第18話 出して
とりあえず、私の調査続行は決定したので、気を引き締めていくことにしよう。ちらりと後ろを振り返る。
暁人さんが蹴り破った扉がひっそりとあった。木製の古い扉だったからできたことだ、もしあれが破られなかったらと思うとぞっとする。ずっとあの部屋に閉じ込められていたのだとしたら。
「暁人さん、足は大丈夫ですか? 怪我とか」
「ああ、別に大丈夫です。かなり脆くなってましたから」
「ならよかったです。あ、懐中電灯の電池……」
私は手元を見下ろした。結局電池を拾うことなく外に出てしまっている。暁人さんが私に言う。
「ああ、俺が持ってきます。待っててください」
「すみません」
柊一さんとその場に残り、暁人さんの帰りを待つ。だがすぐに、暁人さんの厳しい声が届いた。
「柊一、ちょっとこれを見てくれるか」
私たちは顔を見合わせる。私は彼から離れないよう心掛けながら、そっと足を踏み出し、暁人さんが呼ぶ方へと向かった。扉は破られ開きっぱなしになっているので、もう閉じ込められる心配はないだろうが、警戒心を持ったままそろそろ近づいていく。
部屋の中から、暁人さんが扉を見つめていた。私たちは彼に並ぶ。
暁人さんが扉をそっと閉じると、そこに見覚えのない字が書かれていた。真っ赤な文字を見て、先ほどの血に染まった手を思い出す。ひっと自分の口から声が漏れた。
『ダシテ』
扉全体に、そう記されていた。
三人で一階に向かってゆっくり散策を続けていた。だが私はどんよりと落ちた気持ちのまま何とか歩いている状態だった。
先ほど見た扉の文字が目に焼き付いて離れてくれない。悲痛な叫び声を聞いたような気がした。
私が見た血まみれの手や、血で書かれたメッセージ。あの部屋で間違いなく事件が起きたのだろう。殺された佳子さんっていう方が、何かを伝えようとしているのだろうか。
それにしても……衝撃が強い。
「遥さん、本当に大丈夫?」
歩きながら、右隣で柊一さんが心配そうに顔を覗き込んでくる。同時に、左隣からは暁人さんも声を掛けてくる。
「一旦車に戻って休憩しますか?」
二人の顔を見比べ、精神を何とか保った。今、私を奮い立たせるものは、このタイプの違ういい男たちだけだ。彼らの綺麗な顔でも見て、アドレナリンを出すしかない。これまでの人生、こんな素敵な人たちに囲まれた経験なんてなかったじゃないか、それだけを考えろ自分。実際の所、私という存在は、二人には邪魔だと思うが。
「大丈夫です、お二人の顔を見て元気が出てきました」
「え、そんなもので元気出る?」
「そりゃもう!」
「変わってるね。普通おにぎり食べるとかしないと元気なんか出なくない? やっぱりさっきのカフェでおにぎりを作ってもらってテイクアウトしておけば」
悔しそうに彼は言うが、残念ながら、私はおにぎりでテンションは上がらないんですよ。というか、そんなに上がるのあなたぐらいのものです。
……という声は心に秘めておき、私は本題に戻った。
「さっきのメッセージって、どういうことなんでしょうか?」
ドア一面に書かれた血文字。ダシテ、にはどんな意味が込められているのだろう。
私の疑問に、暁人さんが考えながら答える。
「そのままの意味ではないでしょうか。ここから出して、ということです」
「だろうねえ。あの部屋か、もしくはこのホテルから出られないのかも」
二人の意見に、私は首を傾げた。
「幽霊だったら、どこでもすーって移動できるんじゃないんですか?」
「それがね、そうでもないんだ。幽霊にもいろんな種類がある。例えば、そこいらにふよふよ漂ってる浮遊霊というものから、同じ場所に離れずにいる地縛霊という存在もいる」
「へえ。じゃあ、このホテルには地縛霊がいるってことですか」
私が質問すると、二人は難しい顔をした。暁人さんが答えてくれる。
「まあ、簡単に言えばそういうことでしょう。ですが、さっきのメッセージを読む限り、ここにいる霊は『出たがっている』地縛霊ですね」
「ダシテ、って言ってた……」
「霊には一人一人、事情も個性もあります。一言で地縛霊、と言っても、その霊の本質をしっかり見ないと、判断を誤ることもあるから要注意です。外に出たがっているのは、助けを求めている哀れな霊かもしれません」
「もしかして、私がさっきあの部屋に閉じ込められたのって、佳子さんが気持ちを伝えたくてああしたんでしょうか? 外に出してっていう思いが」
言いながら、先ほどの恐怖が蘇りぶるっと震えた。怖くてたまらず、孤独で辛かった。もしかして、同じ思いを佳子さんもしているのだろうか? 女性が部屋の中で、出してほしいとドアを叩くイメージが頭に浮かんだ。
柊一さんが、普段とは違い厳しい表情をしている。
「その可能性は高いと思うよ。事件の概要を見ても、そう考える方がスムーズだ。ストーカーに命を奪われたことは無念だし、それが原因でこの世に彷徨っているのかと思っていたけれど、それだけじゃなくて、彼女は出してもらえないんじゃないかな」
「出してもらえない?」
「殺すほど愛し、執着していた相手を、死んだ後もそばに置きたいと思うのは簡単に想像がつくことだよ」
その言葉を聞いて心の底からぞっとした。
つまり、佳子さんは死んでからもなお、西雄という男に囚われているのか? 一方的な愛をこじらせ自分を殺した相手に未だ縛られているとしたら、こんなに苦しいことはない。死んでからもう三十年も。
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