第16話 消えた懐中電灯

「……怖かったでしょうね」


 私はポツリと呟く。暁人さんが申し訳なさそうに言った。


「女性である井上さんは、特に聞いていて辛いでしょう。すみません」


「いえ! 謝られることじゃ……殺された佳子さんって方は、無念だったでしょうね。可哀そう」


 私の言葉に、二人が少しだけ微笑んだ。話題を変えるように、柊一さんが声を上げる。


「じゃあ、とりあえずもう少し探してみようか。風呂場をもう一度見に行ってみよう」


 私は返事をし、そのまま出口へと向かっていく。三人で廊下に出た時、急に自分の懐中電灯の光がふっと消えたことに気が付いた。


「あれっ」


 暁人さんが振り返る。私はスイッチを何度か操作してみるも、やはり明かりは点かない。暁人さんが首を傾げた。


「電池も交換したばかりなんですが」


「接触ですかね……?」


 私は持っていた懐中電灯の頭の部分をひねってみた。くるくると回転させると、電池が入っているのが見える。また戻そうとして、中から電池がコロンと落ちてしまった。電池が四つ、転がっていく。


「あ! しまった!」


 慌ててみんなでそれを追う。その一つが部屋の中に転がり込んだので、私はそれを追って中に足を踏み入れた。


 途端、背後でばたん、という音がしたので固まった。


「……あれ」


 振り返り、焦る。扉が閉まっていたからだ。慌ててドアノブを握り、扉を引いたところで、自分の焦りはさらに増した。


 開かない。


「遥さん? あれ?」


「どうした柊一」


「ちょっと待って! 開かない!」


 扉の向こうからそんな二人の声がする。自分も必死に扉を引いてみるも、扉はびくともしない。かなり古く、どう見ても軽い木製の扉が、だ。


「柊一さん! 暁人さん!」


 必死に声を上げるが、向こうから返ってきたのは信じられない言葉だった。


「遥さん! 返事して!」


「井上さん! 何かあったんですか? 井上さん!」


 さっと血の気が引いた。私は全力で二人の名前を呼んだのに、まるで届いていないのだ。あっちの声は聞こえるのに。


 扉に縋りつき、必死に叩きながら、喉が潰れそうなほど声を張り上げる。


「います! ここにいます! 暁人さん、柊一さん!」


 届いている様子はなかった。扉の向こうから、二人の焦った声が聞こえてきたからだ。


「何かあったんだ!」


「返事がない!」


 力が抜けてふらりとよろめいた。自分だけ違う世界へ飛ばされてしまったみたい。存在が無くなってしまったのだろうか。


 二人が扉を必死に開けようとしているからか、目の前で小刻みに扉が揺れている。そこから目を離すことなく、ただパニックになった頭で懸命に考える。どうすればいいんだろう、三階だから窓からは無理だ。他に外に出られる場所もない。


 呼吸が自然と速くなる。


 胸につけていたランニングライトだけが救いだった。こんな場面で明かりが一つもなければ、私はすぐに気を失っていただろう。


「なんで……どうして……出して」


 震える声が口から漏れる。扉はいまだ揺れ、二人の声が響いている。


 必死に回してもドアノブは回らない。押しても引いてもびくともしない。どうして閉じ込められているんだろう。


「出して! ここから出して!」


 誰に言うわけでもなく、声の限り叫んだ、その時だった。



 背後に、気配を感じた。



 生ぬるい誰かの吐息が、肩にかかっている。


 すぐ後ろに何かがいる。触れるか触れないかぐらいの距離で、じっと私を見つめているのを肌で感じていた。間違いなく生きている人間なんかではない、嫌な空気感が私を包んでいる。


 息すら止まり、そこから一歩も動くことが出来なくなる。



「返事して!」


 すぐ前の扉の向こうには、あの二人がいるはずなのに、その声はとても遠く感じた。私の意識が離れていっているのだろうか、耳に膜が張ったような、そんな感覚に陥っている。


 耳にかかる吐息で、自分の髪がわずかに揺れる。あまりの気持ち悪さに吐いてしまいそうだった。


 ここから出して、お願い、外に出して。私を解放して。


 心の中で必死に懇願した。どうして閉じ込めるのだろう、こんな怖い目に遭わせて何が目的なの。ここから出して……。


 ライトで丸く照らされた世界は、同時に隅に闇を作り出している。その暗闇の中で、もぞもぞと何かが動いているのを捉えた。カーペットの上で、何かが蠢いている。


 血だまりだった。


 先ほどはなかったはずなのに、赤黒い血の塊がそこにはある。直径三十センチはありそうな、大きな塊だ。それがまるで生き物のように小さく動いているのだ。信じられない光景に、もはや叫ぶ余裕すらなかった。ただ目を見開き、愕然とその異常な物を見るしか出来ない。意思を持った血だまりが、こちらをあざ笑うかのように動き続ける。


 そして同時に、自分の背後でも何かが動いている。


 血だまりから視線を外せずにいる私の視界の端に、何かが映り込んだ。赤い。真っ赤に染まった手だ。たった今血が付いたかのように、ぬるぬるとした血液が光っている。鉄のような生臭い匂いが鼻につく。


 その手が、そっと私の肩に置かれる――


 

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