第6話 謝礼という言葉はでかい

 片瀬さんは頷いた。


「食べる、と言っても、おにぎりみたいに口から入れるわけではないですけどね。悪霊を自分の体の中に入れて閉じ込めるんです」


「あっ! それで昨晩、あんなことに!? 悪霊が体の中にいたから、ぐったりして黒いもやも」


「そうです。言いましたが、体の中に入れると時間をかけて消化できます。でもその間、苦しいし痛む。強い相手であればあるほど、その症状は強く出てしまう。昨晩はかなり厄介な悪量だったので、意識すら失ってしまってたんです」


「それが、私が触れるとなぜか浄化出来た、ってことですか」


 昨晩、ものすごいもやに包まれていた様子を思い出す。なるほど、体内に悪霊がいたからあんなことになったのか。やっと今回の全貌が見えてきた気がする。


 納得すると同時に、そんな体当たりな仕事をずっとやってきたことに驚いてしまった。もはや命がけと言っても過言ではないのではないか? そんな辛い思いをしてまで、どうして除霊の仕事をするのだろう。やっぱり儲かるのかな。


 私は考えながら言う。


「私もあんなことは初めてです。まあ、あんな状態の人に出会ったことがありませんでしたから……言ったように、母や弟も同じ体質なんですよね。黒いものが見えるのと、あとやたら幸運体質で。弟はともかく、母は浄化した経験はあるっぽいので、今度詳しく聞いてみようかなあ」


「井上さん」


 真剣な声が聞こえたので驚き片瀬さんを見る。彼はいつのまにか正座に座りなおしており、そして勢いよく頭を下げた。


「不躾なお願いだと分かっています。これからもまた、柊一の浄化を手伝ってくれませんか」

 

 こんな風に誰かに頭を下げられたことはない。驚きで固まってしまった。


「え、片瀬さん?」


「お願いできませんか。そうすれば柊一の負担がずいぶん軽くなるはず。こいつ、どんどんやつれていって」


「暁人」


 厳しい声が割り込んだ。振り返ると、ベッドの上から黒崎さんが片瀬さんを見下ろしている。先ほどとは違い、真面目な顔立ちでいた。


「そんなの駄目に決まってる。勝手なことをしないでほしい」


「でも柊一、お前も楽だったろ?」


「今、遥さんの体に異変が起こってないとはいえ、今後何か出てくるかもしれない。巻き込むわけにはいかないよ」


 厳しくそういった黒崎さんにかまわず、片瀬さんは私にさらに言った。


「もちろん、途中で辞めてもらってもいいです。試しにやってみてもらえませんか」


「暁人!」


「ただとは言いません、謝礼ももちろん」


 謝礼、という言葉にぴくっと反応してしまった。自分の中でいろんな意見が繰り広げられる。


 いいんじゃない、だって手を握ってあげただけじゃん。でもそのあと、すごい眠気に襲われたけどね。いや眠いだけならいいんじゃない? いやいや、とはいえ除霊のお仕事ってちょっと怪しいし、黒崎さんが言うように、今後何か健康被害が出るかも。だから途中で辞めてもいいって言ってるよ。とはいえ、さすがに決めるのは早すぎないか。でも謝礼って言葉の響きは大きいでしょ。それに、昨晩あんなに苦しそうだった黒崎さんを、見殺しにすることは出来ない。


 頭の中でぐるぐるといろんな言葉が回っているところに、片瀬さんがスマホに何やらスマホに数字を打った。そしてそれを私に見せる。


「一回につき、これで」


 ぎょっとして画面に見入った。あんな簡単なお仕事で、こんなに? 新手の詐欺じゃないかと疑ってしまうほど、いい額である。


 呆れたような黒崎さんの声がする。


「暁人、いい加減にして」


「……えっと、少し考えさせてもらってもいいですか。一度母に相談させてください。母はこの能力について知ってるかもしれないので」


 私がそう答えると、ひとまず片瀬さんはほっとしたように頷いた。


「ええ、そうですね。そうしましょう。考える時間も必要でしょうからね」


「決まったらまたご連絡する形でよろしいですか?」


「では、連絡先を」


 言われたままに片瀬さんと連絡先を交換する。それが終わり、なんとなく振り返ると、ベッドの上の黒崎さんがじっと私を見ていた。威圧感を感じやや戸惑うも、立ち上がって彼に声を掛けた。


「あの、勝手に話を進めてすみません」


「遥さんが謝ることじゃないでしょう。でも、よく考えて。あいつらは強い存在なんだから、接さずに生きていくに越したことはないんだ」


「そうですよね、でも」


「僕が苦しんでるのを放っておけない、なんて、お人よしなことしてると、君がしんどくなるよ」


 私を見上げながらそう言ってくる顔は、やはりとてもきれいでどこか儚い。ごくりと唾を飲み込む。そして私は正直に告げた。


「そういう思いもなくはなかったですけど……すみません、今私失業中でして、謝礼という言葉に惹かれただけなんです」


 彼の前で嘘はつけない気がした。まっすぐな目が、こちらを見透かしているような感じがする。人間離れしてる不思議なオーラのせいなのか。


 私が言った途端、一瞬彼はきょとんとした。そしてすぐに、ぶっと吹き出して笑ったのだ。


「あははは! 正直な人だね」


 目を線にして、大きな声で笑い声をあげる。初めて見たその笑顔に、自分は瞬きも忘れて見入ってしまった。


 この人、笑うとめちゃくちゃ可愛い。子供みたいな、子犬みたいな顔になる。さっきまでは美しすぎるが故近寄りがたかったけれど、笑うと一気に親近感が増してしまう。破壊力抜群の笑顔だ。


「あああ、あの、すすすみませ」


「まあ、まだ決まったわけでもないもんね。じゃあ、僕とも連絡先交換してくれる? お隣なのに、僕だけ遥さんの連絡先知らないの、ずるいよね」


 彼はそう言って髪をかき上げた。可愛いと美しさが相まって、こんな生き物がこの世にいるのかと驚愕している。


 震える手で、黒崎さんとも連絡先を交換した。これまでの人生の中で、最も緊張した瞬間かもしれなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る