バイト先の変な女の子の話

めそふ

終わりの夢

 いつから見始めたのかは覚えてないが、子供の時から同じ夢を見る事が度々あった。その夢は、何というか俗に言う悪夢とはまた違うのだけれど、俺にとってはひどく恐ろしいものだった。どんな間隔で来るか分からない。何日も連続で見た事もあれば、何年も見ない事もある。それでも、忘れた頃には必ずあの夢がやってくるのだ。

 気が付くと、立ち尽くしている。目と鼻の先には普段よく見かけるであろう、緑色の金網フェンスが、俺を覆うようにしてそこにある。フェンス越しに何かを見るような、そういう姿勢で俺は動けないでいる。

 先にあるのは、くすんだ色の夕焼けと整備されていない空き地。それだけが、ただひたすらに広がっていた。

 ずっと、そこに居る。一歩も動けず、指先の感覚すらなく。俺はただそこで、灰色の雲の中、ほんの僅かに燃えている、大して綺麗でもない夕日を眺めていた。ただそれだけの、しかし不自然なまでに静かで穏やかな、恐ろしい夢だった。

 夢で見る場所に心当たりはない。何となく似たような景色を知っている気もするが、それも、とても古い記憶のものか同じ夢ですらあると思う。きっと、今まで見てきた光景を継ぎ接ぎのように寄せ集めたものがあの夢で、一種の心象風景のようなものなのだろうとそう思っていた。

 

 大学2年の夏。俺はバイト先で知り合った女友達にこの話をしてみた事がある。そいつは薬袋といって、同じ大学の同期なのだが、学部が違うのでキャンパス内で会う事は殆どない。こうして知り合ったのもシフトが被ってたまたま喋る機会があったからである。

 彼女には世に言う霊感というものが存在するらしく、幽霊とか怪談とかそっち方面の話に強かった。かく言う俺もそういう類の話には興味がある人間だったので、2人で心霊スポットに行ってみるだとか、世間からは疎まれるような事を度々していたのだった。

 その薬袋とバイト終わり、腹立たしい態度をとってくる常連客にストレスが溜まっていたため、2人で気晴らしに飲みに行こうという事になった。

 行きつけの店に入って、生ビールとつまみを頼む。こうして酒が入ると話が進み、俺達はクソ常連客の話で盛り上がっていた。

 しばらくすると隣の卓も結構出来上がってきたみたいで、誰とヤりたいだの、エロい夢を見ただのとしょうもない話が聞こえてきた。俺は当然として、薬袋も下ネタなんて特に気にするような人種ではなかったので2人で適当に聞き流していたのだが、俺はふと、夢というワードから、何度も見ているあの夢について思い出した。

 

 「そういや、エロい夢で思い出したことがあるんだけど」

 「何その思い出し方。絶対くだらない事でしょ」

 「いや確かに大した話でもないんだけどさ。まあガキの頃から同じ夢を見てるって話」

 

 ふーん、と薬袋が適当な相槌を打ちながら、つまみを口に運ぶ。しかし、その口調の割にはそれなりに関心はあるようで、俺の話を遮る気はないようだった。

 

 「で、どんな内容?」

 「気が付くと目の前に運動公園とかでよくみる金網のフェンスがあるんだよ。で、時間帯は夕方。そんで、フェンスの向こう側に雑草がちらほら生えた空き地がある。俺はそこから全く動けなくて、曇っててそんな綺麗でもない夕焼けと空き地をずっと眺めてるって夢」

 「……静かな夢ね」

 「そうなんだよ。別に何もなくてさ、でも何故かどうしようもなく怖い。そういう夢を、不定期だけど何回も見てるんだ」

 

 俺の話を聞いて、薬袋は少し考える素振りをした。こういう時、彼女は聞いた話に対して自分なりの答えを探しているらしい。薬袋は怪談や不思議な話などの収集を好んで行なっているらしいが、それを分からないままで終わらせるのが本人的には嫌なのだそうだ。

 尤も、その答えとやらは彼女独自の見解に基づいているせいで、根拠に乏しい事が多いのであるが、それでも何処か理路整然とした話しぶりに納得せざるを得ない場面も多い。

 

 「私は別に夢占いとか信じる様な人間じゃないんだけどさ、それでも夢には確かに意味があると思うんだよ」

 

 ふと口を開いた薬袋から、そんな言葉が出てきた。残ったビールを飲み干して、少し休むかの様に頬杖をつく。動き自体には一切の真面目さが感じられない。それでも、先程とは明らかに目の色が違っているのが分かった。

 下らない愚痴に花を咲かせていた時の、あの日常の中の瞳とは打って変わって、今の彼女の瞳は、何処か冷たく、それでいて爛然としているように見えた。

 

 「夢ってのは昔から色んな意味があるとされてきた。神とかそういう超自然的な存在からのお告げや予知夢。人の深層心理の表れだとか単純に過去の記憶の整理って言われたりもする。これはただの個人的意見だけど、そのどれもが正解でどれもが間違ってるとも思うんだ」

 

 言わんとしてる事は分かる。正解を一つに絞るべきじゃないって事なんだろう。夢という事例全てに同じ要因が当て嵌まる訳では無い。勿論、現代じゃ夢は記憶の整理だったり、そういう脳内の情報で完結するものというのが一般論だけど、何となくそうじゃない事例もある筈だと、俺は思う。

 なら俺の夢は何なのだろう。やはり過去の記憶の整理なのだろうか。

 

 「で、あんたのその夢ってのはさっき挙げた例とはまた違うものだと思う。いや、厳密に言うと予知夢に近いのかもしれないけど、まあ異なる部類に入るのかな?」

 

 また違うもの、その言葉が脳内で反芻される。何となく自分が緊張しているのを感じる。俺の夢は一体何なのだろう。彼女が挙げた例の中に当て嵌まらないとなると、あの夢が本当に異様なものに思えてならない。

 仄かに酔いが回り、熱が集まり始めていた自分の顔から、段々と血の気が引いていく様な感覚がした。

 

 「昔、あんたと同じ、子供の時から同じ夢を見る人に会った事があってね。といっても実家の近所に住んでたおじさんの話だけど」

 

 俺と同じく、何度も特定の夢を見る人。居るには居ると思ってたが、こうしてその人の話を聞くのは初めてだ。

 

 「そのおじさんが言うには、それは何処か知らない街の道路に立ってる夢なんだって。辺りは薄暗くて、それでいて綺麗な夕焼けが見える。そんな景色の中、ただずっと立ち尽くしてる。誰が通るでもなく、動かない世界を眺めてるだけの、そんなつまらない夢」

 

 不意に心臓の鼓動が跳ね上がった。俺の夢と似ている。場所こそ違えど、時間帯やただ立ち尽くすだけという点においては俺の夢と全く同じだ。

 だが、それだけだ。共通点はたかが見ている夢の内容が似ているのと、子供の時から見る夢という事だけ。世の中に存在する人間の数を考えれば、俺と似たような夢を見ている人間がいる事は何ら不思議ではない。ただの偶然に過ぎない筈だ。

 しかし、俺はどうしてか背筋に冷たいものを感じていた。たったこれだけの共通点が妙に恐ろしい。何だろう、この感覚は。まるで俺の心が、何か暗いものに侵食されるような、そんな薄気味悪いイメージが脳裏によぎる。

 

 「その夢を見るときは、いつも怖かったらしい。決して怖いものを見たりだとか、そういう事はなかったのに。漠然とした不安をずっと感じていたんだって」

 「すまん、ちょっといいか。聞きたいんだけど、そのおじさんは、今どうしてるんだ」 

 

 突然襲いかかってきた恐怖に焦った俺は、すぐ話のオチを求めた。安心が欲しかったのだ。結局そのおじさんに何も無かったというオチさえあれば、この恐怖から逃げられるから。

 薬袋は話を遮られた事に少し眉を顰めながらも、俺の様子を察したのか、ゆっくりとこう言った。

 

 「死んだよ」

 「は、嘘だろ?」

 「嘘じゃないよ。ほんとに死んだ。多分5年くらい前だったと思う」

 

 死んだ、という言葉に一瞬思考が止まる。その後に最悪な想像が頭の片隅から湧いてきて、思わず頭を振った。

 

 「勘違いしないで欲しいんだけど、この夢を見たから死ぬって言ってる訳じゃないよ。これはそういう不吉なものじゃない。予知夢に近いと言ったでしょ? これはある未来の事を指している、そういう夢だと思うんだ」

 「ある未来?」

 

 薬袋は頷いた後、その前に、と前置きをして、店員を呼んだ。どうやら俺のビールが空になったのを見て、2杯目を頼もうとしたみたいだった。

 

 「この話は、もしかしたら、人によって酷なものになる。だから、あんま深く考え込まない為にも酒でも飲みながら軽く聞き流したほうがいい」

 

 その忠告とも気遣いとも言えないような彼女の言葉に、俺は息を呑んだ。自分の未来に対する恐ろしさと単純な好奇心が脳内で渦巻いているのを感じる。聞きたいような聞きたくないような、そんな曖昧な気分を、俺はどうしていいか分からなかった。

 

 「一つ話が変わるけど、夕焼けって終わるってことの象徴だと思うんだよね」

 「何だよ急に、早く本題に移ってくれ」

 「まあまあ、これも本題を話すのに必要な事なんだ」

 

 薬袋が急く俺を諌めていると、注文した2杯目が届いた。俺は酒が手元に来ると、それをあおり、すぐに覚めかけた酔いを回す事にした。向かいの席に座る薬袋は、俺のその様子を見て、いい飲みっぷりだなあとけらけら笑っている。何笑ってんだ、お前がびびらすからこんな事してるってのに。

 

 「それで、夕焼けが終わりの象徴って話だろ」

 「ああごめんごめん。えっと、そう、夕焼けってのは黄昏時とか逢魔が時とか、そういう時間帯に見られるものでしょ。それはさ、要は人の時間が終わるって事だったんだよ。だから人は、いつも夕焼けを見ると家に帰るような、そんな光景を思い出すんだ。今は違うだろうけど、それでもずっと昔からそうだった筈で、つまり、あれは終わりを表す時間なんだよ。みんな何となくそれを認識している。だからこそ、それは区切りというか、人間にとっての境界線になり得る筈なんだ」

 

 そう話した薬袋は、妖しい笑みを見せていた。俺には、彼女の言っている言葉の意味がよく分からなかった。いや、今は俺の理解などは後回しだ。彼女の主張としては夕焼けとは終わるという概念に対して紐付けられるものらしい。だが、それが何だと言うのだ。俺と薬袋の話すおじさんの夢にも、確かに夕焼けは出てくる。しかし、その夕焼けの概念とやらが、俺達の夢をどう紐解いていくのか分からない。

 

 「おじさんの話に戻るけど、あの人は交通事故で死んだんだ。車ごと電柱に突っ込んで、そのまま。最初は悲しいなと思ったけど、段々あの人の話してた夢の話が気になってきた。だから、お通夜の時に色々と聞いてみたんだよ。事故が起きた時間とか場所とかね」

 

 なんて不謹慎な。とは思ったものの、確かこいつの実家は田舎の方だった。ああいう所は噂が広がるのが早い。俺も薬袋程ではないが近所付き合いが割と盛んな場所に住んでいたので、こういう時に誰がどう死んだとかの情報はすぐに広がるものだというのは何となく理解できる。それにしても通夜の時にそれを聞くのは、流石に間が悪いのではないかとは思うが。

 

 「で、聞いた話によれば、おじさん、出張かなんかで県外に行ってたらしい。2つくらい県を跨いでたって話だったかな。あの人、地元から出ることなんて殆ど無かったから、出張先の事なんてほとんど知らなかったと思う。それで、事故った時間は、大体夕方頃だったって話だったよ」

 「なあ、それって……」

 「ああ、うん。夢の内容と一致してるんだよ。だから初めは、この夢はおじさんの死についての予知夢だと思ったんだ。でもやっぱり違うと思った。子供の頃から見続けるっていうのが妙に引っ掛かったんだ。予知夢ってのはそんな長期間に渡って一つの出来事を指し示すものなのかと」

 

 俺はもう半分も残っていなかった酒を、一息に飲み干した。また顔が熱くなる感覚が、少しずつだが戻ってきたのが分かる。けれども肝心の頭の方は、薬袋の話を聞き逃すまいと冷静さを保とうとしていて、軽く聞き流せるような状態ではないのは明白だった。


 「ここからはもう、私の妄想のようなものになってしまうんだけど、あの夢は死んだ後に見ている光景なんだと思う。夕焼けという、あの時間が人にとっての境界線であるために、生と死も僅かながらに曖昧になる。だからこそ、きっと1番死に近い睡眠という状態でその光景が見えるんだよ。確かに死は当人にとって未来の事だ。でも、生と死は隣り合わせのもので、これは未来を見るというよりかは、生死の状態が入れ替わったという方が近い気がするんだよね」

 

 何だって? こいつは何を言ったんだ?

 突拍子もない話に頭が混乱する。あれだけ話に集中していた筈だが、訳が分からなかった。要するに、死んだ後に見ている景色を見ているのがあの夢だという事なのか? そんな馬鹿な。俺はじゃあつまり、俺は子供の時からずっと死に場所を見ながら過ごしてきたってのか。

 

 「何も動きがない夢ってのが大事なの。少なくとも、死ぬことは一つの終わり。そしてその後に何かが生まれない限り何もないのは当然でしょう。そういう動きのない世界が死後の世界ってやつなのかは分からないけれど、死ねばその人間にとっての世界は止まる」

 「ちょっと待ってくれよ。何でそう思ったんだ」

 

 俺は薬袋の話に割り込んで捲し立てた。あんな夢が、自分の終わりそのものだと信じたくなかったのだ。

 

 「何となくだよ。でも、朝や夜に死ぬんじゃ、この夢は見られないとは思う。夕焼けという、境界が曖昧になった時に、たまたま人間の生と死が入れ替わる事で、当人の過去にすら影響が出るんじゃないかな」

 

 薬袋はそう言うと、話疲れた様子で長く息を吐き、背もたれに深く寄りかかった。

 かく言う俺は、自分の未来の終わりがもう確定されているかもしれない、という現実を受け止められないでいた。ヤケになって2杯目も一気に飲み干すが、アルコールは回りきっていないようで、この憂いを消してはくれなかった。

 結局、この日は、お互い次の日に一限があるという事で一次会のみでお開きになった。帰り際に薬袋が、

 

 「あの話は、さっき思いついた仮説に過ぎないよ。なんせあんたとおじさんの2人しか事例がないんだから。まだ確証を得た訳でもないし、すぐ死ぬなんてこともない。そんな気負わないで」

 

 と、俺を励ますような事を言っていたが、俺は精々気のない返事をするのでやっとだった。

 

 

 あれから暫くの時間が経ち、俺は休日にぶらぶらと一人旅に行った事があった。一人旅といっても県内の田舎の方にドライブに行った程度のものだったが。

 地元民がハイキングにでも来そうな山を登ってみたり、雰囲気の良さそうな個人経営の店で食事を済ませたりなんかしてると、辺りはすでに日没に近付いていた。

そろそろ帰ろうと思い、車を走らせた。しばらく田舎道を走っていると、ふと何かが目に留まった。薄暗くなってきた為か、よくは見えなかったものの、それでも、何か無視していてはいけないような気がしてならなくて、俺は引き返すことにした。

まあ、精々5分くらい時間が取られるだけだ。そこまで急いでる訳でもないし、軽い寄り道くらい問題ないだろう。そう思いながら、車を再度走らせると、段々と先程目に留まったものが見えてきた。

 それは緑色の金網フェンスだった。それが視界に映った途端、何か妙な感覚に襲われた。既視感だ。俺は恐らく、これを知っていた。

それを自覚した瞬間、どういう訳か、あの金網フェンスをもっと良く見ないといけないという強迫観念が俺の脳内を支配した。道の脇に車を止め、先ほど見えたそれへと向かう。辺りは何もなかった。近くに何かよくわからない建物が見えるのと、2.3軒の住宅があるくらいの、のどかな田舎の景色だった。

 何処となく不安を抱きながら目当てのそれへと歩いていく。そこに至るまでの足取りはひどく重く、それでも真っ直ぐに歩いていた。そうして辿り着いた矢先、目の前に広がっていたものを見て、俺は言葉を失った。

 フェンスの先にあったのは、整備もされていない荒れ果てた空き地と、不気味な程に赤みを帯びた夕日。ただそれだけが、俺を嘲笑うかのようにしてそこにあった。

 夢で見た景色と、同じだった。

 その事実に、俺は膝から崩れ落ちそうになった。続け様に、体から生気が抜けていくような、そんな錯覚を覚える。

 何年か前にした、あの夢の話を思い出す。きっと、俺はここで死ぬのだろう。それはもうたった今なのかもしれないし、また此処に訪れなければならない時なのかもしれない。それでも、死に場所を知ってしまったからには、もう俺はまともには生きていけない気がする。

 異常なまでの喪失感を抱きながら、網の隙間に手を掛ける。そこから見えるひどく寂しげな景色に、俺は力無く立ち尽くす事しかできなかった。

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