、社会的体裁。
畢竟、綾森さんと添い寝にしゃれ込むシチュエーションは整った。やったぜ。
彼女の隣にお邪魔して、まどろみを享受しようとほくそ笑んだタイミング。
……っ!?
嫌な予感が走る。我が怨敵・茨鈴蘭とは異なる気配が保健室へ流れ込んできた。
咄嗟にベッドの影に隠れるや、俺は身を忍ばせる。
勢いよくドアが開かれた。
「失礼します! 茨先生、ご相談が――む?」
知ってる声だ。というか、先ほど顔合わせした相手。
「瑠奈? こんな所で何をしているのだ? それに、この様相は一体?」
「祥子こそ、どうしてここに?」
「私は校舎の見回りと、保健委員会の活動記録を提出するよう催促をだな」
「そうだったの。お疲れ様」
綾森さんがさりげなく身体を起こし、俺を佐々木の死角へ潜らせた。
「今、先生は用事で席を外してるの。帰ってきたら、わたしが改めて伝えておくわ。鬼の風紀委員がカンカンだって」
「頼めるか? 苦労をかけるぞ。それしてもあの方はズボラで困るよ、全く」
「けど、生徒想いでしょ?」
「その辺りの評判は私も聞き及んでいる。だからこそ、始末に悪いのだがな」
アラサー女史、大人気だなあ。俺にも優しくしたまえ。
「それで、この儀式めいた空間はどうした?」
「少し睡眠の悩みがあって。安眠グッズが効かないか、いろいろ実践中なの」
「前に一度、あまり寝付けないと嘆いていたな。すまない、私も手を貸したいのだが……いかんせん門外漢だ」
「平気。専門家――じゃなくて、茨先生に協力してもらってるわ」
もちろん、添い寝で安眠体質な同級生を抱き枕にするなどと口を滑らせない。
無駄な詮索を受けて、ややこしくなるのが目に見えている。
綾森さんは基本スタンスとして、Vの中の人だと公言は差し控えていた。仲の良い友人にも秘密らしく、それでも俺に開示したのは覚悟の表れだろう。
「……ふむ、ところで些か暗いな。明かりを付けるぞ」
「……っ! 大丈夫よ、ちょうど星空を眺めたい気分なの」
「瑠奈」
佐々木が語気を強めて。
「お前に限って、あり得えない。しかし、宵闇に乗じて粗相をしでかす輩はどうだ。私の眼が節穴でなければ、誰か陰に潜んでおるな? 白日の下へ晒してやれ」
「ま、待って祥子!」
間髪入れず、制止に入った綾森さんだったが間に合わず。
間接照明の淡い光では太刀打ちできないほど、蛍光灯のフラッシュが迸った。
果たして、美少女の寝込みを襲いかけた不埒者の正体が暴かれる――
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