第8話 親と子に大切なもの
その日の夜、従来の閉店時間の20時に「さかなし」を閉めてすぐ、
「え!? もう終わったん!?」
「言い間違えた。まだ終わっておらん」
「そうやんね。さすがに早すぎやんねぇ」
胸を撫で下ろすというのはおかしいが、昨日までのあの忙しさがまたすぐに戻って来ると思うと、さすがにしんどい。座敷童子ボーナスタイムは、たまにだからどうにか対応できるのである。
「夜じゃからな。ひとまず戻って来ただけじゃ」
座敷童子はそう言って、店内の椅子にひらりと上がった。
「珍しい。今までやったらずっとお家におったのに」
「そうなのじゃが、少し今までとやり方を変えてみようと思ってな」
どういうことだろうか。渚沙と竹ちゃんはきょとんとした顔を見合わせた。
「まぁ基本、わしがいるだけでその家は栄えるわけじゃが、一応な、少しぐらいは操作みたいなものができるのじゃ。それを緩めようと思ってな」
「緩めるとは、どういうことカピか?」
「とりあえず、母親を昼の仕事の正社員にするところから始める。そうしたら夜のスナックは辞められるじゃろ」
「それで、お金は大丈夫なん? 時給で働くよりは稼げるやろうけど。夜の稼ぎも大きいやろ?」
大阪府の現在の最低時給は1,064円だ。フルタイムで働いても月に21万円足らず。そこから税金や保険、年金などが結構な額引かれ、パートだとボーナスも無いところが多いので、親子ふたりだと厳しいだろう。
母子家庭なら確か福祉などの手当てや助成金もあるだろうが、それでも難しいものがあるのかも知れない。
だから夜にスナックなのだろうが、大阪の有名歓楽街である北新地や堂山のお店ならともかく、あびこなどの下町なら時給は良くて2,000円ほどだろう。時給と見れば高額であるが、お酒を飲みながらの接客は過酷だと思う。
向いている人ももちろんいるだろうが、和馬くんの母親がどうかは分からない。だが座敷童子が昼の仕事に舵を切らせるのなら、やはり無理をしていたのだろう。
だからお昼の仕事で正社員になれたら、身体的にも精神的にもかなり楽になるのだと思う。しかし景気が落ち込んでしまってからこっち、なかなか上昇することは無いと聞く。正社員であってもスナック分をカバーできるかどうか。
「少しの間は我慢してもらう。じゃが近いうちに昇進するからな。大丈夫じゃ」
「昇進? レジ打ちで昇進……?」
確か母親のパートは、スーパーのレジ打ちだったはずである。渚沙がまた首を傾げると、座敷童子は「ふん」と鼻を鳴らす。
「正社員になれば、そもそもレジ打ちでは無くなる。まずは店長にのし上げる予定じゃ」
「店長って、かなり大変な仕事なんちゃうん?」
座敷童子はさらりと言うが、渚沙は驚いて目を丸くする。渚沙には良く分からないが、従業員から商品の搬入から、全てを見なければならないのでは無いだろうか。かなり労力が必要なのではと想像できる。
「大丈夫じゃ。なにせ和馬の母親なのじゃからな」
ああ、そう言われると納得できてしまう。私立小学校の受験に勝ち抜く頭の良さを持っている子の母親だ。きっと有能なのだろう。
「子どもが小学校に入るまでパートや時短勤めの母親は多い。怪我や病気で呼び出されることも多いからな。じゃから母親も和馬の進学の機会で正社員登用の希望を出しておった。まずはそれを叶えるだけじゃ」
「そっか。それが今のお母さんにとって、いちばんええことやねんね」
「それが、和馬が立ち直る一助になると、わしは思っておる」
「どういうこと?」
「母親の今の勤務形態では、和馬と向き合う時間が極端に短い。何せ昼も晩も家にろくにおらんのじゃからな。それはの、子どもの、この場合は和馬の自己肯定力を下げてしまうのじゃ」
「なるほど、そういうことカピか」
竹ちゃんがしたり顔で頷く。渚沙はわけが分からず、うろたえて「え、え?」と2体を見渡した。
「渚沙、今の和馬が母親から感じているのは、きっとプレッシャーだけなのだカピ。それが母親なりの、和馬のためだと頭では分かっていても……そうカピな、例えばゆっくり話をしたり遊んだり、時には
「そうじゃな。じゃから今、和馬は自分に自信を失っているのじゃ。和馬は確かに聡明じゃ。じゃが言うてもまだ幼い子どもなのじゃ。本来なら愛情を掛けられて育てられるものなのじゃ。それが無いのじゃから、愛情不足でそうなってもおかしく無い」
「親なのだから、子どもとの生活のために働くのは何らおかしく無いカピ。子のために手厚い教育を考えるのも分かるカピ。けど肝心なものが抜け落ちてしまっているのだカピ」
実際に親である竹ちゃんと、いろいろな家庭を見て来ている座敷童子のせりふを聞いて、渚沙はつくづく子育てとは大変なものなのだと、溜め息を吐きたくなってしまった。
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