第7話 母は強し
そのあと、二人はようやく部屋から出ていった。改めてお礼に来ます、という片瀬さんの隣で、黒崎さんはひらひらと私に手を振っていた。マイペースな人だ。
彼らがいなくなった後、どっと疲れが出て床に倒れこんだ。ちなみに、ベッドにダイブできなかったのは、黒崎さんがつい先ほどまで寝ていたのだと思うと、緊張してできなかったからだ。絶対いい匂いがしそうな……私はいつから変態になったんだ?
しばらく呆然とし、昨晩からの出来事を思い出していた。
信じられない出来事だった。暗気と呼ばれる禍々しい者たちの集まりが黒崎さんを覆っていて、私が手を握ると減っていった。悪霊を体内に閉じ込めたせいだといっていたけれど、毎回あんな苦しい思いをして除霊をしているんだろうか。以前足を引きずりながら歩いていたときも、除霊の帰りだったのかもしれない。
「……お母さんに電話してみよう」
お手伝いするかどうかは、まだ返事をしていない。なるべく早めに決めたいと思った私は起き上がり、さっそく母に電話をかけてみた。数コールで相手は出て、相変わらずの明るい声で私に話しかけた。豪快で肝の据わった、面白いお母さんだ。
私は挨拶もそこそこに、昨夜起こった出来事を話した。興奮しながら一息に話し終えると、相手はあっけらかんとしてこう答えた。
『へえ、あんたも出会ったのねえ。私も若い頃やってたわよ』
返答が斜め上過ぎて変な声を出してしまった。
私もやっていた?? 初耳だ、母も私と同じ経験があるということか。
「え、お母さんも黒いもやをやっつけてたってこと!?」
『そーよ。言ったことなかったかあ。悪霊を体内に入れて浄化させる除霊方法は昔からあるのよ、少ないけどね。数をこなせば、体内に入れた後の浄化も楽になってくんだけど、最初はそりゃ辛いらしくてね。それを手伝ってたよ、遥と同じように、体に触れるだけで浄化できるからね』
「知らなかった! 私はあのもやたちにはなるべく近づかないでおこうと思ってたぐらいだし」
『それは間違いないわよ。あれはね、悪霊がいた名残だったり、念だったり、とにかく普通の人の目には見えない邪悪なものなのよ』
「そんなものを閉じ込めた人に触れて、私たちは大丈夫なの?」
『色々注意は必要よ』
母の話はこうだ。
まず、私たちはあくまで『悪霊を閉じ込めた人に触れることで浄化する』能力であり、悪霊そのものに触れてどうこうなるものではない。自分の体に閉じ込めるのはもってのほか。あれは相当特殊な体質の人しか出来ないんだそう。黒崎さんはかなり凄い能力の持ち主ということだ。
私たちの家系は、除霊をする能力とかではなく、『いい物を呼び寄せる力』なのだそう。だから、普段の生活から幸運が多い。力の強い神様とかの加護を受けやすいんだそうだ。ううん、無宗教なんですがね。
そういういい力が強いので、多少の嫌な物は浄化できるらしい。今回の場合、すでに黒崎さんが悪霊を体に閉じ込めて逃げないようにしているため、私たちはあの暗気というもやを退治できる。間違っても悪霊そのものを何とかしようと思うな、というわけだ。
「なるほどねえ。じゃあ、私たちに害はない、と」
『疲れるぐらいね。一晩寝れば治るわよ、お母さん見てれば健康に問題ないの分かるでしょ』
最高に説得力がある。母は病気ひとつしたことなく、いつでもパワフルな人間だ。
だがしかし、不安そうな声が電話からした。
『でもね、あんた昨日はそれ、たまたま成功したのよ』
「たまたま?」
『原則、悪霊を食べた直後すぐに触ってあげないと、成功しないことが多いのよ。昨日はどこで悪霊を食べたのか知らないけど、そこから帰宅するまで時間がかかってるはずでしょ? 浄化できない可能性の方が高かったのよ』
「じゃあ、成功率を確実に上げるためには……」
『除霊の現場に同行するのが一番ってことね。母さんもやってたわよーああ懐かしいい、怖かったけど楽しかったわー』
健康に害がないなら、受けてもいいかもしれないと傾いていた私は、最後の条件で、一気に迷いが生じてしまった。食べた直後でないと、成功率は下がってしまうのか。つまり、黒崎さんたちがどこで除霊してるのか知らないが、その現場にいなければならないということ。
「怖かったって、お母さん幽霊見えるの!? 私見えないけど」
『あんたも見えるわよーきっと。普段はそういう能力が眠ってるだけ。現場に行って嫌なものに近づけば、冴えて見えるようになるって』
大変軽々しく言ってくれるのだが、これでは当初描いていた流れとは違ってくる。手を握るだけの簡単な仕事だと思っていたのに、現場に同行して幽霊をみる羽目になるなんて!
これはやはり、お断りかなあ。私は肩を落とす。
いいバイトだなって思ったんだけど、厳しくなってきた。謝礼ももちろんだが、昨晩見た黒崎さんの苦しそうな様子を助けてあげたい、という気持ちだって、ないわけじゃない。でもこれは軽々とは受けられない仕事だ。
「そっか……ちょっと考えるよ」
『そうねえ。ま、母さんはやればーって思うけどね』
「軽いな!? 娘が曰くのある場所に行くの心配じゃないの!?」
『だって私たちは幸運の体質だから、怪我したり死んだりするようなことはないと思うし。何より、悪霊を食べた後の人間は、手助けしてあげないと本当に辛いらしいからね。一人前になる前に、死ぬこともある』
その言葉に心臓がひやっとした。何日も意識を戻さないことがある、って片瀬さんは言っていた。最悪な事態もあるということか。
母は不思議そうに言った。
『だから、食べる方法をとる人は、一人前になるまで、必ず私たちみたいな浄化できる人間と行動を共にするはずなんだけどねえ。もう一人の男の人は出来ないって言ってたんでしょ?』
「片瀬さんね。うん、強くない霊を祓ったりは出来るけど、浄化は出来ないって言ってたよ」
『ふうん、よく一人で耐えてるわねえ。助けてあげたらいいのに』
楽観的な母はそう他人事のように言う。いやでも、経験者なのだから、楽観的というわけでもないか。私は困り、言葉を呑んだ。
死ぬこともあるなんて……ほとんど初対面だった人だけど、お隣さんがそんなことになってしまうと、悲しい気持ちになる。私が手を貸してあげれば、そのリスクはぐっと下がる。
どうしよう。
「……もうちょっと考えてみる」
『うん、そうしたら。無理にやれとは言わないわよ、怖いしね。それにしても、今会社が倒産したっていうタイミングも運命的よねえ。なぜだか再就職先も見つかってないし。幸運の体質なのに』
「ほんとだよー! 面接落ちたんだもん!」
『本当に困ったら帰っていらっしゃい』
母は最後にそう優しく言うと、電話を切った。私は多すぎる情報に頭をくらくらさせながら、また床に倒れこんだ。揺れる心に戸惑う。
無縁だった心霊体験をするかもしれない。でも手伝わないと、黒崎さんは命が危ないかもしれない。
謝礼はかなりいい。母曰く私は怪我などの心配はなさそうだ、と。
「困った」
ごろりと寝返りをうち、天井を仰ぎながら呟いた。
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