憑かれたい彼女

橘しづき

星野美琴の黒い顔

第1話 バイト初出勤


 それはまだ確か六歳ごろの話。小学校に入学する直前、僕のばあちゃんは死んだ。


 幼い頃から僕が見る不思議な出来事を信じ、唯一同じものを見ることが出来た人物だった。


 例えば片足のない老人。首を紐でぶら下がったまま笑い続けるサラリーマン。交差点にいる血だらけの子供。どれもこれも、僕とばあちゃんにしか見えなかった。僕が怯えているとばあちゃんだけが励まして、そしていつも言った。見えないフリするんやで、って。


「ええか研一。お前は見えてしまう。これから先もその力が消えることはないだろう。とにかく見えないフリするんやで。幸い、お前は少しのものなら蹴散らす能力もある。多少のピンチは大丈夫だろうが、関わらないに越したことはないんや」


 死ぬ前、ばあちゃんは僕に繰り返し繰り返しそう言った。そして病院で静かに息を引き取った。あとで聞いた話だけれど癌だったららしい。


 幼かったけれど、僕は死というものがそれなりに理解できていた。ああいったものが見えるせいなのかもしれない。ばあちゃんはもういなくなって、自分とは違う世界に行ってしまったのだと泣き喚いた。


 ばあちゃんが言っていた蹴散らす能力、というのは、あの他の人には見えない奴ら相手に使うものだ。もしこっちが見えるということに気づかれ、懐かれてしまった場合。僕は『それ』に強く意識を集中させて睨みつける。そうすれば大抵のものはいなくなる。


 だがこの方法はテレビでよく見るようなお祓いだとか除霊だとかたいそうなもんじゃない。一瞬ビビらせるだけ、というイメージだ。しかも僕自身はかなり疲れるし毎回上手くいくとも限らない。だから、とにかくまず奴らに関わらないようにするのが一番なのだ。


 小学校、中学校、高校、大学生。とにかく平凡に暮らしてきた。視えるだなんて誰にも言ったことないし、平凡でどちらかと言えばちょっと陰キャラで静かに静かに過ごしてきた。


 この生き方がこれから先もずっと続くんだと思っていた。





「今日から入った大山研一くんです」


 そう紹介され、慌てて自分は頭を下げた。かけていた眼鏡が少しずれるのを直す。適当な拍手が鳴り響いた。


 大して賢くもない大学に入学、一人暮らしまでさせてもらった。ニューライフに胸を弾ませながら、とりあえず少しでも自分の金は自分で稼がねば、と思い立ち、住んでいるアパート近くのファミレスにバイトを応募した。


 バイトは初めての経験だった。よくわからないこだわりだが、始めて経験するのはファミレスか居酒屋がいい、と頑なに思っていた。家の近くにファミレスがあったのは幸いだ。


 出勤初日、店長に適当に紹介されホールへ放り出された。時刻は昼の三時。けれど二十四時間営業のファミレスはすでに稼働されている。何人かはホールで働いていた。


「えーと大山くん! 一年だよね? 俺もなんだ、よろしくー」


 ぽん、と肩に手を置かれて話しかけられた。振り返ると、茶髪の明るそうな青年が笑っていった。人懐こそうな笑顔にほっと胸を撫で下ろす。


「あ、よろしくお願いします」


「固くならなくていいから! 俺は野久保。みんなノックって呼んでるから! よろしくー」


「よ、よろしく」


「とりあえずー、メニューと席から覚えなきゃかなあ〜」


 ノックという青年は優しく指導し始めたので安心した。しかも同い年となれば話しやすい。僕は素直に彼の案内に従った。


 メニューを一通り説明され、次に中をサラリと案内された。席の番号なども彼は丁寧に説明してくれる。店内はまばらに客が座っていた。まだ忙しい時間帯ではないらしい。ノックの説明を聞きながら穏やかな店内を見回している時だ。


「お待たせしました。チョコレートパフェです」


 そう高い声が響く。落ち着きがあって、穏やかな声色だ。なんとなくそっちに視線を向けると、客にデザートを提供している女性の姿が目に入った。黒髪のロングヘアを纏め、着ている制服の袖から伸びる腕は細く白い肌をしていた。


「 ! 」


 一瞬で自分は固まった。


「ご注文は以上でよろしいですか?」


 爽やかにそういう彼女の顔から目が離せない。


 その人の顔は真っ黒だった。日焼けしてるとかそういうことじゃなくて、黒い影がその顔をすっぽり覆っているのだ。目も鼻も口もわからない。ただ黒く塗りつぶされた顔が細い体についている。


(なん、だ……あれ!!)


 あんなもの、今まで見たことがない!


 一瞬で心臓がバクバクと鳴り響いた。他の客だって店員だって普通にしてる、わかってはいたが、やはりあれが見えているのは僕だけらしかった。


「どした大山?」


 ノックが僕の視線の先を見る。ああ、と小さく呟いた。


「あの子は星野美琴。俺らとタメだよ。俺より長くここに勤めてる」


「…………」


 星野美琴と呼ばれた女の子は、そのままトレイを持って裏へと下がっていった。後ろ姿だけ見ればなんてことない普通の人。でも、あの正面は。


 直感で分かった。あれは、相当やばいやつに狙われている。命だって危ういかもしれない。


 額にうっすら汗をかいた。歩くたびに揺れる結ばれたロングヘアが心を揺らした。





 その日のバイトが終了した瞬間、僕は人生で一番と言っていいくらいの勇気を出して星野さんに話しかけた。正直今まで女子とちゃんと話すことすらうまく出来ない内気男子だったのだ。


「ああ、あの、星野さん」


 更衣室へ行こうとしていた彼女は振り返る。その顔を見てやっぱり飛び跳ねた。真っ黒で何も見えない。


「はい?」


「あの、すみませんが、少しだけ聞きたくて……最近こう、事件に巻き込まれたとか、心霊スポット行ったとか……ありませんか?」


 俯きながら小声でごにょごにょと尋ねた。ここで気味悪がられる覚悟はできていた。出会って話もしてない男からこんなことを言われれば、普通ドン引きしてこれから無視されるコースで間違いないと思う。


「……え」


「あ、ご、ごめんなさい気を悪くしたら……ちょっとこう、気になったというか」


「ええっと、大山くん、だっけ」


「あ、はい」


「このあと少し時間ある?」


 思ってもみない発言に顔を上げた。そして後悔した、やっぱり真っ黒な顔が怖かったのだ。


「あ、はい、大丈夫ですけど」


「よかった。少し話してみたいな。どこかでご飯食べようよ。着替えてくるから待っててね」


 星野さんはそう言い残すと、颯爽と更衣室の方へ向かって行ってしまった。ポカン、としてその場に立ち尽くす。引かれなかった、な。意外にも……。


「大山、まじ?」


 背後から声がかかる。ノックが目をまん丸にして近寄ってきた。


「星野に話しかけるとか勇者じゃん」


「いや、ちょっと聞きたいことがあって……」


「いやだって星野だよ?」


 多分ノックにあの黒い顔は見えていないはず。なのにこんな反応をされるということは、よっぽど変わり者らしい。確かに、僕の失礼な質問を素直に受け止めて食事に行こうだなんてかなり変わった女子であることは間違いない。


「ちょっと聞きたいことだけ聞いたら解散するから……」


「ふーん? ま、また今度色々教えろよ! 連絡先交換しよーぜ!」


 スマホを取り出して笑うノックに、人懐こい人だなあなんて感心しながら僕達は連絡先を交換した。そうこうしてるうちに、着替え終わった星野さんが出てきてしまう。結んでいたロングヘアは下ろし、白っぽいワンピースを着ていて、それがまた黒い顔の不気味さを増した。僕はびくっと怯えながらも、とりあえず自分も慌てて着替えに走った。


 待っていてくれた星野さんと並んで歩き(なるべく距離をとった)二人で近くの喫茶店に入った。星野さんの行きつけらしく、慣れた様子でメニューを僕に向けて差し出してくれる。小さく会釈してそれを受け取った。


「ここサンドイッチが安くて美味しいの」


 柔らかな話し方に、声だけ聞けばうっとりしそうだった。そんな気持ちを誤魔化すようにメニューに視線を下ろして言われた通りサンドイッチを選ぶ。ちょうど夕飯の時刻だったのでよかった。


「美琴ちゃん、今日デート?」


 突然声をかけられる。喫茶店の店長らしい中年のおじさんだった。星野さんは笑う。


「違うわ、同じバイト先なの」


「そっかそっか、美琴ちゃんの友達ならサービスサービス。はいどうぞ。美琴ちゃんは昔ここの店を手伝ってくれててね、すごく優しくていい子なんだ」


 そう笑いながらマスターはアイスコーヒーを出してくれた。僕はお礼をいう。なんだか随分と愛されているキャラらしい。


 ノックの言い方じゃあ、変わり者の女の子って感じに思ってたけど……。

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