第10話 幼馴染の記憶

 10年前――。

 当時6歳の私、星野聖華ほしのせいかは音楽の天才として学校や近所でもてはやされていた。

 ピアノの先生には、とに角耳がいいと褒められたし近所に住んでる作曲家の先生にもセンスがいいと褒められて天狗になっていた。

 そしてその作曲家の先生の息子である幼馴染の小田勇気くんにも一緒にピアノをやろうと誘っていた。

 その時、勇気くんは少し前に父親を亡くしたばかりだったのを覚えている。


「ねぇ、ねぇ! 今度ピアノ教室の体験会があるの、勇気くんも一緒にピアノやろうよ!」


「本当?! ピアノってお父さんがやってたやつだ! 聖華ちゃん、僕もピアノやってみたい! それでお父さんみたいなピアニストって言うのになってお母さんを元気にするんだ!」


 そう言って勇気くんは屈託のない笑顔を向けた。


「うん、勇気くんのピアノを聞いたら絶対元気になるよ! 私も色々教えてあげる!」


「ありがと、聖華ちゃん!」


 彼はとにかく要領がよく何でもそつなくこなす子だった、そして好奇心も旺盛で当時の聖華の一番の子分であった。

 二人で勇気の母である作曲家の先生を説得してなんとか勇気をピアノ教室の体験会に参加させる事に成功した。

 やはり、ピアニストだった旦那さんを亡くしたばかりの先生は少しだけ寂しそうな表情をしてたのを覚えている。

 でも、当時の私は勇気くんにいい恰好をみせる事ばかり考えていて気付かないふりをした。

  

 ――私が凄いって所を勇気くんに見せつけるんだ!


 ピアノ教室体験会当日。

 沢山の子供達とその親たちがピアノ教室に集まっていた。もちろん、勇気くんのお母さんも保護者同伴という事で来ていた。

 そして、ピアノ教室で勇気くんは複数人の子供達と一緒に1時間ほど先生に指導をされていた。


 ピアノ教室の最後に今日の成果を発表する時間があった。

 子供たちが順番にピアノを弾いて音を鳴らす、勇気くんと同じ初めて体験会に来た子供なんて滅茶苦茶に引いていて、でも楽しそうにしていた。

 そして、とうとう勇気くんの出番になる。ピアノに向かい、椅子に座る。その姿が初心者とは思えない程にしっかりしていた。

 私はその様子にきらきらと輝く瞳が釘付けになっていた。


 ――勇気くん、かっこいい。


 その様子を私と勇気くんのお母さん先生は見守っていた。そして勇気くんが弾いた一音、たった一音で私は驚いてしまう。


 ――えっ? ピアノってこんなに綺麗な音が鳴るの? 先生より綺麗な音……。


 その時の一瞬で私は自分が天才などではない事を悟ってしまった。

 そして勇気くんはピアノを初めて引いたとは思えない程綺麗な音色で聞いたことのない曲を弾いて見せた。


 そのメロディはとても美しくて優しくて、どこか心地の良い印象を抱かせる曲だった。


「……きれいな音」


 中には感動して目を潤ませる人すらいた。


 そして演奏が終わると先生や保護者の大人達は大騒ぎ、誰もが勇気くんを褒めたたえた。

 『なんだ今の曲は……凄い……』『鳥肌が……』『天才だ、天才ピアニストだ!』と。


 私も小さな手を一生懸命叩いて精一杯の拍手を送った。


「すごい! すごいすごい!」


 勇気くんのお母さん先生も『あの子――』と呟き両手を口に手を当ててとても驚いていた。

 しかし、私からみた勇気くんは何処か冷めたような表情……ううん、なんだか悲しそうで何かに絶望したような表情をしていた。

 そして何かを呟いたように見えた。

 私には『てんせ……どうし……俺、ぼんさい――?』と、よく分からない事を言っているように聞こえた。

 そしてその姿は少しだけ怖かったのを覚えている。

 しかし、そんな勇気くんの様子に皆は気が付いていないようで周りを取り囲んでいた。

 そんな皆などまるで瞳に映っていないかのようで勇気くんは――突然気を失って倒れてしまった。


 慌てて駈け寄る大人たち、子供達も不安で泣き出した子もいた。

 その後、なんだか色々あって元気なったら勇気くんは当然ピアノ教室に入るものだと思っていた。

 けれど、ピアノ教室の先生達に言ったのだ。


「ピアノ教室には入りません。体験出来て楽しかったです、ありがとうございました」


 その言葉に大人たちは唖然としていた。

 それから色々な人が勇気くんのお母さん先生の所に行って勇気くんがピアノをやるように説得したらしい。

 でも、お母さん先生は本人が嫌がっているのにやらせる訳にはいかないといって断ったらしい。

 中にはお母さん先生を罵倒する人もいたらしい。でも、それも仕方がないくらい勇気くんは天才だって皆が言っていた。


「ねぇ、ねぇ? どうして勇気くんはピアノやらないの? 皆言ってるよ、勇気くんは天才ピアニストだって!」


「俺は天才じゃないからだよ、聖華ちゃん」


「でも、お父さんみたいなピアニストになってお母さんを元気にしたいって……」


 尻つぼみになりながら言葉を紡いだ。


「ごめんね、でもきっと俺のピアノじゃ母さんは元気にならないから」


 そう悲しそうにいう勇気くんに何も言えなくなってしまう。


 あの倒れた日から、勇気くんは少し変わってしまった。

 時々すごく遠くを見る様な目をするし、あんなに好奇心旺盛で毎日楽しそうだったのに、最近はなんだか詰まらなそう。


「で、でも、ピアノ教室で勇気くんが弾いた曲すごくよかった! そ、それに、ちょっとカッコよかったし……私、将来勇気くんのお嫁さんになってあげてもいいよ?」


「ありがとう。でも、あの程度の曲なら誰にでもすぐ作れるようになるよ」


 そんな冷めた態度の勇気くんに思わず頬を膨らませる。


「むー、そんな事ないもん! そうだ、勇気くん! 勇気くんのお母さん先生みたいに、勇気くんが私にお歌作ってよ! 私が勇気くんのお歌を歌って皆に勇気くんは本当に本当にすっごく、すっごくすごいんだって言ってあげる」


 私はとてもいい事を思いついたとその当時は思った。

 その様子に勇気くんは少しだけ驚いた表情をしてそれからすぐに優しい顔をする。


「そうだね、聖華ちゃんが歌手かアイドルになった時、俺の曲を歌ってもいいと思ったらお願いするよ」


 私は勇気くんの一人称が僕から俺に代わっている事に気が付いたが、そんな事よりも勇気くんが曲を作ってくれると言った事が嬉しくて飛び跳ねて喜んだ。


「本当?! 約束だよ、聖華がアイドルか歌手って言うのになったら勇気くんがお歌を作ってくれるの。絶対忘れちゃダメだよ! そして結婚だからね!」


「いや、結婚はちょっと……」


 勇気くんのそんな言葉を私は無視して、だたぴょんぴょんと勇気くんの周りを飛び跳ねていた。

 そして、その日のうちにお母さん先生に手紙を書いて勇気くんに渡してもらった。

 手紙の内容は一番のアイドルになりたいから曲をくださいというシンプルな物だった。

 今にして思えば、有名な作曲家である先生にとても失礼な物だが子供だったので許してほしい。


「そうか、聖華くんがアイドルになったら勇気が曲をね……」


 勇気くんのお母さん先生はそう呟くと優しく私の頭を撫でてくれた。

 そして、『なら、お歌の練習をしないとね』と言って、たまにだけれど歌の練習をしてくるようになった。


 その様子を勇気くんはよく遠くから眺めていたっけ。

 

 それからしばらく時がたって、アイドルのオーディションに合格したり、段々と人気が出てきたり――気づいたら、いつからか私はトップアイドルと呼ばれるようになっていた。

 仕事や学校で忙しかったが、少しでも勇気くんと過ごすため僅かな時間があれば必ず小田家を訪れていた。


 すやすやと深く眠る勇気くんを見つめてしまう。


「勇気くん、私はトップアイドルって言われるくらいになったよ。……キミは約束を覚えているかな? 私はずっと待っているから……いつか絶対に私に凄い曲を作ってね」


 出来るだけ優しく微笑み、勇気くんのいる布団へと潜り込む。一緒に添い寝するのだ。

 布団の中は彼の優しい臭いがした。

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