第2話 有名人を訪ねて

 水曜日、「さかなし」の定休日である。渚沙なぎさはお昼ごはんの後片付けを済ませ、キッチンのコンロに家庭用のたこ焼き用鉄板をセットする。


 昨夜、閉店後に仕込んでおいたたこ焼きの生地を使う。解凍しておいたたこ、みじん切りの紅生姜と天かす、青ねぎの小口切りも用意した。


 それらを使って、渚沙はせっせとたこ焼きを焼いて行く。米油を引き、たこを入れ、生地を流して他の具材を蒔く。「さかなし」のたこ焼きと同じ焼き方である。


 1度に12個しか焼けないので、次を焼いているうちに冷め始めるが、そのたこ焼きに、次の焼き上がりを盛り上げて行くので、熱が少しだが移って行く。


 そうしてできあがった24個のたこ焼きをタッパーに詰め、段ごとにソースを塗り、いちばん上には削り節を掛けた。青のりは控えておく。


「渚沙、そろそろ行くカピか?」


「うん。約束もあるし」


「ミーハーカピな」


 たけちゃんの呆れ顔に、渚沙は「だってなぁ」と苦笑する。


「せっかくやし、1回ぐらいは会いたいなぁとも思うんよねぇ。竹ちゃんも行くやろ?」


「まぁ、そうカピね」


 渚沙はタッパーのふたを閉め、風呂敷で包んで保温バッグに入れる。


「さ、行こか」


 洗い物は帰って来てからまとめてするとして、汚れものをシンクに手早く置いて、渚沙は「よっと」と荷物を担いだ。




 大阪メトロ御堂筋みどうすじ線のあびこ駅から電車に乗り、天王寺てんのうじ駅で降りる。会社員や観光客などで人通りの多い地下道を辿り、案内図通りに階段で地上に上がると、大きな道路であるあべの筋の真ん中に阪堺はんかい電車の天王寺駅前駅が現れた。


 阪堺電車は路面電車である。前身を含むと明治時代からという長い歴史の中で、廃線の危機もあったのだそう。それでも利用者の熱意により、存続してきたのだと聞いた。


 レトロな木造電車から現代的な電車までが運行し、それもまたファンを沸かすのだそうだ。


 渚沙と竹ちゃんはタイミング良く滑り込んで来た緑色の電車に乗り込んだ。天王寺駅前駅から3駅、東天下茶屋ひがしてんがちゃや駅で降り立つと、そこからは徒歩である。


 そう頻繁に来るところでは無いものの、道のりは把握している。渚沙と竹ちゃんは並んでのんびりと歩く。途中で理容院や楽器屋さんを通り過ぎた。


 そしてやがて見えてくる石造りの鳥居。安倍晴明あべのせいめい神社の入り口である。その名の通り、かの陰陽師、安倍晴明がまつられている神社だ。


 平日の午後ということもあって、参拝客はいなかった。好都合である。渚沙と竹ちゃんは鳥居の前で一礼し、参道の右側を静かに進む。真ん中は神さまが通る道だというのは常識だ。まっすぐ行けば突き当たりが本殿である。


 鳥居をくぐっただけだと言うのに、まるで俗世から切り離されたかの様な神聖な空気感が支配する。こぢんまりとした境内には安倍晴明誕生地の碑や、産湯井うぶゆいの跡の再現、葛乃葉霊孤くずのはれいこの飛来像など、人の手によって整えられたものが点在するのだが、それすらも神秘として包み込む様だ。


 本殿の前には賽銭箱さいせんばこがあり、鈴を鳴らすための麻縄が降りている。渚沙は竹ちゃんとふたり分のお賽銭をそっと落とし、麻縄を振って鈴を鳴らした。静謐せいひつな空間にからんからんと透き通った音が鳴り響く。


 二礼二拍手一礼。渚沙と竹ちゃんはそっと目を閉じて手を合わせた。これからも平和であります様に。「さかなし」がええ様になります様に。皆が健康であります様に。


 そして目を開き顔を上げると。


 目の前に端正な男性の顔が迫っていた。


「うわぁっ!」


 渚沙は驚いて目を見開き、女性らしからぬ声を上げて後ずさってしまう。そんな渚沙を見て、顔の主は心底おかしそうに「あはははは!」と笑い声を上げた。


「よう来たな、渚沙、竹子たけこ!」


 そう言い放ち、賽銭箱の上に白い袴姿で堂々と立つのは、安倍晴明その人であった。渚沙の心臓はまだ早打ちを続けている。


「こ、こんにちは! 驚かさんでくださいよ!」


 不躾を承知で咎める様に言うと、安倍晴明はまた「あはははは!」と笑う。


「退屈なのだ。勘弁せぇ」


「相変わらずいたずら好きカピな。渚沙もそろそろ学ぶのだカピ。晴明はこういう男カピ。参拝のたびに驚かされているのだカピ」


 呆れ顔の竹ちゃんに言われ、渚沙は(ああ、そうやったぁ〜)と項垂れる。毎回同じことを繰り返しながら、次の時には忘れてしまうのである。


 覚えていたとしても、本殿を前にして祈らない選択肢は無いだろう。願いのために神さまに手を合わすのは、日本人の習慣なのである。ただ、警戒はするだろうが。


 本殿からは葛の葉くずのはも出て来て、渚沙がうろたえる様子を見て、ころころと優雅に笑っていた。


「もう様式美の様やねぇ〜。ええ反応するわぁ〜」


「葛の葉さんまで〜」


 渚沙が嘆くと、葛の葉はまた「ふふ」と楽しそうに微笑む。


 安倍晴明は身軽にふわりと地面に降り立ち、渚沙が肩に担いでいる保温バッグに顔を寄せた。


「ええ匂いやな。ソースと鰹節。いつものたこ焼きやな?」


「あ、はい。今回も持って来ましたよ」


 どうにか気持ちも体制も立て直した渚沙が応えると、安倍晴明は「ありがたいわ」とにんまり笑う。


「さっそくもらおうか。大阪にはこれが楽しみにして来とるからなぁ」


「あらまぁ、ほな、もうわたくしは会いに来んでええかしらねぇ〜」


 葛の葉がからかう様に言うと、安倍晴明はまた「あはは」とおかしそうに笑う。


「もちろん、母上に会うんも楽しみやで」


 安倍晴明は渚沙からたこ焼きのタッパーを受け取ると、賽銭箱を机代わりにさっそく堪能し始めた。


 渚沙が準備していたたこ焼きは、葛の葉とその息子、安倍晴明への差し入れなのだった。渚沙は安倍晴明がこの神社に逗留とうりゅうしている間に、1度だけこうしてたこ焼きを持って訪ねるのである。


 親子の時間の邪魔をする気はさらさら無い。最初はただ、有名な安倍晴明の姿が見られたら嬉しい、でも手ぶらだと悪いので、と、葛の葉もほぼ毎日食べている「さかなし」のたこ焼きを持って訪ねたのだった。


 すると安倍晴明が思いの外たこ焼きを気に入ってくれ、それからこうして用意する様になったのである。


「さすが現代。うまいもんがあるんやなぁ」


 そんなことを言いながら平らげるのである。


 たこ焼きは、会津屋さんの初代がラジオ焼きを改良し、紆余曲折を経て、明石焼きを参考にたこをいれたたこ焼きを作り出したのが最初である。昭和10年のできごとだ。安倍晴明が生きた平安時代には影も形も無かったのだ。ラジオ焼きでさえ明治時代からである。ちなみにラジオ焼きには昭和初期から牛すじ肉が入れられる様になった。今でも会津屋さんなどでいただくことができる。


「うん、今日もうまいわ」


 安倍晴明は常温になってしまったたこ焼きを頬張りながら、子どもの様な無邪気な笑みを浮かべた。

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