第3話 悲劇であったとしても
「うむ、今回も旨かった! 渚沙、ありがとうなぁ」
「いいえ、喜んでもらえて良かったです」
笑顔の安倍晴明から空になったタッパーを受け取り、渚沙は(罰当たりでごめんなさい)と心中で詫びながら、賽銭箱の上で風呂敷で包み直して保温バッグに戻した。
「ええのう、母上は毎晩、このたこ焼きを食うとるんやもんなぁ」
今やすっかりと大人の安倍晴明が、母である葛の葉に少し甘える様に言う。息子として母親である葛の葉を慕っているのだ。
「ふふ。羨ましかったら、
すると安倍晴明は苦笑を浮かべる。
「いや、遠慮しておく。
「あらまぁ〜。でも今はすっかり牙は抜けてるんよぉ〜。この場合は鬼やから
「巧いこと言うなぁ、母上」
安倍晴明はまたおかしそうに笑う。親子の微笑ましい会話が繰り広げられる。少し羨ましい。来週の定休日には、実家に帰ってみようかな、そんな思いも薄っすらと沸き上がる。さすがに両親に甘えたりはしないだろうが。それはさすがに恥ずかしい。
安倍晴明は84歳没とされていて、当時としてはかなりの長命である。それも
今の安倍晴明の外見はかなり若い。見た目だけなら渚沙とそう変わらないのでは無いだろうか。きっと竹ちゃんの様に外見を自由に変えられるのだろう。なら自分が気に入っている年齢にするのは理にかなっている。神格化されている安倍晴明とあやかしを同列にするのは、また罰当たりだろうか。
「だぁいじょうぶよぉ〜。万が一茨木が何かしようもんなら、わたくしがお仕置きするわよぉ〜」
「あはははは。母上のお仕置きとはぞっとするな」
安倍晴明はからからと笑うが、それには渚沙も密かに戦慄する。葛の葉は平気で茨木童子に危害を与えそうである。多分、容赦無しに。
茨木童子は過去数回「さかなし」で酔いつぶれているのだが、その度に葛の葉の尾っぽで引きずられて
茨木童子自身が文句を言うわけでは無いので、本当のところは分からないが、扱いを知れば不満を持ってもおかしくは無いのでは。
渚沙にとっては今やただの飲んだくれの鬼だが、一応は名を
「渚沙ちゃんも
そう言って優雅に笑う葛の葉。安倍晴明は「おお」と楽しそうだ。
「いつも母上が世話になっておるな。母上は退屈が嫌いやからな。助かるわ」
「あらぁ、それでもわたくし長年、大仙陵古墳でおとなしくしとったわよぉ〜」
「どうせ母上のことやから、他のあやかしをからかいながらやろ」
「まぁ〜、失礼ねぇ〜」
息子である安倍晴明のからかいが混じったせりふにも、葛の葉は嬉しそうである。
「葛の葉にとってはいつものことカピ。周りは逃げ回っているカピよ」
「まぁっ、竹子ちゃんたらぁ〜」
葛の葉が可愛らしく
憎まれ口を叩く竹ちゃんだが、そのつぶらな目に時折浮かぶのは、やはり羨ましさなのだろう。竹ちゃんだって母親なのだから、子どもと触れ合いたいのだろう。竹ちゃんの子どもは、まだハーベストの丘で元気にしているのだから。
葛の葉は、安倍晴明、幼名童子丸が生きている時、ともにあれたのはきっとたったの数年だった。妖狐だという正体が夫にばれてしまい、それからは側にいることが叶わなくなった。
70年、あるいは80年近く、葛の葉は愛する我が子に会えずにいたのだ。悠久とも言える時を生きるあやかしにしてみたら、その年月はあっという間なのかも知れない。だが会いたいと焦がれる人がいるのならきっと、それは辛く悲しい日々だっただろう。
葛の葉は安倍晴明が死して、ようやく会うことが叶ったのである。
葛の葉のことだから、相手の生死は問わないだろう。だが端から見ると、これは悲劇だ。生きていた間に会うことはできなかったのだから。陰陽師である安倍晴明にとって、あやかしである葛の葉は調伏対象なはずだった。だが葛の葉も安倍晴明も、そんな風に見られることを
対して竹ちゃんは、生きている間に、きっとたっぷり子どもと触れ合った。
だが晴れて時を永らえた竹ちゃんを、子どもと夫のみならず、他のカピバラも飼育員も、そしてハーベストの丘を訪れるお客さんも、誰ひとり見えることが無かったのだ。
竹ちゃんがどうして死にたく無かったのか、それは竹ちゃんにしか分からないことである。渚沙も聞こうとは思わない。
これもまた、悲劇であると渚沙は思う。そしてやはり竹ちゃんも、そう思われたく無いのだと思う。
どちらが良かったのか、そんなことは本人にしか分からないし、他人が計れることでは無い。それならせめて、「今」を楽しく「生きて」欲しい。渚沙はそう祈るしか無かった。
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