パンデモニック・トリニティ

桑畑 絃

プロローグ

夢と目覚め

人の心は肉体によって左右されるという話がある。

とある類型論ではやせ型、肥満型、闘士型の三種類が存在し、体型に応じて気性が異なるという。

あるいは胚の時点での栄養の偏りがそうした変化を生むという考えもある。

尤も、それも傾向があるというだけの話。体型は生まれもった体だけではなく、食生活や生活習慣によって変わるかもしれない。どのみち多少性格に影響があったとして、人間性を決定する事はできない。


では、生まれもって決まった形と心を持ち、成長する必要のない人間がいたとしたら、それは人間と言えるのだろうか。




溶岩が湧き出る地の底。何処からか噴き出た黒い煙が、光を散らしながら上へと昇っていく。

生命が長く生きられない地獄のような環境、『彼ら』はそこにいた。


暗闇と灼熱をものともせず、白い髭と鋭い眼光を持つ老人が話している。傍らでは小柄な少女が跳ねる。

服とも呼べない最低限の襤褸切れを纏った姿は、原始人のそれだ。


二人の眼前には目を閉じた若い男が座っている。動く気配は無いが、そこらの壁や岩のような無機質さは無い。


「やれやれ。まだ若いというのに」


「オサ、これが?」


「ああ、そうじゃ。隼のイグリーズ。活発なやつよ。この下にいる者達のように『岩』になる程、長生きもしとらん」


「どうしてこんなとこでうずくまってるの?」


「眠っておる。下の『岩』になった者達は死に近い状態じゃが、こいつは違う。日が沈んだとき、目を瞑って動かない動物達と同じで、少し休んでいるだけじゃ」


「ふーん。そういえばフィーラがそんな話してたっけ」


「うむ。何があってこうなったかはわからん。夢でも見ているのかのう」



――――




『起きてください、イグリーズ』


「あ?」


『――ようやく繋がりました。三千年も夢を見ずに眠り続けるとは思いもしませんでした。――さあ、起きてください』


「起きる? よっこらせ」


若者は何処からともなく聞こえる声に疑いもなく従い、身を起こす。

辺りは白く、何もない空間。


『違います。目覚めてくださいと言っているのです……』


「目覚める?」


若者は声の言っている事が理解できないまま、喧しく肩を回したり、その場で飛び上がったりしている。


『これは夢なのです。現実の貴方は今、眠っています』


「眠る……?」


『夢――いえ、説明は省きます。


――次に気が付いた時、貴方はここではない別の場所にいます。まずは、自分の体をよく確認してください。

そしてギーグという老人に伝えてください。封印を経て肥大化した異界を制御する為に三つの体を用意した、と』



若者は言葉を発しようとしたが、経験した事の無い不思議な感覚に包まれ阻まれた。



――



「なんだ!?」


地の底に鎮座していた若者の体が跳ね、洞穴の天井へと突き刺さった。

衝撃で周囲の黒煙は晴れ、天井から砂煙が舞い落ちる。


「なんじゃ、起きたのかイグリーズ」


「な、なんだったんださっきのは。体を確認?」


若者――イグリーズは地面に降りて自らの体を確認する。くすんだ襤褸切れを纏い、ごつごつした腕と、脚と、背中には隼の翼。


「なにも変わってないが……」


「なにを話してるの?」


イグリーズは顔を覗かせた少女を見て首を傾げる。目にかかるように跳ねた髪、細い腕と体、背中には蝙蝠の翼。


「えっと……誰?」


「ああ、お前が眠ってる間に生まれた子。蝙蝠のエイルじゃ」


「最近退屈しててさ、オサになんか面白いものないかって聞いたら、あんたを紹介されたの」


「そうか。親は?」


「フィーラ。聞いたところ、あんたも同じくらい生きてるみたいだけど――」


「フィーラの……娘!?」


イグリーズは驚いて後ずさる。地面が抉れ、砂煙を放出する。

体に備わった底知れない力の片鱗が一挙一動に現れているのだ。


「あ、やっぱり仲がよかったんだ。父親は知らないけど、皆はイグリーズだって口をそろえて言うのよね。だからこうして実物を見にきたってわけ」


イグリーズは後ずさりの姿勢のまま固まる。全く身に覚えはない。記憶を思い起こす間、虚無の時間が流れる。

起きてからの会話、それ以前の会話、行った場所など、生まれてから現在までの膨大な記憶を処理する。

そこに、先程見た白い空間の記憶が割り込む。


「はっ……そうだ。オサ、ギーグという老人を知ってるか?」


「え、なんじゃ突然」


「封印を経て肥大化した異界を制御する為に三つの体を用意したって伝えろって言われたんだ」


老人が目を見開く。


「なんと、その言葉……まさかセムが……!? イグリーズ、他に何か言っておらんかったか!?」


「いや、何も」


「…………」


「オサ?」


老人は複雑な表情で暫く黙っていた。

イグリーズは過去の記憶を辿っているのだと思い、長い沈黙を待った。


「……ああ、すまん。その言葉は何処で聞いた?」


「今さっきだよ。なんか白い場所」


「夢か。お前が寝ていた事と、何か関係があるやもしれんな」


「よくわからないが、オサはギーグを知ってるのか?」


「ギーグというのはわしの名前じゃ。オサと呼ばれるようになって久しいがのう」


「名前って変わるもんなのか!?」



彼らの生活に肩書きは不要だった。

睡眠も、食事も、排泄も、呼吸すらも必須ではない。不老不死にして強靭、あらゆる環境に適応する超生物。

人間のような社会もなければ、夢を見る事も無い。


イグリーズが夢を見て知らなければ、ギーグは自分のもう一つの名前について語らなかっただろう。

理解する基盤の無い彼らにもう一つの名前の概念を説明するとなれば、軽く数十日を費やす事になる。



「それは置いといて、夢で聞こえたという声は……恐らくわしの古い知り合いのものじゃ。

詳しくは分からんが、イグリーズの体は大変なことになっていたらしいのう」


「え!?」


「案ずるな。もう治っておるよ。お前の体は長い間動けなかったせいで爆発寸前だったんじゃ。

一歩間違えたら宇宙の法則が乱れて、少なくともこの星は死んでいたじゃろうなぁ」


「眠るとそうなるのか?おっかないなぁ」


「うむ。それを防ぐために、お前の体は三つになったらしい。恐らくこの星の何処かにいるはずじゃ」


「体が、三つ……?」


「うむ。今この世界には、イグリーズが三人おる」


「同じ翼のヒトがいるなんて見たことないけど?」


跳ねまわっていたエイルが止まる。


「普通はいない。じゃが、今回はそういうものなんじゃ。イグリーズが増えたとしか言いようがない」


「まぁ、バクハツしないならいいけどさ。それにしても、あれだけの言葉からよくそんなに分かるなぁ」



彼らには天敵も居なければ、死や痛みへの恐怖、苦しみから逃れる必要性もない。

空想や願望も薄く、見えないものについて考える事はほとんど無い。

あるがままを受け入れ続けていても不幸に陥る事が無いのだから。


「やれやれ。三千年も寝ていたというのに呑気なものだ」


「じゃあ、あたしはもう二人のイグリーズを探しに行ってみようかな~」


「時間は有り余っとるからな。好きにするとよい」


そう答えた次の瞬間には、エイルの姿は消えていた。

行先を示す痕跡は上へ伸びる土煙のみ。


「なぁ、夢ってのは結局どういうところなんだ?もう一回行けるのか?」


「やれやれ、長くなりそうじゃな」


数千年、数万年を生きる彼らにとって、説明が数十日に及ぶのは些細な事柄である。

今日という概念すら超えた時間の枠組みの中、彼らは変わることなく、ひっそりと歪んだ生を謳歌していた。


そしてイグリーズは知らない。

もう二人の自分が、自分とは異なった生物になっている事を――

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