第3話 素敵な櫛だったのに
喫茶店近くのマンションに一人暮らしをしているという星野さんは、車を持っているらしくそれに乗せてもらうことになった。大学一年生で車持ちとは、結構お金持ちなのだろうか。見上げた彼女のマンションはそれを証明するように、僕が住むオンボロアパートとはまるで違っていた。
助手席に渋々乗り込み星野さんに運転してもらう。相変わらず黒い顔は見てしまうと怖いのでなるべく隣を見ないように努めた。車内は綺麗でどこかいい匂いがした。初めて乗る女の子の車ならもっと素敵な場所へ行きたいと思った。
例の場所はそこから三十分もかからないところにあるらしい。地元ではない僕は知らなかったが、車に揺られている最中ネットで検索すると、確かにすぐに出てくる有名な廃墟だった。やや人気のない寂れた町の外れに、ポツンと建っているらしい。
星野さんのいうように昔息子が家族を皆殺しして一家全滅したとかなんとか。かなり古くからあるらしく、幽霊もだが耐久性も心配されるほどの古さらしい。
しばらく車通りも少ない細い道を進んだ。星野さんは鼻歌を時折歌いながら楽しそうにハンドルを握っている。そんな様子に呆れながらすでに来たことを少し後悔していたころ、目的地が近づいた。
木々が生い茂る中にそれはひっそりとあった。木造の家で、びっくりするくらい年季が入っている。二階建てでこじんまりとした家だ。木目が見える木の壁には蔦が伸びていた。窓ガラスが見えるがあまりに汚くて中の様子はまるで分からない。
僕は絶句した。こんな場所、宝が埋まってると聞いても中に入るのは遠慮するかもしれない。
「ついた、行きましょ」
適当に車を停めると星野さんは颯爽と車を降りた。僕はもう後悔の嵐だった。それでも彼女に運転してもらわねば帰ることすらできないので、真っ青な顔で彼女に続く。車を降りた途端、すごい嫌な気がするのを感じた。気温はもう温かいはずなのに寒くてたまらない。
目の前には廃墟、隣に顔無し。精神を保っていられる自信がない。
「玄関の扉壊れてるからそのまま入れるのよ。ほらこっち」
星野さんの声はいくらかトーンが上がっている気がした。軽い足取りで玄関へ向かっていく。僕は肩を落としながらそれについていく。彼女が言った通り、玄関は扉が倒れていて開きっぱなしだった。おかげで雨もそのまま入ってしまうのだろう、下はぐちょぐちょで靴が汚れてしまう。
いつのまに準備したのか星野さんは懐中電灯をつけた。僕はスマホのライトをつける。真っ暗だった中がぼんやり浮かび上がった。それは想像以上に汚くごちゃごちゃした廃墟だった。
「……よく櫛探し出せたね」
「ふふ。二階にドレッサーがあってね。それも汚いドレッサーなんだけど。引き出しを開けて漁ってたら奥の方に隠したように入ってたの」
「…………」
「色々探索する?」
「するわけない。すぐに例の場所まで行って!」
怯えた僕の声につまらなそうに彼女はため息をついた。僕はといえばただ肩をずっとさすってるだけだ。
「そこの階段を登るの。ついてきて」
星野さんは懐中電灯を持ちながら指差す。その先には木造の階段が存在した。二人でそちらに進むと、星野さんは迷いなく足を踏み出す。予想通り、いやそれ以上の木の軋む音が響いて体が跳ねた。二人で通って大丈夫か、これ。途中で底抜けない?
そろそろと足を踏み出していく。ゆっくり気をつけて登る僕と違いさっさと上がっていく彼女に恨みの感情すら沸いた。僕は決して体格がいいわけでもないしどちらかと言えばヒョロだが、それでも女の子の星野さんよりは体重がある。気を配って登るのは当然なのだ。
ようやく上がり終えた二階は真っ暗の廊下に部屋が二つあるだけだった。星野さんが手前の扉を開ける。ギイイと嫌な音が耳に響いた。
「ここよ、ほらあれ」
まるで転校生に校舎を案内するようなテンションで星野さんは言う。そちらを見ると、確かに部屋の一番奥にドレッサーらしきものが見えた。他は朽ちたベッドやゴミが散乱している汚らしい空間だった。
ドレッサーは焦げ茶色をしていた。三面鏡が開いているのが見える。汚らしくところどころ変色していて、僕は眉を顰めた。こんなのを触って漁ろうだなんて星野さん本気でぶっ飛んだ人だな。
二人で近づいていく。僕は早くそこから去りたくて星野さんに言った。
「ほら、早く出して。勝手に持ち出してすみませんでした」
なぜか僕が謝る。彼女はカバンからあの櫛を取り出した。躊躇いもなく付属してある小さな引き出しをガラッと開ける。中には何も入っていなかった。星野さんは渋々という様子で櫛をそっとそこへ置く。僕はとりあえずほっとした。
「ほら、そしたら行こう」
「はあ、せっかく素敵な櫛だったのに」
「もういいから」
「あれっ。見て大山くん。昨日来た時、こんなものあったかな。気づかなかった」
撤収を促す僕の声を無視して、星野さんは嬉しそうに言う。苛立ちながらも気になってしまい、彼女がつまみ上げたものを見た。
長い黒髪の束だった。
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